E-MAIL[97/01/05 23:10]
林幹展/耐寒ツーリング第5弾!!




 中村・宿毛・足摺への旅

 11月30日朝4時45分に目覚めた。
 なんてこったい。
 目覚まし時計を4時にセットしておいた上に、パソコンのタイマーを3時50分に合わせておいたではないか。このままでは17時中村駅前でのPOPPO との待ち合わせに間に合わなくなる。これでは言い出しっぺの面目丸潰れである。あわてて起き出し出発の支度を始める。新聞が配達されてきたのでゆっくり読みたいところだが、そのような暇はない。
 5時30分に準備が整い、バイクの暖気運転を始めるとともに、荷物を積み込む。これから目にするであろう旅先の風景を思い浮かべながら、暖気運転中のエンジン音を聞くのは、もう5年余りバイクに乗っているが、いつ聞いてもいいものだ。
 5時38分に愛車TT−Rレイドのトリップメーターをゼロにし、そして出発する。寝屋川から阪神高速の入口の守口まで走る。この道も過去5回の耐寒ツーリングを始め、いつも走り慣れた道だ。ここから高速に入ったが、オフ車では高速は苦痛である。あるいはオフ車に乗り換えてから、余りバイクに乗らなくなったからだろうか。特に、以前なら120kmで走り抜けていたコーナーが、現在たったの80kmでしか走れなくなっている。
 ため息が出るとともに、これから先が思いやられるなと思った。そして、環状線を抜け、神戸線に入る。この神戸線は兵庫県南部地震以来初めて通ることになる。6時を回ったところで車が少しずつ増えてきた。以前120km以上出していた頃はこれらの車は邪魔だったのだが、100km走行が精いっぱいの現在では、かえってこっちが邪魔者である。芦屋の料金所に着き、料金所のおっちゃんに300円手渡した。すると、料金所のおっちゃんはもう100円要求してきた。もう長いことここを通っていなかったので、料金の値上げがあったことをすっかり忘れていた。
 しかし、この先中村までどれだけの料金所を通過しなければならないのだろうか?
 やがて、月見山トンネルを通り抜け、第2神明道路へと入る。この辺りで朝日が登ってきた。これで少しは暖かくなるだろう(しかし、これだけ高速をブッ飛ばしていると大して変わらない。単なる希望と思ってください)。そして、6時50分に子午線を通過する。いつも思うのだが、このゲート状の建造物はチェックポイントのように思えて仕方がない。今回も前々回の通過時刻と比較して「前は7時ちょうどに通過したから前々回よりは早いぞ」と一人満足している。そうこうしているうちに第2神明道路2ヵ所目の料金所を過ぎ、加古川バイパスに入る。驚いたことに、ここから霧が出たり消えたり断続的に出ている。そのせいか少し車の流れも詰まってきた。瀬戸内を渡る時が心配になってきた。しかし、この霧も姫路バイパスに入るまでに出なくなった。姫路のSAで少し早いが休憩をする。前々回のツーリングでは吉備SAまで無休憩で行ったため、随分軟弱になったものだと自分でも思う。トイレとしばし休憩をする。ここで地図を見ながら今後のルートを考える。四国に入るのに宇高航路を使うには時間が遅すぎると判断し、料金が高く余り気がすすまないが瀬戸大橋を渡ることにする。
 ここから竜野・太子バイパスを走り、一旦国道2号線へ出る。そして、竜野西ICから山陽自動車道へと入った。ここから順調に走行したといいたいが、岡山県に入る峠を越した辺りで予想外のガス欠に見舞われてしまった。高速走行での燃費の悪化を計算に入れていなかったのだ。バイクを路肩に止め、リザーブタンクのレバーに手を伸ばす。 「あっレバーがリザーブに入っていなかった」と取り敢えず安心?する。
 ここですでにレバーがリザーブに入っていて、本当にガス欠していれば笑い者である。ひとまず危機は回避できたが、次のSAは遥かに遠い(40キロはあった)。80km程度で燃費走行しながら考える。タンクの中身はあと3リットルを切っている。吉備SAまで走るのは成功すれば時間の短縮になるが、失敗すれば高いガソリン代と下手をすればけーさつが待っている。山陽ICで下りて2号線に入るという手もある。一時は吉備SAまで走ろうかと思ったが、TT−Rの高速での燃費が読めないのと、高いガソリン代は嫌だということで、結局山陽ICで下りることにした。下りてから車の流れがどうも悪い。しばらく走ってガスを補給する。「寒いね。どこまでいくの?」とガソリンスタンドのおっちゃん。「高知まで」と私。
 ここで大抵の人は呆れるか驚くかだが、このおっちゃんは大した感情の変化もなく、大阪でのガスの相場を聞いてきたり、当たり障りの無い質問をしてくるだけだった。またトイレに行き出発する。ここから2号線のバイパスに入った。ここは車の流れはいいだろうという読みだったが、予想に反して車の流れは悪く、岡山の市街に近づくにつれ渋滞してきた。早島ICから瀬戸中央自動車道に入るつもりでしばらく渋滞に付き合っていたが、いよいよしびれを切らし児島から入ることにし、脇道に入る。
 しかし、2号線程ではないがここも流れが余り良くなく、またまた予定を変更し、水島ICから入ることにする。しばらく快調な走りだったが、1つ目のトンネルを越えた辺りで風の強さを感じるようになった。「ここでこれだけの風なら橋を渡る時はどうだろうか?」と思ったがこの時はそれほど心配はしなかった。何と言っても私には台風の中をツーリングした経験もあるのだから、という自分に対する過大な評価があった(93.8.28から9.4までの東北へのツーリング。9.3から4にかけて台風が山陰地方を縦断し、この時、私は帰路の北陸道で台風相手にもがいていた・・・)。この時私は重大な事実を忘れていた。
 そう、私が数年前に比べて軟弱になっていたという事実に
このあと私の身に降りかかる恐怖があることも知らずに・・・

 鷲羽山のトンネルを抜けると風はいっそう強くなった。ここでこの風の強さに嫌な予感がし、全身に悪寒が走る。風は西から東に吹いているので、下手をすれは橋の路肩から橋の欄干へ激突、いや海の上では下の海へ落ちそうになるのではないか、と余計な?不安にかられた。そんな心境ではあるが、いよいよ下津井瀬戸大橋に差しかかる。突風が吹いたり止んだりするので、バイクでジグザグとまるで族の小僧のような走りになる。風速計は風速12mを指していた。しかし、バカな私はそれでも80km位出していた。左の路肩は金網状になっていて線路の下に海があるのが見える。アドレナリンが大量に分泌され、心拍数がかなり上がった。「うーこけるー。こけたら海に落ちるー」と私は命の危険を感じた。いままで現在POPPO が乗っているJADEで結構無茶なことをしてきたが、こんな気持ちになったことは今までなかった。そんなこんなでやっとの思いで櫃石島へたどり着き、島へ下りる出口と本線との間で一時停車する。「あー何ちゅー橋や。こんなところを渡らせる気かー」と思ったが、そんなことを考える位なら最初から渡らなければいい。そんな時、ゆっくり渡ればいいということに気がついた。
 ここから橋を50〜60kmで渡り、やっとの思いで与島PAに着いた。
 ここで恐怖に震える体を鎮めるために休憩をとる。
 ぶらぶらしていると郵便貯金のキャッシュコーナーがあったので軍資金を下ろす。
 出口での支払いのためにハイカを買って出発しようとしたら、橋の交通監視カメラの映像が映っていたので、風の具合を見ようとしたが、そんなもの分かる訳がなかった。せめて同じ境遇で走っているバイクを見ようとしたが、そんな物好きはいなかった。ここの2階にある橋の構造の模型を眺めてから今度こそ出発しようとした。
 しかし、冬のツーリングでは得てして出発前には寒さのため憂鬱になるものだが、今回は強風との相乗効果で何とも言えない気分だ。出発前に徳島ナンバーのグース250が私の後ろに止まった。車高が低くて重心も低いオンロード車が羨ましく思った。検札所を過ぎて、螺旋状のランプウェイを上がるにつれだんだん風が強くなっていき、地上の風景が小さくなっていくので恐怖がそそられる。
 ランプウェイから本線に合流してすぐに北備讃瀬戸大橋に差しかかる。
 強風を警戒し時速50〜60kmを厳守したが、下津井瀬戸大橋程ではない。
 風速計を見ると風速は8mを示していたので少し安心したが、これでも強風には違いないので警戒を緩める訳にはいかない。番の州高架橋を通り過ぎるまで油断は禁物だ。 よく抜かされるのでミラーをじっと見ていると、さっきのグースが後ろから走ってきていた。抜かされても仕方がないと走っていたが、ずっと後ろからついてきていた。
 やはりこの強風はどちらにとっても苦痛だったのだろう。
 南備讃瀬戸大橋にさしかかる。この橋は瀬戸中央自動車道で最長の橋だ。ここでも気を抜かずに走り切り、無事に四国に上陸した。

 料金所を通り抜け高松自動車道を川之江方面に向かう。さっきの強風が嘘みたいに穏やかになった。朝が早かったせいと、ここで安心したせいか、人間もガス欠寸前になってきた。次の豊浜SAでチャージすることにしようか。
 そう思うとアクセルがいつもより開き気味になった。そして、豊浜SAに11時過ぎに到着。すぐにレストランに入り、うどん定食を頼む。私は四国に来ると必ずと言っていいほどうどんを食べる。何度も食べまくっているがあの味は飽きない。あっと言う間に食べ終わり、休憩所で地図を広げようと、以前通ったレストランから休憩所へ通じる扉へ向かった。すると休憩所へ向かうドアが塞がれていた。外に出てみてよく見ると休憩所は工事中で、少しずれた場所にプレハブが建っていてそれが休憩所となっていた。そこに入ったが何とも落ち着かない休憩所である。そこそこに出発しようとしたが、外を見ると雨が降っていた。そう言えばこのSAに着く手前の路面は濡れていたなと一人納得した。納得している場合ではなく、雨が上がるのを待ってから出発する。しかし、川之江の分岐の辺りでまた雨が降ってきた。高知道に入ってしばらくしてチェーン脱着場があったので、そこでやれやれと思いながらザックからレインスーツを出す。ここで雨粒がバイクに当たって跳ね返るのを目撃した。しばらく凝視しているとそれは雨粒ではなくあられだった。
 耐寒ツーリングを何年も続けてきて初めての出来事に11月にしてこのような天候に見舞われるとは思いもよらなかった(過去に雪がちらついたことはあったが、それは一瞬の出来事だった)。それでも準備が出来次第出発した。
 2車線の対面通行がここから続き、ゆっくり走っていると他車の迷惑になるので、適当な所で左に避けたりしながら慎重に走行する。高知道はトンネルが多い。そして、そのトンネルを抜ける度に標高が上がり、気温が下がっていくのが実感できた。PAが途中にあったが、あまりのんびりしているとPOPPO氏との約束の時間に遅れるのと、とっととこの標高の高い寒い地域から出ていきたいので無視する。
 そして、高知道最後のトンネルを抜けると長い下り坂となり、やがて天候が今までの寒々とした曇空から暖かい青空へと急変した。南国の料金所へ入ると話の好きそうなおっちゃんが「この時期寒いやろ」と後ろに車がいないことをいいことに話し出す。私は峠越えの時にあられが降ってきたことを話す。こんな時思うのだがこの時期ツーリングしている時、話しかけてくる人の大半は同情のような言葉をかけてくる。
 私はただこの時期が観光地に行ってもすいているし、バイクばかり群れているのは好かんのと、暑い時よりは少し位寒い方がましなのでツーリングしているだけなのだ。だが、こんなことを相手にくどくど説明するわけにはいかないが・・・。 
 以前も中国道の美作ICの料金所で、おっちゃん相手に2〜3分雑談したことがある。まあ、料金所のおっちゃん相手に雑談するということは、都会では味わえないのんびりした雰囲気ではないだろうか?
 ここから単調な一般道に入るので、ラジオを取り出しイヤホンで聞きながら走る。
 退屈しのぎの他、交通や天気の情報も収集できる。ここから国道32号線で高知市内へ向かう。天候はさっきとうって変わって穏やかになっている。 ラジオの気象概況では山間部では雨か雪だと言っていた。その中を突っ込んできただけにひとり納得する。 気持ちよく走行しているとやがて三叉路になり、高知市内方面に右に折れる。車の流れがよく実に爽快だ。しばらく走っているとやがて「土電」の線路が平行に並んだ。何度か「土電」とすれ違ったが、中で「桃太郎電鉄」とペイントされた電車とすれ違った。最初「おやっ」と思ったが、しばらく考えているとかつて桃電のテレビCMで、土電にペイントされた電車が登場したなーと思い出した。一人ヘルメットの中でにやにやする。桃電ファンのPOPPO と合流したらすぐに報告しなくては・・・。しかし、札幌の企業がはるか離れた高知の電車によく広告を出したなー、と改めて感心する。
 さて、高知の市街地に入ったが、道路はさほど混んでおらず、市街地走行にありがちなストレスを感じさせない。流れに身を任せ高知の市街地を抜ける。朝倉という駅の近くで中村方面に入ると、道路の名前がいつの間にか56号線に変わっていた。仁淀川を渡ったところでまだ13時だったので、少し寄り道をしようと思い立ち、56号線を左に曲がって海に向かい出す。

 やがて海に出た。
 海沿いを須崎方面に向かって進む。どーんと広い太平洋を左手に見ながら走る。空も青いし気候も穏やかなので最高の気分だ。やがて、宇佐に着く。ここから宇佐大橋を渡って横浪黒潮ラインに入るつもりが、曲がり損ねて浦ノ内湾に沿って進む方に入ってしまった。このまますばらく進んで途中で気が付いたが、引き返す気にもなれずにこのまま須崎まで行くことにする。この間でラジオの入りが悪くなったので、景色のいいところを選んで停まった。この道路はあまり通る車もなく静かだった。ここから再度出発し、また、須崎で56号線に入り、中村目指して進み出す。ここでもいい調子で周りの車はガンガン飛ばすので、トイレに行きたいのもガマンして走り続ける。途中「絶景」というレストランがあったが、無視して飛ばし続ける。
 やがて窪川に入ってもどんどん進む。あまりに車の流れが良すぎて、下手をすれば抜かされてしまう。佐賀に入った時、時計は3時を指していた。
 3時といえばおやつ、と勝手に決めた?私は海に面した喫茶店へ飛び込んだ。 その喫茶店はおばちゃんが一人でやっているようで、私以外のお客は常連らしき人が2人いた。その2人はひたすら将棋を指していた。その店は夜はスナックになるような店のようだった。私はホットケーキかトーストが食べたかったのだが、メニューに無かったのでコーヒーとたまごサンドを注文しトイレに駆け込んだ。緊急事態から脱した後は、現在位置の確認と今後の見通しを検討しようと久々に地図を広げた。
 すると楽勝で中村に着けることが分かった。
 もしPOPPO より早く着いていたら、四万十川の河原を少し散歩しようかと考えていたら注文の品が来た。
 昼食が早かった分お腹も空いていたのですぐに平らげ、コーヒーを飲みながら地図を見ていると、店のおばちゃんがバイクで寒い中走っていたのを察してくれたのか、熱いお茶を入れて持ってきてくれた。お礼を言いながらうれしい心づかいだと素直に喜ぶ。香ばしい香りの玄米茶だった。
 ここから30分で中村に着いた。朝の5時30分に出たのだから多分到着は私の方が早いに違いない。ただしPOPPOが前日に出発していれば話しは別だが・・・。
 中村駅は地図で周到に確認していたが、標識が完備されていたので周到に確認必要はなかった。
 その中村駅前で見たものは、以前私が所有していたPOPPOのJADEだった。
 同じ年式の同じボディーカラーのバイクかも知れないのでナンバーも確認したが、やはりそのJADEだ。やはり、前日に出発していたのか・・・。と、感慨にふけっている場合ではない。 バイクがここにあるということは近くにPOPPO がいるということなので早く探さなくては。
 駅前をキョロキョロ見回していると、待合室の方からよそ見をしながらPOPPO がこちらに歩いてきた。呼び止めるとこちらに気がついたようだ。待合室は満席だったので、プラットホームに面した喫茶店に入って話しを聞く。
 何でも前日の晩に高知行きのフェリーで出発した彼は、四国カルストに向かって雪に合い引き返し、今度は四万十流域を目指したがこれも断念したと言う。
 装備はそれなりのもので来ていると思いきや、上着は3シーズン用のジャケット、グローブはペラペラの革1枚のグローブといい根性をしている。
 お互いそれぞれの行程を話していると、喫茶店がまだ16時30分にもなっていないのに閉店すると言い出す。仕方無く店から出て待合室でしばらく休んで、土産と晩のおやつを買い込んだ後、宿毛YHへ向けて出発する。
 中村の市街地ではポツポツとしか降っていなかった雨はだんだんと強くなってきた。 どうせすぐ止むだろうとたかをくくってレインスーツを着なかった私は少し後悔した。POPPO はまだバイクに慣れていないのか発進に少し手間取るようだった。なるべくついて来れるよう配慮したつもりだったが、ある時、信号待ちの前の車が走り屋仕様のRX−7だったことがあった。その時は「負けねーぜ」とばかりにそのことを忘れてスタートダッシュをかけてしまった。途中で我に返って、後から来るPOPPO を待つという時もあった。途中からPOPPO が教えてくれた抜け道に入って、淋しい山の中を走り続けた。 雨が激しくなって前があまり見えない。
 YHに入る標識を見つけ集落の中を走っているとYHはあった。
 車庫にバイクを入れ、チェックインする。POPPO は学生以来のYHだったそうだが、久しぶりに利用するからか、あまり満足した様子ではなかった。私は毎年YHを使っているからそうは思わなかったのだが、あるいはこれが当たり前という意識があったのかも知れない。ただ、食事は質素だったが、これが素晴らしく良かったと思えた。食事の後、久しぶりに話し込んでから23時か23時30分頃就寝する(あまり記憶が確かでない・・・)。

 朝、7時50分頃起き出し、洗面していると頭上で雨音がする。
 「ひょっとしてこれは雪?」と嫌な予感がしたが、夕べペアレントが「この辺は雪の心配はいらない」と言っていたので一応「雨だろう」ということで自分に都合のいいように解釈する。ところが朝食後、裏山を見てみたらうっすらと雪がかかっていた。
 もう笑うしかない。
 旅の無事?を祈ってくれたのか、YHのスタッフ総出で見送られながら足摺岬を目指して出発した。宿毛市街に出ると少し晴れ間が出てきた。ここでこの旅2回目の給油を行う。ここから国道321号線に入って土佐清水を目指す。途中からどんよりと曇り出し、風が強くなってきた。小さな集落で信用金庫を見つけ、POPPO が銀行でお金を降ろしたいと言っていたのを思い出し、しばし停車する。ここからサニーロードの最大の見せ場の海が見えるところに来たが、どんより曇った空しか見えないし、風も相当きついので景色を楽しむどころではない。
 風のあまりにきつさに対向車線にはみ出し、走行車線に戻れないまま対向車がやってきたのでとっさにスロットルを戻し、ぎりぎりのところでかわしたこともあった。
 土佐清水の市街地の手前で室戸汽船のフェリーが見えた。
 11時20分出航のフェリーだ。
 楽に帰りたければこれに乗ればいいが、岬に行っていると出航時間に間に合わない。
 少し私の心は揺れたがフェリーに一瞥をくれただけで素通りする。ここら辺りから雨だかみぞれだか分からない天候になってきた。

 土佐清水の市街地でPOPPO が懐かしがっていた。何でもここは4輪の教習コースだったそうな。やがて、市街地を抜け、いよいよ岬を目指す道へ差しかかったまさにその時、POPPOのJADEが私を追い越していった。そして、脇へ止まった。
 ここでフェリーに乗って素直に大阪へ帰ろうと言ったのだ。
 POPPOが言うには、向こうの山は白く霞んでいて天候は一向に良くならないのと、道中の峠越えは絶対雪に違いないと言った。私もPOPPOが止める前に山が白く霞んでいるのは見ていたが、まさかここまで真剣に考える必要はないと考えた。しかし、POPPO の装備を考えたのと、それより大きい判断材料は昨日からの期待がすべて裏切られているということだった。その事実は拭い去りようがなかった。また、強風も私の判断に大きな影響を与えた。私のTT−Rは昨日から強風に対しての弱さを暴露し続けている。
 残念だった。
 「Game Over」
 私はヘルメットの中でそうつぶやいた。

E-MAIL[97/10/21 22:49]
林幹展/北海道かぜ(風邪)になるツーリング!


 1.9月19日 さあ、出発だが・・・

 9月19日の朝は重苦しかった。先日来のかぜで頭が重く、鼻水ばかり出る。以前にも北海道に行く前にかぜを引いたことが2回ほどある。北海道にいってからかぜを引という話はよく聞くが、どうも私は北海道に行く前にかぜを引くというジンクスがあるようだ。
 今日は朝から休みで、夜に舞鶴から出港するフェリーで出発するので夜まで横になっていたいところだが、買い換えた車の名義変更などの手続きをする暇が今日しかないので、朝から出掛けなければならない。10時頃から出掛け、市役所、軽自動車検査協会、駐車場の管理者、そして警察署へと転々とし、14時頃一旦家に帰り、それから保険の手続きのためバイク屋と友人の家に出向き、16時頃落ち着いた。
 それから、近所の店へかぜ薬を買い込みに行ってから出発の準備を始める。今回持って行こうか迷ったのはテントを持って行くかと、風景の写真を多く撮りたいので三脚を持って行くかどうかだった。テントは持って行ってもむこうはもう寒いだけに、使わなければ邪魔なだけなので、ライダーハウスに泊まらなければならないことを想定してシュラフだけを持って行くことにした。三脚は迷った挙げ句に持って行かないことにしたのだが、これが後に禍根を残すことになる。
 18時頃準備が整い、バイクを出し荷物を積み込む。18時30分にすべての準備が整い、バイクのツイントリップメーターの1つを0にし、すでに日が落ちて真っ暗になった中、出発した。この時着ていた上着は北海道の気温を想定して冬用のバイク用のジャケットで、この時期大阪では暑ささえ感じる。
 舞鶴までの経路だが、高速を使うのがポピュラーだろうが、私は寝屋川から枚方大橋に向かい、高槻から京都の亀岡に抜け、9号線に入り、丹波から27号線で舞鶴に向かうという経路を選んだ。高槻の市街地を抜けると真っ暗なワインディングロードが現れる。かぜのため頭がボーとするのと、暗い夜道のためと、久し振りにバイクに乗るためかコーナーリングが不安だった。車にあおられながら亀岡に入ると雨が降ってきた。かぜのためボーとした頭の中で「トホホ、今日という日に備えてせっかく出掛ける前に洗ってきたのに」とやりきれない思いを抱きながら舞鶴に向けて走り続けた。
 舞鶴には21時30分頃到着した。この時期にはライダーはおろか旅行者もあまりいないと思っていたが、バイク置き場にはバイクがあふれおり、空席状況を見れば、2輪・4輪ともキャンセル待ちという状況だった。22時に乗船し、取った席が2等だったので寝る場所を確保した後風呂に入り、上がると出港時間だったので甲板に出て出港を見守った。
 次の日はまだ熱っぽかったので8時頃に起きて朝食を無理やり押し込んだ後、昼過ぎまで横になる。おかげで熱は下がったようで気分は大分ましになった。この後、船の上では仕事上の宿題があったのでそれをここで済ました後(こんなところでするな!)、本を読んだり、今回は山に登ったりもしようと思っているので、このフェリーに乗ったことのある人は知っていると思うのだが、ルームランナーやエアロバイクで体がなまらないようにした。
 21時に無線電話が電波の到達範囲に入るので、ここから明日の宿を物色する。その次の日に大雪山系の紅葉を見るため、旭川周辺まで走ろうと思っていたのでその周辺のYH、民宿を物色したが、考えることは誰も同じでどこも空きがなかった。困ってYHのハンドブックの地図を眺めていると、旭川から少し北に行った所にある塩狩温泉のYHが目に入った。ここは周辺に観光地も無く、比較的地見なところだけに絶対に空いているだろうと思った。また、ここから大雪までも比較的近い距離にある。それに昔読んだ三浦綾子著の「塩狩峠」の舞台でもあり、これにひかれたこともあって、ここに決め、電話するとOKだったので予約した。明日は4時入港なのでこの後すぐに横になった。

 2.9月21日 いざ、上陸だが・・・

 そして3時に目が覚めたのだがまたかぜがぶり返してきたようだ。しかし、4時にはいやおうなしにフェリーから放り出されるので仕方なく出発の準備をする。4時入港だが、実際には3時40分頃に車両甲板に下りて荷物を積み込み出発する。
 以前もこのフェリーを使ってバイクで北海道に来たことがあるのだが、前回は友人と一緒だったことと、かぜを引いているせいで少し違った雰囲気でのスタートとなった。また、今回は全国ネズミ取り運動(交通安全運動)の真っ最中なので警戒して走ることにすべし。
 まず、本日は一旦南下し、苫小牧から平取の二風谷に向かい、ここから富良野、美瑛を経由して旭川から塩狩へ向かうこととする。小樽から札幌に入ったあたりで雨が降り出してきた。どうせ通り雨だろうと思ってレインスーツを出さずに走っていたが雨は一向に止む気配はなく、おまけに札幌新道の札幌南インター付近でR36に入らなければならないところを間違ってそのまま高速に入ってしまう。やれやれと思いながら次のインターで下り、すでにかなり濡れていて手遅れかなと思いながら雨具を出す。
 苫小牧でウトナイ湖に寄って行こうかと思ったが、国道からの入り口はゲートが閉まっていたので諦めて通り過ぎる。鵡川でやっと開いていたガソリンスタンドを見つけ、給油して平取へ向かう。
 平取の二風谷には8時30分頃到着した。ここのアイヌ文化博物館を見学したかったのだが、開館は9時30分からとなっていた。早く着きすぎたと思いながら、開館まで土産物屋の横にあるベンチで横になろうと思いレインスーツを脱いでいると、1台のワゴン車が駐車場に入ってきた。中からおばちゃんが出てきて「そこの軒下で寝てたの?」と言われたので、野宿していた人と間違えられたようだと思い、「走ってきてたった今着きました」と返事をした。「今開けてあげるから中に入って」と言われてこのおばちゃんはそこの土産物屋の人だったということに気がついた。
 ここで店員のおばちゃんにお茶をごちそうになりながら、ここ二風谷の話を少し聞くことができた。大阪でもニュースで流れていたと思うが、二風谷ダムの裁判が解決してこのダムで湖水まつりをしたことや、国会議員でもある萱野茂氏がアイヌ民族の資料を集めているという話などを聞いたり、世間話しをしているうちに開館時間となり、お礼を兼ねて記念にキーホルダーを買い求めてから博物館を見学した。
 博物館を少し時間をかけて見学しアイヌ人の生活、文化、歴史に触れた後、さっきのおばちゃんにあいさつし、少し離れたオートキャンプ場で行っていた秋祭をひやかすこととした。
 ここの会場ではこの辺りでは結構と思われるほどの人がいて、かなりの熱気が感じられるところであるが、私の心は冷め切っていた。この北海道に来てまでこんなところに来るべきなのだろうか?人を見に北海道に来たのではないと結論が出る前から、私は
「来るんじゃなかった」と後悔していた。
 早々と会場をあとにし、R237を日高に向かわずに途中から裏の道々に入り穂別を目指す。昔、駅のあった富内にたどり着き、ここからから占冠を目指すべく北上する。ところが途中から予想外のダートとなる。これが北海道の旅の恐いところでもあり楽しいところでもある。
 やがてR274との交差点に出たが、ここから占冠へ向かう道は途中で通行止めになっており占冠まで通り抜けできないので、仕方なく国道で日高経由で占冠に進む。占冠には12時30分頃到着。ここで食事を摂ろうか思ったが、前回のツーリングでもここで食事を摂ったのでどうせなら違う所でと思い、気乗りがしないまま走り去ってしまう。さあ、どこで食べようかと思いつつ走り続けたが、この辺りには食堂はおろか人家を見つけるのも難しい状態で、このまま富良野まで走り続けてしまう。この日富良野ではワイン祭という祭をやっていたそうで少し気を引かれたが、バイクに乗っている身では飲んで運転すると危険なので素通りする。結局14時頃に富良野のはずれの国道沿いの喫茶店で食事を摂ることとなった。
 ここで注文が遅かったせいもあって15時頃再び出発し、今度は美瑛に行ってみようと思い、まず情報を仕入れるため美瑛の駅に行ってみた。到着してみるとそこには黒いビニール袋に包まれた荷物を積んだゴールドタンクのモンキーが止まっていた。その乗っていた人は駅前の芝生の部分に寝転がっていた。声をかけようとそのバイクに近づくとナンバープレートが手書きのものが付いていることに気が付き、長旅を続けてきたという印象を受けた。その人は明石からきたそうで北海道に入ったのはなんと昨日だという。2日で50CCのバイクでここまでたどりつくのはさぞかし苦労したことだろう。そして、ここまでたどりつき、今日は富良野の駅前でワイン祭のただ券を配っていたそうだったので昼飯がてら行ったそうである。そのせいか少し酔っ払っているような印象も受けた。そして、本来の入場料を聞いてびっくりしたのだが3000円したそうである。秋には北海道の旅行者相手に農作業の収穫関係のアルバイトを募集しているらしいとの情報も聞くことができた。
 この人が美瑛の案内図を持っていたので見せてもらい、美瑛の観光に向かった。美瑛の丘をうろうろし北西の丘の展望台に行ってみたが、なぜかイライラする。風景に人工物が多すぎる上に、観光客やおまけに恐らくナンパ目当てのアルファロメオのスパイダーに乗ったにいちゃんまで現れ、私の心はしらけ切っていた。ここでも「来るんじゃなかった」との思いを残して美瑛の丘を去った。ここから旭川に向かい、ここから塩狩峠を目指す。旭川を抜けた頃、日は沈みかけ見事な夕焼けとなっていた。暗くなりヘッドライトの明かりが必要になった頃塩狩峠に到着した。
 あとから聞くと塩狩温泉ホテルと併設されているこのYHは、知る人ぞ知る穴場らしいのだが、それを知らない私は玄関に着いた時圧倒された。ひとことで言えば中途半端な古さに驚いたのである。とことん新しいか古いひなびた温泉旅館というのはよくあるのだが、古さが中途半端でひと昔、いやふた昔によくあった温泉旅館の雰囲気をそのまま残していた。「今時こんな温泉宿はない」と思い、玄関で呆然としてしまった。推測すれば1950年代ごろに建てられた旅館ではないだろうか。宿泊の手続きをしながら「このYHははずれかな」と思い、条件さえ許せば連泊して大雪に行こうと思っていたのだが、この構想も考え直さなくてはと思い始めていた。
 教えてもらった部屋に行ってみると、この構想はさらに再検討を要することとなった。6人部屋で2段ベッドで、旅館のようにくつろげる畳の場所があるというのはいいのだが、今日はそこが満員で畳の部屋に4人ばかりあふれかえっていた。これはちょっと明日は違う宿を検討しようか?と思っていた。
 ところが、6時30分になり食事に行ってみると、メニューはジンギスカン鍋であった。これがなんと肉の「お代わりが自由」だというのである(社長の方針でなぜか「食べ放題」と言ってはいけないそうである)。1000円という夕食料金でよくもここまでと思ったのだが、昼食が遅かったのとかぜのせいで少ししか食べられなかった。ところが私の横に座っていた京都から来た人はどんどん食べる。YHのヘルパーもけちけちしながら肉を出すのではなく、客の食べっぷりを楽しんでいるかの如くどんどん肉を出してくる。
 このあと風呂に入ったのだが、中途半端な古さを残した看板や、銭湯によくある富士山の絵の代わりに塩狩峠越えのSLの絵があることさえ我慢すれば、広くてゆったりしていて快適だった。 これが24時間いつでも入浴できるという。この2点のことで考えが変わり、明日も連泊することにした。
 21時からはミーティングではないが、お茶を飲みながら一堂に会することとなり、関西圏のバイク乗り同士で話が盛り上がった。

 3.9月22日 かぜひき登山

 翌朝6時頃目覚めると汗でびっしょりである。暖かくして眠ろうと思いっきり布団を被って眠ったからだろうか?ということで24時間いつでも入浴OKの利点を生かし、汗を流すため誰もいない大浴場で一人朝風呂としゃれこむ。風呂に入っていて気が付いたのだが、浴場から見ると脱衣場の扉の横にもう一つ扉がある。位置関係から考えるとこの扉の向こうは女湯の脱衣場ではないだろうか?ということは、今は女湯があるが以前は脱衣場のみ分かれていて、中は混浴だったのではないだろうか?(この推測はあとで部屋にあった数年前の落書き帳に「以前は混浴だったのに・・・」との記述を見つけ、正しかったことが証明された・・・?)
 今日は層雲峡から黒岳に行くか銀泉台から赤岳に行くかで迷ったのだが、黒岳だとロープウェイに乗らなければならず、金がもったいないので銀泉台から赤岳に登ることとする。朝食後、荷物を置いたままにして連泊の手続きをとり、層雲峡へ向かうというCB400に乗っている京都の学生と一緒に出発した。比布からR40からR39にショートカットし、層雲峡で京都の学生と別れた。この頃からガソリンの残りが少ないことに気が付いたのだが、この先はGSは無さそうである。銀泉台へ行く道はダートだそうで派手に走りたくなるが、ガスの消費を抑えるため淡々と走ることにする。
 大雪ダムでR273へ入るが、この辺でも標高はかなり高く寒くなってきた。大雪ダムのほとりに大雪道路情報ステーションというパーキングがあり、たまらずそこに入る。中は暖房がガンガン効いており、ここの2階は大雪山系の説明と現在建設中の旭川紋別自動車道の説明のパネルが置いてあった。一通り見たのだが、ここらでなんでこんな立派な道路が必要なのだろうか?大自然の中の無用で巨大な建造物と、多額の借金が残るだけのような気がするのは私だけだろうか?
 政治談義はこれくらいにして、このステーションに人が誰もいなくなるのを見計らってさらに服を着込む。念のため寒くなった時に着込む服を持ってきておいて良かった。気を取り直して再び出発。ステーションからすぐのところに銀泉台へ向かう道が分岐していた。ここは取り付きからいきなりダートだ。フラットなダートなのでついついスピードが出るが、燃費のためとタイヤの溝があまりないのでゆっくり慎重に走る。後ろから車が来るので道を譲る。たまに対抗車とすれ違うが、中には砂ぼこりを舞い上げながら疾走してくる観光バスがあったりし、本州ではあまり見られない光景なのでヘルメットの中で一人苦笑いする。それとともにバス1台で道幅一杯になるので慎重な運転をしなければと思う。走りゆく道沿いの木々も標高を上げる毎に秋の装いとなりつつあり淋しささえ漂う。山の上方の斜面の視界がパッとひらける箇所があり、陳腐な表現だが斜面全体が真っ赤に燃えているような赤で彩られていた。
 この箇所からすぐに銀泉台の駐車場に11時頃到着。ここからはバイクを置いて徒歩で赤岳へ向けて登ることができるところまで行こうと思う。銀泉台ヒュッテの横を通り、営林署だったと思うが登山者名簿に名を連ね出発!ここから20分位登った所で見事な紅葉が望める場所に来た。ここでは多数のカメラの放列が並んでおり、狭い登山道を通るのも難儀だった。かくいう私も写真を撮った。この旅では2台のカメラを使用した。1台は1眼レフでフィルムはリバーサルを使用し、もう1台は貰いものの手のひらに乗るコンパクトカメラでネガフィルムを使用していた。この後コンパクトカメラの方がバッテリー上がりで使用不能となった。バッテリーが上がってしまうと何もできなくなってしまう現代のカメラは滑稽である。因みに1眼レフは10数年前のニコンFAで、バッテリーが上がっても1/250秒でシャッターが切れるメカシャッターを登載している。
 ここからさらに登っていくと気分が悪くなってきた。かぜが本格的にぶり返してきたようだ。しかし、ここで欲が出、「行ける所まで行ってみよう。時間ならまだまだある」と自分に言い聞かせさらに登る。景色は最高にいいのだが気分が乗らない。急斜面で両手を使って登る所ではフラッとして後ろに倒れそうになったことが1度や2度ではなく危険極まりないので、10分歩いては10分休むということを繰り返し、1時頃にようやく赤岳を望む第2花園にたどり着いた。
 「ここでGame Overだな」と思い、赤岳をフィルムに収め下山の途についた。元気なら赤岳登頂も夢ではなかったのにと思ったが、特に1人での登山では無理は禁物である。生きているならまだチャンスはいつかきっとある。ボーとした頭でそう考えフラフラ力なく歩く。
 何度かヒヤッとしながら14時過ぎ銀泉台に帰り着いた。営林署と思う所の?登山者名簿に帰着時刻を記入した後、お腹がすいたので銀泉台ヒュッテでかけそばを食べ、コーヒーをすする。ここはヒュッテというからには宿泊できるようになっているのだが、この1階の食堂部分にわずかだが畳のスペースがあった。てっきり食堂の座敷かと思ったのだが、脇の方に布団がうずたかく積まれている。これから想像するにはやはり宿泊客はここで布団を敷いて眠るのだろう。もっとも私も含めて登山する者にとっては、屋根があって布団眠れるだけゼイタクだ。
 少しヒュッテで大雪山系の地図でも見ながらのんびりし、15時頃銀泉台を去る。来る途中で見た視界が開けた場所で止まり、最後に残ったフィルムを消費する。ここで「銀泉台まであとどのくらいですか?」と聞かれた。見ると女性だがバイクに乗っていた格好をしているが、バイクは近辺に無く徒歩でここまで来たらしい。話をよく聞くと途中までバイクで来たが、ダートロードの恐怖に耐えられなくなって置いてきたそうだ。銀泉台までバイクで走って1分程だったのでそう答えたが、心の中ではもう少し我慢すれば銀泉台まで行けたのにと残念に思った。この人の言っていた通り、この後帰路についてすぐに路肩に止っている真っ赤なバンディットを発見した。
 帰りのガスは下山までは持ちそうだったので燃費を気にせず走ることにする。TT−Rレイドの本領発揮である。対向車を気にしながらトロトロ走っていたアクティ・ストリート(昔の我が愛車)をぶち抜く。調子に乗り始めると止まらない。走っている車のいないストレートをガンガン飛ばす。空荷なのでますます調子に乗る。最高速度記録に挑戦とばかりに70km/hを出したりしていると、向かいから観光バスが来てヒヤッとしたりする。しかし、この時間に観光バスで来て一体何をしようというのだろうか?この件以来少しおとなしく走りR273に戻る。
 ここから層雲峡経由で塩狩まで戻らなければならない。層雲峡温泉でGSを見つけたので給油し、R39で旭川へ向かう。愛山渓への分岐近くにドライブインがあったのでここで絵はがきを購入し、明日の宿を確保する。明日は知床へ向かおうと思っていたので岩尾別YHに目星をつけ電話しOKの返事をもらう。この後出発しようとしたが、急に思いつき職場へ電話した。仕事が無事に進んでいるかどうか心配になったからだ。まず電話に上司の課長代理が出たのだが、どこにいるか言うとびっくりしていたようだ。この後また直接の上司の総務主任に代わったのだが「早く帰ってきてくれ」とか「泣きながら仕事してます」とか言われると、無事に仕事が進んでいるかどうか確認するために電話したのに不安になってくる・・・。
 途中、愛別でシートベルト検問をやっていたようで少し渋滞する。この後チェーンオイルを買わなければならなかったので旭川に寄りバイク屋を探す。永山の郵便局の近くで見つけ、チェーンオイルを買った後タイヤの空気圧を見てもらう。この時財布の中身を見ると心もとなかったのでついでに郵便局に寄る。ここから塩狩までは途中でR40に入る標識を見落とし迷ってしまい広大な比布の大地で「一体どこ走ってんねん」状態になるが、落日の方向を覚えていたので比較的簡単にR40に戻ることができた。今日も暗くなってからの塩狩YHの到着となってしまった。
 YHに着いてから塩狩駅はどのようになっているのか気になり駅まで行く。駅までは歩いて2〜3分の距離である。駅のホームのはずれに故長野政雄の功績をたたえる碑があった。真相は諸説あるようだが、長野政雄が死んだために列車は止まったという事実には変わりはない。薄暗い中、碑が淋しく立つ塩狩駅のプラットホームに、こうこうと車内灯をつけた列車が滑り込んでいく。その光景を眺めながら私は100年近く前に起こった出来事に思いを馳せていた。
 さて、宿に戻り、夕食の席で昨日の富良野ワイン祭の話になったので例のただ券の話をすると、みんな真面目に券を買ったそうで非常に悔しがっていた(当たり前だ)。話を聞くと、この中で私以外に2人も明日岩尾別YHに泊まるそうで、向こうでまた顔合わせすることになるだろう。今日は疲れたので話しはそこそこで切り上げ明日に備えて眠ることにする。明日は長丁場が待っている・・・。

註・・・長野政雄
 明治42年2月28日塩狩峠に差しかかった汽車の客車の連結が外れ暴走し脱線転覆の危機が迫った時に、たまたま乗り合わせていた旭川運輸事務所庶務主任でクリスチャンだった長野政雄が連結部から車輪に飛び込み客車を止めた。
 現在でもこの長野政雄の功績を称えるため塩狩峠に追悼碑があり、また、この時期に旭川のどこの団体か忘れたが、キリスト教の団体によって追悼の会が行われているらしい。詳細は三浦綾子著の「塩狩峠」を読んで欲しい(塩狩YHのヘルパーによれば、塩狩峠のシーンは後ろの方4ページ分だけを読めば分かるらしい)。

4.9月23日 爆走!塩狩〜遠軽〜網走〜岩尾別(当社比)

 この日はまた6時頃目が覚める。また汗びっしょりになっている。変だと思っているとどうやらストーブが付けっ放しになっていたらしい。おかげでかぜの具合は少し良くなっていたがこのままではまたかぜがぶり返す。「いくらこの時期でも付けたままなら汗だくになるわな」と思いながら朝風呂に行く準備をしていたら、今日岩尾別に向かうという人も起き出したので一緒に風呂に入りに行く。彼はレンタカーでここまで来たらしく、旭川で車を返してから「オホーツク1号」で網走へ向かうという。ただ、返却時に手続きがいるので、これに乗れるかは分からないという。この「オホーツク1号」なら冬に来た時に利用したのでダイヤはだいたい分かる。ここは石北本線沿いに走るR273を行き、国道から列車に向かって手を振ってやろうと思いつき、このことは黙っておいて驚かしてやろうと企てる。
 朝食後、彼は急いで出発し、私は8時30分頃準備を整えフロントを出た。このような中途半端な古さをもった宿だったが、2泊もすると少し名残惜しい気もする。またいつの日か北海道を旅する時に立ち寄らせてもらうこととしよう(その機会は意外と早く訪れるのだが、この時は知る由もなかった・・・)。
 チェーンオイルの塗布とバイクへの荷物の積み込みは意外と時間がかかり、8時50分頃にYHのヘルパーに見送られ出発。この時の天候は霧がかかっていたので、雨具の必要があると思いバッグの外に出していたのだが、塩狩峠を下るとさわやかな晴天となった。雲がかかっているのは視界内にある限りでは塩狩峠だけだった。「だまされたー」と思いながら塩狩峠をあとにする。比布から愛別へショートカットしR39へ入る。この辺りの道も通り慣れたものとなってしまい複雑な気分だ。ここから上川までは昨日検問を見ただけに周りの車とペースを合わせてのんびり行く。上川からR273へ入る。この時バッグから出し、直接ロープでくくり付けていた雨具の内、ブーツカバーが無くなっているのに気付く。こんなことならバッグの中へ入れておけばと思ってもあとの祭である。
 中越の辺りからR273は線路にまとわり付くように走る。ここで網走方面へ向かう特急列車の最後部を目にした。時計を見る。間違いなく「オホーツク1号」である。あれに乗っていれば自由席に乗ると言っていたので、一番先頭車両まで追い付かなければ手を振る意味がない。この時、前にトラック以下何台か連なってトロトロ走っていた。速度にして60〜70km/hといったところか。列車は峠越えの勾配にさしかかっており同じ位の速度だ。あいにくこのバイクにはこれらの車を一気に抜き去るだけの性能は持ち合わせていない。しかもセンターラインはイエローラインだ。ネズミ取り運動の真っ最中だけに用心して走ることにし、不本意ながらしばらく列車の最後尾を追いかけることにする。
 ところが、このあと列車はトンネルに入った。遠い記憶をたどればこのトンネルのあとは下り勾配だ。国道はこのあと北見峠を越えなければならない。ここで追尾劇は終わったなと思いつつも急ぎ北見峠越えにかかる。ところが前の車がいなくなり快調にワインディングを飛ばしていると、前方にゆっくり走っている大型トラックが現れた。ここで完全に終わったと思い、あきらめてマイペースで走ることにした。  北見峠を越え下りのワインディングも終わると、道も真っ直ぐの緩やかな下り坂となる。この辺りから他の車もほとんどいなくなり快調に飛ばせるが、ネズミ取り運動期間中であることを自分に言い聞かせペースを抑えて走る。この辺りはなにもないところはもちろん、駅周辺でも人家も少なく天気がいいにもかかわらず淋しい雰囲気に満ちている。ここら辺りで休憩したくなりドライブインか喫茶店を探すが、こんな淋しい場所にはあるわけはなく走り続けるしかなかった。
 遠軽には10時30分頃に到着した。休憩したかったので市街地にいけばお茶を飲む所位あるだろうと思い、どんどん市街地に入っていったのだが見つからず、結局遠軽の駅に行き、そこのキヨスクで缶コーヒーを買って駅の待合室を喫茶店代わりに利用した。(今回美瑛でもそうだったが私はツーリング中によく駅に寄る。理由は余程小さい駅でない限り売店が絶対あり、駅周辺の地図もあり、待合室などにベンチもあるので休憩をしたり、道を調べたりするのに便利だからで北海道に限らず鉄道のある所ではよくお世話になっている。)ここ先のルートを検討する。サロマ湖を見たいと思ったので、ここからサロマ湖沿いに走るR238を目指すことにする。出したい郵便があったのでここでついでに駅前のポストに投函して出発する。
 ここから芭露(びろ)まで道々を走る。道はすいていたが農作業のトラクターに注意しなければならなかった。芭露からR238に入る。ここは取り締まりに注意との情報を得ていたので用心して走る。前に遅い車がいたが追い越し禁止区間はガマンしてペースを合わせて走る。計呂地辺りだったと思うが対向のトラックのライトがパッとついた。反射的に右手が動く。すると左側に覆面パトカーが止まっていた。「ヘッヘッざまあみさらせ(ピー)どもが。お前らに捕まるほど落ちぶれてはいねえぜ!」心の中でそう叫びながら走り去った。
 ここから右手にサロマ湖がある他は単調な道路だ。浜佐呂間辺りで12時となりお腹もすいてきたが、そのまま走り続ける。そのうちサロマ湖は去り常呂にたどり着く。ここから網走に直接行かずに能取岬に行くつもりだったので、能取湖沿いの道を走りながら能取岬に行く道に注意していると、卯原内でサンゴ草の群生地の看板が目に入ったので寄り道してみることにする。
 ここは9月が見頃なので駐車場はかなりの賑わいを見せていた。湖面に目を移すと真っ赤になったサンゴ草が広がっていた。案内板にはサンゴ草は塩性の湿原に生えるそうで、これだけ群生しているのは珍しいとのことだった。何枚か写真を撮った後、地元の人が売りに来ていた1本150円のゆでとうきびを昼食代わりに食べて出発した。
 二見ヶ丘で網走公園線に入り能取岬を目指す。快適なワインディングロードがあると思えばダートが現れたりと変化が激しい。おまけにダートは深ジャリで、すり減ったタイヤで来ている身にはつらい。途中で何台か車に道を譲る。また舗装道路に戻り再びダートになった所で海に出る。一気に解放感が広がる。バイクを止めエンジンも切って波の音を聞く。一面に広がる海を前にはるばる来たなという気分になった。
 能取岬まではまたもやダートで急坂である。しかもダンプが砂を巻き上げ疾走する。コンタクトレンズ装用の身にはチト辛い。ここまで来て事故るのはバカらしいので少し離れてゆっくり走る。能取岬の灯台は平原の先にぽつんと立っているようだった。バイクを降りて少し散策する。ここからこれから目指す知床の山並みが望める。冬はここで「のっとりランド」開かれるそうだが、私はこの名前を聞いて「ハイジャック犯なら喜ぶ名前かな?」と思ってしまった(しょーもな)。現在13時30分である。目的地の岩尾別YHでは16時50分から夕陽を見るツアーに出ると聞いていたのだが、これに間に合うだろうか。知床連峰を眺めながら少し不安な気分になってきたので先を急ぐことにする。
 網走の市街地までは快適な舗装道路が続く。直線路が続く所で後ろからオンロードのバイクが煽ってきたので道を譲る。ところが下りコーナーが続く箇所に入るとこれが遅い。逆にこっちが煽り返す結果となる。「バイクの性能はどっちが上やと思ってんねん」「こんなバイクに煽られて恥ずかしいと思わんのか?」心の中でそう言いながら走り続ける。網走からR244に入りオホーツク沿いを走る。鱒浦辺りで蟹が「スピード出し過ぎるとハサミでタイヤ切っちゃうぞ」と言っている大きな看板を見て苦笑する。お茶が飲みたくなり北浜という駅は駅舎が喫茶店になっていたのを思い出したが、北浜は毎日降りている駅の名前なのでパスする。一直線の道路が続く中、制限速度+αの速度でゆっくりと走り続ける。斜里には15時少し前に到着。ひとまず駅に寄り、お茶を一杯飲んだ後、昨日切れたカメラのバッテリーを買いに駅前のセイコーマートに寄る。ここで買っておかなければ知床では手に入らないと思ったからだ。
 このあと国道沿いのGSで給油し、一路岩尾別へ向けて走る。陽はかなり傾いており少し肌寒くなってきている。かつて冬に訪れた時にバスから流氷を眺めていた海を見ながら当時のことを思い出していた。「流氷を見たければ知床に行けと言われたが、何年か先にはそれも見られなくなるかも知れんな」気がつけばそのような感慨にふけっていた。ここでも遅い車が前にいたがイエローラインなのでガマンして付いていく。もうこの辺までくるとガマンというよりもどうにでもしてくれとか、黙って付いていく方が楽?とかいう投げやりな気分になっている自分に気が付く。そういえば左手が段々痛くなってきた。それは、出発前にいつも行っているバイク屋にクラッチの調整を頼んだあとからクラッチが重くなったせいだ。それと普段バイクにあまり乗らなくなったせいかも知れない。
 ウトロに着いたがまだこれから奥地へ行かなければならない。この先は人家も無くなるため本当に奥地に行くという気分になる。急勾配を登ると自然センターが見えてくる。ここで左に曲がり岩尾別方面へ行く。ここで岩尾別川の流れる谷間へまた急勾配を下るとYHが見えてきた。そこで私は「ゲッ」と思った。ちょうど路線バスがバス停に着いていたのはいいのだが、ここから高校生らしき集団が吐き出されYHの方へ歩いていくのを見たからだ。バイクを駐車場に停め、荷物を降ろして受付に行くと行列ができており、宿泊の手続きをするまで結構待たされた。手続きをして荷物を部屋に置くと夕陽を見るツアーに出発するとの放送があったので玄関前に行く。すると塩狩で見た顔があった。どうやら彼は旭川では車の返却の時、少し事務所で待たされたようだが、オホーツク1号には滑り込みセーフだったそうだ。
 ここからツアーと言っても徒歩で岩尾別海岸へ行く。岩尾別海岸は鮭資源保護のため立入禁止になっていて、YHが特別に許可をもらって海岸への立ち入りを認めてもらっているという形だそうだ。海岸へ行くと夕陽は雲がかかっていてはっきり見えなかったのだが、驚いたのは鮭が海岸近くまで帰ってきていて飛び跳ねているという光景だった。夕陽を背に飛び跳ねている光景を見て、めったに見れるものではないので貴重な経験だったと思った。
 YHに戻ると夕食が待っており高校生の集団と一緒に食事をする。話を聞くと修学旅行だそうだ。この後ミーティングというより観光案内があり、明日羅臼岳登山のツアーがあるということだった。私はこの羅臼岳に登ろうと思ってここまで来たのだが、そのようなツアーがあるならありがたい。喜んで参加することにする。塩狩から一緒の彼も参加するらしい。また、このあと20時から星空を見るツアーもあるので参加することにする。20時に再び集まったのだが高校生も一緒なのでかなりの人数に膨れ上がる。心配していたらバスを出すそうだ。出発してしばらくしたらバスが止まる。何事かと思っていたら鹿がバスのそばにいる。そうしたら高校生は準備が良く?懐中電灯を持ってきており、鹿が照らし出される。そんなことを4〜5回繰り返しながら知床五湖の駐車場に着く。ここでバスが方向転換をしている間、高校生は懐中電灯で止まっている車の車内を照らそうと試みていた。この知床五湖から少し下った路上でバスを止めバスから下車し星空を見る。この日は網走の町の灯や天の川が見えるほどスッキリ晴れていたが、高校生が星を見ている人の顔面を照らしてくれるのには閉口した。バスは帰りも何度か鹿がいる所で停車を繰り返し、これではサファリパークだなと思った。
 帰ってから風呂に入ったのだが湯船が小さく、塩狩の大浴場が懐かしいなと思う。床に就く前に洗面をしてコンタクトレンズを外し、眼鏡をかけようとケースを開けると中身が無かった。忘れた場所はすぐに分かった(これを読んでいるあなたもすぐに分かるはずだ)。

 5.9月24日 羅臼岳登山

 この日は6時30分頃起床し、羅臼岳登山のメンバーだけは6時50分から朝食となる。ここで今日羅臼岳に一緒に登るメンバーと顔合わせをする。するといるわいるわ関西人である。出身地はと聞くと「豊中」「摂津」「寝屋川」「大阪狭山」「平野」とこの始末である。結局今日のメンバーの半分以上は関西人であった。7時30分に出発なので食事を急いでかっこむ。
 このツアーは行きは送ってくれるのだが、帰りは4時10分かのバスで帰ってこなければならない。最初は送ってもらうつもりだったのだが、その送迎用の車が小さいのとそのバスに乗り遅れた場合に備えて私は1人バイクで行くことにした。他にもメンバーが車を1台出し、男性6人、女性5人の総勢11人で出発する。
 登山口に到着後、ここにある木下小屋で入山届に記入し登山が始まる。最初から歩きのペースが早く私はかぜが完治していないので後ろからついていたが、これでは後半しんどいのではと心配になる。この付近は坂が割合きつく、まだ暑く着込んできたバイク用の上着を脱ぐ。次第に高度が上がっていくにつれオホーツクの海や原生林、知床五湖が眼下に広がっていき、坂道も緩やかな勾配になっていきみんなも少し余裕が出てきたようだった。この登山道は途中にいくつかの水場があり、その度に休憩をとりのどをうるおす。歩き疲れた時の自然の水のうまさは、普段店で買う天然水などの比ではない。
 高度が上がっていくにつれ回りの木々が色づいていく。ここの色は大雪でみた燃えるような赤ではなく、黄色く色づいているのが多いように思えた。私はあまり植物にくわしい訳でもないが、何か大雪のと違うように思う。大沢という水の涸れた沢の跡から急坂となる。ここを越えれば羅臼平という平地状のところに出る。
 羅臼平には昼近くに到着した。ところが風が羅臼方面から強く吹いており、霧が濃く発生していた。ここでひとまず休憩をとりながら天候の回復を待つ。それぞれ思い思いのところで風を避けながら待っていると霧が一時的に晴れた。私たちはまた霧が出れば引き返すという条件付で出発することにした。すると、一人ここで引き返すという人がいた。塩狩で一緒たった彼だった。足が痛くて一緒に登ると迷惑をかけるという理由だった。残念だがこういう時は諦めが肝心だな、と常々思っていたので勇気ある判断だなと思い、気持ち良く送り出すことにする。
 ここからは小1時間登らなければいけない。初めは割に緩やかだったが、だんだん道が険しくなっていった。途中で水場があったがここの水は凍っており、氷柱からポタポタ落ちる水を集めて飲むという所で、もうすでに水が凍っているのには驚いた。ここから先はは岩場で両手を使わないと登れなくなっている場所だった。山登りが好きな割に高いところが苦手な私にとってはきつい場面もあった。
 岩場で苦闘すること約30分で頂上に着いた。着いてまず景色を見ると羅臼側は霧が濃く楽しみにしていた羅臼側の景色や国後島は見えなかったが、ウトロ側は知床の原生林や知床五湖や岩尾別のYHらしきものがくっきりと見える。私たちは景色をひとしきり眺め、写真を撮った後弁当を食べる。時刻は13時になっていたのでお腹がすいてたまらなかった。食べ終わった後景色を眺めていた時霧の間から羅臼湖がちらりと見えた。あれが幻の湖かと思っているとすぐに霧が出てその姿は消えてしまった。この後みんなで写真を撮り合ったのだが、頂上は10人いると狭く感じる。足を滑らせるとひとたまりもない。
 13時30分頃だったと思うが下山の途に着く。私は前にいると迷惑がかかるので後ろの方から行く。かぜが治っていないので慎重に行かねばならない。さらに写真を撮ったりしているので先頭からますます離される。下山時は羅臼平は晴れており羅臼岳の向かいの三つ峰もくっきり見える。羅臼平に着きここで休憩をとり、記念写真を撮ってから出発した。あまりゆっくりしていると16時10分のバスに間に合わなくなってしまう。こうなれば車1台とバイク1台でピストン輸送しなければならなってしまう。一団となって下山していったが、私は列の後ろで写真を撮っては走って列に追い付くということを繰り返していた。途中で紅葉した木々が傾いた陽に照らされ、まるで金色のトンネルを抜けているように思える箇所があり、感動的な風景を見ることができた。
 途中の水場にきたところで1人膝を痛め始めた人がいた。トホラーを自認する男性で昨日も何と10kmも歩いたそうである。全員で同一行動をとればバスに間に合わなくなるので、取り敢えず先に行くグループと行動を共にするグループとに分かれる。女性陣を中心とするグループは先に下山し、男性を中心に見守りながら下山する。本人は先に下りてと言っていたが1人にすることもできない。彼の歩くペースがだんだん遅くなり他の人達から引き離されていったが、私は何もできないとも思ったがしつこく最後までついていった。「彼が全く歩けなくなったらどうしよう。1人で担いでいく体力は無いし」と内心ビクビクしながら・・・。
 16時40分頃に登山口に到着。待っていてくれたメンバーは車で、私はバイクで帰路につく。夕陽を見るツアーが今日も16時50分に出発する。それに間に合わせなければならない。このバイクは暖気運転が必要なので出発は車に遅れをとった。ここから岩尾別川沿いの道を必死に飛ばしてYHに向かった。到着した時は16時50分をわずかに過ぎていた。ここからバイクを置いて走ってそのツアーの列にどうにか追い付いた。ここでみんなと再会を喜び合う。
 今日の夕陽は雲が少しかかって余りきれいには見えなかったが、目の前の川を鮭が遡上していく光景が見られたりした。もっともそこは立入禁止の区域だったそうで、後でYHの人に怒られたのだが・・・。YHに帰り夕食を食べる。このあとみんなで明日の予定について考える。私はこのまま知床峠を越えて羅臼方面に行こうと考えていたのだが、足の無いJR組は大変だ。塩狩から一緒だった人はバスで知床峠を越え、羅臼で釧路行きの阿寒バスに乗るコースを考えていた。この時私は阿寒バスの運賃を調べ彼に教えると、その高さに憤慨していたので、私は「阿寒(アカン)バス、大阪弁で(ピー )なバス」と言ってみる。
 今日も星空ツアーに参加する。今日は高校生がいないので少人数だったが、肝心の星空は少し雲かかかってきたので今一つだった。明日は朝4時50分から「朝もやの知床五湖ツアー」に参加するため早く寝ることにする。

 6.9月25日 湖に憑かれた(疲れた?)日

 朝4時20分に目覚まし時計代わりのラジオのアラームで目が覚める。このラジオは情報源の他にこういう使い道があるので旅に出る時は必ず持っていくのだが、このアラームの音はいつ聞いても不快な音だ。洗面後、玄関前に集合する。メンバーは昨日のメンバーが中心だ。昨夜はこのツアーの参加者をYHが募集したところ参加希望者が少なくツアー成立が危ぶまれたが、羅臼岳登山メンバーの努力があったのか、どうにか成立の人数に達したのだった。ガイドをしてくれるYHのヘルパーの運転でバスは薄明の空の下、知床五湖に出発する。
 知床五湖に到着後、貸してくれた双眼鏡とカメラを持って下車する。雪の無い知床五湖は初めてである。何を隠そう以前は雪に閉ざされたこの地までスキーをはいてやってきたことがある。その時は積雪はもちろん湖も凍っており、その上を歩いて一湖の対岸にある小高い丘の上まで行ったことがある。その時とは全然違う風景だが、レストハウス周辺の風景は何となくその時を思い出させる雰囲気を残していた。
 ここからヘルパーのガイドで歩き出す。何でも昨日のツアーでは熊を目撃した人もいただけにすでに手に汗握っている。ガイドが立ち止まり双眼鏡を見るよう促した。遠くの方でアカゲラが木をつついていた。ドラミングの音は聞いたことはあったが、本物の姿を見るのは初めてなだけに貴重なことだった。やがて一湖に着いた。一度来た時の面影を探し求めたが、対岸の小高い丘の形が記憶とかすかに照合しただけで無理な話だった。一行はどんどん二湖、三湖と進んでいったが、途中でガイドの人がきびしい寒さで木が裂ける凍裂の跡のある木や、熊の爪跡のついた木を見せてもらったりと自然の厳しさを見せつけられるような物もあった。
 このように湖を周っているうちに写真を撮っていた私は、だんだん列の後ろの方へ行き、しまいには最後尾となった。こうなると写真を撮っている間に一人になる。始めは何とも思わなかったが、そのうち昨日熊を目撃したという話を思い出し、だんだん恐くなり列に走って追い付く。やがて最後の五湖で朝日が出た。早起きでボーとした頭で迎えた朝日はどこか神秘的な雰囲気がした。ここから駐車場まで戻り帰路に着く。
 YHに戻れば朝食が待っていた。これが済めばみんなとお別れだ。またどこかで会う日まで。ただ、私はただ1人バイクなので途中まで一緒という訳にはいかず、少し疎外感を感じた。バイク旅のいいところでもあるし、悪いところでもある。食事後、タクシーで行くグループと、車で来た人の車に相乗りした一団を見送る。最後まで残ったのは、10時頃のバスに乗る塩狩から一緒だった人と、時間は気にせず少し遅れて出発する私の2人だけだった。残された2人の間には少し寂しい空気が漂い始めたが、景気づけに私は「さあ(ピー)でもしようか!」と言い2人で一緒にトイレに行く。それから私はゆっくり出発の準備をする。バイクに荷物をくくりつけて暖気運転をする。すべての準備が整い9時近くに出発する。別れに手を振るが、彼はいつまでも手を振っていてくれているようだった。
 ここから不意に緊張が張り詰めたような気分になった。「これからは1人やねんな」と言い聞かせていると急に不安な気分になってきた。1人になるために旅に出たのに矛盾しているな、と考えると笑いすらこみ上げそうになる。ではなぜ旅に出るのか。最初の頃は1人で旅に出るのが楽しくて仕方がなかった。そうした中でバイクは一人旅には絶好の乗り物だった。ところが、最近はそのバイクに乗るのすら億劫にになってきている。そういえばこの旅に出てバイクに乗りながら、以前では絶対に考えないことを考え始めるようになっていた。それは「車で来れば楽に走れるのになー」ということである。一人旅への疑問と関連して、もうバイクに乗って北海道に来るのもこれが最後になるかも、と思い始めていた。
 こんなことを考えながらやがて自然センターに着く。ネガフィルムが切れかけていたのでここに寄って買っていこうと思う。ついでに柄にもなく100平方メートル運動にも協力したので、その証も見ていこうと100平方メートル運動ハウスに寄っていく。今となっては斜里町の計略にはまったかな、とも思わないでもないが、何もしなかったよりはましと思うことにしている。フィルムを自動販売機で買った後ハウスに行き、心ゆくまで自分の名札を眺めた後知床峠へ出発する。
 知床峠へは思ったより直線的な道が続いている。知床峠には思ったより早く着いた。今日はいい天気だ。ここから国後島がくっきり見える。しかし、羅臼岳は相変わらず頂上付近はガスがかかっている。羅臼岳を撮るのにジャマな記念撮影の団体が去った後を見計らって、一通り写真を撮ってから出発する。下りは結構コーナーが多く、走りが楽しめる。途中で車やバイクが止まっている箇所があり、「ここが羅臼湖への入り口か」と1人納得して走り続ける。ここからしばらく走り羅臼岳の方を振り返るとガスが晴れていた。シャッターチャンスとばかりに、たまたまあったパーキングスペースにバイクを停め、夢中でシャッターを切った。昨日そこに見える山の頂からこちらを見下ろしたと思えば感慨深いものがあった。
 下っていくにつれ羅臼温泉などが見えてくると久しぶりに人里に下りてきたように気分になる。羅臼に着くとまず郵便物を出す用事があったので郵便局へ寄る。このあと知床のさらに奥地へ行ってみたい誘惑に駆られるが、帰るにはあさって朝小樽出発のフェリーに乗らなければならず、あとの日程を考えるとここが限界である。羅臼から右に折れて標津を目指すことにする。
 このあと考えているルートは標津から開陽台に行き、ここから裏磨周、神の子池(ちなみに私はこの名を最初に聞いた時「髪の濃い毛」と思っていた・・・)、と行こうと思い、ここからあわよくば釧路か池田付近で泊まろうと思っていたがそれはきつい。塩狩YHに眼鏡を取りに行くかどうか迷っていたこともあって、南の方へ行くのは二の足を踏んでいた。それならばいっそのこと南に行かず、北の方で泊まって次の日塩狩に行けばいい。そう考えた私は藻琴山を通って北上し、どこかその辺で泊まろうと考えた。取り敢えず今は標津へ向かって走り続けることである。
 左手に国後島を見ながらR335を南下する。途中何カ所かアップダウンがある他は快調な走りだ。途中の川を渡る橋で鮭の遡上が見られると思い、止まって橋の上から眺めたことがある。やはりと思ったが見えなかった。標津に着きどこかで休憩したくなり、サーモンパークという施設があったので寄ってみる。ここは鮭の遡上が観察できる施設だが入るのに入場料がいくらかかかった。そんなに高くはなかったはずだが、昨日事故とはいえただで見てしまった私にとっては法外な金額に思え、ここではレストハウスでお茶を飲んで職場の人への土産を買うだけ買って、とっとと次の目的地の開陽台へ向かってしまった。
 ここから開陽台へは目標物があまり無い箇所を通るので、タンクバックに入れた地図を見ながら慎重に走る。開陽台へは昼近くに到着した。現在の開陽台の展望台は建て替えられて新しくなっているが、展望台をうろうろしていると、昔の展望台の壁の一部とともに懐かしい昔の開陽台の写真が展示されてあった。初めて来た時の思い出がよみがえる。ここで少し疲れたので展望台横の草原でしばらく横になる。こんな所でボーとしていられるのも一人旅ならではのゼイタクだ。
 次は裏磨周だ。ここからは根釧台地の縁を走るため道が複雑だ。しかも持っていったツーリングマップのページの縁でもある。ここでも慎重に進み、裏磨周へ向かう中標津斜里線へ入る。峠道に入ると通る車は皆無に近く、きれいな舗装道路が一直線に続く。裏磨周展望台に着くと車が一台いただけだった。展望台にいたその人に話を聞くと、彼も私に会うまで誰とも会っていないという。やがて、その人も行ってしまい一人でぼんやりと摩周湖を眺めていた。向こう側(表側)は観光客でひしめいているのだろうなと思いながら・・・。
 次は神の子池だ。神の子池はこの街道沿いを斜里に向かって走ると途中で入る道があるという。しばらく走っていると左手に比較的地味な看板が立っていた。地味だったので一見で判別しそこね、行きすぎてからUターンしその道へ入る。この道はもちろんダートロードである。慎重に走り、入り口から10分程度で神の子池に到着する。この時は誰もいなかった。この池は摩周湖の水が湧出しているそうで池の水は青い水である。どこか神秘的でどこか触れてはいけないような雰囲気を醸し出している。水が流れ出し小川となっている川の水に触ってみる。この水そのものは青くない。この池の水の青は一体どこから来ているのか知りたい気分になる。静かでいい雰囲気だったが、池をぐるッと一周していると車やバイクが来て、何人かの人が集まりだした。私は池を一周し終えるとそそくさと出発した。
 そろそろ次の宿を考えなければならない。そのためにはまず電話を探さなければならない。地図を見ると街道沿いに釧網線の緑駅がある。駅前なら絶対に電話はあるはずだ。ここに寄ることにする。緑駅に着き、駅前広場をバイクでぐるっと一周する。なぜか駅前にはない。「ここら辺もそこまで田舎か」と思ったが、次の探すポイントは郵便局だ。昔、郵便局で電報や電話交換業務もやっていた関係でそこにはある可能性が高い。もっとも郵便局があればの話だが・・・。意外に郵便局はすぐ近くの街道沿いにあった。そこにある道路沿いの公衆電話の前でYHハンドブックや「とほ」を眺める。「YHばかりなので今度はとほ宿にしようか」そう思った私は小利別の夢舎に決め電話する。OKの返事をもらい、今度は屈斜路湖目指して走り出した。
 久々に「国道」を走り、途中で藻琴山の方へ折れる。藻琴山の展望台でバイクを止める。ここも誰もいなかった。ここから湖を眺め、「今日は湖ばかり来ているな」と一人思う。ここで小利別の夢舎へのルートを確認する。こうなったら全国ネズミ取り運動の期間中だし裏街道ばかり通ってみよう、と思いほとんど裏街道を通って行くルートを考えた。また、湖めぐりの最後のダメ押しに、津別にあるチミケップ湖に寄ってみようと思う。
 藻琴山を出発し峠を越えると、はるか向こうにオホーツクの海が望める。オホーツクの海ともこれを最後にしばらくのお別れである。この下りの途中で左に折れ美幌国道へ向かう道々へ入る。峠越えにさしかかるといきなりダートである。ジャリが深く、ツルツル滑りながら峠を越える。峠を越え、ネズミ取りのいない坂道を下ればそこは美幌である。美幌からR240に入ろうと思っていたが、標識に惑わされR240沿いの農道へ入ってしまう。けがの功名ではないが、国道を通るよりはるかに安全である(いろんな意味で)。津別の市街地R240に合流するのに少し迷う。チミケップ湖へは本岐というところから入るのが一番道が良いように思ったのでここから右に折れ、川沿いのきれいな道へ入る。ところが、この道もやがてダートに変わる。「さすがは北海道3大秘湖と呼ばれるだけはある」と思いながらゆっくりと進む。
 チミケップ湖に到着した。ここは小さな湖だった。ひとしきり写真を撮って普通なら出発するところだが、何か物足りない気がした。静かで車も滅多にこない所だから見所は他にあるのではと思い、また、時計も16時を少し回ったところだし、と考えた私はしばらく休んだあと、ダート道の湖畔をゆっくりと走り出した。ここにホテルが一軒あった。チミケップホテルという名前のホテルだ。「こんな静かな所で迎える朝はどんな朝かな」と思ったが、私にはとても似合わない場所かなと思い直し、繋がれていた犬がやたらやかましかったのでとっとと走り去る。とろとろ走っているとやがてキャンプ場らしき所に出る。バイクを置き、湖畔に向かって歩き出す。キャンプサイトの向こうに湖が静かに横たわっていた。しばらく腰を降ろしてぼんやりと湖を眺める。ちゃぷんちゃぷんという波の小さな音以外何も聞こえない。しばらくして出発しようか迷ったが、宿への到着時間が気になったので思い切って立ち上がりバイクに向かう。出発前にトイレに行こうとトイレに寄ったがここで考えが変わった。やっぱりここにしばらくいて夕陽を見よう。そう思い立った私は湖畔へ戻ろうとした。途中で野鳥探勝路という道を見つけた。約800mというので入ろうとしたがその道の入り口に登山道によくある入山届記入箱なるものがあった。これを見て「ここは危険な所だ」と連想が働き、結局何歩か歩いただけだった。この寄り道を楽しんだ後、湖畔に戻ってじっと夕暮れを待つ。まだ日没まで1時間近くある。しばらく一人きりで夕暮れを待っていた・・・。
 しばらく待っていると何人かの人がここに寄ってきた。中には「相変わらず何もない所だ。ボートでも浮かべたらいいのに」と悪態をつく人もいた。他所者の遠吠えかも知れないがこの静かな環境はやっぱり貴重なものに思えた。「どうかこのまま静かな環境を残して」と訴えたくもなった。でも道路が舗装されて車がどんどん入ってくるようになると静かなでなくなるかも知れない。でも地元の人はこの人の考え方の方が多いのだろうか・・・。
 やがてそろそろ夕陽がきれいになりかけてきた頃、スクーターに乗った人が一台やってきた。キャンプ場なのをお構いなしにスクーターで湖畔に乗り付けてきた(もっともキャンパーはいなかったが)。見ると写真を撮るための機材を一杯積み込んでいる。これは一目で「これで飯を食っている」と分かるいでたちである。私が先に待っていたので一応「どの辺でセットしていいですか」と聞いてきたが、向こうはこれを業としている以上、道楽で来ている私は場所を譲る。すると彼はちょうど撮影のポイントだなと思っていた水際に立つ、立ち枯れた木の前でセットし出した。「あ〜あ、せっかく待っていたのに」と内心がっかりする。もっともアングルを工夫してうまくカメラが入らないよう撮影はできたのだが。陽が落ちる時、お互い一通り撮り終わった後話しかけてみる。彼は津別の役場からの依頼の仕事をしているらしく、ワゴン車にこのスクーターを積んで撮影に回っているということだった。話をしていると陽が落ちた後空の一部が真っ赤に焼けてきた。シャッターチャンスと思ってカメラを構えたが、表示されたシャッタースピードは絞り解放で1/16秒。ここから何段階か露出を補正するとかなり遅いシャッタースピードになる。この時三脚を持ってこなくて悔しく思った。やはりいい風景を撮ろうと思えば、多少かさばっても三脚は持ってくるものだと痛感した。こうなったら一か八かで1/8秒に合わせてシャッターを切る。こうなったらブレていなければ儲けものである(結果は・・・一応手ブレしていなかった)。
 17時30分頃チミケップ湖をあとにする。当然夕暮れを見たということは帰路は真っ暗である。しかもここから訓子府まで抜ける道はダートである。ヘッドライトをハイビームにし、しかもヘルメットのバイザーはライトスモークのため見えにくく、虫が入ってくるのをガマンして全開で走る。道の状態はそんなに悪くないのだが、万が一に備えて20〜30km/hで徐行運転する。眼の前で何かが動いた。いきなりエゾシカが飛び出してきた。ヘッドライトに浮かび上がったエゾシカはどこか神々しくさえ思える。いきなりの不意打ちに驚いた私はさらに慎重に運転を続ける。気温も下がってきて苦しい走行である。このような時はメーターを照らし出している緑色のELパネルの光がどことなく頼もしく見える。15km位このような運転を続けると道は舗装路に戻った。時間は18時になりかけている。宿に18時までに入ると約束した私はここから猛スピードで走り出した。訓子府から置戸に寄らずに小利別に到る道々を走る。入り口が分からず少し迷いかける。この道路は小利別までの間に一カ所峠越えがある。ガソリンがそろそろやばいかなとも思ったが、峠を越えたのであとは下りだけということでホッとしていたら、下っている途中でガス欠となり、走行中にコックを回してリザーブタンクに入れる。小利別まで行けば何とかなるだろうとの読みもあった。
 R242に合流し小利別に着いたが、ここから夢舎までの道が分からない。駅前にあることは分かっていたので駅を探す。駅に着いた時駅周辺の地図を探したが無かったので、回りを見回して学校のようなものを探す(夢舎は学校の跡を利用した民宿である)。校舎のようなものを見つけそこに滑り込んだ。時計は18時30分を指していた。「食事ができてます」の声に荷物を降ろすのもそこそこにして食堂に駆け込み食事にする。今夜はきのこ鍋だ。寒い中走ってきたので体が暖まるうれしいメニューだ。お腹一杯食べた後に荷物の片づけを行う。この宿は小利別小学校の跡を利用した民宿で、スタッフルームが元職員室で、元教室が寝室になっており、「せんぱいのがんばりに見習おう」という横幕が黒板の上に貼ったままになっており苦笑する。また、食堂にはここにずっと置いたままの本もあり、中にはアシモフの「銀河帝国の興亡」も黒いかびだらけになってあったりもする。
 このあと塩狩YHに眼鏡の忘れ物について電話する。するとやはりここに忘れていたようだった。そこに寄ってから帰ればいいだろうと思ったその時、ここに泊まっていた人から聞いた話で、ここを朝の5時に出してもらってその日小樽10時発のフェリーに間に合ったという話を思い出した。そこで泊めてもらって5時に出してもらえるよう言うと「いやとは言えません」との返事だった。これで北海道最終日はまた塩狩YH泊りとなり、出港当日の朝に小樽に向かうというハードスケジュールになることになった。
 そして、風呂に入ったあと、宿のスタッフと宿泊者全員が集まり一杯飲みながら談笑する。ここは寒さが非常に厳しい場所で氷点下35度を下回る日もままあるという。初雪は9月の15日頃に降ったと言っていたようだ。眠気を感じた時、今日は朝4時20分起きだったことを思い出し、早々と床に就いた。

 7.9月26日 そして、再び塩狩へ

 朝8時頃起こされ起床。天気は今日から下り坂と言っていた天気予報通り曇っていた。朝食後、宿のスタッフに見送られ出発する。GSは陸別まで無いそうだ。陸別でガスを入れたあと、さらに南下し足寄へ向かう。天気が悪いせいか気分が今一つ乗らない。足寄には9時30分頃到着。ここからR241へ入って足寄湖でトイレ休憩する。ここではチーズを作っているところがあってこれを食べたくなったが、10時にならないとレストランが開店しなかったのであきらめる。ここから黙々と上士幌へ向かう。すると途中で早くも雨が降ってきた。止まってレインスーツを取り出し着込む。ブーツカバーが無いため本降りになると心配だったが、上士幌へ向かっていると止んできた。  上士幌へ出ると今度はR273を北へ向かう。天気が良ければここから然別湖やトムラウシへ行きたかったが、今はそんな気も起こらない。淡々と北へ向かい黒石平へ経て糠平に11時前に到着した。天気が良ければ少しは眺めもいいのかも知れないが大雪山系は全然見えなかったので、ここにある東大雪博物館へ行っていろいろな資料を見学した。東大雪の全貌はほぼ分かったのだが、ここにあった世界各地の蝶の標本と東大雪とは一体どういう関係にあるのだろうか・・・。
 博物館を見学し終わると昼になっていたので、近くの喫茶店兼レストランで昼食をとり出発する。天気は悪くなる予感がしたのでレインスーツを着込んだまま出発する。峠道を走り、それを越えると盆地状の地形に出てきた。これが三股盆地である。かつては木材の切り出しで賑わったそうであるが、今は国鉄の士幌線の駅跡とドライブインらしき物が一軒あるだけでわびしさが漂っている。このわびしさは天気のせいでもあるのかとも思ったが、そうでもないことがはっきりと分かる。かつてここに人がたくさん住んでいたという事実がそうさせるのだと思われた。ここから先は人家も無くなる。ただ、ただ峠へ向かっていく私はどことなく空しさを覚えていた。
 いよいよ三国峠へさしかかる。山腹にぐにゃぐにゃと絡みつく巨大な赤い高架橋が印象的だ。よくもまあこんな所にこの巨大な建造物を創造したなと敬服し、毎度のことながら人の力に恐れ入る。三国峠のパーキングで一時停車し、ここから下界に広がる広大な森を見下ろす。この先はトンネルを抜けると割に平坦な道となっていた。大雪ダムの水面が見えてくると何日か前に来た所に出てきた。時間もあるし大雪ダムの脇で停車しダムを見物する。しばらく見物した後旭川に向けて出発する。この区間は何度か通っているのでいい加減飽きた。そろそろ左手の痛みも限界が近づいてきた。段々クラッチを握らず腕を後ろに引いてクラッチを切るようになっていき、遅い車がいても追い越しをかけずにのんびり付いていくなど、シフトダウンをなるべくしない運転になっていった。
 旭川でバイク屋に寄って亡くしたブーツカバーを買い求め塩狩峠に向かう。これだけそこに行けば自分の家に帰るような気分になってくる。今度は迷わずR40に入り、一直線の塩狩峠へ向かう坂道を越えて塩狩YHに到着した。
 着いた早々に宿のマネージャーはこちらから切り出すまでもなく眼鏡を出してくれた。連泊した上に眼鏡を忘れ、また取りに来る客は前代未聞だろう。食事は(毒)きのこ鍋を勧めてくれたが、またジンギスカンにした。夕食時にヘルパーとまた顔を合わせると「また来たか」という顔をされた。でもいやな顔をしたわけでなく、ここでのジンギスカンの作法?を知っているだけにかえって良かったのではないだろうか?ちなみに今夜の男子の宿泊者は5名いたがそのうち私も含め4名が郵便局員だった(勤務地も近畿ばかり)。旅行に行ってまで仕事の話が飛び交い気分が悪くなった。残りの一人は礼文の桃岩荘の常連で、これからそこに向かうということで、そこでの生活についていろいろ話を聞くことができた。明日は5時出発である。5時に玄関を開けてもらうよう頼み、早目に眠ることにする。

 8.9月27日〜9月28日 勇気ひとつを友にして

 アラームをセットしていた4時に目が覚める。ここでまた朝風呂に行く。外を見ると天気予報通り雨だ。昨日ブーツカバーを入手しておいて良かったと安心する。雨の日の走行も装備さえしっかりしていれば大して苦にならない。この中途半端な古さの浴場もこれだけ入れば愛着さえ湧いてくる。ここはよく「保養所」とか「旅に疲れたらジンギスカンと温泉で疲れを癒すところ」とか言っていた人がいたが、良く分かるような気がした。
 風呂から上がって出発の準備を整え玄関ホールへ荷物を運び終わった時、宿のマネージャーが起きてきてくれた。この時少し悪かったかなと思い始めた。わざわざ私一人が出発するために、玄関を開けるだけのことで起きてきてくれたのだった。何やら申し訳ないような気分になった。このマネージャーだけに見送られて雨の降る中出発の準備を整え、そして出発した。道内のラストランである。
 塩狩から峠を下り、普通通り旭川市街に入る。旭川から小樽までは10時までに必ず着かなければならないプレッシャーからと、先日からの腕の痛みが取れないので、クラッチの握る回数が少なくて済む高速道路を使うことにする。旭川市街に入る頃にはすっかり周りは明るくなっていた。ここでバイパスに入れば高速道路の入口があるはずだったが入口を見逃し、このままR12に入ってしまう。雨は割と激しく降っているので地図を見る余裕はなかったので、「このまま走ればやがて高速の入口がある」と思い、このまま成り行きに任せて走ることにする。R12は思ったより車の流れが遅い。信号待ちも多く、その度に苦痛なクラッチ操作を要求される。ガソリンも残り少なくなってきたが、高速のICの前には必ずあるはずと思い、何軒かGSの前を通ったが給油は思いとどまった。しばらく走ると深川ICにたどり着いた。ここから入ろうと思ったがGSは無かった。「SAに絶対あるはずだ」と思い、このまま高速へ入る。
 高速へ入ったのだが、このバイクの後輪の溝はほとんど無い。おまけにこの天候である。飛ばしすぎは自殺行為である。80〜90km/hで慎重に走る。この時間の北海道の高速は非常に空いていた。一直線の道路を私のバイク1台だけで走っていた。たまに猛スピードで右側車線を車が水しぶきをあげながら追い越していく。一人での孤独な走行が続く。やがて砂川SAに着く。ここで給油を兼ねて休憩をとろうと立ち寄る。ここで自動販売機のコーヒーをすすり休憩する。レインスーツは着ているものの中のブルゾンまで濡れ始めている。小樽まで苦しい走りになるだろうと覚悟する。
 出発前にここで給油をしようとGSに立ち寄る。GSの給油ノズルの前でバイクを止める。普通なら店員が元気良く出てくるが出てこない。様子が変だ。ホーンを鳴らしかけた時、GSの営業時間を書いた看板に気がついた。営業は8時からとなっている。メーターパネルの時計に目をやるとまだ6時50分だった。仕方が無いが出発しよう。50km位ならリザーブタンクの容量だけで走り切れるだろう。
 小樽に向けて淡々と走り続ける。悪天候と時間とガスの残量との闘いだ。岩見沢の辺りでエンジンの回転が落ちていきガス欠となった。走行中にタンクのコックに手をのばすとエンジンは息を吹き返した。私は「いよいよか」と心の中でつぶやいた。重い気を紛らわそうと思ったのか、気がつけば私はヘルメットの中で昔よく歌った「勇気ひとつを友にして」を一人で歌っていた。この時気がついたのは「ギリギリの状態に追い込まれた私がどうするのかを見て楽しんでいる私がいるのではないか」ということだった。旅に出るとよくこのようなギリギリの状態になることがある。旅に出て楽しいのはこのようなことがあるからだろうか。いや、違うはずだ。そんなことは危機を脱したあと考えることである。今、楽しいのはこの危機を脱したあとに広がる風景の美しさではないだろうか。そう考えると旅に出てから今まで考えていたもやもやが一気に吹っ飛んだようだった。一つの答えを見つけたような気になった私は、小樽という一つの目標に向かってバイクを走らせる。
 とはいっても今の私には深刻なエネルギー問題に陥っている事実があり、これを解消することが緊急の課題であることには違いない。野幌PAに寄ってGSが無いか探したが、あるわけはなくすごすご出発する。札樽自動車道にGSを期待するのは望み薄になってきたので、札幌ICで高速を降りて出口近くの一般道にあったホクレンのGSに寄る。14.3リットル入ったのでこのまま小樽まで走っていれば間違い無くガス欠になっていただろう。GSのおっちゃんに小樽までは高速を使った方がいいかどうか聞いてみると、今日は土曜日なので道は空いているから、10時までなら地道でも十分間に合うと言っていたが、クラッチを握る腕の痛みに耐えかねて高速へ上がる。
 ここら辺の高速は大阪で言うと近畿道のような雰囲気だ。小樽へ向かっているといつしか雨は上がり、みるみるうちに雲が切れていく様子が見えた。山が海に迫り、道が海岸に張り付くように続く峠を越えればそこは小樽だ。小樽には出港より1時間位余裕をもって到着した。到着と同時にフェリーへの乗り込みが開始されていた。到着後そのまま滑り込むような形でフェリーに吸い込まれる。出港時間には北海道の最後の姿を目に焼き付けようとデッキから出港の様子を見つめ続けた。
 フェリーの中では睡眠不足気味だったのでまず眠り、それから持ってきた本を読んだり(図書館から借りている本なので早く読まなければならない)、映画の上映があるとそれを見たりもした。久し振りにのんびりとしている。ゆっくりと時が流れる。海は荒れており結構激しく揺れる。風呂に入ると上下の揺れで湯がかなりあふれていた。私は一度、冬のこのフェリーに乗ったことがあるが、それ以上の揺れである。たが、気分を悪くしている人はあまりいなかったようだ。さすがは2万トンクラスのフェリーである。

 舞鶴には翌日の17時に到着である。実際はもう少し早く下船することができた。舞鶴の町に出ると今まで走り慣れた北海道とは勝手が違うため少し戸惑う。また、気温も高いので冬用のグローブが暑く感じる。さらに、市街地を離れても峠道はせせこましいので、スピードを落として走る。ただ、夕陽が当たった山村の農家を見ていると「やはり日本の風景だな」と思う。北海道には無かった風景だけに少し懐かしささえ覚える。丹波の辺りで陽が完全に落ちる。R9の合流近くは渋滞しており加えて真っ暗になってきているのでうんざりする。それからゆっくりR9に入って亀岡まで走り、ここから高槻へ抜ける府道へと入る。真っ暗な山道は恐怖だ。しかも車が後ろから煽ってくる。速い車には道を譲りマイペースで走る。ここまで帰ってきて事故るのはバカらしい。採石場の砂だらけの道を慎重に走り、盆地状の地形の集落のある直線路に出、ここから小さい峠を越えれば枚方方面の町の灯が見えてくる。そして、もうすぐ走行1970kmに及んだ私の旅も終わる。明日から喧騒の日々がまた始まる。

林幹展/耐寒ツーリング第7弾! 遥かなる足摺へ


 
 12月12日(土)曇のち晴れ

 朝4時に目覚まし時計がベルが鳴ると同時に、パソコンも電源が入り私を起こそうとしてくれる。しかし、朝には弱い私はなかなか起き上がろうとしなかった。4時30分頃やっと起き上がり出発のための準備を始める。朝は弱いため軽く食事をとって準備が終わるまで小1時間かかってしまう。5時20分頃やっと準備が整い部屋を出る。
 ここからバイクを出し、暖気運転を始め、荷物を積み込み出発する。バイクのメーターパネルについている時計を見やると5時35分になっていた。これまでの経験から阪神高速は6時を過ぎると車が多くなり、自分のペースで走れなくなることは分かっていたが、TT−Rレイドに乗り換えてからは自分のペースで走るどころか周りのペースについていけないので、出発時間は気にしなくなっていった。以前は第二神明道にある明石の子午線のアーチを何時何分に越えるかまで気にしていたが、今はのんきなものだ。
 寝屋川のR1に出たところにあるGSで給油をする。今日1日で500kmは走らなくてはいけないだろう。ここから阪神高速の守口の入口まで走り、高速に入る。夜はまだ明けていないが空は曇空だということがわかる。この季節なので当然寒いが、まだましな方だ。環状線に入り、神戸線に入る。神戸線は混んでいなかったので周りの車のペースも早いが、私は90〜100km/h位のスピードで走り続ける。神戸の中心部を過ぎると曇り空ながら空は明るさを増してきているのが分かってきた。
 若宮の出口からR2を走る。須磨を通って明石には6時50分頃到着する。ここからフェリーで岩屋まで渡るつもりだ。明石海峡大橋を通れば早いのだろうが、2年前の惨劇(瀬戸大橋での出来事)があるので、冬は橋をなるべく使わないようにしている。フェリーの待時間を利用して近くのコンビニでハイウェイカードを買う。バイク旅の必需品である。こういうところでも入手できるようになったのは便利なことだ。
 フェリーは7時10分出港で約20分間のブレイクタイムだ。暖かい船室でコーヒーを飲んでくつろぎ、フェリーが橋をくぐる時、外に出てデジカメで写真を撮ったりした。この時の画像は現在職場のパソコンの壁紙になっている。
 7時30分に岩屋に到着。天気は徐々に良くなってきた。ここから高速を使えば早いのだろうが、裏街道?(淡路サンセットライン)を通って淡路島南ICまで走ることとする。この道経由でも部分的に80km/h位で走れるところもあり、快適に走行できる。右手に海を眺めながら快調に走る。以前は南端の阿那賀というところから1日3便だけのフェリーがあったのだが、現在は廃止されたようなので大鳴門橋を使うこととする。
 淡路島南ICの入口をくぐり、らせん状のランプウェイを通るにつれ、恐怖心が煽り立てられ、さらに、本線に入ってからも「二輪車転倒注意」の看板があり、全身に緊張感がはしる。橋上に出るとやはり今日も強風によりバイクが左側に流される。左側は路肩の金網の下に海が見える。私は速度を落とし、バイクを右側に傾け左に流されないよう細心の注意を払いながら橋を渡る。つり橋の四国側の鉄塔が見えてくると「もうすぐ橋を渡りきる」という気持ちからスロットルを回しこみ一気に渡りきろうという気持ちになるが、そのはやる気持ちを抑えて最後まで慎重に渡りきった。いつもなら鳴門北ICで降りるが、今日は先が長いので終点の鳴門ICまで走り、ここからR11を南下する。この時、時計を見るとまだ9時だ。実は昨年も同じことを試み、この時は9時50分位だった。昨年よりも早い到着に満足し、前回の二の舞とならないよう細心の注意を払うこととする(昨年も同じ行き先までのツーリングを試みたが、途中の道路通行止めにより回り道をしている間に時間切れとなり、四国日帰りツーリングとなってしまったことがある。)。ここから徳島市内を走り抜け、いつしかR55と名前の変わった道をひたすら南下する。4車線のバイパスで快調な走りだ。
 小松島で右カーブのトンネルにさしかかり普通に入る。「ここでネズミ取りをやったらカモがたくさん引っ掛かるだろう」と思ったので少しスロットルを戻した。すると出口付近で椅子に座った人影が目に写った。「やばい、もしかしたら本物のネズミ取りかも」と思ったので、リヤブレーキをかけ速度を落とした。やはり案の定ネズミ取りでレーダーがあった。違反車の引込口で警官にピースサインをしようと思ったが、白バイが待機していたのでやめた。
 阿南の手前でバイパスが終わり、ここから混雑してきた。あまりすり抜けをせず流れに従い進む。R195に入るまで少し時間がかかったがそれでもまだ10時である。ここからはR195を山間部に向かって進む。ここからしばらく走っていると同じくバイクでツーリングしている集団が追い付いてくる。最初私がリードしていたが、途中で先頭を明け渡す。リッターバイクやレーサーレプリカでは相手にならない。途中で一時停車して休憩をとる。トラス橋が見え、バス停のある静かなところだった。寒さでこわばっている足をのばしてしばし休息する。
 ここから気をとりなおして出発し、やがて徳島県側の県境である木頭村に入る。ここは有名な細川内ダムの建設予定地で、村に入ったとたんに道が悪くなる。いつかの新聞誌上でも触れられていたが、仕事(公共事業)が干されていたことが肌で感じられる。また、「細川内ダム建設絶対反対」というのぼりや看板がそこら中にあったりと村を挙げての反対運動を展開していたことも感じられた。そんな感傷に浸っていると高の瀬峡の看板があった。そういえば5〜6年前に剣山スーパー林道を友達と走りに来た時、地元の人が「紅葉の季節に高の瀬峡で紅葉まつりをやっている」という話をしてくれたのを思い出し、その時もここを通ったのだなとまたまた感傷に浸る。
 その高の瀬峡の入口近くの県境のトンネルで交通規制があった。単なる片側通行の規制かと思いそのままで待っていたが、10分、20分しても車を通してくれる気配は無い。しかも、いつしか警備員はトンネル入口近くに置いてあった椅子に腰掛けているではないか。おかしいと思いバイクを降り、トンネル入口の看板をよく見ると時間帯通行規制と書いてある。11時から11時50分まで規制と書いてあった。ここに11時20分位に着いたので、大方30分以上のロスになる。やがて時間になったので警備員は椅子からやおら立ち上がり車を通しだした。ここから私は今までの時間のロスを取り戻すべく走り出した。
 走り出したところだが、集落に差しかかったところでトイレがあった。私は今までガマンしていたのでバイクを止め、たまらず駆け込む。トイレを終え、出発の準備をしていると12時の時報が村中に響き渡っていた。
 12時過ぎには南国に着いていなければならない予定なので少し遅れを感じ焦り出す。遅いダンプがいたので仕方無しについていくが、ダンプが左ウインカーを出して道を空けてくれる。抜ききったところで左手を上げると、向こうもホーンを鳴らしそれに応えてくれる。
 快調に走り土佐山田には13時頃到達する。南国に入ると「土電(とでん)」の軌道が現れる。電車の行先方向幕に「ごめん」と書かれると謝られているみたいでヘルメットの中で一人苦笑する。やがてR55と合流し高知市内へと入る。
 高知からはいつしか見たような風景である。2年前であるが1度来ているのでそのはずである。高知の郊外でR33と別れ、R56に入る。前回は仁淀川を渡った辺りで海沿いの道に入ったが、今回は寄り道している余裕はなく、真っ直ぐ須崎を目指す。このR56は前回来た時よりも車の流れが悪い。はるか前の信号が青でものんびり走っている。私は時間がもったいないと思ったが、仕方無くその流れについていく。
 須崎に14時30分に到達した。12時にトイレ休憩で止まってから2時間30分走り続けている。思えば岩屋を出発してから全然休憩らしい休憩をしていない。昼食も摂っていないのでまとまった休憩をしたくなってきたが、時間が苦しいのでさらに走ることにした。どうせもうすぐ寝屋川を出て400kmに達する。そろそろ給油をしなければならない。その時にまとめて休憩をしようと思う。
 須崎を過ぎれば少しは流れが良くなると思ったが、全然良くならない。みんな制限速度を守って安全運転に努めている。2年前は少し油断をすれば他の車に抜かされたというのに、この交通マナーの改善振りはどうしたことだろうか。地元の警察署長は泣いて喜んでいるだろうが、私は先を急いでいる。しかし、この先に取り締まりが待っているかも知れないのでイライラしながらもガマンしてついていく。
 窪川に15時15分に到着。道の駅とその向かいにGSがあったのでまず道の駅に滑り込む。ここでトイレに行き、鍋焼うどん定食を食べ、しばし休息する。疲れもピークに達している。この年の5月のゴールデンウィークに信州の乗鞍に1泊2日で行った時の帰り道で「もう強行軍はやめよう」と思ったのだが、今回もそれを繰り返している。今回の行きも、その信州行きの帰りもほとんど高速を使わずに、しかも走行距離も500kmを越えていたので、常人ではしないことをしているだろう。こんなことを繰り返していると本当に危険だ。これを読んでいる人でまねをしようとしている人がいるならあまりお勧めはしない。結局1泊2日の日程をもう少し延ばせればいいのだが、休暇事情そうもいかないことがある。もう少しゆったりとした日程を組みたいものだ。あまりゆっくりしていると時間がもったいないので、向かいのGSに寄って給油して出発した。
 しばらく走ると海沿いの道に出た。もう陽は沈みかけて夕暮れが近づいてきている。その風景がきれいだったので思わずバイクを止め、デジカメで撮影する。カシオのQV−10Aなのであまりきれいな画像として残せないのだが、気軽にパソコンに取り込め、自分のパソコンをはじめ、職場のパソコンの壁紙として利用できるので、無味乾燥とした職場環境を改善するべく今回の旅でもまめに撮影している。
 中村には16時40分に到達。夕方のラッシュが始まっているようで、相変わらず流れは良くない。ここから宿毛に向けR56をさらに進む。この調子では18時に予約している宿に着けそうもないのでどこかで宿に電話を入れないと思いはじめる。陽はすでに落ち、あざやかな夕景が眼前に広がる。
 あまり変化の無い単調な風景を走り抜け、宿毛に17時10分到着。ここでR321に入るが、すぐに道の駅があったのでバイクを止め、宿に少し遅れそうだと電話する。宿はまたもやYHで大月町の大堂海岸にある大堂YHを予約している。1時間位遅れると電話すると、ペアレントのおばちゃんが「遅れるだろうと主人と話してました」との返事が返ってきた。陽は落ちたあとだがここでも夕景がきれいだったので、今度はカメラで撮影し、薄暮の空の下、本日最後の走行へと出発した。
 R321から大堂海岸への道への入口が分かりにくかったが、標識とペアレントの説明を思い出しながら道をたどり、間違えずに入ることができた。持ってきたツーリングマップによるとここからの道が悪そうだったが、道は改良されており思ったより走りやすい。もっともこのツーリングマップは6年前の代物だから、この手の解説はあまりあてにならないのだが。この持ってきた地図は高速も山陽道は備前までしかできていないし、よく地方で地図に書いていないバイパスを発見することがある。
 そうこう走っていると道が悪い箇所に出てくる。後ろから車が煽ってくるが、こういう知らない細い道は危ないので道を譲る。明かりも何ひとつ無い場所だ。こんな所に人が住んでいる所があるのかと思っていると、やがてポツンポツンと明かりが見えてきた。この瞬間「あっこの先に集落がある」と思い、それと同時に安堵感を覚えた。坂を下って集落に入ろうとすると、いつの間にか橋を渡っていた。ペアレントに電話で「橋を渡る前の左側に細い道があるからそこに入りなさい」と言われていたのを思い出し、橋を渡ったところでUターンし、その道に入るとすぐに普通の民家のようなYHがあった。そこの庭に入り、バイクをどこに置こうかと迷っていると、エンジン音に気がついたペアレントが迎えに出てくれた。
 普通はまずチェックインの手続きをするが、ペアレントが寒いところを走ってきたのを気遣ってくれたのか、先にお風呂に入りなさいというので先に風呂に入ることにする。風呂で暖まったあとすぐに食事となる。客はどうやら私一人のようだ。ペアレントが一人で食事しているのを気遣ってくれたのか、この辺の話や自身の昔話を聞かせてくれた。昔この近くで教師をしていたというペアレントはもうおばあちゃんの年齢だが、このように12月の暇な時期にYHを開けてくれていて、しかもいろいろな心遣いで迎えてくれたのが嬉しかった。正直にいえば、YHとしても施設は古くて何もないような所で、今まで泊まったYHの中で最低ランクに属するようなところだが、細かい心遣いとペアレントの人柄がいいと思った。特に一人旅の場合は設備などごちゃごちゃしたものはいらない。心温まる出会いが何より嬉しい。
 食事後、宿帳に好きなことを書き(YHの会員かどうかということは最後までチェックされなかった。こういう細かいことは気にしない宿なのだろうか)、食堂でテレビを見てから部屋に帰り、一人満足して早目にふとんにくるまった。           

 12月13日(日)晴れ

 7時30分頃に朝食を頼んでいたので少し前に起きる。洗面し、トイレに入っていると、ペアレントの「ご飯の用意ができました」という声が聞こえた。食堂に行くと、ご飯が並んでいるがペアレントの姿はなかったので、一人で食べる。しばらくすると買い物に出ていたペアレントが外から帰ってきたようだ。食べ終わったあと「早速出発したいが、せっかくここまで来たのでこの辺りの見所はないか」とペアレントに尋ねる。ペアレントは観音岩があるといい、そこまでの行き方を教えてくれた。そして、出発の準備をし、8時30分頃バイクのエンジンをかけ、荷物を積み込み出発した。宿の門から出る時振り返ると、ペアレントはまだ立ったままで見送ってくれていた。何だか見えなくなるまで見送ってくれているような、そんな気がした。
 走っていると昨日の渡りかけた橋が見えてきた。ここでひとまず止まり写真を撮って出発した。昨日下ってきた坂を登っていくと観音岩への入口が見えてきた。ここでバイクを置き、観音岩までは徒歩で登る。登りきったところの稜線伝いに遊歩道がある。ここを少し歩くと観音岩があった。海から細い岩が垂直にそそり立ち、その外観が観音さまに見えるところからそう名付けられた岩だ。写真・デジカメ画像を何枚か撮ってまた来た道を戻る。この稜線伝いの遊歩道は大堂海岸や柏島を結んでいる道で、ここをしばらく歩いてみたい衝動にかられるが、そんなことをすれば今日中に大阪へ帰れなくなってしまうので、おとなしくバイクに戻ることにする。
 この後出発したが、途中で展望台のようなところにさしかかる。昨日、集落の明かりがポツポツ始めた辺りだ。思わずバイクを置いてカメラとデジカメで撮影する。目が痛くなるような真っ青な空と緑色の島が眼前に広がる。カメラでは24mmの広角レンズで撮影できたが、デジカメではこの視界いっぱいに広がる大パノラマを撮影できないのが残念だ。しばらくぼんやり眺めていたが、本当に雄大な風景だ。
 そして、この旅の最大の目的である足摺岬を目指す。ここから昨日走ってきた道をさらに戻る。明るい時走っていると、この道がいかに悪い道かということがよく分かる。まだ舗装しているだけましなような気もするが、車同士離合できない所が多々ある。気温は海に面しているためかあまり寒くは感じなかった。やがて改良された道に出た。すると、内陸に入っていったせいか気温が下がり寒くなってきた。2車線だが空いている広い道を一人で走っていると、やがてR321の合流点に出る。この道を右に曲がり南下する。
 しばらく内陸を走るが、やがて海に出る。天気も良く実に気分がいい。前回来た時は寒さと強風、そして雨だか雪だか分からないものが降っていたので、楽しいとはいい難いものがあった。そして、トンネルから出ると漁港をバイパスするための橋があるのだが、ここでも前回は強風に煽られ、対向車線へはみ出して対向車と正面衝突しかけたこともあるので、今回も横風に注意して慎重に走る。
 竜串に着いた時、ここでも観光船に乗ってみたい衝動にかられたが、時間の都合で却下される。そうこうしているうちに土佐清水が近づいてきた。あしずり港では前回悔しい思いで乗り込んだ室戸フェリーが、入港間近といった感じで港内で回頭作業をしていた。やがて土佐清水の中心街へと入る。見たことのある風景を通っていると、前回引き返した町はずれの漁港のようなところに達する。ここで引き返す決断をしたのかということを思えば、感慨深く何やらこみ上げてくるものがある(ゲロではない)。前は厳しい表情の空も今日は高く青々としている。
 やがて足摺スカイラインと海沿いの道との分岐点に来たので、私は海沿いの道へとバイクを向けた。しばらくは広い道が続くが、しばらく走ると道は細っていった。海沿いに集落が広がっている所があった。その集落は狭い斜面に家がへばり着いている感じで、いかにも寄り集まって住んでいるというように見えた。昨日の柏島もそうだが、昔は漁業と農業で生活していたといっても、漁業の水揚げは不安定で、農業も農業に適している土地とはいえない所で行っている。だから相当貧しい生活をしていたに違いない。このような産業も何もない所でよく生活しているなあと今の感覚でいえば感じるが、昔はここの人々はそういう生活が当たり前だったのだ。特に、今のように交通も発達していないし、居住場所の自由や職業選択の自由もなかった時代、人々はその運命を受け入れるしかなかったのだ。あるいはそれが運命という認識すらなかったのかもしれない。時代も変わり、そのような所へバイクで旅をしている自分がひどくゼイタクをしているように思えた。
 この曲がりくねった道を走っていると路線バスに追い付いた。岬と土佐清水市街、そして海沿いの集落を結ぶ大切な交通機関だ。車間をあけしばらくついていくと少し広い所で左ウインカーを出して道を譲ってくれた。また抜ききったところで左手を上げる。バスも「フォ〜ン」とホーンを鳴らしそれに応える。
 やがて足摺スカイラインと合流し、旅館などが並ぶ通りを走り、足摺岬に到着した。時刻は10時。2年来の悲願?を達成した。まず、展望台へと向かいここで何枚か写真を撮ってしばらくたたずむ。それから灯台の方へと行ってみる。灯台に行くまでは少し距離があったが、天気も良くいい散歩道だ。灯台周辺は誰もいなかった。私はそこでしばしたたずんでいた。私は大海原を前に旅の目的を果たした充実感を一人味わっていた。
 ここから駐車場の方に戻って土産物屋で土産を買い漁り、ここの2階の食堂でコーヒーを飲みながら鳩野あてのはがきを書き、しばらく休憩する。しばらくまとまった休憩はとれなくなることは分かっていたので、窓際で景色を眺めながらしばしの休憩となる。
 そして、11時頃店の主人らしき人にポストの場所を確認し、駐車場に止めたバイクに荷物を積み込み出発する。ポストはこの近くの郵便局の前にあったが、取集時刻を確認すると取集は明日になることが分かる。地方に行けばこんなものかとも思ったが、郵便局の前でこれは取集便は少し少なすぎるような気もする。大都会の郵便局に勤めている者としては少し不思議な気がした。
 帰りは足摺スカイラインを通る。ここは本格的なワインディングロードで、単気筒でオフローダーのTT−Rでは少し不満が残る。こういう所ではオンロードのバイクが恋しくなる。せめてパワーバンド(単気筒のバイクでパワーバンドがうんぬんという議論も少しアヤシイが)が分かるタコメーターが欲しいとも思った。思い切って攻め込めず少し不満が残った状態でさっき通った海沿いの道との分岐点に到達する。ここからR321を中村方面へ向かう。
 行きは法定速度で走る車を抜かさずそのままついていく方針だったが、帰りでそれをやると大阪へ帰り着く時間が遅くなってしまう。帰りは南国から高速で帰ろうと思っていたから、必ず日付が変わる前には帰り着けるだろうが、陽が落ちると気温が下がるので、なるべく陽のあるうちに距離を稼ぎたい。よって遅いと感じた車はどんどん抜かしていくという方針に変えることにする。気合いを入れ帰り道に臨んだ。この区間も例によって法定速度を守って走っている車がウヨウヨいる。ところが、中村までは曲がりくねった道が多く、やっとガンガン走れるようになったのは四万十川の堤防に出た辺りだった。
 中村には12時ちょうどに到達した。ここから峠があり、それを越えた辺りで見通しのいい区間が現れだした。私は直線区間になり、センターラインが黄から白に変わる区間を待ってTT−Rを鞭打つ。その度にDOHC単気筒250ccのエンジンは怒り(?)の咆哮をあげ、やっとの思いで車を抜き去る。途中、判断を誤って正面衝突?という時もあったが、順調に入野、佐賀、窪川と過ぎていく。車の流れは相変わらず遅いが、車の数は少なく、また、抜き去るチャンスも比較的多く、総合的には快調な走りだ。 須崎に到達したのは13時30分頃だった。昼食も抜きで走っているせいで、いい加減腹も減ってきた。おまけにここから土佐市の中心部に向けて車が混み出してきた。少しイライラしながら渋滞車の横をすり抜けていった。土佐市の中心部を過ぎ、仁淀川の橋の上も混雑していた。そこもイライラしながらすり抜け、さらに走り続ける。
 高知市内に入り、R33との合流点を目指して走っていると、高速の標識がかかってた。「南国までまだまだ距離があるのに気の早い標識だ」と思って標識をよく見ると「伊野まで○km」と表示していた。この時に高知道は伊野まで延長されていたということが分かった。十分に下調べをせず、また、古い地図を使ってツーリングをしていたことが裏目に出たような気分だ。ここからその標識まで戻り、標識に従って高知道の入口まで進む。この入口でGSがあった。もう少し走れそうだったが、どうせ高知道はSAが少ないだろうからここで給油することにした。GSの人に高速はここまでいつ伸びたのかを聞いたところ、もう1年ぐらいになるとの返事が返ってきた。
 高知道には14時20分頃入る。対面通行であるが走っている車はあまりいないので快適に走れる。南国の手前あたりでSAがあった。もうそろそろ休憩しようと思い、たまらず駆け込む。このSAには二輪車専用の駐車スペースがあった。嬉しい。ここで昼食代わりのアメリカンドックを食べ、コーヒーを飲み休憩する。このSAにはGSは無かったので高知道に入る前に給油しておいて正解だ。休憩の時食べるチョコレートを売店で買い込み、16時頃出発する。
 この先から山岳地帯に入る。断続的にトンネルが続き高度が上がっていく。トンネルが多いのとトンネル以外の所でも高架橋が多いので景色はほとんど見えないが、見上げると峻とそびえる山肌があったりと、かなり山深い所を通っていることがよく分かる。また、高度が上がっているので気温も下がるが、トンネルに入ると少し暖かいのでまだ何とかしのげる。途中の出口やPAの前後は車線が増えているので、先を急ぐ車はどんどん飛ばしていくが、私はマシンの性能上80〜90km/hの速度でたんたんと走る。これでもすり減ったタイヤを替えたおかげで、以前と比べ大分高速での安定性が上がった。
 山間部を抜けると高松自動車道が近づいてくる。川之江JCTで高松道に入り、さらに走り続ける。ここで橋を渡って本州に入るかフェリーで本州に入るかどうかで迷う。橋を渡ればフェリーの待時間のロスが少なくて済むが、今日は穏やかな天気とはいえ前回の悲劇が頭をよぎる。通行料も高い。結局、坂出JCTを直進し高松へ向かうことにする。
 坂出JCTに着くまでの間、讃岐富士を望む平野部を高松道は走る。陽もこの時間になってくるとかなり傾いてきた。夕陽を背に浴びて高松への道をひた走る。坂出JCTを越えると山間部に入る。府中湖にかかる橋を越えると高松西ICは間近だ。高松西ICで通行料をハイカで払い、一般道へと流れ込んだ。ここから高松港までは通り慣れた道だ。道幅も広く割りに流れもいいので標識に従って進めば間もなく高松港に着く。ただ、今回は久し振りに来たので高松港付近で道を間違え、少し遠回りとなって高松港へとたどり着いた。
 ここで宇高航路に乗るために切符を買い求め、トイレに行きしばらく待っていると、すぐに折り返し宇野行きとなる船が入港してきた。慌ててバイクを積み込み船室に上がる。やがて船は出港した。
 宇野港までは約1時間のクルーズだ。高松港を出てしばらくすると黄昏時の五色台が眼前に広がる。思わず展望デッキに掛け上がり撮影する。このデッキには強い寒風のため誰もいない。寒さに耐えながらしばらくこの大パノラマを楽しむ。寒さに耐えきれなくなった頃船室に戻り、椅子に腰掛けていると睡魔が襲ってきた。そのまましばらくうとうとしていると、宇野港入港のアナウンスが聞こえてきた。時刻は18時を過ぎており、すでに周囲はもう真っ暗だ。
 宇野からはいったん岡山バイパスに出て、そこから山陽道の山陽ICから高速に入るのが今までの経験上早い道程だ。しかも、宇野から岡山バイパスまではR30よりも、児島湾の縁を通って児島湾大橋を渡る県道を通るのが一番の近道だ。この県道にはフェリー乗り場を出て標識を無視し、直進して何と商店街のアーケードの中を走り抜けるのが近道だったのだが(四輪は多分不可)、久し振りに来たので何を思ったのか左折しR30の方へ入ってしまう。途中で勘違いに気がついたが、もう大分走った後だったのでこのまま岡山方面へ進むことにする。
 R30は途中までは流れが良かったが、混雑し始めたのでますます道を間違えたことを後悔する。ガマンして走りやっと岡山バイパスへ入ったが、ここも混雑している。流れが良くなってきたのはその近道が合流する辺りだった。やがてバイパスが対面通行となる。その後しばらく走ったところにある、R2の本道と合流する交差点を直進し、山陽ICを目指す。だんだん内陸に入っていくにつれ寒くなってくる。川沿いの道をしばらく走っていくと山陽ICだ。
 山陽道は多くの車が時速100km/h以上で飛ばしており、私のような鈍行ライダーは完全にジャマ者だ。私は寒さと疲労と横風に耐えながら大阪を目指してひた走る。特に峠が断続的に続く岡山県と兵庫県の県境周辺は寒さが厳しい。そのうち竜野西SAで休息をとも思ったが、ガスもまだある上、距離が中途半端だったのでそのまま走り去る。姫路を通りすぎ山陽道の新規開通区間にはいる。新規開通と言っても開通してもう大分間が経つが、ここを走るのは初めてだ。といっても真暗闇なのでこれと言った感想というものは無いのだが。西宮名塩SAまで走っても良かったが、寒さに耐えきれなくなり三木SAで休憩とガスチャージのため止まることにする。ここでも二輪車専用の駐車スペースがある。またまた嬉しい。
 ここで駐車スペースに入れエンジンを切ってバイクから降りようとすると、寒さで足がこわばっていたので立てずに、よろけて地面にへたり込んでしまった。この寒さは私にも過度の負担を強いているようだった。ここでトイレに行き、暖かい休憩所で寒さでこわばった足をほぐしてから、コーヒーをすすってしばらく休憩をとる。少し長めに休憩をとり、隣りのGSで給油する。伊野からほとんど高速を使っているのでやはり燃費は悪いようだった。
 20時40分頃出発する。もう大阪に近づいているせいか、寒さも一時に比べれば大分ましになってきている。神戸JCTで中国道と合流する。ここまで来ればもう走り慣れた道だ。ここから西宮名塩の急坂を下ってやがてあるトンネルを抜ければ、山の斜面に建っているマンションの明かりがポツポツ見える所がある。これを見れば「ああ大阪に帰ってきた」という感慨をいつも深くする。
 このまま吹田ICまで走り切り、このまま近畿道に入る。いつもなら二輪で近畿道は絶対に通らないが、寒さで足がこわばっており、信号待ちのつま先立ちに耐えられるか分からなかったので、近畿道に入ることにする。摂津南ICで近畿道を捨て、鳥飼大橋を渡ってからR1に入る。ここからはほんの1日前に来た道をたどって自宅にたどり着く。時刻は22時。2日間の走行距離1107kmのツーリングが今、終了した。

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