069 [95/11/09 23:59] POPPO:バイクツーリング報告
11/5、6とバイクで室戸・高知へ行って来た。野宿ツーリングだぞ。西宮でフェリーに乗り、尾崎の故郷淡路島に上陸。本四道路をひた走り、徳島を越え、甲浦の海岸でテントを張る。中学3年の夏休みにここでキャンプしたのだが、海の家がリゾートホテルに変わっていた。
しかしチャリダーあがりのライダーは一味違う。あれ果てた海の家の奥に「リゾート海岸建設中」の看板を越えて、少し芝生ができた所でテントを敷いた。
海鳴りが
どん、どん、どーん聞こえる
満ちる月が
らん、らん、らんらん
水面を照らす
浜辺でバイクとテントが孤独に耐える
秋一夜
(萩原朔太郎風)といった所か。
代理店のおねーさんにこのツーリングのことを言うと「意外とロマンテックやね」と笑っていたが、結構満悦状態。しかし実際は夜中にヤンキー達がやってきて、俺のテントの周りに弁当箱ちらかして帰りやがった。
そして、寒かった。寒かった。
次の日は室戸岬でたたずみ、阪神安芸キャンプを視察・・・せずに桂浜で坂本龍馬資料館でたるんだ精神に喝をいれた。なにか似ているぞと思ったら、ボストンのJ F ケネディ資料館に似ている。サンサンと太陽が注ぎ、海がよく見える最高の場所だ。
帰りは高速140キロペースで帰ってきた。楽しかった。バイクは自転車と車との間だ。つらさも快適さも何もかも真ん中だ。それは素晴らしい乗り物だと思う。
388 [96/07/29 00:25] POPPO:北の国から愛をこめて??
POPPO でーす。
自転車キャンプツーリング中、北海道富良野市からアップします。
今日は「北海へそ祭り」の前日。この祭りは、人々が上半身裸になって、腹にマジックなどで人の顔を書き、街をねりあるくヘンなものだ。藤井が見たことがあるらしい。前夜はコンテストがあるだけ。少し残念。
日曜日に大阪に戻らなといけないのが、悔しいけれど、社会人のつらさ。ザウルス入力は疲れる! キャンプ場は上富良野で、連泊している。今から20km走らなくては・・・。
と7/27の午後8時頃、富良野駅のISDN公衆電話で、もがいていたのだが、オフラインの文章をHPにアップできなかった。俺の知識不足もあるのだが、大変情けない話だ。要は予定通り2泊3日のツーリングに行ってきたのだけど、これがなんとも、怠惰な旅だった。交通費はずいぶんリッチに使ったが、これでは海外旅行の方が安い。詳しいツーリング記を書きます。2泊3日なので、たいしたのではないけど。
7/26(金) 6時に父親に起こされる。前日の天神祭から帰ってきた時に、メモを残して頼んでいた。まだ祭の余韻が残っていて、なかなかツーリングをする気になれない。飛行機も別に予約している訳ではないので、途中でやめてもいいのだ。インターネットの「週間天気予報」HPを見ても北海道は雨だ。やってられないが、いったん決めたのにやめるのも癪である。休みもとったのだし。
出発の朝にツーリングの準備をするなんて、初めてのことで、結構情けない。
荷物の全部を車の中に押し込んで、早速関西空港まで乗り付ける。が、世間はうまくいかせてくれない。渋滞だらけである。高速に乗るまでが地獄で、寝屋川市から脱出するのに1時間かかった。近畿道・阪和道・関空道は160kmでとばして、空港の駐車場に乗り付けるも、9時20分。9時35分、旭川行きの飛行機に間に合わず。
JASの電光掲示板を見ると9時55分の千歳行きがあるではないか。よしよし、これで旭川までは電車で乗り継げる。まさに「飛び乗った」状態。
千歳空港からは快速「エアポート」と特急「ホワイトアロー」で旭川まで。乗り換えの時間がタイトで、自転車など重荷を持った人には苦痛である。昼飯の弁当も買えなかった。腹を減らし、減らし、旭川まで。大学1回以来、乗った路線だが、以前はみんなで、合宿最終うちあげを前にして、雑談をしていた。今回は特急で一人、わずかにまどろむ。
旭川駅に着いた。ここで富良野まで輪行(自転車を分解した状態)のままで行ってやろうかと考えたが、あまりにも手抜きになるため、ここで降りる。雨がやんだばかり。曇天だが、景気はよさそうだ。駅の中のロッテリアで緊急の昼食をとる。女子高生ばっかりだった。5分で食べおわった後、組み立てに入る。ここで重要な工具をほとんど忘れてることに気づく。アーレンキー(内六角レンチ)がないなんて、自転車野郎として最低である。信じられない。かわりにモンキースパナでなんとか組み立てる。モンキーはいかなるときでも万能の道具である。まだ忘れものだけならいいが、余計なものが多すぎた。訳のわからないヒモやら、雑巾やら、袋には閉口した。まとめて「ええい、入れてまえ」で荷造りをしたタタリである。GW合宿の後半にギアがオートマチック状態になる病気にかかっていたが、今回は完治させた。富良野へむけて出発。
蒸し暑いが気温は高くない。やっぱりここは北海道であることを確信する。同時にそれを思い知らされるのが、長い直線だ。緩傾斜の坂や向かい風だと、何10キロも「おつきあい」しなくてはならない。逆に信州のようなヘアピンの坂の方が、風向きが変わる為、案外走りやすいのだ。
気分は去年のカリフォルニアで走りつつ、美瑛町。「丘の町」で宣伝している。確かに地平線近くまでトウモロコシやジャガイモ、大麦畑が広がっている様は偉大だ。国道沿いのセブンイレブンでひとまず休憩。ライダー・ドライバー・そしてチャリダーも立ち寄るコンビニの威力におそれいる。けど、買うものが画一化してしまう危惧もある。昔なら、小さなスーパーにもローカル色が豊かな食材や商品があった。「よつ葉牛乳」なんかがその代表格だったが、ここにはない。
礼文から走ってきた、スーパーカブのおっさんが「今日はどこまで?」「中富良野の森林公園キャンプ場まで」ニフティのバイクフォーラムの中では一押しのキャンプ場だったので、ここまで行こうと予定していた。「寸前の登りが1キロ近くあるで、自転車はつらいと思うよ」しかしそのおっさんは、「ツーリング」に対し、少し自信過剰気味だったので、信用しきれなかった。昔ならすぐに旅人の情報は受け入れたのに。
店横のホームセンターでアーレンキーを買って、ひとまず自転車の組み付けを完璧にする。昔の誰かみたいに部品を落とすなんてことはしたくない・・・。
「丘の町」だけにゆったりとした登り坂・下り坂の繰り返しで結構イライラする。 美馬牛となる所で花畑がある。夕焼けがきれいだったなら、一人ではもったいない光景だっただろうが、曇り空なので、美しさは半減している。とは言っても、花は花、紫・赤・黄・白の花が一斉に咲いている。横の畑でおじさんが手入れをしているのを見ると、これは一つの芸術でさえある。けど闇は近い。自転車なので、早くキャンプ場にたどりつかなくてはならぬ。この時点で既に7時を過ぎていた。
上富良野町の境に位置する「深山峠」を越える。この辺にも峠は存在するなんて、思ってもいなかったので、不意打ちをくらった。たいした標高ではないが、初日だけに疲れる。閉店間近の店に入り、ラベンダーアイスを頼む。以後ラベンダー中毒となり、ラベンダー畑鑑賞だけでなく、ラベンダージュース、ラベンダーシェイクと、皮膚の色が紫になるくらいに堪能した。
ここの家族のみなさんが親切だった。北海道の人々の心は変わってなかった。礼文からのカブおっさんと同じことを言った。「手前の日の出キャンプ場がいいよ」後6キロほとんど下り坂なので、楽勝だ。風呂の情報・ラベンダー畑・道などなど、すべての情報を教えてもらい、下る。ニフティよりも人の声を聞くべし。
少し道に迷ったが、たどり着いた。無愛想な公園管理人が出て来る。「適当に張って」あたりにテントサイトが見当たらないので、場所を尋ねると「そんなもんも知らないの」とあきれるので、ムカつく。「初めて来たんやから、わかる訳ない」と怒鳴ると「そうだな」と反省したようだ。まあどこも公務員はこんな感じなのか。身内に多い公務員だが、みなさんは大丈夫かなと思わずにいられなかった。
少し高台にあるが、金曜日なので、言うほどいない。ここで飯。しかし単独ツーリングで、かつ2泊3日なら、気合の入った自炊も億劫になる。フリーズドライの野菜雑炊を2杯食べる。一人でログキャビンみたいな場所に座って調理していると、飯ぐらいはGW合宿みたいにワイワイやりたくなる。横はバイクのツーリングチームとオートキャンパーで、ガソリンバーナー、ランタンによりどりみどりの食材が並んでいた。
風呂は面倒なので、そのまま寝る。携帯ラジオで、TVチューナーにするとオリンピックサッカー、日本VSハンガリーがやっているではないか。聞きながら寝る。
7/27(土)朝。曇り空だ。うとうとと寝ていた。8時になって、YTV発の「ウェークアップ!」が消し忘れたテレビチューナーから聞こえる。サッカーを聞きながら寝ていたはずなので、おかしいと思うが、なんともわからない。ソロツーリングで初めて、アルコールを持ち込んだ為か。去年のLAの時、毎日バドワイザーを呑まされていたので、今回も我が心をいたわる為に、いや酒を鍛えるべく、呑んで寝た。ともあれ報道の先輩らが、OA中で働いているのに、テントでゴロゴロ。営業で幸せなのかなとつぶやきながら、飯の支度。と言っても昨日買ったパンとカロリーメイトと「味わいカルピス」で朝食は終わる。
日の出キャンプ場を登るとラベンダー園だ。昨日と同じく赤・白・黄、そしてメインの紫が映える。「晴れていたら最高なのだが」写生している人もいる。なかなか良い光景。この辺では高台になる公園なので、上富良野の田園風景が見渡せる。カップル・家族・外国人観光客などと、朝から結構な賑わい。
キャンプ場に戻り、どうするか考える。どうせ一人だし、やれることやるかと、十勝岳温泉まで登ることにする。標高1200m。ここの標高がさっぱりわからないが、1000mはアップするだろうと少し脅えながら、一人だから、早いだろうというプライドもあった。距離は20キロもない。
十勝岳・富良野岳が仰げるひなびた道道(北海道が建設した道)はあまりにも静かだった。ほとんど車とすれ違うことがない。本当の観光シーズンなら別なのだろうけど、山は霞んでいるし、温度もそう高くない。坂はずっと向かい風で結構やってられない。「7%」「10%」さらに、小豆島なみの「14%」の坂を次々と出くわした。北海道でそんな坂はあまり拝見しなかったので、おちょくっていたこともあった。ついにボディーブローが効いて倒れるボクサーの様に、ハンガーノックにやられた。坂の半ばで倒れて、パンを食べることにした。全く体が動かない。
ギアはスーパーローに入れてから本格的に重力と格闘してしばらくすると、キタキツネが道路の向こうでヒョッコリ顔を出している。写真を撮ってやると近づいてくる。たまたまハイヤーでやってきた老夫婦が俺の前で車を止めて、カメラを持ち出している。騒いだ途端にキツネが逃げていった。自転車の素晴らしい点を再認識したが、人間に近づいて、エサを求めてくるキツネというのも、なんだか寂しいものだ。ハトじゃないぞ。野生動物らしく孤独に見つめていたままで欲しいものである。
勾配10%の直線コースを終えて、右に曲がるとようやく十勝岳温泉と白金温泉の分岐点につく。ふもとにホテルがあるので、おしかけると「まだやってません」「食事・入浴・休憩」と看板を出している癖に、昼間は休みらしい。
トイレだけ借りて、また登りに入るところで、おじさんチャリダーと出会う。「14%の坂が3キロぐらいで、十勝岳温泉に行けるよ。押して登ったけど」荷物がえらく軽装なので、俺と同じくベースキャンプ方式のツーリングなのだろう。まあおっさんが、すぐ着くと言ったので、登りはじめる。この辺で気温がぐっと下がりはじめて、雨が降ってきた。パラパラと小雨だが、十分人を走る気力をそぐ。1時過ぎても、まだ飯を食べていない。パンはなくなくった。もう備蓄食料がないのだ。
国民宿舎が見えた。頂上よりも1キロ手前。雨もきつくなった。「食事・入浴できます」の看板・・・、負けた。ここで走るのをやめる。フロントに入り、「飯と風呂いけます? 」昔と比べるとたるんだ旅となった。上まで登らない旅なんて、今まであっただろうか。ともあれ飯と風呂につかる。この国民宿舎、結構露天風呂で有名らしく、週末の宿泊は「満席」ですと言われるようだ。2種類の湯に、外に木の湯舟の露天風呂がある。カルシウム泉が2つと酸化鉄泉。残念ながら男女の仕切りはしっかりしていた。2時前だと言うのに、老若男女問わず、客が多い。たっぷり垢を落として、北海道のアイスを食べながらだべる。ほとんどガキ状態。けどいつまでも遊んでられないので、3時前に国民宿舎をあとにする。雨が小ぶりになったので、一気に下る。下りの速さはおそらく昔のままだろう。
たかが20キロ弱の上り坂で3時間近くかかったことに、悔しさを感じながら、下界に着いた。雨は既にやんでいた。
富良野の中心街まで行こう。「直線・平坦路」20キロない。1時間で着くだろう。実際そうだった。ガンガン飛ばして、田園地帯を走る。結構爽快。風呂上がりに、また汗をかくのも、湿度のない北海道では悪くない。
富良野市街に入ると、いきなりメインストリートらしき所に、「北海へそ祭り」の看板。「車両通行止」で、自転車は極めて走りやすい。俺が来るのを待っていたかのようだった。Aコープに女性チャリダーが2人。なんとなく後輩の女性を見る目のように優しくなれる心。富良野駅。典型的な観光地だ。バイク・車・自転車・列車、様々な手段で訪ねた人だらけである。祭りの前夜祭ということもあって、地元の人らもどことなくせわしない。
「北の国から」のドラマを全く知らない身分でこの地をまっさらの状態でとらえることとなった。正直戸惑った。よくわからないが、旅行者には過ごしやすそうな所だ市内をぷらぷら走り回ることにする。前夜祭が始まる前に、腹ごしらえをしよう。
広告代理店の営業の方から紹介してもらったラーメン屋に入る。安いし、うまい。醤油味のラーメンで、非常にコクがある。麺は普通かな。ここでゆっくり休んで、手紙を書くことにした。E−MAIL全盛のこの時代でも、やっぱり自筆に限る。女性に出すときは特に。
前夜祭は、御神輿担ぎや、「はらはらコンテスト」と言うコンテストで、各自が思い思いに描いた、「腹の絵」を競っていた。地元の営業の若手やら旅行者の飛び入りやら、気合が入っている。北海道の歴史の浅さが作った楽しい祭りだ。内地にある祭りは「米の豊作を願う」「厄を払う」「災害を避ける」などの当時の人々が真摯に祈った思いが祭りの始まりとなっているのに対し、北海道の祭りは、本当の「イベント」である。アメリカ的だなと思いながら、その楽天的な所が本当に好きだ。
富良野駅でISDNの公衆電話があったので、HP実況中継をしようとしたが、失敗したのは、既に書いたとおり。9時まわっている。真っ暗だが、同じ道を帰る。
50分でついた。足がつりそうになったが、とばした。富良野の夜は早い。近くの温泉は10時に閉まる。「入らせて下さい」とあわてて入るが、思ったよりも似た客が多いので、取り越し苦労だった。
なんとか風呂に入れた。一息ついたものの、既に追い出される状態。 結構、悲しい。自転車にまたがろうとするときに、同様の自転車野郎3人が身支度している。装備が軽い所を見ると同じキャンプ場かなと思い、話かけようとしたら、向こうから「旅行中ですか」見事に関西のイントネーションなので、安心した。顔を見ると20歳前のようだ。「そこのキャンプ場にテント張っているよ」
この3人、駅前で寝袋だけで寝るらしい。「若いなあ」と感慨深くなった。みんな19歳らしい。別に自転車が本業ではなく、「一発、北海道に行ってみようか」と言うノリで来たらしい。「駅ネ、初めてなんですよ」「今まで、どうして泊まっていた?」「キャンプ場でも貸しテントがある所ばっかり泊まっていて、今日はどこもダメで・・・」思い切りがいい奴等なので、気に入った。しばらく笑いながらしゃべる。「2泊3日で大阪に帰るんですか」とびっくりされる。まあそうだろうな。「昔は、2週間ぐらい、いついたんやけどなあ」とどうしても懐古調で話してしまう。「へそ祭りって、なんですか」と聞かれたので、一応全部説明する。そして富良野駅でもらってきたパンフレットもあげた。「気をつけてな」「おやすみなさい」 セブンイレブンで「北海道」ビールを買った。おつまみはウィンナー。自転車合宿の時にも役に立ったでかいタイプのものだ。
テントに戻ると横になんと「ランドナー」1台、地べたに転がっている。横の旅人はかつての俺と同じスタイルだ。話があうかなと思いながらも11時前なので、一人でまたチビチビ呑んでもいいなと考え、片づけの支度をしていると、向こうから話し掛けてきた。九州のイントネーションだ。「どこからですか」やせて精悍そうな顔だち。よく見ると互いにビールを1缶持っていたので、なんとなくテントから出て、ランタンを真ん中に置いて、雑談をすることになった。これがソロの醍醐味。ソロの楽しさ。一生ヤメラレナイ。この時はアルコールを呑む事の利点を思い知らされた。
名前を尋ねることもなく、ただ旅の話。「北海道は天気が悪い」「そのうち梅雨と呼ばれるようなる」とやっぱり最初は天気から。その後こいつはスゴイ奴だと思い知らされる。俺より1つ年下だが、インドやネパールにバイクツーリングしたことがある。現地でバイクを買って、横断したらしい。日本に戻ってからは大阪・天満橋の松坂屋のパン屋でバイトをしていたが、金がたまったので、自転車を買って、大阪から北海道までプラプラ走るツーリングの最中とのことだ。「7月の前半は国道1号線で走っていたのですけど、死にかけました。東京に着いてから、すぐに苫小牧行きのフェリーに乗りましたよ」うーん、北海道に逃げてきたと言う所か。実家の両親からは既に見離されているが、なんとも楽しそうだ。
「2泊3日ですか!」と驚かれるのはやむを得ない。「社会人はつらいですね」「気分転換の旅行だから、移動の費用には贅沢をつくしたけどな」と言うのが精いっぱいだった。12時過ぎに寝た。
7/28(日) 朝はのんきに8時過ぎ。旭川16:35の飛行機だから、別にのんきにしていていい。雨が降ったり止んだり。だんだんうっとおしくなる。テントの片づけでも雨にやられて、ストレスがたまる。最後に名前を聞いた。世永(せなが)君。今月中は北海道にいるらしい。また会って話たくなる放浪野郎だった。
帰りは行きと同じ道で帰る。深山峠で、お世話になった御土産屋に入ると覚えてくれた。ラベンダーシェイクを頼むと「楽しかったかね」と話がはずむ。取れたてのトマトも1個丸ごとくれた。ただ日曜日は全然人の数が違う。おびただしいばかりの人・人・人・・・。峠の横にある奇妙な西洋風の建物に入る。「トリックアート博物館」1300円と結構ボッタくられるが、家族・カップルにはそれなりに楽しめる施設だった。ソロでは・・・、楽しくなかった。
美瑛の丘で寄り道する。丘の上に立ってやろうと思ったのだ。ダートをのぼりつめたら、そこは本当の北海道だ。大麦・ジャガイモ・トウモロコシなどなどの畑のど真ん中に立った。見つかったら、地主の方に怒られるのだろうかと思いつつ、写真を撮る。国道沿いのラーメン屋でだべる。ラーメンを食べ終え、結構暑くなってきたなあと思ったら、いきなり雨だ。訳がわからん。セブンイレブンで雨宿り。ライダー・ドライバー問わず、みんなコンビニ押しかけ状態である。すぐに雨がやんだので、そのまま空港まで。空港が高台にあるため、最後は足を完全燃焼状態となり、疲れ果てて3時30分。後は分解作業だけ。ラベンダーとラーメンだけの食生活で、北海道に来た実感が薄い。次はジャガイモやトウモロコシを食べよう。
関西空港の夕景は美しい。もう少し遅い時間に着いた方がいいくらいだった。駐車場に戻り、精算した。14900円。ほとんど「ふざけるな」と言いたいが、これが日本なのだろう。総費用は前の香港の方が安いのではないか。まあ7月の北海道はそれだけ素晴らしかった。花が満開だった。今まで8月の北海道しか知らないだけに、よかった、よかった。帰ってからのりんくうパパラの花火もきれいだ。反対車線は大渋滞だが、こっちは余裕だ。けど、女の子と一緒にこの花火を見てもいい休みだったのだろうかな。西井の携帯に電話すると、大学の15クラスの面々が集まっていた。苗村が結婚したらしい。
まっすぐ家に帰って、寝た。
(短い夏休みのツーリング記 完)
657 [97/05/19 00:56] POPPO:'97OB合宿記録
5/1 朝6時に起きる。7時に出発した。大阪空港までは阪神高速の下の道路をただ走っておけばいいやと思ったが、自転車には苦痛だ。神崎川を北上しようとしたが、行き止まりが多く、迷子となる。情けない。しかし40分で空港に着く。自転車の分解を出発ロビーでさっさとする。まわりの客が物珍しいそうにのぞいてくるのが、快感でもあり、「はやくどこか行ってくれ」とも思う。
熊本空港行き、全日空で1時間少したつと、あっという間に着いた。この空港は去年の部旅行以来で、あまり新鮮でもない。外は暑い。会社を休んでいる密かな罪悪感と、もう誰も俺を引き戻せやしないという確信を抱きつつ、自転車をのんきに組み立てる。 空港11時半出発。ひなびた道をのんきに走る。国道57号線沿いの喫茶店で昼ご飯。ここの店のオーナーはインターネットプロバイダも経営しているようで、客に接続の説明をしていた。トイレにもチラシがあった。飯はウマイ。
このまま高森までつっこむのは、芸がないと思い、カルデラの尾根沿いに通っているミルクロードにつっこむ。ラブホテル界隈を越えると急坂。なぜか熊本の工業団地もある。ハイテク電器工場とコンタクトレンズ用品工場がならぶ。横は「清正公道」の看板と公園。チグハグだか、このあたりは加藤清正がかつて作らせた道路でもあるらしい。今の光景を見たら、清正は何と思うだろうか。
だんだんそんなことを考える余裕がなくなってきた。水分を持っていなかった。自動販売機もない。とてもご機嫌な登坂でなかったが、ノーストップで二重峠の交差点に到着。あまり写真を撮るポイントはない。今回からはインターネットという媒体を使って、世界中に見てもらう写真を撮影するのだという意気込みがあったがなかなかそうはいかない。「大観峰」が20キロ圏内だ。ソロで行きたい。快晴なだけにそう感じたが、みんなと集まって田楽料理を食う誘惑に負けた。食欲にあまり影響されない男だったが、今回は負けた。
登ったり下ったりとダイナミックだが、膝泣かせの道を走り、高森の駅の手前のホームセンターで西井の携帯に電話。「高森の駅や」なんとも都合のいい展開だ。
駅にたどりつくラストスパートで道を間違ったため、自転車をこぎながら、西井の声によるナビゲーションで駅に着く。重装備した自転車野郎が携帯電話を持って走る姿は、はっきりいって変だと思う。「ビジネスマンみたいやな」蔵前さん・大江も迎えてくれた。ここからスケジュールうちあわせ。風呂にするか、キャンプサイトをどこにするか、田楽を食べるか、明日の朝飯はどうするのかとワイワイ打ち合わせする。どことなく我々の決断は泥縄的だ。おおよその方角を決めたら走る。 見晴らし広場で高岳と根子岳が見える。6年前の合宿ではその輪郭でさえ見当がつかなかったが、今回は見事だ。その横の「らくだ公園」をキャンプサイトと見きわめたので、元気な蔵前さんとその高台に登る。西井と大江は見晴らし台で写真を撮っている。「水がでませんね」「自転車を担がな、あかんな」で却下。
キャンプ場へ北上する。「休暇村のキャンプ場は高いかもな」と蔵前さんが心配そうだ。対向車線からどこか見たことのある自転車がやってきた。尾崎だ。「ペンション、そこやで」雑談。どーせ明日から正式に彼も合流するので、日が暮れない内にキャンプ場へ向かう。
南阿蘇国民休暇村キャンプ場にたどり着いた。受付がどこにあるのかわからない。自転車でウロウロして、西井が交渉に入る。係員はいい感じの人で、「田楽料理でおいしい所、近くにありませんか」という西井の質問の嵐も心よく答えていたようだ。西井のグルメ追求の旅がこれから始まる。自転車1張1泊1000円、蔵前さんがどことなく不服そうだったが、「まあいいでしょう」とみんな自転車を動かしていた。
テントを張る作業の後、田楽料理屋に行く。デジカメが活躍した。既にキャンプ場の管理人がその料理屋に電話で一報をいれていたので、楽だった。そこのおばちゃんの孫は吉本興業で修業中らしい。田楽料理そのものについては、他の人が書くでしょう。ともあれたらふく食べて3000円かからなかった。
その後、キャンプ場の横に高森町営温泉がある。400円で豪華な風呂。都心部のサウナ場並みの施設で、我々にはもったいないレベルだ。
キャンプ場に帰る。俺のNTT携帯電話は圏外だが、西井のセルラーは圏内だ。自慢たらしげに、女の子に電話している。なぜか俺がその彼女と話をさせられる。「本当にあなたが悩むに値する男かどうかを考えてから、悩みなさい」と真摯に恋の相談にのってあげると、西井がなぜか怒っていた。
5/2 雨だ。朝食は現役の合宿と同じ、ご飯とインスタント味噌汁とフリカケだ。食べている時は小雨だったが、途中から雨足が強まる。テント収納に時間がかかる。今回もパッキングはみんなの足を引っ張ってしまった。やっぱりランドナーかな。
尾崎の携帯がつながらない。無線を持ってきているようだが、どうもつながらない。昨日の晩から下うちあわせを西井と尾崎でしていたはずだが、ともあれ雨がマシになった段階で、尾崎の宿泊している、「マチス」へ向かう。
尾崎はのんきにパッキングをしてなかった。ペンションのマスターが「中でコーヒーでも」とおっしゃったので、ドカドカとみんなが入る。ここでコンタクトレンズ装着と歯磨き。どあつかましさは相変わらず。
居間の書斎の本が個性的だった。哲学や文学、美術の本がズラリとならんでいる。西田幾太郎の本は大学の図書館以外では普通みないぞ。マスターは自転車の構造にも興味を示して、各人に質問をしていた。こういう生活もわるくないよな。脱サラして。
ほどなくして阿蘇山の登山口に入る。みんなそれぞれのペースで走る。中間地点で少し休憩してから、走り出した時にチェーンが外れた。これでペースが狂ったのかノロノロ登りになる。最後尾の西井にも抜かれた。あー、しんど。小雨もイライラの原因だ。12時過ぎに山頂のレストランに到着、雨は降り続けているが、ちゃんと景色が見える。感謝、感謝。飯にする。西井と尾崎が地元名産の「だご汁定食」にこだわって頼んでいる。まあ名物、名所は制さなくてはならない。この先、元気な蔵前さんは自転車で山頂まで行った。後のメンバーは有無を言わさず、ケーブルカーに乗り込む。どことなく先輩の背中が寂しそうだったが、6年前はこいで登ったから、いいではないのという怠惰心というか、合理的な思考が働いた。正直の所は、ただ単に疲れていた。ケーブルカーから先輩が押して登っているのが見える。「やーい、やーい」とはやしたくなるような、「さすが先輩」と感動の心も・・・。
山頂で西井がクレープを買う。山価格にしては安い250円だったが、中身が山価格を反映したもので、ほとんど何も入ってなかったようだ。山頂の噴火口が見える。6年前来たときは濃霧で何もわからなかったのだから、すべてが感動だ。
草千里に降りる。山や池があるとは知らなかった。写真を取りまくる。今回からはインターネットHPに掲載されることがメンバー全員にわかっているので、なぜか撮影されるとき、みんながタレント視線なのが気になる。
「来年は、鳩野のインターネットHPで一般から合宿参加を応募しよう」と誰かの提案。もりあがるが、勝手に女性が応募してくると思い込んでいる。俺のHPはそれなりに自転車の猛者が見ていることが多いので、「ほっていかれるで」「やめよ」で話が続かなくなった。
阿蘇駅まで下る。このスピードは自分でいうのもなんだが、車より速く降りるくらいのテクニックは持っているつもり。この辺で藤井とどう合流するかが、気がかりだ。携帯電話がやっと圏内となる。藤井の留守電メッセージにみんなが注目する。「12時で、やまなみハイウェイの・・・」肝心なところでテレカが切れる音がして新しいテレカを入れる作業をしている。わからん。「本当にたどりつけるだろうか」
内牧温泉へとりあえず向かう。6キロだが、ほとんど直線道路で奇妙に遠かった。藤井との約束は6時半、阿蘇町役場。4時に着いてしまった。役場の観光課でキャンプ場の情報を仕入れる。プレハブ小屋のような質素な町役場の中は、多くの職員がいた。平日なのだ。西に3キロ程離れた所に「こしき岩キャンプ場」が地図に載っているが、「閉鎖されています」 役場の中に入っている最中に、俺のフロントバックに入っている携帯電話が鳴ったと西井が言う。留守電を聞くと「藤井です。今、内牧温泉入口です。先に向かいます」グッドタイミング! けど標高1000Mアップ、100キロを越える道程をこの時間で間に合わせるとは、伊達に職場のサッカー部に所属している訳ではない。
蔵前さんがこの辺の公園で野宿したことがあるらしいので、その情報を便りに野宿サイトを探しに行く。俺と尾崎は藤井が来るのを待つ。西井は別のルートで野宿サイトを探す。この時始めて無線機が役に立った。別班で行動する時が、この機械の真価なのだ。ただ町役場にパトカーが来た直後に藤井が来た。無線を操っている我々を警察が怪しそうに見ていた。ヌレネズミの貧乏自転車ツーリングの野郎達が無線を使って、「この公園ええわ」なんて会話をしているのだから。
「何も見てない」藤井の一声だ。みんなで激しいルートを走りわたってきた藤井を賞賛しながら、宿探し。小雨が続くが、人がいる。公園にいきなりテントを張るのは感心しない。警察も俺らの無線をきいているかもしれない。とりあえず閉鎖した「こしき岩キャンプ場」付近にいいスポットはないかと探す。途中で「山公園」の看板。高台は人が来ないので、俺を先頭に突入するが、途中で荒道で、山沿いの民家の私道となる。みんな止まって、協議。西井が近所の人に聞きまわる。「こしき岩って、地元の遠足でも行かなくなったらしいで」雨もきつくなってきた。公園でいいかと妥協して、体育館横に自転車を置く。付近を調査。土手下に理想のキャンプポイントが見つかった。その途中で公園によくある木の屋根下にアメリカンのソロライダーが既に野宿体制に入っている。ただなぜか女子高生が黙々と本をその横で読んでいた。異様な光景だった。
自転車は体育館の端に置いた。「今のうちに水をとっておこうか」と5リットルポリタンを持って、西井が体育館の中の洗面所に入っていった。
「ここは野宿できないよ」と宿直のおっさんに注意されたそうだが、堂々と水を汲んで帰って来た。「『ここ』ではしないよ。隣でするけど」とみんな。
風呂に入る。内牧温泉はそこらじゅうに銭湯がある。地元の人も毎日利用しているようだ。幸せな所なのかもしれない。
外に出ると雨が強くなってきた。つらいが、夕食の調理は、土手下だとあきらかにめだつ。雨がきついこともあって、安易に居酒屋に入る。もうOB合宿なのだから、その辺は臨機応変である。「馬刺」「地鶏」と西井がうるさい。今回は「B級グルメ」を極めるらしい。俺が「オニオンスライス」を頼むとみんなから変な目で見られた。
帰ってからは雨の中、さっさとテントを立てて寝る。雨音も眠たければ、子守歌。
5/3 雨音で目が覚める。半端ではない音だ。みんなでテントの中で「あーあー」とわめいて寝るだけ。少しマシになった時に、テントを片づける。パッキングの途中でまた土砂降り。近くの屋根下に入って、雨宿り。
降ったりやんだりなので、思い立ったときに行動しないと拉致があかない。大観峰に向けて登る。藤井がハイペースだ。「膝が痛いから、早く着かないと痛みがひどくなる」12時ごろ到着。完全に晴れ渡っていないが、6年前と比べれば合格だろう。ここでも写真大会、デジカメによる個人撮影も行う。
ここで昼食をとるのは、大したメニューがないのと「グルメ」として我慢できないので、北上する。日田までは下りだ。
下りの絶頂で気持ちいい所で、「豆腐のお店」を発見した。急ブレーキ。みんな不服そうだが、「たぶんいけますよ」と俺。ご飯おかわり自由で蔵前さんが納得していた。この店の中にあった「恋愛の本」を俺と西井は熱心に読んでいた。熊本県人カップルの調査結果がおもろい。ちなみに豆腐ステーキ定食が1200円。量は十分納得できる。味もそれなり面白い。
ここから日田までは下りオンリーかと思ったが、アップダウンのくりかえし、工事中による迂回、連休突入による観光客の車が増えたなどととても気分の良い道ではなかった。日田市には4時頃到着。なんとも理想の行動。筑後川にかかる橋を越えてから、みんなが笑った。「ここの河川敷、いいのでは?!」
日田市の駅の案内所で風呂情報。割引券をもらって、「山陽閣」へ。フロントでいきなり茶菓子が出てきた。みんな腰をかがめて、ばつ悪そうにしているのが、おかしい。ジャージや膝がスリ切れたジーンズの客だが、客は客だ。風呂も豪華だ。ホテルの風呂だから、当然か。
今日は晩飯を作る。メニューは手軽な「焼肉」フライパンの出番である。ここで蔵前さんと言い合いとなる。「焼き肉のたれ」と「もやし」論争と呼びたい。西井は蔵前さん側についた。「焼き肉のたれは2本必要だ」と主張する。俺は「1本で十分足りる」もやしは「1束」が蔵前さん。「2束」が俺。結構ホットになりケンカしていたが、なぜこんなしょーもないことでケンカするのだろうか。
夕食の支度に入る。日が徐々に落ちてくる。いい感じの雰囲気になってきた。そうこれが本当の合宿の醍醐味だが、今日で最終日なのだが、感傷に浸っている場合ではなく、去年も好評いただいた?! MD公開録音のセッティングをする。去年は酔っぱらった前田の暴露話と、蔵前さんの怒涛のツッコミ、自爆タイプの西井や俺が勝手に告白など、聴いたら(実に内輪受けなのだが)おかしくて、楽しめたので、同じことをする。
最初はちゃんと焼肉を焼いて、食う為に、みんなが必死なので、会話がない。俺はMDの調子が悪いので、コチョコチョといじりなおす。時折、三脚を立てて、夕食風景の写真を撮影する。蔵前さんから「落ち着いて食え」と注意される。現役の頃なら先輩の言うことをちゃんと従う「よいこ」(な訳がない)だったので、相変わらずせわしない。そうこうしているうちにそんなに食欲がない。「子供の頃、食べへんかったら、親に怒られたやろ」と藤井から指摘を受ける。「そんな団欒はなかった」と俺がかえす。まあ小さい頃から小食だったので、やむをえないのだが、一般の家ではあまり食べない子供は「ちゃんと食べないと、親があなたにきちんと食べさせてないのではないかと他人に思われるじゃないの」と注意されるらしい。大江までもが言い出したので、なるほどと思ったが、不幸にも我が家では、そうではなかった。俺も妹もいわゆる「赤ちゃん茶碗」を小学6年まで使っていた。
もやしは「少し足りないなあ」と西井。「鳩野の主張があっていたかもしれない」「もやしがあるとフライパンがきれいになる」ということらしい。けど蔵前さんが「現に鳩野が食ってないやんか」と反論をされる。
「焼肉のタレ」も両方半分以上残っていた。最終日は調味料を誰が持ってかえるか論争が開始される。「一人暮らししだした鳩野に」とみんなうるさい。「藤井も広島でしてるやんか」「西井も寮生活になったし」単なるなすりつけあい。
11時過ぎたので、みんな寝支度に入った。
5/4 快晴。文句無し。暑いくらい。サングラス装着。朝の散歩やジョギングしている何人からから物珍しそうに「ここで寝ていたの」と尋ねられる。別に怒られる訳ではないので、快く返事、「そうですよ」
この後は太宰府まで観光スポットはない。甘木で小出からの留守電メッセージを聞く。電話する。「5時にホテルで」ここからは久々の暴走サイクリングとなる。国道3号バイパスを車を省みずに走りぬく。後ろに同期メンバーを置いて行ったが、蔵前さんが緩衝材のようについて来られるので、気遣わずにすむ。
太宰府に12時半着。「地元グルメ」を自他共に認める西井が先頭に昼飯屋を探す。門前街の手前で、西井がとまる。「梅若?」という日本料理屋だ。「太宰府で何が有名?」という西井の質問に、「梅が枝餅かな。菅原道真の『飛梅』がその由来だと思う」と事前に俺が答えていたのだが、この店に止まったのは「梅」がついてるからだけの理由らしい。行った動機は単純だが、ここの飯は豪華だった。刺し身と天ぷらがついて、800円。ご飯おかわり自由。蔵前さんが喜んでいた。昼ビールも入る。現役の合宿では「禁酒」が貫徹していたはずだが、OB合宿なので、別にいいということだ。今日、合流する前田・有原から電話あり。5時には全員集まれる。
太宰府は9年ぶりだ。修学旅行以来。おみくじの値段が3倍に値上がりしていた。10円から現行、30円だ。ひくと大吉。9年前は凶だったから、悔いなし。みんな「凶」はなかった。その後、博物館に入り、太宰府の歴史などを勉強する。
博多までは各自のペースでたどりつくよう勝手に走る。藤井が相当膝を傷めていたようで、つらそうだった。博多駅には3時すぎぐらいに到着。ゴールデンウィークで賑わう街のど真ん中で、自転車ならべて記念撮影して、ホテルへ。
各自自転車の分解と宅配便の手配をする。その最中に途中組が続々到着。携帯電話という強力な通信ツールが普及したとはいっても、何もトラブルもなく、いいタイミングで合流、参加ができるこのスケジュール調整には感心した。
落ち着いたところで、「博多どんたく」を見に行く。ホテルの横の通りなので楽だ。「ミス福岡」をめざとく見つけたメンバーは、彼女に凝視していた。で、「たいしたことないやん」男の悪い性分だ。「博多どんたく」はゴールデンウィーク中、日本で一番観光客が多い祭りらしいが、ノリは単なるパレードとしか思えない。
「はよ、飯行きましょう」と俺が無情に主張する。「せっかくやねんから、見たれや」と蔵前さんが優しい。9人もいるので、屋台ではちょっと人が入らない。中州の魚屋に入る。前田が営業勤務とあって、なぜか注文やビールの手渡しなどは堂に入っている。「かんぱーい」
後は雑談。主題はサークルのメンバーの結婚情報だ。あまり誰もしてないようだが先輩の中には、既に離婚している人もいる。「人生万事塞翁が馬」と心の中でつぶやいていた。元々アルコールに強くないのに、生ビールを2杯のんでしまった。フラフラだ。みんな屋台のラーメン屋に乗り込む。もうお腹いっぱいやで。
西井が屋台の客とワイワイ話している。天性の人なつっこさ。俺のラーメンの半分は蔵前さんが食べて下さった。ありがとうごさいます。
西井と前田が、「ここは中州やで、一発やっとかな」と俺に猛烈に薦めるのが、ストリップ劇場。「俺は行かない。素人で十分だ」「いや、ニタニタしているみんなの顔が見たいんですわ」と中州のど真ん中でみんなでああでない、こうでないと議論。藤井は疲労困憊だったので、すぐホテルに戻った。蔵前さんも戦列から離れた。
俺はこの手のものに興味を抱きそうにないと勝手に思ってた「尾崎」と「大江」の顔色をうかがったが、抵抗の様子がない。むしろ笑っている。有原だけが俺と同じスタンスだったようだ。「まあ、楽しんで来てや」
喫茶店「青山」でお茶をしていたのは、俺と有原だけだった。むしょうにビリヤードがしたくなったので、探すがない。結局キャナルシティと中州の川を見ながら、パソコン講習を有原にして、ホテルに戻る。西井と尾崎と前田がロビーで話している。「おもろかったで」と西井。尾崎もまんざらでないようだ。俺は彼を誤解していたかもしれない。
5/5 みんなダイエーの試合を見に行った。俺は太宰府で感じた9年ぶりの感傷に誘われて、博多港へ行った。修学旅行は壱岐だったので、ここから島へのフェリーに乗ったのだ。当時はフェリーだが、今は高速艇が頻繁に出港している。晴天下、本当にここにもう一度訪れたかった人がいたのになあ・・・。
帰りの新幹線は熟睡した。
Patio 254 POPPO:八重山諸島野宿自転車ツーリング記録
12/26(金)
伊丹空港まで行く。タクシーだ。電車やバスでは全く間に合わない。こんな予定ではなかった。年末のスポンサーあいさつ廻りが順調にいかなかったせいだ。20時発の那覇行きだが、空港に着いてから15分遅れとなることに気づき、アホくさくなる。今回は司馬遼太郎「街道」シリーズの沖縄・先島編を持参する。
那覇は暖かい。タクシーに輪行した自転車などを乗せて、あらかじめ予約していた琉球サンロイヤルホテルに向かう。
次いつ風呂に入れるかわからないので、念入りに身体を洗ってから寝る。
12/27(土)
朝は早い。8時半の石垣行きの飛行機に乗らなければならない。これも移動はタクシー。荷物が多すぎる。飛行機は一応ジャンボ機。JTA(日本トランスオーシャン航空)のチケットは磁気式ではなく、昔ながらの紙ペラだ。
石垣には予定通り9時半に到着。曇天で気分が悪い。ゆっくりと自転車の調整に入る。客が一通り市街地に向かってからは、地元のタクシーの運転手が暇をもてあましている。こちらの方の顔つきはどことなく、かつて訪れた台湾の風貌を思い出させる。
1時間半も自転車の調整にかけてしまった。けど時が止まって感じる。港へ向かう。市街地と行ってもどことなく閑散としている。えらく遠くまで来たもんだと感じながら、郷土料理屋に入る。八重山そばを頼む。内地の人たちは沖縄料理をうまいと思わない人が多いが、このそばもその1つである。私は食べられたら幸せなので、特になんとも思わない。
離島航路埠頭に立つ。ここからは西表島・小浜島・黒島・波照間島など八重山諸島のほとんどの島への船着き場にもかかわらず、どことなくさびれている。「最果ての島」など、観光ツアーの看板も地味に見える。旅行気分にならない。しばらく海をたたずんで見ていた。帰りたくなってきたが、情けないので、とりあえず近場の島に行くことにした。竹富島。古き良き琉球の姿を垣間見る事ができる数少ない島の一つだ。司馬遼太郎も相当この島を気に入っているようだ。
高速艇切符売り場には、「米原キャンプ場、クリスマスパーティー」のチラシが貼られている。午後3時開始らしい。間に合うよう行動する。
竹富島までは高速艇で10分。自転車は船の甲板通路に立てられる。海に落ちそうだが、輸送できた。雲行きが危なくなってきた所で、埠頭到着。港付近だけが舗装されていて、島内はほとんどダートである。赤屋根とシーサーが特徴的な昔の家々が立ち並ぶ。「野宿禁止」の看板がうるさいくらい立っている。まんざら悪くもないなと思ったところで激しく雨が降ってきた。郵便局で雨宿り。レンタサイクルで島内サイクリングしている人たちがカッパを着て強行軍で走っている。そこまでの気合はない。
雨は2時間ふった。しかしこのまま帰るのは馬鹿馬鹿しいので、小康状態の時に出動。「星浜の砂」などをめぐり、ほぼ一周する。
地元の人がぼやいていた。「最近お天道さん、見てない。どこか天気おかしい」
こんな所にもエルニーニョ現象か。
石垣島に戻る。雨は降ったりやんだり。モスバーガーで雨宿り。全く気乗りしない旅行となりつつある。野宿もやってられんとホテルに問い合わせるが、1万円と返事されるとアホくさい。米原キャンプ場をめざす。
高速艇のお姉さんの指示通り、時計まわりのルートをとる。思ったよりも石垣島はダイナミックなつくりとなっていて、勾配がきつい。
川平湾は眺めるだけで通過。途中で横の車から人が乗り出して来て、話しかけてくる。「米原(よねはら)キャンプ場でパーティーやってるから、来てね」車は追い越していった。今回のバーナーは使い慣れたガスカートリッジ式でなくガソリン式MSRシリーズである。灯油でも使える。ガソリンスタンドくらいどこにでもあると思ったが、市街を過ぎてから全く発見できなかった。飯も食えない。最悪パーティーの飯だけを覚悟して、キャンプ場に入る。午後7時を過ぎた。幸いにも太陽はこの時間くらいに日の入りする。
キャンプ場はとっくにできあがっていた。どう見ても清潔に見えない容姿の男どもが呑んで、食って騒いでいる。テントサイトにも釣道具や銛、ウェットスーツなど、相当前から住んでいる猛者どもの集まりのようだ。社会人からいきなり野宿野郎になった身分では、その雰囲気に入り込めないが、おそるおそる入る。
「いらっしゃーい。どんどんやってよー」
会費は? 誰が管理人なのか? 出ている鍋料理等を食べる量の制限は? と色々な「しきり」が全くわからない。戸惑う。その前にガソリンを意地でも確保しなくてはならない。近くの人に尋ねる。
「今日でツーリング終わりなんで、全部あげますよ」とホワイトガソリンを全部くれた。これでガソリンの問題は終わり。次はパーティー参加の順序だ。これも丁寧に教えてくれた。「適当に寄付金にお金入れて、あるもの食べて下さいとのことです」「今日が初めて?」「ええ。ここのしきたりがよくわからない・・・」彼も社会人らしく、それなりに戸惑っている俺に理解を示してくれたようだ。
「ここも長く住みこんでいる人がリーダーしてますよ。北海道のキャンプ場が冬になって、こっちに移っただけと思えば、なんてことないですよ」これでなんとなく体で雰囲気になじんできたが、最後はみんなで踊っていた。BGMは沖縄民謡である。俺は踊っている人にカメラのレンズを向けていた。
12/28(日)
八重山の朝日は遅い。7時過ぎてからでもまだ暗い。雨だった。むかつきながら寝袋の中でゴロゴロしていた。一旦寝込んでから起きると12時半。横のテントの兄ちゃんも寝過ごしたようだ「何時です?」時間を言うと笑っていた。
雨はやんだ。予定は特にない。石垣島一周コースで野生ヤシ林・新空港問題の焦点となっている白保浜、宮良のマングローブ林を見るメドをたてた。今日が米原キャンプ場の最終日。年末年始はキャンプ場が閉鎖されるので、明日みんな追い出される運命である。その後は西表島のキャンプ場などへ「疎開」するらしい。
桃里地区でパンを購入。飯抜きで20キロ走ったら、さすがにしんどい。牛乳と菓子パン1本。店のおばちゃんと天気の話。やっぱり変らしい。「水不足がないのはいいんだけどね」この辺の人たちの言葉はわかりやすい。開拓地のせいか。
白保で食堂に入る。さすがに腹が減ってやってられない。サッカーの中継をしている。白保の浜は曇天の中、全くきれいではない。晴れていたら、エメラルドグリーンの海が拝めたのだろう。珊瑚礁は潜ってみないと素晴らしさがわからないのが現実のようである。
市街地手前から山中に入り込み、キャンプ場に戻る。北海道と似た光景のアップダウンの丘陵地帯を通り過ぎる。畑がサトウキビとパイナップルに変わっているだけだ。沖縄県でも数少ないトンネルを越えるとキャンプ場は近い。
生活時間が狂ったせいか、晩はラーメンのみ。
12/29(月)
米原キャンプ場を追い出される。といっても管理人がいる訳ではない。みんな名残惜しそうにバイクや自転車のパッキングに入る。俺の場合愛着もないので、作業は早い。 今日は有人島で日本最南端の波照間島へ向かう。司馬遼太郎の本でもあるが、「波、果ツル島」から転じた名前らしい。1日3便。11時の高速艇に間に合わせないと当日中に帰られない。今日は完璧な晴れ。この太陽と暑さを待っていた。
10分遅れで高速艇が最南端へ向かう。地理的には沖ノ鳥島だが、コンクリートで沈まないようにしている小島には一般人が訪問する事はできない。それに比べこちらは琉球史にも1頁残し、現在はヤギがのびのびと暮らしている立派なものである。
代船、サザンクロス3号はひどく揺れる。太平洋の荒波のすごさは前々から理解していたが、これは下手なジェットコースター以上に怖い。船酔いする人には全くもって奨められない。船のクルーはニコニコ笑っている。客からは悲鳴が聞こえる。シートベルトがないのが不思議だ。
1時間の曲芸を終え、波照間島にたどり着いた。酔ってしまった子供達がかわいそうだった。自転車はなんとか海の藻くずとならず、ちゃんと甲板の上だった。
日本最南端の碑へ向かう。ここには観光客がちらほらいる。最北端(宗谷岬)や最東端(ノサップ岬)のような賑やかさは全くない。岬から陸を眺めるとヤギやら牛がウロウロしている。海へ向けると当然フィリピン沖が見渡せる。ここで宿の親父さんに待たされている観光客と雑談。「京都から来ました」という方は、「1泊しよう」とうるさい。当日中に帰るつもりでいたが、あのアクロバティックな高速艇にもう一度乗るのは体がもたない。「与那国島」の情報を聞くと「船は満員ですよ。おまけに揺れるし」
「別名『ゲロ』船ですから」。
この一言でキャンプ場を探すことにした。と言ってもここで知り合った人の情報に従い、西の浜に行く。これぞ南洋の海輝きをもった海岸だ。しばらくたたずむ。泊まろう。しかし浜は原則キャンプ禁止だ。シュノーケリングに来たカップルが、「高台に何人かがテントに住みついてますよ」迷わず行く。木々に覆われ、下の土も堅くしまった、キャンプサイトに文句ない場所だ。先達の許可を得て、テントを設置する。
今晩は家から持ち出した食料でフルに料理する。献立はスポンサーからもらったカレーと8月に野宿した時に使った米の残りとスープだ。
このサイトにたまっている1人の男性が俺のテントに来た。
「毎晩宴会しているのですけど、もしよかったらのぞいて下さい」
自分の料理は一通りたいらげた。飯は残ったが、明日の朝飯にする。
それからブルーシートに座り込んだパーティー席におじゃまする。女性が1人いるのにびっくりする。彼女は1/7までここにいるらしい。テント暮らし。バックパッカー、バーナーもちゃんと持ってきている。あまり話さないが、かわいい。鹿児島から来たらしい。みんなからは「こぎれいなおねーさん」と呼ばれていた。
続いてみんなの酒のサカナを一手に作り上げてしまう彼はV−max(排気量1200ccのバイクである)にまたがる。それだけではなく調理師の免許を持っている。名前をいっこうに言わないので、キャンパーネーム「料理長」だった。
自転車で来ていて、ウエットスーツで潜り、魚を取る彼は中部電力に勤める野村さん。栗下さんは大阪の水質検査会社をやめて、徒歩旅行放浪中。「次は絶対自転車で来ますよ」と徒歩旅行に疲れていたようだった。
そしてこの島にいつから住みこんだか、覚えていないというのが、金子さん。みんながリーダー格として一目置いている。野生のパパイヤ・サトウキビの取り方やタコ・イカなどの捕まえ方などをみんなに教えている。
そして私がみんなに崇拝されたものは・・・、天文知識である。絶好の星日和となった今夜は独壇場で、ひたすら冬の星座と南の星々について解説した。「波照間天文館のおじさんといい勝負できますよ」とみんなが誉める。泡盛に調子ついた俺も「一度勝負したいねぇ」南十字星はこの季節は夜明けでないと見えない。しかし台湾でも拝めた竜骨座のカノープス(全天で2番目に明るい)とエリダヌス座のアケルナルと内地では観測が難しい星々が見える。すばらしい。
夜中の0時から遠浅の海にみんなで入り込み、石の裏側にいるタコなどを狙う。みんな食料だと言う認識が高く、1時間以上も海にいたようだが、私は早々に寝た。
12/30(火)
寝過ごした。14時半。空は曇り。泡盛酔いだ。島内をウロウロとする。郵便局で年賀状を書く。波照間空港は閑散としていた。まわりはサトウキビ畑が延々続く。1日1便のプロペラ機が石垣と往復するだけである。
晩飯はラーメンのみ。「料理長」がなんでも作ってくれるがわかっているので、あえて作らなかった。お礼に日本酒を買う。
「鳩野さん、もっといましょうよ」と言ってくれるが、31日には石垣に戻る。今回与那国島は行けないが、また来年来ればいいのだ。
今日は野村さんの誕生日。料理長はホットケーキをMSRのガソリンバーナーで小気味よく焼き続ける。今回俺も初めてガソリンバーナーを使用したが、火力の調整で難儀した。比べて「料理長」はなんなく使いこなしている。
「バースデーケーキです」みんなで野村さんの誕生日を祝った。
最後に年齢を尋ねたのだが、どうやら俺は金子さんの次に年配となるらしい。放浪の世代は確実に若くなっている。
夜中は雨だった。
12/31(水)
残ったガソリンを「料理長」にあげた。カレールーもあげた。9時50分に船は石垣島に向かう。八重山諸島における石垣島は絶対的な首都だ。急いで自転車を船に積む。代船サザンクロスではなく、元々の船だ。これは一回り大きい。最後は知り合ったキャンパーが皆出迎えてくれた。「来年も会おう」野村さんとはメールアドレスを教えておく。「インターネットのホームページにみんなの写真を載せるから」晴れわたった空に海が美しく光っていた。
石垣に着いてからは港前のグランドホテルに向かう。風呂に4日入っていない。いいかげん体が臭い。14000円だが、今までの野宿はすべてタダだ。迷わず部屋を予約する。午後からは、土産物屋やら本屋をのぞく。
風呂ではなかなか石鹸の泡が出ない。サウナにも入る。今年も終わったという感慨はない。テレビを適当にザッピングしているうちに寝ていた。
1/1(木)
大雨。やってられない新年の幕開け。救いは朝のバイキング。徐々に自転車旅行ペースで食べられるようになったところで、お別れか。石垣空港へはカッパ姿。服がボトボト濡れながら、空港着。結局グレー電話が発見できず、繋げなかったCASSIOPEIAをここで使う。年賀メールが何人から来ていた。
大阪も雨だった。幕降ろしもタクシーに荷物をありったけ詰めこんだ。
今年はどんな1年となるだろうか?
(おわり)
POPPO:'98OB合宿記録
5/1
天王寺駅。おニューの自転車に乗った西井が約束の時間を5分ほど遅れて来た。ホームレスの人や通勤客で賑わう駅の西側の中でも比較的ひなびたタクシー乗り場で自転車を分解する。「一回自転車バラしたんやけどな」と言うわりに西井の作業は遅い。チェーンの部分がはみでたので、適当にタオルを巻く。でかい自転車と荷物を行き交う人々にぶち当てながらホームへ向かう。8時2分発の特急だ。
「最終的にはなんとかつじつまあうんや」
弁当をあわてて買いこんだら、列車が動きだした。
新宮の空はどんよりしていた。重い荷物を持って降り立つと海焼けした肌のおっさんが西井の自転車を眺めている。「どこから来たんや」
俺は黙々と自転車を組み立てている。おっさんは馴れ馴れしく西井の新品の自転車をあちこち汚そうな手で触りだした。おっさんに話しかけられないように俺は2人に対し頑なに背をむけていた。
「最近の自転車は(性能が)ええんやのう」おっさんは西井の自転車に感心している。
「昔はなあ、ママさん自転車しかなかった。わしはここから大阪までそれで走ったことあるねんで」
もう1人暇そうなおじさんが来る。西井をリンチするかのように囲う。
「わしは東京まであるよ。しんどかったなあ。鈴鹿峠も走ったことあるで」
OB合宿本隊の自転車は新宮駅前に堂々と駐輪されているのに、まだ合流できない。早く来ないかなと念じた。ほどなくして本隊の蔵前さん・前田・大江・大西の姿が見える。助かった。各人と久しぶりの再会に会話が弾むと、2人の元チャリダーはそそくさと我々の元を離れていった。駅前の弁当を食べる。
「おっかないオッサンらやった。新品の自転車触りまくりやがって。けど鳩野の自転車でなくてよかった。お前やったら、殴っているやろ」と西井。その通りである。自転車に触れられる事ほど嫌なことはない。
雨が降り出した。川沿いの道を走る。軽装備にして最年少の大西が速い。昔なら私のオハコの暴走だが、今回も重装備の為、ノロノロ走行。新車の西井が喜んでいる。「自転車違うと全然速度が違う」
ログハウスの土産屋で休憩。自転車のメンバーの現在の報告などが話題となる。結婚・出産・夫婦でカヌーをしにきた後輩と出会った話やサークル内結婚をした先輩が離婚した後、全く連絡がつかないなど。しかし今回の参加した最年少の大西は全員関心の的だった。気遣いたくなる。
「年齢差のあるこの合宿によく来てくれた。雰囲気はつかめるか。気楽にしてや」
「大丈夫ですよ。合宿の内容は鳩野さんのインターネットHPですべて調査済なんで、だいたいわかります。フランスはいいですね。僕も走ってみたいです」嬉しいことを言うではないか。同期の奴等より細かい点をチェックしていた。
熊野川町飛地で勾配15%ぐらいと思われる登坂が続く。ついに俺と西井が自転車を降りる。「紀伊半島もなめたものではないな」
大西と大江がジワジワとペダルをこいでいる。若いのに勝てない年になったかな。
「荷物の積みすぎやろ」と誰か。
峠に着く。今日のキャンプ地について審議に入る。全員真剣で勝手にしゃべっている。各人がこだわりの野宿スタイルをもっている為、なかなかまとまらない。
観光地周辺にしたがるのが、西井。風呂ありにこだわるのが、蔵前さんと大江で、早めに場所を決定したがるのが、私と大西というところか。前田は「それがええ」と適当に相づちをうっていることが多い。下瀞キャンプ場は道路上の看板にも堂々と書かれているので、施設は充実していると推定されるが、場所が遠い。登坂もありそうだ。みんなあまり気乗りしない。却下。川沿いにダラダラ走るコースを取る。
橋を越えたところの右側に温泉の案内がある。川岸にはテントを貼る車が数台。
「行ってみよう」
川岸までは下る必要がある。トイレはない。温泉の前には朽ち果てかけの公園がある。ご丁寧に屋根となる藤棚まである。ここならトイレ・水道と文句ない。ただ温泉旅館の客室が覗けると言う点で、後で怒られかねない心配があるが、雨足が強くなる。
行動は早い。テントの場所取りじゃんけんが始まる。屋根となる藤棚にはムラがあり、雨漏りのする所と密度の濃い草で雨がほとんど当たらない場所がある。雨のキャンプ生活を快適に過ごせるかどうかを決定するジャンケンは全員真剣勝負だ。
あっさり負けた。「こんなところで運を使ったらアカン」といっても情けない。風呂場ではくつろぐ。これぞ日本のツーリングの醍醐味。一般客の倍近くの時間を自転車旅行者は風呂屋のロビーで寛ぐ。ビールを買う前田と西井。「鳩野は??」
「急性アルコール中毒から間もないので、やめとく」
「紹興酒じゃないとアカンらしいで」と蔵前さんが笑う。「『パソコンたたき』の最新版は傑作やな。会社やったけど、笑わせてもらったで」
公園内の屋根つきベンチの為、雨はしのげて調理・摂食は快適である。ナイフ・ランタン・懐中電灯・コッヘル・バーナーなど団体装備は明らかに現役の頃と比べてバージョンアップされている。
「これで大学で走っていたのと同じ年月のOB合宿しているんよな」蔵前さんが語る。
「飽きもせずようやっとるわ」前田がのたまう。
「フル参加は蔵前さんと大江だけやからね。これからどうなるのかな」と俺。
雨音の中MDの音楽で眠る。
5/2
「はよ出てこい! 」蔵前さんの怒りの声で慌てて目が覚める。「もう飯できているぞ。何時やと思ってんねん」時計は6時40分。俺が死んでいると思った人もいたようだ。
「悪夢だった」もがき続けていたところで起きた。どんな内容の夢だったかは思い出せない。悔しさの感情と怒りで満ちた夢だった。飯は黙々と食べていた。雨がひどく降っている。テント撤去の際、雨とフライシートやルームの外に張りついたナメクジと格闘する。雨はただ降っている。南紀の雨は湿気が多い。風伝峠にさしかかると走行ラインのペースが崩れる。後発の前田のリュックサックが重そうだ。黒のゴミ袋で覆っている為、ゴミ袋が走っているように見える。「ださーい」とみんなが一斉にからかっているが、外す訳にもいかない。西井は透明のビニール袋を靴回りにかぶせて、靴の防水に努力している。「ムレてムレて、たまらん」と言いながら、みんなに同様の装備をお薦めしている。誰もしなかった。
大西がダントツの速さ。「東京でMTB のレースに出場しているんですよ」確かに速い。「荷物軽いだけですよ」と謙遜しているが、どことなく自信に満ちている。
昼飯の名物探しは恒例である。名物はめはり寿司とさんま寿司。これが350円ながら量が多い。みんなもう一品追加で頼む。ペダルの調子が悪い。蔵前さんからオイルとグリスをもらう。グリスを携帯しているチャリダーはそう多くない。ありがたく使う。これがよく効いて治る。単なる潤滑油の不足が原因だったとは情けない。こんなことでは世界を走れないなあと自己嫌悪に陥る。
雨と登坂が続く。42号線もなめたものではない。隊列の差が大きくなる。先頭の大西が見えなくなる。霧も濃くなる。標高300mのアップだ。こんなにしんどかったかなと少し自信を失いつつも、ピークまでノンストップで走りぬき、無心にトンネルを下る。トンネルを抜けるといきなり豪雨。先に見える喫茶店の屋根下で雨宿りする。大西・蔵前さんの次にパスしたようだ。最後尾の前田まで15分ぐらいの差だっただろうか。「きつかった」
カッパを脱ぎ、Tシャツを脱ぎ、上半身裸で屋根下をうろつく。幸い店は2階なので迷惑ではない。通過する車が物珍し気に我々を見つめる。尾鷲市内に突入するまで、アップダウン・トンネル・雨攻撃を3回ほどくらう。体力消耗が激しいところで、雨がやむ。尾鷲のジャスコに流れこむ。「買いこみや」
晩飯の心配がなくなった後は野宿場所の議論。明日には有原との合流がある。できるだけ先に近づく決断で海山町まで走る。まだ17時、日はまだ高い。1回の軽い峠をパス。昨日同様朽ち果てたグランドがある公園を発見した。残念ながら連日の雨で地面が泥状だった。「他に探そう」と駅前に向かう。市町村のメイン駅には地図と店の案内が概ね存在するのだが、ここは無人駅だった。西井が唐突に銭湯とキャンプサイトとなるような所を近所の兄ちゃんに尋ねているが、期待薄。 だらだらと走ると駐在所がある。蔵前さんが飛びこむ。向かいの家の人が出てきた。
「どこから来たの」
「大阪や東京など色々です」「風呂に入れる所と寝る所探しているんですけど」
「うち、入っていきなさい。子供と孫が東京の親戚の家に行っていて、うちには夫婦2人だけだし」エエっと全員躊躇するが、内心大喜びしていた。なんと親切な人だろうか。
「寝る所はこの辺にないで。公園にテント張れるけど雨やし、泊まるか?」「いや、それは申し訳ないんで」丁重に断る。風呂に関しては異議なくお世話になる。風呂の前にテントサイトの設営と晩飯の調理の順番と風呂に入るローテーションを決める。慌ただしい。日も暮れてきた。ジャンケンで大江・大西班、西井・鳩野班、蔵前・前田班と分かれる。残ったメンバーは先に行ったメンバーのテント設営と晩飯の支度にかかる。陸上グランドの走り幅跳びの名残である砂地だけが水はけがいい。テントは1列に並ぶ。
俺と西井が2番目の風呂に向かう。大江と大西は家のおじさんとおばさんからコーヒーをごちそうされていた。「早く帰らんと蔵前さんと前田が風呂に来られへんぞ」
西井が俺を制止する。風呂場で話をきくと「そりゃ風呂入って、そそくさとは帰られへんで」家庭用の湯船なので、1人分しか入れない。俺が先に体を洗って、西井が湯船につかる。「俺らっていつも最後にはうまくいってるよな」「確かに」
風呂からあがるとおばさんにコーヒーとお菓子をいただく。この辺の若い人達はみんな東京へ出て行くらしい。
「あんたたちの年齢がちょうどうちの息子と同い年ぐらいでね。昔はこのへんにも銭湯あったんだけど、過疎化が進んでいるから、10年前くらいになくなってしまって」
「孫達が東京に行ったからねえ、今日はだんなと私以外いないんよ。だから気にしなくていいよ」
感謝感謝。植村さん、ありがとうございました。お礼に酒瓶1本差し入れた。
「本当に親切な人やった。よかった。よかった」「社会人でまだこんなに人に甘えてしまった」「こういう人がいることが、なんか嬉しいな」意見はさまざま。食後の紅茶とコーヒーを飲もうと言う時点で土砂降りの雨が降り出した。各自テント解散。残念。テレビチューナーでサッカーニュースを聞いていると車がグランドに乗りこんでいる。
「警察か?!」みんな警戒する。声の主は植村さん。「下着忘れているで。雨の中大変やな。家においで」下着の主は俺だった。
「すんません。こんなん持ってこさせてしまいまして」メンバーの何人かは「家においで」に誘惑をかられたかもしれない。しかし丁重にお断りした。車のヘッドライトが遠くなった。しばらくして、またライトが向かってきた。「時計忘れていたで。本当に家に入った方がええで、すごい雨やし」時計の主も俺だった。「本当にすみませんでした」
「テントから出た方がよかったかもしれんでぇ。そのほうがまた違う体験ができたかも」と前田。
「そこまでやったら、結構あつかましいで」と俺。
「忘れ物を持って来させている段階で既にあつかましいやろ」と西井。
有原から電話。「紀伊長島の民宿にいます。明日はどうする」
「10時紀伊長島の駅で」
今までの合宿と比べて携帯電話の効果を感じる。西井は彼女に電話。この合宿では毎日の電話を欠かさない。珍しい。植村さん家で風呂に入ったところまで報告している。
「鳩野は彼女に電話しないの」「するよ」
土砂降りのテントの中、携帯電話を持って、身近な人と話すのはどことなく変だ。
「鳩野にしちゃ、熱心やな。珍しい」「そちらこそ」
テントにあたる雨の音が絶え間なく続く。MDの音楽で紛らせながら寝た。
5/3
寝起きはよかった。食料を俺のテントに入れさせられた為である。雨は小康状態。いつ本降りになるかわからない。やんでいる間にテントを収納して出発する。
近くのドライブインで朝食。ウェイトレスがかわいい。「森高千里似や」と前田。みんななぜか納得。そろそろ女性に飢えてきたかな。飯が来る間も彼女をちらちらと見ていたような気がする。朝食定食の後で、アジの開きを食べる食欲旺盛な人が多い中、ごろんとベンチで寝る。ゆっくりと出発したので、有原との合流は当初の10時から10時半に変更する。
天が歓喜の豪雨を降らせる、たたきつける。途中でカッパを着るのもアホ臭くなる。サイクリングとダイビングを同時に体験している。10時35分に紀伊長島駅。有原がヘラヘラ笑いながら待っていた。「天気悪いなあ」豪雨が続く。スポーツ新聞を買う。読むためというよりはむしろ雨対策である。靴の湿気やテントとマットの間に敷く防水用に新聞紙はこの上なく役に立つ。有原に今までの顛末を説明する。
リアス式海岸のアップ・ダウンを繰り返す。足の筋肉にとって大変負担となる。いきなり参加の有原が元気だ。国道沿いの喫茶店に入る。しっかり休憩する。飯の話題はほとんど道の勾配の話。
ここから今日のメインイベント錦峠をアタックする。旧道は車1台のすり抜けが困難な小道で、「これでも国道か!!」と叫びたくなるけど、風情のある道でもある。のんびり左側を走っているところにセダンのじいさんが後ろから派手にクラクションを鳴らす。即マジキレする。登り坂にもかかわらず車を追いまわし、手を振り上げる。車は何事もなかったかのように先に行った。一緒に走っていた大西が苦笑いしていた。
「スカイラインやったら、追いかけて殴ってるけどな」
バイパスのトンネルまでノンストップで通過した。一応トップ到着。続いて大西が来た。新ピカ状態のパイパスを走る車はほとんどなかった。「元気ですね」と大西が有原に声をかける。「有原は日頃から子供相手に体動かしているからかな」と俺。「後で筋肉痛なるような気がして恐いけど」有原。
ここから下りだと思っていた。この辺は「二輪車ツーリングマップ」でも大まかな書き方の為、先が読めない。「とりあえず行こう」さらに道は細くなる。他府県ナンバーの車が道の途中でオロオロしだす。自転車も一時休止。「いったいどこが峠なんだ!!」
パス・ハンティングに躍起となる俺・大西・蔵前さん・有原はさらにピッチをあげる。自転車間の距離も狭くなる。対抗する風を少しでも避ける。後方には前田・大江・西井。おそらく「いつ峠に着くのかな」と思っていたと推定される。
車1台がなんとか通れるトンネルが見えた。電灯が一つもない真っ暗なトンネル。対向車が来たら、自転車が避けるスペースさえないことに気づく。これが本当の錦峠であることに気がついたのは、トンネルを越えてから。「長かった」
南勢町の下りはヘアピンカーブの連続で満喫できそうだとはしゃいだのもつかの間、雨上がりで路面が滑る。防波堤の前で休んでいると追い抜いたはずの軽自動車がそばに停車する。「どこから来たん」人なつっこい声のおじさんだ。白髪混じりで色は黒い。この辺の人だろう。「大阪や東京など色々です」
話題を散々ふられる。「わしも自転車であちこち行ったなあ。えっーと・・・」
際限なく話が進みそうなので、適当に「行きますわ」この辺の人は話好きだ。
幸い雨はやんだ。太陽が久しぶりに拝める。町中には原発建設の促進・反対の看板が多い。リアス式海岸の宿命か。ゴールデンウィークの間は閉まっている店が多く、晩飯の調達に不安がよぎったが、歴戦の合宿を潜り抜けてきた猛者達の活躍で開いてる店を見つけていた。今日の献立の議論。去年のOB合宿で発生した「もやし論争」や「焼肉のタレ論争」がインターネットで全世界に公表されてから、幾分みんなの薀蓄が穏やかになった。また鳩野に書かれてはたまらんというところだろう。
結局松阪肉の焼肉となった。海岸沿いに野宿サイトを探し続ける。日が徐々に落ちはじめる。焦り出す。水とトイレがあることと人気のなさが野宿サイトの基準となるが、これといった候補地が見つからない。リアス式海岸の為、浜辺はなくガケが多い。アルコールが買える場所は少ない。ちょっとした集落でアルコールを買いこむ。そんなことより早くサイトを見つけるべく先に走ろうと俺がわめくが、みんなアルコールの自動販売機に群がっていた。OB合宿は酒も一つの行動基準であることを思い知らされる。ひどい勾配の坂を押し登ってから、時々下り、のち登りの繰り返し。川沿いで度々野宿サイトの検討に入る。却下。農地のそば、私有地ばかりだ。だんだんサイト探しで大西・西井・俺とエキサイトしはじめ暴走する。有原と蔵前さんが後方の大江・前田の間だ。後ろから叫び声が聞こえる。「とまれー」
18時。太陽が徐々に傾く。道端にへたりこんで、乾パンやチョコレートクッキーの交換会。ジュースが単純にうまく感じる。日が暮れてからの野宿サイト探しは気分的にブルーなので、早めにしたいが、疲れは事故の元となる。この休憩はプラスとなる。
登りつめた峠がいくつになったか、わからなくなった。しかし確実に浜辺のある場所まで来ている。観光案内の看板に「相賀浦展望公園」がある。地図で確認して3km程度か。「ここで決めこみませんか」と俺。
リアス式海岸特有の中途半端ないやらしい坂を一登りしたら、そこは集落。カキと真珠の養殖場の典型的な姿だ。19時台になろうとしている。展望公園は急坂の上にありそう。ただ下からはその姿が見えない。みんなの不安がよぎる。「あれ登っても水なかったら、悲惨やで」「防波堤裏の浜辺でいいのでは」「水は??」「墓場がここにあるから、その水を使おう」「えっ、それはちょっと・・・」「墓場の水でも、水やで」
意見対立。墓場の水を使って問題なし派は俺・大江・大西。後は躊躇していた。西井が「手前の保育園の方が使い勝手いいで。戻ろう」
水は確かにある。次は防波堤を間にして、海側でテントを張るか、保育園側で張るかが問題となる。海側は風が大変強く。調理の困難さとテントが飛ぶ可能性がある。保育園側では電灯が煌煌と光っていて、風もなく便利だが、人目に一発につく。そして子供やおっさんが散歩していた。議論の結果、海側に張ることになる。
雑草がほどよく生えていて、テントを張るには文句ないと思っていたが、奇妙な匂いが漂い、風が強さは予想以上だった。テント設営に難儀する。調理場が風をうけない態勢で、かつテント内にできる限り効率よく荷物を置いてテントが飛ばないようにする。水場は保育園と遠いので、5L・2Lポリタンが活躍する。
7時になると急にサイレンが鳴り出す。保育園一帯が一斉にライトアップされる。
「避難訓練を始めます」海辺にテントサイトを決めて助かった。内側だと、地元民の見世物となるところだった。 恒例の晩飯の会話MD同録は中止する。風が強すぎる。飯の後はほとんど猥談しかしてなかったような気がする。ようやく雲の切れ間から星が見える。春の星座解説もするけど、誰も聞いてなかった。
5/4
晴れた日の野宿は最高だ。特に朝を急がなければ、更に良し。といっても団体旅行では「起きろー」と単に起こされるのか常である。朝飯を作る。
自転車の荷造りを終える。ようやく晴れたので気分が相当楽だ。
伊勢市に向かう峠では大西がぶっちぎって走っていた。トンネルを越えてから、オヤツとパンをみんな食べ始める。俺はカロリーメイト1袋のみ。「食生活が貧しいで」と前田と西井に指摘される。みんな朝飯あれだけ食べたのに、なぜあんなに食えるのか不思議だ。毎度の合宿で思うことである。俺が小食すぎるのだろうか。
伊勢市内はやたらと鰻屋の看板を見る。近くの1軒に入る。うなぎづくしの定食で値段相応(1600円から2000円)だった。この辺でやたら眠気がする。しかし観光の為、伊勢神宮内宮へ向かう。坂がダラダラとあり、ストレスがたまる。日光がここに来てやたらと照りつける。ゴールデンウィークのラストの日とあって、道路は観光の車で渋滞している。自転車はこういうとき得だ。渋滞の列をすり抜けながら、毎年痛感する。
神社内を「テントサイトにいいなあ」と思いながら、うろつく。参拝境内では皇宮警察職員が観光客を見張っている。ここは神聖な場所らしく、撮影禁止の看板が立っている。その横を外国人が堂々とカメラを持って構えているのが不思議だ。俺も隠し撮りする。職員に睨まれたので、あわてて出て行く。
伊勢市駅で車で来た尾崎と合流する。携帯電話で場所の確認しあうにもかかわらず、顔をあわすのに若干苦労した。フロントガラス越しに見える尾崎は涼しい顔だった。カーナビをVICS対応にしたせいか、心なしかはりきっている。
ホテル前の駐車場で自転車を分解、宅配便で送る。「ガムテープ」「ダンボールくれ」事務的な作業の会話が飛び交う。「今年も合宿が終わった」という充実感と、宅配便で運ばれることによる自転車の損傷を危惧する不安感がふと心をよぎる。
晩飯は探しまわったあげく、呑み屋となる。去年が博多と大都会だっただけに、去年も参加したメンバーは物足りなさを感じているようだった。酒宴のネタは専ら女性陣の参加について。「朝まで生テレビ」調に延々と繰り返される。酔っぱらいの携帯電話の話相手となって巻き添えをくらった、辻さんは可哀相だった。自分から電話していうのも何だがごめんなさい。後輩達も結婚・出産と人生の歩むべきコースにさしかかっている1998年現在、この酒宴に参加していた8人は何なのだろうかと褪めた気持ちと単純にこのままでいいんじゃないかという気持ちがよぎる。合宿の終わりは相反する感情が様々な形で交叉する。2次会は学生の頃のようにカラオケボックスだ。懐かしい歌や最新の歌やらで、みんな芸人化していた。
5/5
朝起きた時は既に同期の4人しかいなかった。有原・尾崎・西井と喫茶店のモーニングを頼む。伊勢山田駅で西井は突然「電車で帰るわ」彼女と会うのだろう。
実は俺もその予定だったが、夕方なので、尾崎の車でいいかと彼を見送った。
伊勢外宮へ行く。内宮よりも規模は小さい。ここも参拝境内は撮影禁止である。内宮と違って警備は緩い。帰りの伊勢道はこんだ。VICS対応の範囲ではないので、あまり役に立っていない。大阪市内に入ってようやく表示の数が増えたけど、ゴールデンウィーク最終日の大阪市内はたいして渋滞していな。自分の所有物でないので、偉そうに書けたものではないけど、全く買う気にさせられないカーナビである。
昼飯は俺の家の近所のラーメン屋だった。既に西井の寮に宅配便の荷物が届いていた。1人で取りに行った。晴れた日の昼下がり、ふと考えた。来年は本当に女性陣が合宿に参加するのだろうか。
(終わり)
POPPO:'99OB合宿記録
4/29
今回のパッキングは準備をかけた。理由はデジタルビデオカメラのためである。これだけで充電器具などが付加されることで更に重みは増す。そして高校の同期の結婚式が今日だ。スピーチの準備はあわただしいものになったが、とりあえず7時ごろ戻ってきた。
大阪南港まで走る。夜の大阪もいい気候で走りやすい。大阪ドームでは、天頂へ向かってライトが走る。幻想的だが、撮影せず通過。この態度が後々の合宿のカメラ裁きだったような気がする。今までみたいに几帳面に記録を残さなかった。
40分ほどで南港到着。誰もいない。その間は音楽を聞く。物好きにかった、Diamond のRio だ。MP3 形式に変換したのは、ミーハーにも最近の邦楽ばかり。宇多田ヒカルに、椎名林檎。中にはコルトレーンのジャズもいれたが、これは就寝時に使用する。MDよりはるかに軽く、自転車ツーリングに向いた音楽ツールである。
9時ごろ、蔵前さんと澄川君が現れる。実は澄川君の印象がほとんどなかった。(現役では入れ違いになっている。)さわやかな奴じゃないかという第一印象だったが、この後これのイメージが違うことがわかる。
ほどなく大江登場。4人そろったところで、1年ぶりの再会と新メンバーの参加でもりあがる。船の中でもわいわいと話す。しかしこのエンジン騒音は並大抵のものではなかった。蔵前さんは眠れなかったようだ。
4/30
中学3年の時にキャンプでこの船に乗った以来で、甲浦港を降り立つ。自転車の前輪がなぜか外れる。ビデオカメラも落ちた。あーあ。不吉な序幕式だ。待合室で蔵前さんから「サッカーマガジン」を借りて読む。腹が減るので、喫茶店に入る。思ったより辛いカレーだった。パッキング時にはなぜか犬が俺になつく。写真を撮る。出発は6時30分。走り始めたら、昔バイクツーリングで野宿で使用した甲浦の公園が整備されていた。さらに野宿ベストポイントになったようだが、早朝では使いようがなく、通過。1人のMTBツーリストと出会う。しばらく話していたが、年寄りのペースにはあわないようで、抜いて行った。実はこの後もよく会っていたが。
室戸岬ではそれなりに時間をつぶす。晴天の海岸コースは思ったよりも風がきつい。ここまではフォローだったが、この先、高知まではほぼ向かい風だ。本日の予定は安芸までだったが、高知まで一気に行く決断をする。高知には後輩の前田が住んでいる。安芸には午後3時通過。一気に高知市内までと思うが、大江が思ったよりも疲れているようだ。
何回か休んで、前田の家にたどりつく。メンバーの家に宿泊するパターンは過去の合宿ではない。この日の晩は営業のプロ、前田の知る「接待」コースとなる。かつおのたたき・刺身コースとバーとスナック。ここのお姉さん達は酒が強い。前田が行きつけているうえに、彼の社交性がなせる技か。ママさんも愛想がいい。酒の強さとノリは他県の酒豪でも一目おくべきものである。俺はギブアップして、途中で寝ていた。蔵前さんと前田は3時前までやっていたようだ。他のメンバーは2時にはおやすみした。4時から起きた状態だっただけに、ま、走る以外にもみんな元気。この後が楽しみだ。
5/1
9時ごろ起床。みんな怒涛のような酒浴びで、目がうつろである。特に俺。前田は動く気配もない。9時45分の飛行機で東京から高知に飛んできた大西を迎えにいく。前田の車にのせて、この自宅で組立てさせる。現役の合宿では想像もできなかった合流の仕方を簡単にこなしている。携帯電話の効用も大きい。
昼ご飯もかつおのタタキ定食。うーん、グルメの旅。ここからは走りの本番・・・、にならず、前田君お奨めの園芸農場団地に行く。ここでトマト・メロン・イチゴを堪能する。トマトは甘い。高知県特有のトマトだ。
根曳峠まではハードな登り。私は「ブービー賞」前田の次に後ろだ。荷物が重い。やっぱり老化かね。大江がこの日から調子を取り戻している。大西は去年同様速い。大豊町の中心部に至るまでにブレーキの片効きの為、下り坂なのに、一つも速くない。下りだけが、唯一の楽しみなのに。下るときはみんなの自転車を重量でぶっちぎれるただ一つのひとときなのだ。昔からそうだったのだが、これではただ単に遅い自転車。道の駅で独りで修理する。みんなは先に夕食とテントサイトの捜索に走って行った。案外この一人だけの時間が好きだったりする。
町で唯一といってもいいスーパーで買い物した後、テントサイトを決め込む。川の下にある道路。通行人or車の可能性があったが、ほとんど行き止まりなので、決断する。今回は水がない。5Lポリタンクでスーパーの水道から借用する。今日はキムチ風味の鍋料理。ビデオカメラもまわした。どうもみんなカメラを気にするせいか、よそよそしい。最近のにわかアウトドアブームに対する意見など。ビデオカメラを切ると思いっきり猥談だった。
5/2
なぜか約束の6時に目がさめる。みんなが驚く。「鳩野さん、早いですね」俺にしては早いのである。しかしボケている状態は相変わらずで、洗い物をしているときに大型鍋(団体では米炊き用として使用)を急斜面のドブの中に落としてしまった。カラカラーと鍋が転がる。「おいおい」「どうしました」みんな焦る。米が炊けなくなるからだ。取りに行く。自分の愛しの鍋でもある。1995年のOB合宿の為に買った鍋をこんな汚いドブで葬る訳にはいかない。サンダルはいて、ジャージをましくあげて、ドブをよじ登る。汚いわ、臭いわだが、田舎のドブなので、まだ救われた。鍋が救出されたときまでビデオカメラで収録もされ、「奇跡の生還」シリーズに投稿できそうな内容に…、仕上がってない。朝一番に疲れた。
上のスーパーでは朝市がやっている。マグロの刺身を買う。地べたに座って、「うまい、うまい」と食べる。市場のおじさんも見に来た。
大歩危の駅で、有原・西井と合流する。二人とも既婚者、新婚ホヤホヤだが、この合宿に参加してきた。今後のいい見本となるだろう。ここで今回の役者達が揃ったところで、恒例の「団装じゃんけん」大会が開催される。団体装備のふりわけのじゃんけんである。現役の頃は下の学年がハードで持ちにくいものを持たされる傾向があったが、OBではすべて平等である。毎回の合宿で何回じゃんけんしているか、回数を数えていれば、たいそう興味深いものかもしれない。今回は前田が弱かった。
大歩危の祖谷(いや)そば屋に入る。あまりうまくない。近くの川辺で遊ぶ。階段の上り下りで「足、痛たぁ」「筋肉痛やな」と言う割には、なぜか歩き回る習性と、水辺があるとそこにつかる癖が、我々にはある。
写真撮影で突き飛ばされ、ジャージがびしょびしょになった。他に西井・前田が被害者である。「いじられキャラ」は昔とあまり変わらない。
ここからはひたすら登り。強烈な日差しに強烈な勾配。久々の難関である。かずら橋は大混雑。自転車すりぬけで飛ばす。橋の上も人がおろおろしている。外側で撮影とあめご塩焼きで休憩。キャンプ場の選定に入る。当時は喧喧諤諤と議論されるのだが、今となっては走り終えたところが寝るところだと思う。
東祖谷青少年村まで登る。結構きつかった。風呂は4人・4人で分担して入る。今晩はテントサイトで、水道・トイレ完備。助かる。今晩は白味噌ベースの鳥鍋。ビデオカメラもカメラもテントから持ち出す元気はなし。というより、かえって何もないほうが、そのときの話題がおもしろいのではないかと疑念を抱くようになった。有原・西井の新婚生活話などもあり、年月の経過を感じるしみじみとした・・・、ものではなく、相変わらず猥談とサークルの将来とこの合宿について語っていた。なぜか互いの仕事の話というのが出ない。標高は700m台のせいか、相当に冷える。シェラフカバーを出して寝た。
5/3
筋肉痛と全身がだるい。約束の7時起床から30分遅れる。「いつも並かな」手荒いあいさつ。既に食事の準備ができている。
東祖谷かずら橋は人数も少なく、野猿といって、人が紐を引っ張って動かす空中の籠が設置されている。対岸まで行ける輸送手段として昔は使用されていたが、現代の我々はこれでタイムを競う。2人*4チーム。いい年したメンバーだが、まだ遊べる年代だ。きっとみんないい父親になるだろう。
ここからの登りもきつかった。見ノ越峠は車がいっぱいあった。ここから剣山へのリフトが豪快に接続されている。降り立ったら、ここからは登山である。なめたものではなく、疲れきる。高校の時、山岳部出身の西井が元気だ。撮影係として後ろをフラフラ歩いていたが、山岳ドキュメントのカメラマンが偉いなあと休憩するたびに思う。30分ぐらいで頂上到着。
頂上では猛烈な風だ。雲もでだした。さっさと撮影を終え下山。この後もしばらく登りが続くが気力で突破、その後は猛烈な下りだが、車が前でノロノロ走って、苛立つ。西井としばらく二人で後ろを煽っていたりする、マナーの悪いダウンヒルだった。 下りは一番に到着してから、後ろからやってきた西井がニヤニヤしている。「これ、途中で落としていたで」黒いものが見える。財布だ。どうやら下りの道の段差で飛んで行ったようだ。今後は用心する。
一宇(いっちゅう)村は、蔵前さんが9年前にあった現役時のゴールデンウィーク合宿でも泊まったところだ。そのときは寺におじゃましたらしいが、今年もその戦略をとることになった。おそるおそるお願いすると、物腰穏やかそうな住職が「どうぞ、どうぞ」なんなら中に入りますかというが、今日は焼肉?!なので、「外にテント張らさせて下さい」最初は寺で焼肉を調理するのもどうかと思い、横の学校に行こうかと思ったが、俺がお願いついでに切り出した。「不謹慎ながら、焼肉なんですが、調理してよろしいでしょうか」「どーぞ、どーぞ」
屋根つきガレージの下で、即席のテントが張られる。雨が降り出した。晩御飯の時はまたやんだ。相当量の肉と野菜を買ってしまったので、次の日にも持ち越し。俺は途中で食べてなかった。相変わらず小食である。
5/4
どしゃぶりの雨。昨日余った肉と野菜でとりあえず食えるものを作る。有原が「男の料理」と命名した。ただ全部鍋に入れて煮込んで食材を柔らかくしてから、それを焼肉のたれで食べる。または塩・コショウで味付けしたスープと一緒に食べる。テントの収納や食事が屋根の下でできることに感謝する。トイレも感謝してます。みんな食べている量が普段よりも多いからな。
ひたすら雨。向かい風もかなわん。今日はほとんど観光がないので、走るだけ走る。高松駅の手前で前田が推薦するうどん屋に入る。パチンコ屋の横というのが、いかにも前田らしいチョイスだ。しかし看板には「今日のうどん玉は切れました」
次のうどん屋は傑作だった。国道11号線を少し外れた完全な住宅街の中にある。村上春樹が「辺境・近境」で紹介したようなうどん屋である。だしはセルフ、2玉でも250円。コロッケが売られている。いわゆるディープな香川県のうどん屋である。本当は既に4玉しか残ってなかったのだが、我々の為に新しい麺をついて下さったおじさんに感謝。冷え切った体には最高の食べ物だ。讃岐うどんはみんな、病み付きになった食べ物の一つであろう。私の場合は昔から好きだが。大阪のものよりランクがすべて違う。
ここのメンバー、うどんには相当うるさい薀蓄を持って、家に帰っただろうな。ホテルでは事務的に宅配の手続きなどをとっている。今回は大阪まで走って帰るので、何もしない。風呂に入って、宴会モード。過去最高の12人+特別ゲストが参加した。カラオケでもみんな相変わらずハイピッチの芸人化していた。
5/5
10時起床。眠い。居残り組はロビーで私を待っている。自転車にまだ乗るは有原と私のみ。蔵前さん・前田・大西・大坂は電車で屋島の四国村に行く。「わらや」実はここは別のメンバーで訪れているのだが、それなりにうまいのと有名なので、行くことにした。さすがゴールデンウィークだけに相当な観光客だ。うどんを食った感想は「昨日の昼の方がうまいかもしれない」釜揚げうどんはうまかったが、醤油うどんが少しのびていた。
この後は屋島ケーブルカーに乗る。結構標高差がある。頂上は思ったよりも周回コースとなっている。帰りのフェリーと飛行機のことを考えるとそうゆっくりしてられないので、レンタサイクルを借りる。急遽結成されたレンタサイクル部隊に、ここのおばさんは丁寧すぎるぐらいのアドバイスをいただいた。大西に至っては、「あんたいいとこの子やから、自転車乗ってないでしょ」とまで言われる始末。スタンドの立て方でもたついたぐらいで、そこまで言わんでも。今までえらい距離乗っていたメンバーにここまで言えるおばさんはいない。4Kmの周回コースを25分で周り終えた。大西はまだケープルカーのおじさんにも話しかけられ、モテモテだったようだ。
「今年は一斉にみんなで集まろうか」という意見が出された後、別れることになった。有原とは自転車で神戸まで。昔みたいに青木ではなく三宮のど真ん中に船が着く。俺にとっては少し困った変更だ。
船の中は大混雑。地べたに座っている人多数。
神戸に着いたら、雨が降ってきた。15分ほどで着いた有原の新婚宅におじゃますることに。大阪まで走るのは面倒なので、有原の車の中に分解して入れた。夫妻と食事をして、大阪の私の自宅まで送ってくれた。最後まで走ることはやめてしまったが、新婚家庭の様子を垣間見て、いい体験にはなった…、かな。
近場の合宿地も味わいがあっていいものだ。安くすんだ。
(終わり)
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