9/2
7時40分に新大阪駅に到着。担当取引先がこの界隈に多いが、今日から休ませていただきますと念じながら、自転車を分解する。湿気と暑さで汗が吹き出る。たかが自転車分解しているだけなのだが、実は急いでいる。8時18分の「はるか」で関西空港に向かわないといけない。旅行会社のお姉さんが、「飛行機の出発2時間前に到着しておいて下さい」という言葉を従っただけであるが、最悪ダブルブッキングで乗れないという不安があるので、早く現地に着くに越したことはない。
分解した(輪行)自転車を持ち上げたら、「改札抜けたら、猛ダッシュ」
特急券もないまま「はるか」に乗り込む。がら空きなので、適当に座る。やってきた車掌から特急券を購入する。
搭乗するエールフランス航空は日本航空との共同運行便である。関西空港の4F、日本航空の窓口をおそるおそる入るとエールフランスのマークが小さくある。わかりにくい。輪行自転車の真ん前に「Velo」「This is a bike」「Fragile 」とデカデカと書かれているダンボールの手製ステッカーを見て、荷物預かりのスタッフのお姉さんが笑っていた。自転車を航空会社に預ける時、一抹の不安がよぎる。パリ・シャルル・ド・ゴール空港で乗り換えてニースまで行くのだが、ちゃんと荷物は転送されるのだろうか。
そんな心配の前に飛行機持ち込み荷物の所でひっかかる。工具関係とアウトドア用に用意していたガスバーナー、そして果物でも食べようと持っていたナイフが探知器にひっかかった。
工具は「空気入れです」「モンキースパナです」と説明しながら、クリア。しかしナイフは、現地空港で引取申請書、バーナーは放棄宣誓書を書かされた。初日からイヤや感じ。
11時40分。定刻より10分遅れて離陸した。エアバス340。席の広さに感動する。「飛行機の中で出会いがあるかも」と取引先の女性から、からかわれていたのだが、隣は40過ぎの厚化粧のおばさん。香水の臭いもきつい。窓を眺め、写真を撮るだけの12時間。シャルル・ド・ゴール空港の乗換えだけは絶対にミスしてはならぬと、機内に備えてある雑誌をしらみつぶしに読む。フランス語と英語が併記されている。今回はフランス語圏しか旅行しないので、念のため日仏辞典を持参した。数詞を声に出さず、唇を動かす。60進法にはマイッタ。中国語・韓国語は日本と同じ10進法なので、なんの抵抗もないが、これは初めて。全く覚えられない。紙に数字を書いてもらうか。 冷戦崩壊のありがたさが身に染みた。シベリア航路でダイレクトにヨーロッパに行けることで、相当の時間短縮となる。
期待の機内食は、全く普通だ。エコノミーだから、航空会社によってそんなコロコロ変わる訳ないのか。食ったら、すぐ寝ていた。なかなか飛行機では寝付けない方なのだが、この日はよく寝た。起きた時は既にモスクワ手前だった。
シャルル・ド・ゴール空港に予定通り17時40分に到着。乗換えで遅れたら、洒落にならない。乗り継ぎ便航空会社は客を一応待ってくれるらしいが、荷物はどうなるかとなるとわからない。思ったよりものどかな空港だ。シャトルバスに乗って、ターミナル2Aから2Dに移る。空港内では新聞無料サービスがある。と言ってもキャビネットに新聞が差し込まれていて、勝手に取って行く形式だ。フランス語の新聞しかない。「ル・モンド」「フィガロ」誌をハッタリで取る。誌面の大部分がダイアナ元皇太子妃の事故関連で占められている。パリが現場だから当たり前か。しかし自転車に乗る身分で一番気になるのは「天気予報」。
これは簡単、絵入りだから、誰でもわかる。ニースは雨後晴となっている。微妙だ。 ニース行きの飛行機は離陸準備直前に気分を悪くした客が出た為に、40分遅れの19時05発。こっちが遅れるのは別に問題ないが、日が暮れるのだけは避けたい。ここからは日本語の案内がなくなる。これは当たり前だが、国内線なので英語もなく、少し慌てる。緯度のせいでまだまだ日が明るい。
ニースには8時30分着。雨上りだ。既に暗い。ターミナル1の奥の道路沿いに事前に予約していたホテルのネオンサインを発見する。「おろしてくれ」とわめきたくなったが、飛行機は無視するかのように、新設のターミナル2に着陸した。 荷物受取所でオロオロしていた。自転車はどこで受け取れるのか。少なくとも日本ではベルトでやってくることはない。しかしなかなか来ない。こういう時には誰かが助けてくれるようだ。ある紳士が近づいてきた。フランス語なまりの英語だが、その方がわかりやすい。「パリ経由の乗換え客ですか」「はい」「横のベルトだよ」「ありがとう」
なんと自転車はベルトコンベアに堂々と乗っている。幸いダンボールの但書ボードが上なので救われた。荷物タグのチェックはなし。実は入国審査もなかった。本当にこんな体制でいいのか。スタンプも押されなかった。確かに空港のまわりはEU発足でもりあがる看板や旗が目につくが、いくらなんでも。
次はホテルの行き方だ。場所はわかったが、距離の検討がつかない。案内所に尋ねる。「シャトルバスがタクシー乗り場の向こうにつくから、待ってて」5分ぐらいで迎えに来るらしいが、15分経っても来ない。あわてて案内所に戻るとおばさんが「まだ来ないでしょう。少しかかるみたい。この人と一緒に行ったらいいよ」羽振のよさそうなフランス人ビジネスが傍に立っていた。英語で「今日は大変だ。悪夢のようだよ。パリに帰れなくなった」と苦笑している。モナコ出張だったが、帰りの飛行機がバカンス帰りの客の為、満席だったとのこと。「予約していたのに航空会社がダブルブッキングしたんだ。困った話だ」
「TGVはどうなんですか」と尋ねると「遅い。ニースからでは7時間かかる。夜行列車なら10時間。車を空港に置いているんだ。今日はニースで釘づけで、航空会社に文句言ってただけだった。疲れたよ」「私も日本からの乗換えで疲れました」「そうだろう」と2人でシャトルバスを待った。おじさんは明日の7時、パリ行きの飛行機で帰るらしい。
「5分後」と案内所のおばさんは話すが、ノボテルホテルのシャトルバスはさらに10分後だ。ラテン時間だと理解する。カップルのバックパッカーには「自転車で、すごい」とほめられる。「Velo」とフランス語で表記したのが、結構あちこちでウケた。 ノボテルホテルのフロントでもしかり。完璧な英語だったので、すんなり入った。部屋は豪華。チャリダーにはもったいないレベルだ。まあ初日だからいいだろう。寝る前に自転車を組み立てる。
9/3
8時半、部屋に朝食が届く。いわゆる「コンチネンタル・ブレックファースト」と呼ばれるものである。パンが3、4つにコーヒーまたは紅茶、ヨーグルトや果物のデザートがついている。十分腹がいっぱいになる。フランスパンは予想通り文句なしのうまさ。フランスのパンというのは日本人にとっての米だろうから、これがまずいと客も逃げるだろう。
自転車の手入れを少ししてから、チェックアウト。太陽の光が反射した海がまぶしい。右側に出ようとするが、海辺の幹線道路は片道3車線、車が100キロ以上で走っている以上、横切ることは不可能だ。逆行で近くの横断歩道に向かう。しかし1キロぐらい走り続けてしまった。今回は自転車にスピードメーターをつけた。学生の頃からつけていたのだが、クロスバイクになってからはごぶざたしていた。
あこがれのコート・ダ・ジュール、トップレスのお姉様方がぞろぞろと・・・と男なら誰でも想像する妄想を膨らませながら、市街のプライベートビーチをゆっくりと走り、視線を浜辺に向けるが、ジョギングのおっちゃんと、犬の散歩をしている様々な世代の人たちばかり。時々ローラースケートをしている若者、ベンチにゆったり座っている老夫婦など。
「トップレス美女はどこへ行った」と考えたが、もうバカンスは終わっているのだ。昨日のビジネスマンも言っていた通り、ほとんどの人がパリをはじめとする都会へのUターンラッシュを終えてしまったようだ。要はフランス人も日本人もいずれは家に帰らないといけないらしい。
ニースの市街には入らずに街角のキヨスクで地図を買う。ミシュランの地図を探すが、広域図がない。やむなく「コート・ダ・ジュール」のみのバージョンを購入した。
急な登坂に入ってニース市街を後にする。いざモナコへ。この後の道はまさに海岸にありがちな小刻みなアップ・ダウン。建物は大富豪の邸宅か宿屋ばっかり。結構へたばる。街ごとにヨットハーバーがある。日本のヨットハーバーみたいに窮屈そうに停泊してない。余裕がある。
ニース・モナコの間の町に中型のスーパー発見、慌てて入る。クロワッサンセットとミネラルウォーターを買いこむ。このクロワッサンセットが、この旅行の昼・晩飯のほとんどを占めるはめになるとは思わなかった。8個入りはボリュームたっぷりだ。おまけに1個1個でかい。
バイパスのトンネルと海岸沿いをくねくね走る旧道がある。自転車は強制的に旧道に追いやられる。11時過ぎ、フランスとモナコの国境を発見できないまま、モナコ王宮前に着いてしまった。F1グランプリでおなじみのヨットハーバー前で三脚を立て記念撮影。日本同様、ツーリング中のバイクがたくさん駐車している。ほとんどが日本製、どこの国にいるのかわからないぐらいだ。思ったよりもオフロードの大型車が多い。
この横のプライベートプールで、トップレスお姉さん発見。この後F1のモナコグランプリコースを自転車でたどろうとする。しかし普段の日は逆行となる為、おまわりさんに注意される。やむなく退却してフラフラしているとカジノトンネルにさしかかる。ふだんはなんでもない道である。
結局コース通りに走れないことに気づき、駅前に行く。殺風景だ。観光案内所で市内地図をもらう。本当にここは車の街なのだと気づく。エハガキを買い、近くのカフェで昼食。のどかな陽光、噴水がキラキラ光る。手紙をせっせと書く。
モナコ市内を一通りポタリングする。どこまで上に行けるかと急坂を登っていたり、カジノ前で写真を取ったり。結構ラフな格好で入場できるようだが、金を賭けるほど余裕はない。こっちは体を文字どおり張っている。何よりも自転車置場がない。
同じ道を選択する。途中の道で、岬の先端で地中海をぼっーと眺めているバイクツーリング中のフランス人らしき兄ちゃんがいる。さすらっている。絵になる。ライダーの心はどこの国も同じなのかと感動する。俺は横の道を登り続ける。
交通事故を目撃する。おばさんが道端で倒れている。看護の人がいっぱいいるので、野次馬にならず、通過。5分ぐらいで救急車が対向車線からやってきた。あの人はどうなったのだろう。
ニース市街まで戻ってきた。アクロポリスとなる公園でだべる。噴水前で子供達がはしゃいでいる。おじさんがゆったり歩く。絵になる光景だが、時差ボケらしい。疲れてきた。とりあえずニース駅の観光案内所まで行く。地図をもらうと美術館が結構多い。シャガール・マチス、近代現代美術館など。これは1つぐらい行っておかないと情けないだろうと走らない言い訳をしながら宿探しに入る。予定ではカンヌまで行くつもりだったが、もういいや。
駅前の観光案内所に行く。駅前は旅行客でにぎやか。時刻表を見ていると自転車を列車に乗せられるようだ。時刻表の列車の備考欄に自転車のマークが書かれている。しかし普通電車に限られていた。携帯電話を持っている若者が多い。日本ほど多くないが、受信音がよく鳴っている。地図をもらって宿を探そうとするが、観光案内所を通すと手数料をとられる。フラフラと市街を走っていると、宿だらけだが、飛び込むのが面倒になってきた。目の前に「ホリデイ・イン」の看板。面倒なので入る。フロントが「自転車で来たの」とびっくりしていた。
「飛行機に積んで来ました」「いつからフランスで走っているの」「昨日からです」
「自転車の輸送が2日で出来る訳ない」とせせら笑われた。自転車王国フランスでもその程度の認識なのかと寂しくなった。「分解して、荷物として積めはタダだ」と解説した。その後は丁重に扱われた。会話はすべて英語ですんだ。
レストランに入るほど食欲がない。近くの酒屋に入る。ワインを買おうとするが、750mlのビンは呑めない。ましてや自転車で運びたくない。ドイツビール・ハムと牛乳を買って帰る。レジでホームレスのおじさんが店長にからんでいた。フランス語の酔っぱらいはどことなく紳士的で、あまり怖くない。しかし彼の臭いは日本のホームレスと同じだった。
テレビをつけて部屋で夕食、8時過ぎてもまだ明るい。人々がたくさん街角に出て涼んでいる。テレビ番組はほとんどダイアナ元皇太子妃の交通事故関連だ。ここは英語圏のニュース、CNNとBBCが入るので、そちらで情報収集。ワイドショー番組をハシゴする主婦状態。いいかげん飽きるとサッカーに切り替える。元々穏やか傾向のあるフランス語が語気荒くなるので、おもろしい。
9/4
寝坊した。10時過ぎている。時差ボケのダメージか。予定ではグルノーブルまで200キロの走行だが、既にあきらめた。さっさと身支度をしてシャガール美術館へ行く。荷物はホテルに預けたままにしておく。
シャガール美術館は高台の上にある。歩くにはつらい坂を登るが、自転車ではたいした距離ではない。館内まで自転車を乗りつけると、「駐輪場に置いて下さい」と注意される。この国では、自転車はちゃんと「車両」として扱われる。
施錠が不安だ。まわりの自転車は、日本でいうところのバイクにつける「U字ロック」が取り付けられている。こっちは自転車用のワイヤーキーだ。サドルまでごていねいに取っている。郷に従う。
美術館内に思ったより日本人は少ないが、いかにも美術を勉強していますという学生が多い。シャガールの絵はキリスト教の影響があるので、もう少し勉強してから、見に来た方がいいかもしれない。御土産屋のみなさん、カタコトの日本語を話す。やはり客が多いのか。日本語のパンフレットもある。
ホテルに戻って、出発は12時。食欲もない。コート・ダ・ジュールから離れる。
向かい風がひどい。一旦南に下ってから、山越えに入るが、海岸線は強烈な南からの風だ。心地良いというにはきつい。自動車道のインターチェンジにさしかかるマクドナルドで休憩。暑い。日本みたいな湿度はないが、皮膚が痛い。30度越えている。ナポレオン街道の玄関口でもあり、香水の街グラースに行くのだが、このまわりは自動車道路しかない。
入るまいと思っていたマクドナルドだが、車やバイク、自転車野郎には便利にたっているので、やむを得ない。落ち着いて地図を見たが、高速道路みたいな道路を走らない限り、グラースにはいけない。インターチェンジを強行突破するしかないようだ。駐輪場に戻ると原付の兄ちゃんと目があう。"Bon jour" こっちがフランス語であいさつしたので、「どこから来たの?」とフランス語で尋ねられた。
この後は英語で会話。しかしおそろしくフランス語なまりであり、ほとんど理解できなかったが、地図があるのでなんとかなる。やはりインターチェンジの車道を堂々と走るしか方法がないようだ。
高速道路と一般道のバイハスの出入口を割り込みながら自転車で通過するしかない。バイク同様、車線の右から左、左から右と30キロ台で走りぬく。後ろの車は70キロ以上で迫ってくる。クラクション一つ鳴らさずにピタッと後ろについてくれるのが、嬉しいやら怖いやら。自動車道の端をちんたら登る。道路脇からは緑地公園やキャンピング場へ抜けられる。
ついに山側のグラースと海側のカンヌに分かれるインターチェンジについた。ここで決断しなくてはならない。既に2時を越えている。グラースからは本当の山道であり、グルノーブルまで大きな街はないに等しい。カンヌならば、コート・ダ・ジュールののん気さをまだ満喫できる。カンヌ駅からは列車で自転車を載せられる。どうにかいけるだろう。
結局安易にカンヌ駅に行った。急に街が金持ちかがっている。着ている服もニースやモナコの観光地風情から、おしゃれになる。どうも俺のいる場所ではなさそうだ。駅に入り、時刻表を見る。自転車が載せられる列車は近距離に限られるようだ。TGVの場合、輪行しないといけないらしい。窓口に行くと無愛想に「今日の予約はもうとれないよ」自転車の扱いについて尋ねたら、「バゲージコーナーに行け」国鉄の弊害だ。荷物の扱いぐらい駅員が知ってるだろ。フランスに来て、初めてムカついた。
TGVはカンヌからいきなりパリまで行くものが多い。トーマスクックの時刻表を持って来たら良かったと後悔した。フランスの駅前時刻表は発着時間と停車駅が書かれているものの、駅名だけなので、どの地方の駅なのかがさっぱり分からない。TGVの場合でも、「リヨン着」と書いているが、これはパリ市内にある「リヨン」駅だ。さっぱり駅名の地理がつかめないとエライ目にあうことは分かっていたので、列車の利用を諦める。ニースやらモナコ行きの列車は30分に1本ペース、走って帰った方がマシだ。
カンヌの海岸沿いの道をフラフラ走る。左には道沿いの花壇が続く。右には真っ青な海、たたずむ人たちは、老若男女問わず気品に満ち溢れている。文句はない。しかしこれからどうしょうと悩む。ガソリンスタンドでミネラルウォーターを買って、これからの予定を考える。本来の筋と異なる選択をしてしまった。これが旅行でおもろい所でもあるが、その時は結構真剣に悩むものである。ニースから飛行機でジュネーブに行くか。ここからシャモニーを目指そう。
ニースへ近道する。海岸線を通らず山側の自動車道を走る。自転車通行禁止の表示が出ている高架の道路を迷わず選ぶ。これしか道がない。横から110キロ以上で車がかすめて行くが、堂々と走るしかない。
行きの時に通過した大衆海水浴場をひたすら北上する。日本同様、「海の家」らしい建物が何100mおきに立ち並ぶ。日本と違って間隔が広い。マクドナルドのサラダセットしか食べてなかったので、半分ハンガーノック状態。ニース郊外で買ったクロワッサンばっかり食べていたので、もうこれもあきた。「海の家」に自転車をとめ、「ビッグトマト」らしきものを頼むと、でかいトマトがフランスパンにはさんである。これをデジタルカメラで撮影していたら、おじさんが笑っていた。
地中海の海にたたずむ。17時30分だが、日はまだ高い。海水浴をしている人が多くいるが、この辺は小石が多い。石切りをしたり、海とチャプチャプ戯れようとする。今回時計はカシオGショック、フィッシャーマンタイプを装着しているので、干潮のタイミングがすぐ分かる。潮はひいている。より海辺に近づいたら、大波が来て、靴下以下がビショビショになった。カフェのおじさんが笑っていた。
ここで足元を乾かしていたら、おじさんと会話となった。仏日辞典の登場である。発音しながら、辞書のページをめくりあっては笑っていた。おじさんはほとんど英語ができないが、日本語で話すより理解してもらえるようなので、英語まじりである。「職業は?」おじさんは最初は「芸術家」だと思ったらしい。無精ひげのおかげか。単純に嬉しい。元報道なので「ジャーナリストでした」と言うと、「普通の人じゃないと思った。カメラたくさん持っているものね」確かにニコンの一眼レフ、カシオのデジタルカメラ、とどめに「写るんです」を持っているからな。「自転車で走るなんて、タフやね」と褒められてから、行程を尋ねられる。自転車野郎には大変嬉しい質問で、人によっては延々しゃべる。それが勲章みたいなものだからだ。グレースからこっちに降りてきた話で通じなくなる。「グレースってどこだ」となった。地図を見て、話すと「ガースと発音するんだ」それからフランス語の発音の練習をさせられる。
「年齢を当てよう」とおじさんが切り出す。「23」で無邪気にこれも喜んだ。フランス人はお世辞がうまいと思ったが、男を誉める習慣はないらしい。「日本じゃ老けて30ぐらいに思われますよ」と言うと「信じられない、嘘だろう」
おじさんが一番興味を示したのが、デジカメだった。事前に編集して、万が一自己紹介するシチュエーションを想定していた。自分の家と車、実家の犬、そして・・・、一応女性の画像も入れておいた。で、おじさんは「これはフランスで売ってないなあ・・・と悔しがって、売って欲しい」と言ってきた。
「日本に来たら、電器屋の棚にいっぱい売ってますよ」とかえしたが、「日本に行けるお金なんかないよ。君はフランスに来るのにいくらかかった」と逆に尋ねられた。
これはマジで買い取るつもりだと思った俺としては、まずかった。そこで女性の画像を利用することにした。仕事上で撮ったものだが、「恋人です。彼女の画像があるので、売れません」おじさん大変納得して、その画像をマジマジと見た。「きれいな人だね」2時間過ごした。最後は一緒に写真を撮った。ありがとう。ムッシュー、ルブラージュ。
ニース空港に着いた。さて飛行機の予約でも取るかと思ったが、途中でレンタカーセンターがある。ここで「走り屋」の根性がムクムクともたげてきた。借りよう。ロサンゼルスで経験済みだ。窓口のお姉さんは大変かわいい。「予約してないのですが・・・」「ダメです」「明朝の予約なら」「いいです」AVISレンタカーでさっさと手続きをとる。国際免許証は期限が切れていたがお姉さんは知らないかのように、予約手続きをしてくれた。「予約番号です」
しめしめと笑いながら空港前のレンタカーを後にした。ホテルはもう空港前のノボテルでいいかと向かう。夕食を買い込む店で、変な人が流暢な英語で、「コインを買わないか」とわめいてくる。「エリザベス2世の記念コインだ1977年に製造されたもので、50フラン」"Non Merci!" おっさんはひたすら値を下げてきた。おもしろいので、"Non Merci!"を繰り返して、20フランで買ってやることにした。このコインの真価は今もわからない。
ノボテルホテルに入る。フロントから値段の説明を受けるが「2日前に泊まったよ」と言うと愛想がよくなった。
ホテル内で晩飯。テーブルワインとハムとチーズと、前々から残っているクロワッサン。テーブルワインがまずい。テレビチェックはまたダイアナ元妃の事故と葬儀情報。ドイツのテレビで、ベンツのエンジニアが気合の入った顔でインタビューを受けている。「ベンツはこのスピードでは、こんなに破壊されません。ドライバーは通常の状況になかったと思われます」らしき発言。ドイツ語だが、技術用語は英語とさほど変わらないので、なんとなく分かる。ベンツにしてみれば、ブランドが傷つけられたのだからな。けどこの編集方法を他国がしないで、ドイツのテレビ局がしているところに国の威信をかけているように思えた。明日は1日、レンタカーだ。
9/5
やっぱり朝食はコンチネンタル。フランスパンがうまい。
空港前のAVISレンタカーに行こうとするが、空港のインターチェンジを入りそこねる。片道3車線の幹線道路を右から左へ渡りきる自信がない。1キロ程やりすごしてから、Uターンする。
レンタカー事務所には昨日のかわいいお姉さんがいなく、褐色の肌でバリバリのキャリアウーマンだ。独特の美人。しばらく見とれていると、「国際免許証は期限は1年よ。これは既に切れているね」と免許証を軽くたたいた。「はい、そうです。知っていました」と正直に白状した。どーせバレるとは思っていたが。「もう契約は済ませたし、あなたは車が必要でこちらに来たのだから、会社としてはきちんと貸します。安全に運転して下さい」と笑って、キーを差し出した。なんという機転と応用。日本ではこうはいくまい。
ルノー・サフラン、2000cc、ハイオク専用車、なんとミッション。日本車で言えば、トヨタマーク2とかクレスタシリーズに近い。外国でミッションは初めてだ。自転車を乗り回すのとはまた違う緊張感がはしるが、最初は自転車を積まねばならぬ。タイヤは当然外す。リアキャリアもトランクに入らない。これだけ面倒だが、外す。
地図とミネラルウォーターを助手席に放り上げ、運転前の点検。
さあ出発、目標は一路シャモニーまで。幹線道路の指示盤に従い、ディージュ・グルノーブル・アルベールヒル・シャモニーと行く予定。
ニース市街からあっという間に離れる。だんだん山深くなる。おかしい。予定ではナポレオン街道に行くはずだか、全く寂れている。地図をもう一度見ると、国道を間近っているらしい。最終的にディージュにたどりつけるが、大回りしている。国道85号線を走るつもりが、国道202号線だ。まあいいやと登り続ける。70キロ出しているが、地元の車は90キロ以上でバンバン抜きたがろうとする。さすがルノー・プジョー・シトロエンと、自転車だけでなく自動車王国のドライバーの面目躍如。日本同様年寄りがノロノロ走っている。
ディージュには昼過ぎ到着、市街地に入ると途端に増えるロータリーをかいくぐりながら、やっと見つけた高速道路。勇んではいるが、すぐに終点。グルノーブルまで160キロの国道を走る。だんだん山道が険しくなる。車線も細くなる。フランスは田舎が美しい。ただこのアップダウンを限られた日程で自転車を使おうと思ったことが悔しい。
グルノーブル市街が眼下に広がってきた。ディージュ−グルノーブル間の高速道路は建設中で、その工事中の埃が舞っている。都心部で少し聴けるFM局だけだ。カセットテープがあれば、フランスに敬意を表して、ビゼーの「カルメン」ぐらいかけてやったのに。フランスのFM局は日本のAMのような人生相談や地方特産買物現場リポートタイプとアメリカナイズしたものに別れる。アメリカの音楽チャートより1週間遅れぐらいか。
グルノーブル市街はバイパスで通過。既に3時過ぎている。高速道路に入る。高速41号線、43号線と乗り継ぐ。左右にアルプスの流れをうける山並みが迫る。この辺になると日本の「暴走ドライブ」とのりが変わらない。シャシーが我が愛車スカイラインよりも柔らかく、よく揺れ、気分が悪い。シートもデラックスタイプなので、踏ん張りがきかない。最高速度は190キロだった。さすがのフランス人も追い抜いていかなかった。
アルベールヒル、オリンピックが開催されたところだが、シャモニーに一刻でも早く着くよう、通過。しばらく道なりに走っていると、太陽が眩しくなる。あれ、北東に向かわなくてはならないのに、なぜだ。近くのサービスエリアで休憩。中でトイレを借りる。自転車ツーリング中では全く気にしなかったトイレがドライブだと車内の冷房などで体が冷える。地図を見るとイタリアに向かっている。インターチェンジを引き返す。
片道2車線の道路はアルベールヒルまで。オリンピック特需のせいか。その後は大変な山道、ギアをサード、セカンドとせわしなく動かす。まあ地元の車に迷惑はかかってないだろう。ここから景色は既にスイス。山並み険しく、羊が斜面にたたずんでいる・・・、しかしここに嬉しい奴等を発見した。ロードレーサータイプで果敢に登坂をアタックするサイクリストと「走り屋」だ。
サイクリストは、ツール・ド・フランスで山岳コースに強い、マルコ・パンターニ風でスキンヘッドにしているのが流行らしい。黄色のジャージ、「マイヨ・ジョーヌ」を着用している人も多い。
その中をルノーやプジョーのステッカーをベタベタに貼ったツーリングカーが片道1車線の道路を省みず、猛烈なスピードで追い抜いて行く。明らかにエンジンはチューンアップしている。今まで聴かなかった高音域のエンジンだ。対向車が来ると、即座に割って元の車線に戻る。いずれも車は日本で言う所のシビックやCR−Xタイプに相当するルノー車やプジョーだ。4点シートベルトしてる奴もいた。さすがモーター王国。その「走り屋」達はのんびり走る観光客車やサイクリスト達にクラクション一つも鳴らさず、黙って抜きにかかる。よくも事故しないものだ。
盆地の山沿いをぬうような道路を走りぬいて、最後は幹線道路、イタリア国境にぬける道なので、交通量が多い。また急坂だが、ロードレーサータイプの自転車が横に走る。サイクリストならば、この道路は走るしかないのだ。明日は走る身だけに、身に染みる。
シャモニー駅着。駅前に着いて、乗り捨ての為、AVIS事務所を探すが、駅前に駐車場があるだけ。探し当たるが、ない。少しあせる。電話で話する度胸はあまりない。土産屋でまた品定め。日本人は土産では人気者。カタコトの日本語で相手してくれる。
登山列車は既に運行を終えている。日はまだ高く、モンブランをはじめとした山々が神々しく光る。なのに車の返却場所と宿で悩む。
とりあえず観光協会に向かう。正面受付で尋ねると「日本語でどうぞ」と後ろから言われた。びっくりして振りかえると、フランス人の女性が流暢な日本語で話しかけてくる。彼女の後ろで寡黙そうに目を合わせて反らした男性が東洋系なので、彼の奥さんであることに察しがついた。「AVISの事務所はどちらですか」先方もめったにない質問なので、一瞬ためらっていたようだが、だんなさんが「ブリティシュ・ペトロールのガソリンスタンドが事務所を兼ねてなかったか」と話しだしたので、地図を教えてもらう。宿の手配もしてもらってから雑談。下の名前を忘れたが津田さんが丁寧にシャモニーの説明をしてくれる。「絶対ロープウェーは乗るべきです。日本の方、せわしなく帰る人が多いですね」と自転車でジュネーブまで走って帰る俺に、彼女は半ば説教調子で言われた。確かにここまで来ていて、ロープウェーに乗らないのは野暮だ。まず最初に車を返しにガソリンスタンドまで行く。レシートと鍵を渡して終わった。あっけなくレンタカー生活が終わった。
ホテルは観光協会の目の前、「パークホテル」部屋はアルプス風。落ち着いた木製の部屋だ。オートロックやチェーン錠がない点が治安のよさと観光地だと言うことを証明する。
腹が減らないが、フランスは今日が最後だ。フランス料理のはしくれでも食べようと外に出る。20時過ぎているが、まだ日が明るい。夕陽にモンブランがあたる。美しい。牧歌的なカフェ通りをテクテク歩く。急に冷え込む為、半袖で無防備な人と中袖にヤッケを着込んでいる用心深い人に分かれる。
ホテルの横が映画館で、開演が21時となってる。どんなものかと入る。「スクリーム」日本では須磨の小学生殺傷事件と上映日が重なり、延期されたいわくつきの映画である。もう日本では上映してるが、好奇心で飛び込む。アメリカものなら、字幕で理解できるだろうと入った。42FF。(950円)
若者がキャーキャー言いながら、入場してくる。どこの国も一緒だ。映画が始まる前のCMがおもろい。映画館の中でアイスクリームを配っているCMが終わった後、本当におばさんが劇場内でアイスクリームを配りはじめた。日本のアイスクリームのスポンサーに提案してみるか。
映画が始まる。なんと声吹き替えですべてフランス語でやられた。まあストーリーの流れは読めるので、問題無し。しかし日本人の俺としては全くおもしろくないが、現地の人はよく笑っていた。この映画、怖いだけではなかったのだ。
終わると0時前だが、街中で楽器の演奏が聞こえる。その方向に向かうと、なんとアマチュアオーケストラの演奏会が開催されていて、観光客がたくさん集まっている。腹が減ったので、目の前のレストランに入る。店じまいの支度をしているが、多くの人が縁側で演奏に聞き入っている。
「今日の定食」日が変りそうだったが、定食メニューは変わらないようだ。ワインはボトルを空ける自信がないので、グラスで。本当は惜しいことなのだが。
フランスパンいっぱいと肉のソーセージ詰め蒸し焼きとポテトのチーズがけ。どれもうまい。向かいの席では父親と息子らしき2人が、チーズフォンデュを食べていた。「ワインはどうだ」「この肉どうだ」と父親らしい男性が息子にフォークに差した食べ物を見せながら、物静かに話している。息子は「十分食べたよ」と苦笑いしながら、パンをちぎっていた。絵になる国民だが、どこの国も親父は息子には自分より多くの食べ物を食べさせたがる傾向があるのかと微笑ましくなった。ただこのツーリングで少し感傷的になった。フランス料理は1人で食べていると少し悲しい。チーズフォンデュは2人以上でないと頼めない。
デジタルカメラで「今日の定食」を撮影しているとウェイターがのぞきこんできた。好奇心旺盛な人達である。撮影している俺も俺だが、この度唯一のごちそうだろうと思った。デザートもパフェを頼んだ。
部屋に戻って、窓を開けた。寒いくらいの空気が流れ込んでくる。空を見上げると木星が強烈な明るさで見える。ありきたりだが、星がきれいだ。
9/6
朝ご飯をホテルのレストランで食べる。バイキング形式。マスター兼ウェイターが、「コーヒーのおかわりはどうですか」と薦められるが、フランスのカフェは日本では信じられない量で出てくる。ポットがまるごと出てきて、これがまた大変濃厚な味わい。元々コーヒーは苦手なのだが、紅茶のティーパックは悲しいので、ついつい濃い、コーヒーを頼んで、ミルクと砂糖をやまほど入れる。このミルクも気がきいていて、既に温まっているものが差し出される。素晴らしい。なんで日本の喫茶店でこれができないのだ。採算があわないのなら、フランスのカフェは既に店をたたんでいるはずだ。
観光協会の津田さんがおっしゃったように、ロープウェーに乗る。エギーユ・デュ・ミディ、標高3842m、富士山より高い山に一気にロープウェーで駆け上がることができる。素晴らしい。地球環境を声高に叫ぶようになったヨーロッパだが、ここに限って言えば、人間が自然を征服した場所だ。乗り場は日本人観光客でごったがえしている。今回の旅行で日本人とはほとんど会っていないだけに、群れる民族だなと思う。対してヨーロッパ系の人達はアイゼン・ザイルと重武装だ。
ロープウェイの民族構成は日本人とヨーロッパ人が半々。日本人添乗員のお姉さんがみなさんに案内をしている。ヨーロッパ系は山を指差しながら、あれやこれやと雑談。賑やかだった。
3842mまでに至るには1回乗換えがある。この辺から、雪景色が鮮やかになる。太陽光が眩しい。降りると途端に寒くなる。みんなめいめいに好きなコースをまわる。しかし日本人観光客は一心不乱に最後のエレベーターに向かう。この上が本当に3842mなのだ。富士山登山よりも簡単。俺は寄り道でモンブランを仰げる展望台に行く。階段を登りきると、息が切れる。めまいがしそうだ。標高が高いのだと思い知らされるが、ここでぶっ倒れるわけはいかないので、さらに階段を登る。荒療治だが、マシになる。
一句、「モンブラン、思ったよりもまんまるい」
展望台のあるエギーユ・デュ・ミディは空を貫き通す勢いで尖塔の如く、そびえ立つのに対し、モンブランはまったりと丸い。アルプスの名峰と言うには迫力不足だが、人々を魅了してやまないカリスマは感じた。
イタリア国境を形成する峰々が雲海に包まれている。人が少なければ、想うところもあっただろうが、ここは観光地、日本人観光客がパシパシと写真を撮っている。エレベータの下に降りて、登山口入口に立つ。摂氏0度。クライマーチームが靴のセッティングを念入りにしている。
帰りのロープウェーで日本人添乗員さんに声をかける。うちの会社の後輩によく似た顔の女性だった。懐かしかった。「大変ですね」「今日は4人だけなんです」きれいな標準語だ。無精ひげをモウモウと生やしていたので、変な人に思われただろうが、「自転車なんです。ジュネーブまで道の状態はどうですか」「毎回ここにはジュネーブからバスで来ますが、高速道路ですから、わからないですね」 笑顔がかわいい。このまま電話番号を教えてもらおうかと思ったが、思いとどまった。どうやら女性に飢えてきているのかもしれない。
正午前、ホテルに戻る。「いい景色だったでしょ」とホテルのフロントのお姉さん。なかなかかわいい。見ているだけで嬉しくなるのが、フランス美人。
街角はいたるところに花壇が置かれ、数々の花が咲き誇っている。住みつきたくなるような所だ。地図を見て、昨日のレンタカーで走った難路は走らなくてもすぐ幹線道路に入れることがわかったので、のんきに走る。おおっ、下り坂。やったぜとダウンヒルテクニックを駆使したら、ジュネーブまで楽勝だと思ったら・・・、猛烈な向かい風。下りのくせにペダルをこがないと前にすすまない。地獄だ。勾配5%までの坂はすべてこいだ。中途半端な登りよりタチが悪い。結局ジュネーブまでずっとそうだった。
レンタカーで楽したのだから、ここで体力を使えよという神の御告げに従う。
高速道路にそのままつっこむ。料金所は20キロ先のCluses(発音がわからない)だ。猛烈な向かい風が続く。時々追い越す車がクラクションを鳴らす。応援か「ここは自転車通行禁止だよ」と注意されてるのか不明。料金所に到着、誰もいないゲートを黙ってくぐりぬけたが、何も言われなかった。
スイス国境が近づいていた。自然と心もたかぶる。この辺から土地名称表示板にスイス国旗がおまけについてくる。昼下がりの静かな公園ではおじさんらがトランプしている。近くで若者がバイクにまたがって、バイク談義しているのも多く見た。
この辺の田舎道はどことなく日本と似ている。山すそにこじんまりと牧場があって、畜舎には牛と馬がいる。道路の端を犬がフラフラ。
国境の街Annemasse に着く。地味な国境だ。スイスへ向かうには「ジュネーブ」という目立たない字をあてにするしかない。もっとでかでかとスイス国旗のマークが道路標識に出ているものと思ったが。国境ゲートは車やバイクがわらわらと集まっている。通過の儀式はあっけなかった。
「自転車は売らないですね」「スイスには何しに行きますか」「日本にいつ帰りますか」でハンコも何もおさず終わってしまった。スイスはEU加盟国だったか?
今日は土曜日、銀行は休みである。両替屋に行く。400フランが96.5スイスフランになった。単純に悲しむ。路面電車が国境を越えて走っている。これをつたって下るとあっというまにレマン湖。おおっー、琵琶湖みたい。観光地である。
とりあえず噴水口まで自転車を担ぎ上げて、写真を撮らねばと散策する。階段がたくさんあって面倒だったが、レマン湖の灯台埠頭の先端までたどりついた。女子大生らしき日本人3人とアラブ系の青年がいた。女子大生は「変な奴」という顔つきで見てきたが、こちらから切り出した。「日本の方ですか」「はい」自転車でやって来た日本人を歓迎してないようだったので、アラブ系の青年に話しかける。「写真撮ります。よかったらどーぞ」
写真を撮ってから、「レマン湖の噴水って、あがってませんね」 「6時にあがると思う」。この青年、モロッコから来たとのこと。以下の会話はすべて英語である。
「フランス語の方が得意なんですけど、日本の方はほとんど話せないみたいですね」
「その通り。私もそうだよ。さっきの女性らはフランス語、話せたかい」
「少しね。けど『女性』というよりは『女の子』だと思うけど」
「東洋系は若く見えるからね。たぶん彼女らは俺と年齢変わらないよ。だから『女性』だよ」彼は笑って「そうかなあ」
それから互いの旅行ルートを話し合っていたら、レマン湖で湖水浴している現地の兄ちゃんが2人ほど、我々のいる埠頭の先端によじのぼってきた。自転車をのける。「元気だね」と我々。「どこから来たの」「対岸のビーチ」結構遠いぞ。「女の子がたくさんいる?」「いるいる」どこの国も男の会話は変わらないようである。モロッコの青年は俺が去った後も、埠頭の先端でぼっーと湖を眺めていた。次は彼の祖国に行ってもいいな。
ジュネーブ市街をうろちょろするが、ホテルを探そう。最終日だ。豪華にと思うが、まずは観光案内所。俺が閉店間際最後の客だった。「ホテル探しているのだけど、明日日本に帰るので、空港の近くでおススメは?」「そうですね。最低360フランかかりますが」長身で端正な顔をした黒人のお兄さんが丁寧な英語でかえしてくる。「ジュネーブは物価が高いのです。フランス国境沿いのホテルが安めですよ」今から戻れるかいな。「最高100フランの宿で探して下さい。クレジットカードはありますが」「この近くはどうですか。おススメがあります」と電話しだした。地元の宿に顔がきくらしい。フランス語でも「自転車で来ている日本人の青年」と話しているのがわかった。そのホテルはこの場所から極めて至近距離、ご丁寧に地図も教えてもらった。「すぐわかるよ。問題ない。大丈夫。大丈夫」とアメリカ式会話をしたら、「ちゃんとたどり着いてもらわないと、私が紹介した宿なのだから、責任もたないと」と苦笑いしながら、最後は真顔だった。さすがヨーロッパ。いやスイス。今までおしかけた観光案内所の中でも最高の責任感を誇っていた。俺の後のチャリダーがドアの外でがっかりしていた。もう閉店時間なのだ。きっかり6時だった。どことなく日本と似ている。
宿のおばちゃんは親切だった。客までもが、大量の荷物を抱えた俺をフォローしてくれた。この宿にはチェーンがなかった。窓を開けると、レマン湖の噴水があがっていた。7時。テレビはドイツ系・イタリア系・フランス系・CNN・BBCとメディアなんでもござれ状態。ほとんどダイアナ元皇太子妃の葬儀だ。エルトン・ジョンが歌っているではないか。日本で言えば、皇室関係者に対し、佐野元春が歌うようなものではないか。
腹が減った。湖畔通りから駅方面や徘徊する。アラブ系の衣装を来た人たちが多い。各国の銀行も立ち並ぶ。ここは完璧な国際都市なのだと思う。美しいすぎるが飯が高い。「今日の定食」が22スイスフラン、1700円はないだろう。
悩んだあげく、マクドナルドのセット、10フラン(800円)は世界一の物価じゃなかろうかと食べる。窓口のお姉さんがかわいい。「コーラかファンタ、スプライトどれにしますか」に対し、「ミルク頼みます」と日本と同じような注文をした。スイスのメニュー表に単なるアイスミルクはない。彼女は悩んだ末、「しばらく席で待って下さい」
キヨスクで買った衛星版ニッカンスポーツ誌を読んでいると、彼女がやってきて、「ごめんなさい。ありませんでした。飲み物はどうされますか」と笑っていた。すごい気遣い。世界標準マニュアルのマクドナルドの定員がこんな臨機応変なことをしてくるとは夢にも思わなかった。
帰ってからはワールドカップサッカーの予選とF1情報とダイアナ妃葬儀情報をハシゴする。BBCが世界各国の反応の特集で日本が出てきた。日本人のインタビューに英語の声がかぶっている。東京に住んでいるイギリス人が、「日本人は忙しいが、街頭テレビでダイアナの葬儀のニュースが流れるとふと足をとめる。日本人もイギリス人と同じような悲しみをいだいている」と淡々とインタビューに答えている。おまけにNTV系列が生放送対応していることまで、丁寧にリポートされている。「ジパングあさ6」の小栗キャスターの画像がBBCで使わていた。パリ支局・ロンドン支局とも大変だろうなと最後まで残ったクロワッサンをつまんでいた。イタリア系のテレビでは、ミスイタリアコンテストだった。お国柄か。
9/7
朝食付き。ホテルのおばちゃんの娘らしき子がウェイトレス。
初めて曇った。最後の走りだ。国連ヨーロッパ本部を形式的にのぞいて、撮影してから、一路空港へ。もう高速道路のような道を走るのも最後かと少し感傷的になるが、ちゃんと飛行機に乗れるだろうかと漠然と思いながら、ラストスパート。
空港で自転車分解。空港の入口に入る。エールフランス航空専用窓口が存在する。VIPになったような気分で通過。自転車は横にある台車に自分でのせに行く。その上にフランス語の読めない日本人カップルが荷物をのせた。ダンボールに日本語で「自転車」と書くのを忘れた。後悔した。
飛行機まで地上を歩いてタラップから乗り込む。シャルル・ド・ゴールで降り立つのもそうだった。日本みたいに動く接続通路がジョイントすることは少ない。ド・ゴール空港内の乗換えは行きのようなバスでなく、歩き。結構しんどい。免税店は日本人でごったかえしていた。
田園風景のフランスを後にしたとき、仕事のことを思い出した。色々置いていった不安要素がよみがえってきた。あまり眠れなかった。
9/8
関空は雨が降りそうだった。降りて、再入国ゲートで日本人は大変待たされた。係員の配置が少なすぎる。なんとかしてくれ。イライラしながら、「はるか」へ。あの駅内に存在する中途半端な柱だけは閉口ものである。なんであるのだろうか。
列車内でふと気づく。「じとーっとした魚臭さ」日本のにおいだ。新大阪駅は大変蒸し暑い。自転車をあわてて組み立てる。行き同様汗が吹き出る。日本に着いてからの苛立ちはすべて湿気のせいだ。組み立てが終わった時点で雨が降ってきた。あーあー。汗と雨でずぶぬれになって家に着いた。シャワーを浴びた後は洗濯して、すぐ寝た。
時差ボケは2、3日続いた。
(終わり)
バイク・自転車ツーリング記録にジャンプする。
海外をめざすチャリダーと走り屋の為ににジャンプする。
21世紀OB合宿記録にジャンプする。
21世紀OB合宿記録2にジャンプする。
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