4/30 "I STIIL HAVEN'T FOUND
WHAT I'M LOOKING FOR"
U2のヒットナンバーのひとつ。今度こそ将来やるべき事を悟って大阪に戻ってくる。自己を見つめなおす旅にする。今回の旅の目的だ。例年のように持参していた大量の衣服を今回は少なくした。長期戦に備える。
大阪南港ターミナルはゴールデンウィークの谷間のせいか、心なしかすいている。最近の船は2等船室の雑魚寝スペースにまでナンバリングがされ、その数字に従って、寝る場所が決まっている。世知辛い世の中なのか、それともゴージャスな船旅のスタイルが確立しつつあるのかは、あずかりしらないところだ。消灯後すぐ寝た。
走行距離16.5km
5/1 5時に目覚める。NHKの中條アナウンサーが最近のお気に入りである。この生活習慣は元々夜型の俺では考えられないことである。チャンネル変更権がないフェリー内のテレビなので、NHKがセッティングされている。このよくありがちな現実に幼い頃の俺はものすごいフラストレーションを感じていた。今は全く不満がない。明らかに老化現象だ。これからの走りが不安になる。九州は雨が似合う。別府港に降り立った自転車は俺だけだった。別府温泉の鉄輪温泉内をぶらぶらするが、健康ランド系はまだ開いてない。急坂の真中に100円賽銭箱入れ式セルフ銭湯がある。雨がきつくなって、体も冷えてきたので入る。おばちゃんが2、3人入ってきたが、混浴ではない。
国道500号線沿いに急勾配をあがる。初日で、かつ2年のブランクがある身に堪える。おまけに霧まで出てくる。50m先が見えない。途中でスリップしていた車同士の衝突事故を見てしまった。苦行の気分。
安心院(あじむ)町のスーパーでパンを買う。また雨が降りそうなので、ここにある温泉にもつかりにいく。寸前の上り坂が不快だが、ほとんど温泉に客はいなかった。先に単独ランしている蔵前さんに電話する。どうやら気分的には俺と同様ブルーらしい。自転車旅行で雨は萎える。
院内町で猪丼を食べる。セイロ蒸にしたものだが、残念ながら猪肉は発見されなかった。それとおぼしき欠片が1キレあった。700円ならやむを得ないのか。水槽にオオサンショウウオがいた。真っ先にチャペックの「山椒魚戦争」を連想する自分にSFマニアぶりを感じる。オオサンショウウオについて他に情報がないものな。そのうち自然にいる生物が小説やゲームなどでしか実感できなく世代の人間は増えていくはずだ。サンショウウオよりもゲーム上の怪物「スライム」や「くさった死体」に親近感がわく子供も多くなるだろう。
本耶馬溪町に入る道は小雨交じりで急坂。休憩中にふと停車すると雨の雫と鶯の鳴き声しか聞こえない。鹿嵐トンネルを越えると霧がかった山が美しい。撮影しにきている人もいた。
10年前訪れた羅漢寺を再訪する。今回は手抜きでリフトを使う。ここを訪れたメンバー、後輩の女の子達はすでに結婚している。境内まで登ると雨が再び降ってきた。当時この寺で水子霊供養をしていたので、水子についての話題をしていたら、階段で2回もつまずいた恨めしい思い出がある。今回はコケずに出て来られた。
脈絡がないが、九州の石仏文化は質実剛健さを感じることができ、嬉しい。東大寺でも一番えらい大仏より護衛の金剛力士像の方が俺は好きだ。
青の洞門は当時より観光地化されていた。写真を取る。ここからロッククライミング的なハイキングコースがあるが、今回は老化のため、遠慮した。本来ではここでキャンプ泊しようと思い、川辺のキャンプ場所に行く。地面が雨に濡れ、1泊700円という。明日の博多着を考えるともっと先に行くべきだと考え、走り続ける。日田か中津かで迷う。しかし下りの方が楽なので、中津に行く。天気予報では明日も雨だ。ホテルに泊まろう。このへんで当初の長期戦の覚悟がすでに揺れている。軟弱だなあと思いながら、その決断を下す自分がいやになる。中津のホテルは4300円。飯はリンガーハットで軽くすませた。合宿が始まると自ずからゴージャスになるだろう。
走行距離82.9km
5/2 いきなり後輪タイヤの空気がなくなっている。いたずらされたか?? 雨は土砂降り。ガソリンスタンドで空気を借りる。アメリカ式バルブの特権だ。しかしガソリンスタンドの店員は例外なく訝しげな顔をする。「自転車は…、無理ですよ」「原付と同じバルブなので、大丈夫です」と必ず返事する。そして実演すると店員さんは驚いた顔をするか、本来の車の客へと関心を移して行く。さしあたって、これで先に進んで落ちつけるところで修理すればよい。しかし雨はやまない。パンクしているのか、空気が抜けているだけなのかが、わからない不安な状態で高速で走り続ける。これがまたストレスがたまる。しかしすぐに空気が抜けないところからして、どうやら杞憂に終わったようだ。やはりいたずらか。それにしても性が悪い奴が中津にいるものだ。
雨は降り続きながらトラック通りの国道201号の峠を過ぎる。向かい風がきつい。田川から飯塚までは「麻生」財閥ともいえる。あの選挙で負けた麻生さんの母体である。それにしてもここまで露骨な城下町も珍しい。
八木山峠は卑怯である。地図の表記と標高の最高地点が3km以上離れている。気分的に萎える。峠での気温は10度だった。ふざけている。5月の九州でこれは寒い。
ホテルのチェックインを終え、風呂に入ろうと思った時に、廊下で聞いたことのある声が聞こえる。トランクス一丁でドアをあけると蔵前さんと大江が話していた。西井が福岡行きの飛行機が着陸できず、一旦大阪伊丹に帰ったので、ここに今日中に来られるかどうかまだ不明らしい。飛行機が着陸できない天候の中、自転車で走っていた自分を誉めてやりたい。しかし逆にいえば、パイロットが新米だった可能性がある。楡周平の「クラッシュ」でパイロットにも階級があり、天候と視認距離で離着陸の権利が異なるという話があった。となると西井が乗っていた飛行機のパイロットは新米の可能性がある。
18時すぎに西井が到着した。今回は各自パートランをしているが、雨の中そう満喫したと言えないので、今日一日の西井の話がおもしろい。「客が本当にパニックっていて、『ワシは今日福岡に着かんとアカンのじゃあ』と叫ぶおっさんがいた」映画でもなければ、味わえるものでもない。
今回の合宿は西井がもつガイドブック「るるぶ」とインターネットで集めた関連サイトのプリントアウトが観光の威力を発揮した。過去はだいたい勘か行き当たりばったりで店にはいっていたのだが、今回は事前予約をしてからの行動。結婚してから、几帳面な奥さんと共に旅行することで、計画的な旅行を彼は強いられるようになり、その結果、彼の行動パターンが変わってしまったのだと俺は密かに分析している。
魚料理屋も地元で人気の所らしく、満席だった。前田は結婚2週間前にこの合宿にきている。たいしたものだ。ラーメン屋「一蘭」は各人の間についたてがある、「ひきこもり」のようなレイアウトだが、味は確かにうまい。後は長浜の屋台に寄る。博多の屋台はニンニクたっぷりのビンが置いている。前田がラーメンに入れすぎる悪ふざけで、よけいに周囲が臭くなった。ニンニクを臭いと思う民族は日本人だけなのだろうか。
走行距離100.4km
5/3 何人かが博多の自転車屋で空気を補充する。大西の自転車のタイヤに亀裂が入った。近くのホームセンターでタイヤを買いに行く。バイパス沿いのスポーツ店で修理するのとあわせて団体装備のじゃんけんをする。一番負けとなる。やはり俺には運がないのだ。連合艦隊長官、山本五十六は人事に関してこう言っていた「運のない奴を将官にするな」と。大鍋を持つはめとなるが、逆にかえせば、食事の肝心要の物を持つわけで、俺はえらいと自分を慰める。大西のタイヤの修理をみんなで手伝う。「パンクの修理、はじめてなんですよ」と無邪気に澄川が言う。なんと幸せな人生を送っているのだろうか。うらやましかった。前田がでかい足踏み式空気ポンプを取り出す。大仰な道具にみんな笑い転げる。ドラえもんのポケットみたいに色々と出てくる前田のリュックサックである。世界の自転車放浪者埜口保男氏や九里徳泰氏は「足で入れる空気入れのほうが絶対楽であるし、壊れない」とそれぞれの本で述べていた気がする。私も後でその威力を思い知ることになる。
一回トラックに轢かれそうになるが、近くに海鮮料理屋があるので、入る。昼からビールももう当然の行事となった。私も久しぶりにみんなと会えたせいかはりきってコップ3杯呑んだ。これが後で、よっぱらって、走れなくなる原因となる。ここは勘で入った店だが、美味である。「漁師小屋」という店だ。
曇り時々向かい風の小雨の海岸線は悲壮感が漂う。しかし過去のどの自転車ツーリングよりも、コンビニのありがたさを感じる。まずトイレの心配をしなくていい。3時を越えるとみんな今日の野宿地の検討に入る。二丈浜で寒風吹きすさぶ中、真剣に今後の予定を立てる。虹の松原は壮観な光景だが、写真もビデオも撮ってない。疲れていた。昔のキャンプ場の名残が痛々しい。「ここにするか」というが、「閉鎖されていて、水道が使えない」「近くに涌き水から取って来られるけど」「忠魂碑のそばで野宿していたら、右翼が怒ってくるで」結局諦める。次の候補地、唐津河畔公園に入る。川縁の大公園はナイスキャンプスポットが多い。偵察の為、西井がサッカー場の芝生の上を自転車で走って行った。この辺の無神経さと図太さは後々も発揮される。
中華風の庭園の真中にテントを張る。日は暮れかけている。犬の散歩の真っ最中時間で、大きな犬達が手綱なしで自由に走りまわっている。蔵前さんが犬を恐がっているのは意外だった。実家に帰って犬3匹と散歩している身で、一つ気づいたことがある。犬の飼い主や犬好きは、犬嫌いの人の心理を全く理解できないことである。犬の散歩時、飼い主は犬の紐をきちんと持って欲しいものだ。しかし一日限りの野宿者が忠告するわけにもいかず、黙々とテント設営と風呂の準備をする。
唐津市街へは3kmぐらい離れていた。商店街の魚屋に入る。西井が威勢良く魚一匹買った。買ったときは「クエ」だと言っていたが、クエとなる前の「アラ」であることが後で、判明する。しかしこのときはみんな疲れハイ状態で「おぉ〜、クエか」と感心していた。しかしみんな正確な調理の仕方は知らない。いいだしっぺの西井も当然知らない。できる事は店のおばさんに調理方法を教えてもらうことと、魚の捌きを事前にお願いすることだけだった。一匹7500円。その間に風呂に行く。唐津市には1軒しか銭湯がない。
晩御飯。一応「アラ鍋」なのだが、公園の水道は2つ。汲み取り式トイレ、テーブルなしという環境なので、調理後、全員で取り分けて食べる方式をとる。アラは熱湯をかけて臭みを消す。しかしこれがどうも十分でなかったようだ。鉄ザルがないのが、悔やまれるが、自転車ツーリングで、ザルを持って来る人間を俺は知らない。食事はどちらかと言えば淡々と進行した。西井と前田は「うまいで、うまい」と言いあっているが、残ったアラを食べようとはしない。澄川と大西がいつになく寡黙である。「生臭い」というのが実情で「まずいです」と澄川は言いきった。雑炊用の飯も残っている。俺がなんとかこの高い食材を無駄にしないべく、雑炊調理に入る。なんとか食える雑炊になって、リカバリーショットが打てた状態。満腹後は「戦犯探し」が始まる。「誰がこんなの作ろうとしたのか」西井にみんなの批判がとんでくるが、本人はうまいいい訳している。過去の食事でこんな話はあまりないのだが、冒険した結果だから、仕方がない。
夜中はヤンキー暴走バイクと警察の追いかけあい、そして夜明けは前田のイビキでなかなか眠れなかった。
走行距離66.4km
5/4 5時45分ごろ起床。みんなびっくりする。「朝が早くなったな」朝はベーコンエッグまたはスクランブルエッグとご飯。出発後、セブンイレブンでトイレ休憩。汲み取り式トイレと水洗トイレの話。やはり水洗の方がしやすい。今でも汲み取り式トイレは恐い。「ウォシュレット式がいいですよね」と大西。ここまでトイレにこだわる人達がこのOB合宿をしているのだから、驚きでもある。今では誰でもこの合宿が参加できる時代でもある。
伊万里に行く途中に唐津焼の窯元に立ち寄る。西井が「るるぶ」やインターネットで収集した唐津焼の薀蓄をたれるが、製品を全く買わない。それどころが、自転車のハンドルを握り続けた汚い手で、1万円近い陶器を平気で触る。蔵前さんと俺が嘆く。「そこまでするやったら、ちゃんと買えよ」しかし彼は買うそぶりもなく窯元見学。ビデオカメラをまわしている俺も自己嫌悪を感じる。15年ぐらい前に起こった豊田商事の社長刺殺事件現場にいたカメラマンの気分はこんな気分だろうか。ある程度覚悟していたが、結局何も買わずに出て行く。明らかに迷惑な客である。
北波多村で新茶の試飲がある。かなり濃い。この付近の人達はみんな濃い茶を飲むのだろうか。街道の途中で見かけたアイスクリーム屋のおねーちゃんの話。「浜崎あゆみに似ていた。かわいかった」「ああいう出店はおばさんしかいないのに、若かったな」ともりあがる。俺は見てなかった。伊万里まではレース状態で走りぬける。最初ははりきったが、後半くたばった。伊万里の休憩地では蔵前さん・西井・大西がヨモギ餅の餅つきを手伝っていた。後で1個50円で買う。温かくで美味。
伊万里市街の寸前で暴走4WDにはねられそうになる。後ろから見ていたみんなは冷汗ものだった。俺も「接触する!!」恐怖を味わい、その後怒りに変わり、中指を立てた。石ころでもあったら、投げつけていただろう。
有田陶器市は想像以上ににぎわっていた。全国からの陶器が集まっている。車は大渋滞している。自転車旅行のメリットはここにある。「本陣」で昼食。「ごどうふ」は絶品だった。嬉野温泉までは登り下りの繰り返し。最後は古い地図では書かれていない嬉野トンネルがあり、楽ができたと思ったが、寸前はかなりの急坂。温泉街に入る。昭和40年代にタイムスリップしたかのような歓楽街。走行中に小柳ゆきの「DEEP DEEP」が頭の中を流れる。長崎新幹線で嬉野駅ができる予定だ。そのときはこのディープなゾーンも一変するのだろうか。ここの野営地は悩んだ。西公園はNGで轟の滝公園は一回行く場所を間違えるが、近所のおばさんが教えてくれた。偵察は西井と蔵前さんが行った。どうやらいい場所のようである。風呂も大混雑ながら、天然風呂に入れた。夕食は「佐賀牛」にこだわる西井の意見で、焼肉となった。しかし彼はずっと「伊賀牛」と話し続けて、みんなからあきれられていた。「固有名詞の頻繁な間違いと、『さが』から『いが』と母音に言い間違うのは老化現象の典型やで」と俺が指摘した。一向に彼の症状は治らなかった。友人ながら心配である。しかし肉屋に行っても、「佐賀牛」ブランド肉はないとのことなので、普通のスーパーで釧路牛を買った。
今回は公園の至近距離に酒も売っているセブンイレブンがあるので、便利だ。ワインを買う。シャブリである。今までワインを購入したことはなかったような気がする。前田も好きらしい。
川のせせらぎが聞こえる公園で焼肉である。公園のライトもほどよい明るさで快適である。時々散歩で訪れる人が驚いているが、支障なくわいわい話しあいながら、いいひとときだった。
走行距離67.0km
5/5 前田のイビキで目が覚める。天気予報では晴れるはずなのに、曇天。いかにも雨が降りそうな天気である。散歩している方にあいさつしながら、トイレに行く。早く出発する為に、朝飯を作らないことにしたのに、結局だらだら過ごして出発時間はふだんと変わらなかった。嬉野を出て行く途中でお茶の工場があるので、見学する。土産も充実していた。試飲のお姉さんが熱心に語る。俺が紅茶をリクエストしたら、作ってくれた。日本の紅茶もなかなかいけるではないか。2袋買う。
諫早市街は走りにくい道である。自転車が走るスペースがないのと、ガタガタ道がその理由だ。うなぎやの福田屋に行く。これも「るるぶ」情報である。値段も高い。味は当然うまいのだが、俺は以前伊勢で食べたうなぎの方が好きだ。どうやら諫早のは天然物で、伊勢のは養殖ものらしい。どうやら俺は養殖物用に味が慣れてしまったのだろうか。
干拓資料館へ向かう。道は大渋滞で行きづらい。市街から5kmぐらい離れている。アニメソングがBGMとしてながれているのどかなところである。中に入ると公園と展望台と仮面ライダーのアトラクションの方へ人がながれているが、「社会派」を気取る我々は干拓資料館に行く。ガイドのおじさんが熱心に説明してくれる。こちらはほとんど人がいない。有明海の民俗や歴史などもわかる。干拓はここでは16世紀からの当然の要請としてなされていた事なので、一概に最近のノリ不作を干拓のせいにするのは、いかがなものかなと思った。ま、それがこの館の目的なのかもしれない。
展望台からは遠く微かに防潮堤防が見える。海岸すべてを封鎖する姿は、まだ見たことがないが、万里の長城のような気がした。
長崎までは高速移動する。小休憩は2回。10年前、あまりの道路状況の悪さにキレてしまったが、今回は新トンネルもでき、ある程度順調に走れた。しかし相変わらず坂の多いこの町を好きになれない。道に自転車走行可能なスペースがない。ホテルではゆったりと宅配便の手続きをとっているみんなと違い、単独行の続きをする俺は、汚い服をコインランドリーにいれ、余った団体装備をもらいうける。テレビの天気予報では3日間雨の予報。いいかげんイヤになる。本当は五島列島にも行って見たかったが、雨では楽しくもないだろう。荷物の多さにも辟易してしまった。逆にすべて家に荷物を送って、最小限の装備ですぐ船に乗って帰ろうと決断した。今まで単独行が快感に感じていたのに、先がもの寂しくなってしまった。これも年のせいだろうか。
西井が予約した卓袱(しっぽく)料理屋へは19時30分集合だが、遅れた。コインランドリーに入れたジーンズが乾いてない。ジャージで店にいきたくもない。結局濡れたままでかける。
料理屋は完全に接待用の高級料理店である。座敷に招かれた。これでジーンズが乾かせるとジーンズを脱いだ。トランクスだけで、この料理をいただくのはバツが悪いが、先の旅を考えると風邪をひきたくない。
料理は甘めの女性好きなメニューが続く。ここで久々に論議が俺と西井の間で発生した。「もっとやれやれ」と楽しんでいる人と「またか」とあきれる人に分かれるが、二人ともまだ大人になってないところである。「A級グルメとB級グルメの違い」とは何か? ちなみに我々がいただいたのは3800円のコース料理だが、西井は『B級グルメ』だという。俺は『A級グルメ』だと思う。どうやら彼は高い値段のものだけが『A級グルメ』と呼ぶらしい。俺は値段は手ごろで、本人がうまい、満足したと思えたら、それは『A級グルメ』だと思う。二人の間で定義付けが違うので、この料理がどちらのランクの料理かなんて結論でないのだが、みなさんはどう思われるだろうか。3800円のコースなんて気合いれて奮発しないと頼まないと思う。その人の収入や育った環境、ムードなどによってグルメの階級が変わるという蔵前さんと大江の定義が一番正しいということで、この論争が終了するはずだったが、いまだに西井はメールで愚痴を言っている。後は餃子とビーフン、カラオケにタンタン麺でしめた。午前3時。長崎の夜は長かった。そして長々とつきあってくれたみなさん、ありがとう。
走行距離79.6km
5/6 朝は9時半に集合した。結局テントなどキャンプ道具を宅配便で送ることにした。いささか寂しかったというよりは、さっぱりした。この後は柳川一泊で、次は門司で船に乗るつもりだったからである。このへんからして、放浪癖がなくなってきた症状かもしれない。出島・中華街と見学して、「るるぶ」推奨の店に入る。地元の人がよく利用しているところで、おばさんが一人で調理している。皿うどんとちゃんぽんと焼飯を頼む。これはうまかった。以前会社の部旅行で行った店とはまた違ったおいしさである。
来年この合宿をやるのかどうかは不明だけど、何気なくみんなと別れた。今まででこの時が寂しいと思ったのは初めてだ。
ここからは一人旅だ。みんなと別れてからいきなり雨が降ってきた。悲しい。それにトンネルまでは勾配10%はあるに違いない登坂だ。合羽が再登場。どうやら今回は雨男指定らしい。諫早では下り坂なのに、向かい風。かなり不機嫌になる。しかし頭の中では、岡村靖幸の「だいすき」がかかっている。なぜだろう。違う曲だが、大江がカラオケで彼の曲を歌っていたからだろう。疲れてくると、やたらハイな歌が頭の中を駆け回るのはなぜだろう。
防潮堤防の内側は閑散としている。「干拓計画を実現させよう」という旗が1枚、「干拓反対」が1枚。思っていたよりも地味である。地元の人にとってはこの話題はタブーになっている節を感じる。堤防の内側の最端まで行く。工事現場の廃棄現場のようなところにしばらくたたずむ。雨もやんだが、どんより曇った干拓地に何を作る気でいるのだろうと不思議な気分にさせられる。当事者でない気楽さがそうさせるのか。
吾妻町に防潮堤防の端がある。延々続くこの堤防を目の当たりに触ることは立入禁止区域なので、不可能だが、少し離れた海岸からは眺めることができる。外海では潮干狩りにきている人たちでまあまあ賑わっている。ふだんの有明海はこの光景なのだろう。この辺の人たちでも漁業関係者でないとこの堤防が直接生活に絡む事はないのだ。
サッカーで有名な国見を通過すると熊本に向かう船がある。あまり郷愁もいだかず、事務的に船に乗る。寝ようかと思うが、子供が多く、神経を逆なでするくらい大声で話すので、まったく寝付けない。地図を見ていた。
船が着いた後、迷いもなく北上する。灰色の干潟が気分を憂鬱にさせる。地元の人たちにとってはかけがえのない海と土なのだろうけど、自転車の人間にとっては、あまりいい色ではない。柳川を目標に走る。連休の大牟田市街はゴーストタウンのようだった。なぜここはこんなに道がでかいのだろう。長崎に譲ってやりたいくらいだ。柳川の中心地がツーリングマップではわからず、幹線道路をうろうろして迷っていると温泉があるので、そこにする。健康ランドぽいが、宿泊可能。1人なのにツインベッドがあり、寂寥感を感じる。
夕食を探すべく、自転車ででかける。やっと中心街がわかった。京町あたりである。北原白秋生家がある界隈は観光地だ。西鉄の柳川駅は三橋町にあり、これまた混乱する。西井が「諫早のうなぎと柳川のうなぎは違う」と言っていたのを思い出した。しかしうなぎ屋は数多くあり、明日でも食えるだろうと、有明海の珍味の店に入った。
誰も客がいない。やはりゴールデンウィークは終わったのだ。マスターも話しかけてくる余裕がある。値段表を見て、少し頼むものを考えたが、結局珍味と生ビールというおっさん飯になってしまった。ムツゴロウ・イソギンチャク・有明の貝などなかなか珍味だった。この料理は本当に素材を把握しているプロでないととんでもなく水臭いものになるような気がする。カウンターの奥の本棚には立花宗茂や田中吉政、有明海の生き物など、地元密着の本ばかりが並んでいる。
雑談を適当にしていると横にきれいな女性が座ってきた。マスターが俺に気をきかせてくれたのかと調子よく呑んでいると向こうから話しかけてきた。どうやらマスターの娘さんらしい。「客としてちゃんとお金払っている上得意さんなんです」と笑う。今日は日帰りで夕食を実家でとって、今晩中に家に帰るらしい。父親は娘と同席しているのが、恥ずかしいのか、オーダーをとるとすぐに厨房に入る。バリバリの博多弁の彼女の興味は店の前に置かれていた自転車にあった。「自転車旅行のわりにはあまり肌が焼けてませんね」「雨ばっかりでしたから」なかなか鋭いところを尋ねてくるなあと感心していたら、どうやら父親であるマスターも自転車を乗るらしい。そういえばすぐに俺の自転車を「クロスバイク」と一発で形容していた。奇妙な店に入ったなあと機嫌よくしている。ルックスが椎名林檎っぽいので、俺もドキマキしながら、会話を楽しんでいる。こんな奇妙なときめきは久しぶりだ。株式のオンライントレーダーと株情報のアドバイザーをしているとのこと。いまどきの職業だが、それで本当に生計をたてている人間を周りで聞かないもので、根掘り葉掘り尋ねると、「株されるんですか」と逆に聞かれた。表面的な知識でしかないが、ある程度の知識をしゃべると感心された。しかし父親には内緒で、「パソコンの事務をしている」と報告してるだけらしい。料理人の親にトレーダーの娘というのはドラマのシナリオにでもなりそうだな。大阪にも商用で来たらしいが、「いも焼酎がメニューがない」のに、びっくりしていた。福岡・大分は全般にうどん屋が多い。ダシはカツオベースで関西と似ている。関東のしょうゆベースのダシに耐えられないのは、同意見でもりあがった。
彼女の携帯電話が鳴ったので、この辺できりあげて店を出て行く。アドバイザーということならば、WEBを作っているのだが、URLを聞き出すのを忘れた。サーチエンジンでキーワードを調べるよう教えてくれたのだが、そのキーワードがうまく聞き取れなかった。残念。結構後悔している。だからといって、この料理屋を公開するわけにはいかない。マスターは娘さんの職業を知らないのだから。
距離101.2km
5/7 朝寝坊した。それでも8時。のんびり準備して、荷物を温泉に置いてもらって、軽装備で北原白秋生家に行く。受け付けのおばさんとお姉さんが、俺を自転車で来ていることを知ってびっくりしていた。先日の無愛想な男性との反応と全く違う。「今日はどこまで」「門司で船に乗ります」さらにびっくりされた。俺もそんな高速ペースで走られるかどうか不安である。
白秋生家のあたりは、まさに水郷柳川の風格がある。ゴールデンウィークも過ぎてからは、観光客相手の店の人達、川下りの船頭さんたちものんびりとしている。やっと太陽が見られる。
「あめふり」♪あめあめ、ふれふれ、かあさんが〜♪をはじめ、のんびりした童謡や校歌の詩を多く作り出した彼の人生が、こんなに早熟で破天荒なものだとは思わなかった。17歳で地元新聞で自作の詩が掲載される。離婚歴2回、結婚3回。台湾やサハリンの旅行。現代に生きていたら、どんな詩を書いていたのだろうか。すぐに作詞プロデューサーになって、豪快な生活を送っていたような気がする。明治期の文学者が現代のインターネットを駆使したら、どんな作品を残していたのだろうかとついつい想像したくなる、
帰りに水郷地区をまわり、鰻屋へ。柳川のうなぎはまあまあ無難なうまさだった。たぶん諫早のものよりは鰻がふっくらしていたと思う。自転車に乗るときに空気が完全に抜けていた。パンクだ。前から空気の漏れ具合が激しいなあと思っていたが、ここ数日はそのピッチが早かった。ガソリンスタンドで空気圧を5.0気圧にしても2日ぐらいでアウトだった。ここでしっかり修理しておくことが大事だろうと宿泊地まで歩く。バケツを借りて、何年ぶりかのパンク修理。少なくともOBになってから自分の自転車を修理したことがなかった。持っていた手入式の空気ポンプに力が入らない。おかしいなと中を分解するとプラスチックパッキンが完全に壊れていた。ここで前田が持っていた足入れポンプが恋しくなる。やはり俺には世界を走るだけの装備をしてない気合が足りないのだと自己嫌悪になりながら、めったに晴れなかった空の下で、淡々と修理する。中津では悪戯でやられたと思っていた空気抜けだったが、タイヤを見るとあちこちに亀裂が走っている。中のチューブは1箇所しか穴が見つからない。76.1MhzのFM局だけが、機嫌をよくさせる。最後の空気は近くのガソリンスタンドで入れることにして、なんとか出発、20時のフェリーに間に合うかな。午前11時45分出発。
吉野ヶ里遺跡には回らず、久留米に直行する。遅い昼食は喫茶店。洋食が恋しくなった。いいかげん和食はあきた。ささみのホイル焼き定食はうまかった。その後は冷水峠経由で門司までまともな休憩なしで走る。冷水バイパスは自転車にとって一つも役に立ちません。10円取られるうえに、冷水トンネルが通行不可なので、意味なし。国道200号線はトラック産業道路で、どうしようもなく自転車にとっては楽しくない。北九州黒崎の寸前は神戸のジェームス山なみの坂で苦しんだ。北九州市内は強風のため、下り坂でもペダルをこがないと前に進まない。一通り苦しい思いをした後、新門司のフェリーターミナルに着いたのは、出港20分前。船内の風呂に入って、なぜか日焼けしている身が痛かった。
走行距離129.0km
5/8 大阪南港に着く。雨の洗礼を受ける。土砂降りである。タイヤの空気が抜けてきている。修理は万全でなかったようだ。後日修理しよう。家にタイヤチューブの予備があるからそれを取り替えるか。空気ポンプも必要だな。こんな調子だと世界をまたに走ることはできなさそうだ。このへんが己の年貢の納め時なのだろうか。まだ何も見つかってないのだろうか。人間、少々の旅では悟られないようだ。だからU2の音楽が今も受け入れられるのだろう。
(終わり)
5/4 朝4時起き。といっても、途中で雨がパラパラ降っていたので、すでに起きていた。雨中の輪行袋製作は憂鬱だろうか。朝飯も食べず、すぐにテントをたたみ、寝静まったキャンプ場をひっそりと出て行く。5時・中部天竜駅着。雨は幸いやんでいる。昨日生協から買い込んだ黒のゴミビニール袋、ガムテープ、ビニール紐。俺は幸い既存の輪行袋があるので、早々にパッキングした後は、みんなの手伝い。自作しようという気になったのは、当然せっぱつまったものだが、1999年合宿の時、雨カッパをビニール袋で作った有原先生の創造力がヒントにもなっている。
ゴミ袋をハサミで1枚ものにして、ガムテープであわせる。そしてそれを分解した自転車でくるんで、紐できっちり締める。自転車野郎のサバイバル精神のたまものである。始発の6時19分発上諏訪行きの普通電車にのる。1両編成だが、ほとんど我々の荷物で占領されている。トンネルと登坂とカーブだらけの飯田線の乗り心地は一言いって、16年前同様相当つらい。
「日本一人口が少ない村」富山村にある唯一の駅、大嵐(おおぞれ)駅に着く。ひっそりとした駅で遠くにある道が見える。あれが本来走る道だったと思うと少し寂しいが、通過していく。
天竜峡駅に降り立つ。このまま上諏訪まで行くのは芸がなさすぎる。天竜川下りに乗る。乗ってくるのは大半が年配の団体旅行者だが、中にはカップルでいちゃついているのもいる。ジャージ姿や短パンの汗臭い集団はいない。嬉野温泉同様昭和40年代の観光地の雰囲気がある。ガイドのおばさんは地元の民謡を浪曲テンポで歌いながら、川沿いの案内。休憩するにはいい船だった。バスで元いた場所まで送り返してくれる。帰りはホテルやペンションへも向かう。曲がり道が多いので気分悪くなった。
飯田市の中心地に長野郷土料理を出す定食屋があるのだが、そこまでの坂道は半端でなかった。今回は一番しんどいところをやむなく電車で通過したので、昼飯を食べに行く時が一番しんどいという本末転倒なツーリングとなっている。グルメツーリングということかな。
西井と大西が3000円のセットを頼む。豪気だ。俺は半額の馬刺定食でがまんする。他、ざざ虫、蜂の子などにもチャレンジ。頼んでいる2人は一口かそこらで遠慮して食べなかった。余りもの処理を俺がする。値段は相当高く、長野出身の上司いわく「長野県人でもめったと食べられないんですよ。最近は」。ありがたくいただく。食べ物の限界値は俺が少し高いといったところか。しかし納豆と生ガキはダメなのである。
飯田市街は小京都と呼ばれるだけあって和菓子屋がたくさんある。飯田の人たちはそんなに和菓子を食べるのだろうかと疑問に思うぐらいたくさんある。ある和菓子屋で休憩。お茶までいただき、まったりとしたひととき。いつ走るのだろうか。
駒ヶ根までは国道で行くか、山沿いの農道で経由するかで意見がまとまらない。多数決で新しい農道になったが、おそろしく盆地の切れ目を上ったり下ったりの洗濯板ロード。体力消耗も激しい。りんご畑やなし畑の間をすりぬける。街道沿いにやたらと花が植えられている。きれいとは思うが、いささか花がかわいそうに思うのは俺だけだろうか。駒ヶ根市街に入り、買出し。これまた恐ろしい勾配の坂を下りる。買い物の時は、誰がどういうスタイルで生活しているか垣間見える。藏前さんと俺は一人暮らしも長いので、こまめで、商品選択も慎重である。西井は嫁が怒るぐらい意味もなくあれやこれやと買物カゴに入れる。このときに何か糖分補給をしておかなかったことが、後でえらい目にあう。
ハンガーノック。97年の十勝岳以来の悪夢だ。みんなキャンプ場にさっさと登っていっているのに、ひとつも追いつかない。それまでは先頭を走っていたのに、それだけの疲労でもあるまい。雨もきつく降ってきた。みじめになってくる。
キャンプ場の申し込みをみんなが行っている間、残していたグミキャンデーを2袋一気にあけて、口の中にほおばるが、まだ腹が減る。しかし晩飯があるので、やめておく。
家族旅行村のキャンプ場には大きな健康ランド風の風呂屋があるので、くつろぐ。学生時代のころよりも風呂とアウトドア装備に関しては、格段便利になったのではないだろうか。我々以外にこの手のツーリングをしている人たちはいないのかなぁと毎年この手の話題が風呂場でなされる。今回の旅行でも自転車で走っている人をあまり見なかった。
風呂からあがると雨がきつく降っている。幸いキャンプ場の炊事場が屋根つきで炭かまど場は誰もいないので、そこを食事する場所にする。オートキャンプスタイルで8人用テントやタープを堂々設置している家族のまん前だが、雨なのでやむをえない。最終日はいつも焼肉。家で作る焼肉より2ランク上ぐらいの肉を買い込むせいか、やはりうまい。晩飯のネタは「来年の合宿計画」である。毎年そうなのだが、たいがい話しているプランにはならない。
土砂降りの中、テントの中で寝る。どうか翌朝に洪水状態になってませんように・・・。
5/5 霧の只中、目覚める。ほとんど前が見えない。雨はやみそうだ。朝は長野名物「ローメン」を食べる。ヤキソバとの違いが俺にはわからない。今回は短期合宿のため、今日終わることがまだ信じられない。最後になって晴れてきた。
キャンプ場内にはゴーカートもある。俺と大江以外のメンバーが金出して童心に戻り遊んでいる。もともと童心の持ち主だが、ゴーカートもしょぼく見えてきた。
帰りはようやく駒ケ岳をはじめとする日本アルプスの山々が見えてきた。こんなに景色がよかったんだとあらためて思った。自転車旅行にとって、気候はその場所のイメージに大きく影響する。しかし暑すぎるのも大変で、飲み物の消費が増える。
伊那市内に入ると芝桜の展示会があるので、入る。甘酒・お茶がタダなので、入ったのだが、なかかな見事な園芸美。
ダチョウの肉が食えるという店が権兵衛峠の手前にあるらしいので、そこまで行く。行くというよりアタックという言葉の方が妥当か。勾配15%の坂を延々登る。ダチョウの肉はまあまあだったが、ここで育てているというのだから、不思議なものだ。付近は公園になっていて、手作りパン屋、蕎麦屋などもある。小高い丘の芝生で休憩。晴天下なかなかいいラストだ。
と思ったが、大江の自転車のパンクがまた続く。つらそうだ。去年の柳川にいたときの俺がそうだった。山々を眺めながらのパンク修理。といっても本人はそんな余裕はなかっただろうが、ラーメン屋や喫茶店の駐車場からみるこれらの景色もなかなかオツなものである。
諏訪湖沿いに走る。バイクのイベントがあるのか、サイドカータイプのバイクやハーレーが通り過ぎていく。なぜか積載したトラックやバンも多い。バイクは積むものではなく乗るものだと思うのだが、どうだろう。最近自転車でもそうなのだが、やたらとフレームやパーツのブランドの情報は知っている癖にひとつも乗ってない輩が多いのは、解せない。「乗れよ」と言いたくなる。自分のGery
Fisherのクロスバイクはもう9年目だ。
1996年以来のすわ湖苑。輪行袋を入れたダンボールがおかれていた。分解は明日にすることにして、さっさと風呂に入って食べにいく。ゴールデンウィークの最終日にしてはひっそりとしている。帰りの切符を買う。どうも愛想が悪い。西井や大江は俺よりも「あの駅員の態度はなってない」と怒っている。昔なら俺もキレていたのだろうが、まるくなったものだ。
川魚を扱う小料理屋に入る。山菜と川魚の天ぷらが美味。信州の地酒も入る。客が俺らしかいないのが不思議だ。今回参加できなかった澄川と前田に電話して、報告。酔っぱらいの旅行話は常に自慢気でもあり、長い。携帯電話会社ももうかるだろうか。あ、この旅行記もたいがい長い。長くする理由は簡単で、後で自分が読み返すためである。
ふだんならカラオケが相場なのだが、ボックスが見当たらない。いや店自体が開いてない。バーっぽいインド料理屋で2次会、金の精算をする。桜フレーバーのカクテルはうまかった。
5/6 いつになく早起き。自転車の分解。今度は輪行袋を自作する必要はない。タケヤ味噌の味噌博物館で味噌汁をいただく。100円。それにしてもなぜここでワッフルを売るのか俺には理解できない。ご飯だろ、普通。間欠泉で作ったゆで卵を食べて各自解散。大西は一足先に、俺以外のみんなは諏訪大社へ寄っていった。「しなの」新幹線を乗り継いで、帰る途中でクリーニング取りに行かなくては。再び一人暮らしをしだした哀愁がただよう。帰ってからの片付けって、自転車旅行記サイトにはどこにも書かれてないけど、案外これが一番骨が折れる。着た服を一通り洗濯機につっこみ、作動させて、洗物を干す。フロントバッグをベランダに干す。フィルムの現像出しにカメラとビデオカメラの手入れをして、電子メールのチェック・・・。せっかくメーターつけていたのに、日々の距離記録を書き忘れた。少し悲しかったので、記録もすぐに書けず・・・。
やっとようやく書けた。(2002 6/15)
旅行した後は、今でも父親が俺をからかう台詞が、いつも身にしみる。
「旅行どうやった?」「楽しかったけど、疲れた」
小学生時代、学校に提出する夏休み日記の一文である。しかし「やっぱり家が一番」とは言わない。次も出かけるから。
(終わり)
POPPO:2004年OB合宿記録
4/30 19:20 渋谷発。
国道246号線沿いのイルミネーションが当分見られない−高揚感−。
自転車ツーリング前は、ささいなことで心を高ぶらせたくなる。
今までの合宿では、常に自転車を列車または飛行機に持ち込み、フル装備での現地到着が多かった。今回はフロントバックのみ持参。しかし一眼レフカメラにビデオカメラに三脚は相変わらず重い。去年デジタルカメラを購入したのだが、妻が実家へ戻ることで、持って行かれた。まあ今となっては一眼レフを使用する時といえば、この合宿ぐらいしかないのも現状だ。
埼京線→宇都宮線はモロ通勤電車だが、思ったよりもすいていた。大宮で乗り換え、予約していた新幹線より早い便に変更しようとしたが、既に満席。大宮駅界隈を東口から散策する。猥雑な雰囲気。西口に切り替える。広島風お好み焼き屋があり、飛び込む。店長がテニスプレイヤーなのか、メニューが著名なテニスプレイヤーの名前があてられている。味はまあまあだけど、マヨネーズで別料金をとるのと量がいささか少ないかもしれない。
最終のやまびこに乗る。本を読みながら、しばらくすると郡山着。今回の道筋の大半は夏休みに妻とレール&レンタカーで訪れたところが重なるが、自転車で行くのも一興だし、今まで「東北」はこの合宿において、いくつかのボーダーラインがあった。「遠い」「寒い」「観光地が離れている」等、今まで計画の俎上にあがりながらも実現しなかったが、藏前さんも俺も関東に来たことと、過去に訪れていることから、関連情報も入手、参加者の食指も動き、同意を得た。
ホテルに向かうと外国籍の女性が話しかけてくる。「マッサージ、いかがですか」地方にも外国人が珍しくなかったというところか。チェックインすると既に来ているという西井がいない。電話をかけると、ちょうどホテルの前の自動販売機にいた。
「映画見ていた」
結婚してから見に行くことがないらしいので、このひとときが楽しいらしい。「キル・ビル2」は確かに好みが分かれるところだが、タランティーノ作品は嫌いではない。深夜ロビーで雑談した後、明日は軽装備でツーリングをする。二本松までの訪問目的は安達太良山・霞ヶ城址・高村智恵子記念館と足慣らしである。
5/1 8時におきて、自転車の組み立てに入る。久しぶりにチェーンにオイルを注いで、11年目になるクロスバイクのギアが快調になった。9時30分出発。本当は安達太良山のふもとにある岳温泉に行きたかったが、本格的な合宿に入る前に600mアップは躊躇われた。年をとると無謀な挑戦をしなくなるということか。国道4号を素直に北上したかったが、強風。想像以上にしんどい。藤井に似た自転車乗りが対向車線を通過して行ったので、声をかけたが西井から「別人や」と笑われた。既に西井は膝が痛いらしい。軽いギアでクルクルまわすように走るよう、アドバイスする。96年の天城山越え以降、伊豆半島において懸命に片足で走り続けていた彼のことを考えると先行き心配なので、しつこく伝えた。結果的には合宿最終まで、そのペースでご機嫌よく走っていたようだ。
二本松市街に入る。霞ヶ城址まで急坂の連続。駐車場には「さくらまつり」と掲げられているが、既に散り去り、屋台の店は閑散としている。桜は経済的影響を与える。城址本丸へ上っていき、少しわき道へそれると安達太良山が見える。西井とツーショットで撮影。いささか奇妙だ。この山にこだわってきたのは、自分の名前の「高太郎」にある。一応父がいうには俺の命名の時に「高村光太郎」を意識したらしいのである。本当かいなと思うが、占いで「光」は画数により運勢が悪くなるので「高」になったとのこと。今でもそんなに運勢いいかどうかに関して、自信はないが、高村光太郎の詩は過去からずっと読んできた。今となってはブックオフで、ワンコインで売られている「智恵子抄」だが、古風ながら、当時としては激しいタイプの恋愛・結婚・看病生活をかいまみせる作品だ。薄曇の中の安達太良山だったが、満足だった。
二本松藩は少年隊という、会津藩における白虎隊に相当する悲劇の少年たちがいた。追悼碑の前で考えた。
「20才未満で死んでいる(人が多い)けど、俺らって、いくつやった?」西井が苦笑い。
「今年で俺ら、34だね〜」とのほほんと俺。
「歴史に残るようなこと、何もしてへんなぁ」
「ゴールデンウィーク合宿を10回やっているじゃないか」
坂本竜馬は33才。近藤勇・土方歳三は35才、神風特攻隊隊員は20才前後。現代ではアイルトン・セナが34才、加藤大治郎は26・・・。
長生きしても「記録」にはなるが、「記憶」にあまりならないようだ。そういった意味で大リーグ時代に報道陣へ言い放った新庄の言葉には重みがある。俺もかねがね「記憶」に残るタイプになりたいと思っていたが、結婚してからまったりしてしまった。「無事これ名馬」と言う言葉もある。
二本松市街の旧道を走り、安達町へ。高村智恵子にまつわるエリアに入る。想像以上に誰もいない。今の子供たちは高村光太郎の詩は教科書で読んでないのだろうか。
近所の定食屋で昼飯。新聞や雑誌では、イラクの日本人人質関連報道がメイン。昔は真剣に時事ネタを議論しあった二人だったが、今は大きな声でまくしたてるほどではない。先日のホテルで「朝まで生テレビ」を見ていたが、途中で寝てしまった。
*追記・・・このとき「朝まで生テレビ」に出演していた橋田信介さんが襲撃されて亡くなった。
普段陽気なラテンのりで話す戦場ジャーナリストが、たまにみせる物憂げな表情と淡々と話す時があった。
そんな彼の一瞬が好きだった。今は押しも押される名カメラマン(と思う?!サイン会にも行きました)
宮嶋茂樹さんが、橋田さんを「上官」と呼んでいた理由がわかる。つい敬礼したくなる尊敬の念。
ただ冒険家でもジャーナリストでも、守るべき最低条件がある。それはどうしても遵守して欲しかった。
本人もそう思っていただろうと−「生還すること」−冥福を祈ってやみません。
高村智恵子記念館に入る。いくつかの作品が残っているが、一番驚いたのは16才の時に彼女が書いた手紙の文字だ。おそろしく達筆だ。展示案内では、今では使わない「精神分裂症」の表記のままだ。「統合失調症」にいつ変わるのだろう。もし彼女がこの疾病にかかっていなかったら、光太郎とどんな人生をすごし、どんな作品を世に送りだしていたのかが気になる。少なくとも詩は異なったものになっていたかもしれない。詩人・彫刻家の大家と重ねるわけではないが、自分の妻には元気なままで、大過なくのほほんと生きていて欲しいなあとあらためて思う。
4号線で郡山へ戻る途中に和菓子屋による。地方にはおいしい和菓子屋が多い。しかし和菓子はあまり得意ではなく、プリン大福という不思議なものをいただく。うまかった。帰りは追い風で、30Km/hペースで飛ばすが、このあたりの電柱の各所に張られているデリヘル案内チラシが気になってならない。興味がないという年齢ではないが、ハードな運動の最中でもあり、結婚していることもあるわけで・・・。自転車で走っていると車やバイクでは気がつかないものに目がとまるという体験報告の文章は、数多の旅行記で記載されるが、これは一種のサブリミナル状態で単に目に繰り返し映るために、記憶に残りやすいだけだと推測するのは、心がヒネているのか?
一直線上の道なのに、トラックと乗用車が正面衝突事故を起こしている。ケガ人もいるようにみえた。近くにいる車からは誰も降りてこないままで、じっと待っている。西井と俺は少しあわてて「助けようか」と思った。交通整理や看病やら119番やら色々と頭の中をうずまく。が、自転車風情でおせっかいなことをするのも、ためらわれたので、そっと通過した。こちらの地方の方はじっと行列をなしていることが多く、「イラチ」「おせっかい」である関西人からすると違う民族ではないかと思う。少なくともセルビア人とクロアチア人ぐらい違うはずだ。
ホテルの駐輪場に戻ると既に自転車のセッティングに入っている藤井と大西がいた。17時、俺の部屋で団体装備が集められ、おなじみの「団装ジャンケン」大会。過去はビデオ収録もしたが、ホテルの部屋が狭く断念。意外と比較的楽に決まっていたにもかかわらず、今年は「あいこ」が多く、時間がかかる。結果的にはラクなものになり、ほくそえむ。
夜、外にでると寒い!! 100円ショップで割り箸やゴミ袋などを調達。学生時代の自転車ツーリングより実費が安く済んでいるのではないか。デフレメリットを感じる。ついついジュースやお菓子などもストックに入る。次はトレーナー購入。「東北は寒い」と計画段階で藏前さんがさんざん全員に忠告していたにもかかわらず、俺は宅配便に送る荷物として上着が入らなかったため、あっさり持ってこなかったツケである。ただここで買っていてよかった。その後の寒さをしのげた。
晩飯は郷土料理屋。近所に風俗系の店が多くあるディープな場所だが、料理はうまい。俺の酒量が増えたのにみんな驚いていた。
「結婚してから鍛えられているので」
一人暮らし時代は冷蔵庫に酒類は一切なかったが、結婚後は妻の意向によりたいてい入っている。
次はラーメン屋をはしご。西井調査による店は、残念ながら既に閉店していたので次を探す。テーブルが2人・4人に分かれたが、それによって味が全然違っていたようで2人の藏前さんと俺は高評価。後のメンバーは不満そうだった。「当たり」らしくひとまずラッキー。喜多方ラーメンではどうなりますか。明日は早いので、早々に宴会を切り上げ、各自部屋に戻った。
走行距離 54.6km (郡山−二本松−安達 往復)
5/2 8時出発と言っていたが、少し遅れる。9時前に郡山市街の吉野家で食事。結婚後、初めての吉野家牛丼。牛丼はそこにはなく、豚丼だ。豚丼を食べてみて、人間にとっていかに牛が食用として渇望される理由がわかった。西井恒例の生姜丼状態を数年ぶりに見られて嬉しい。「生姜丼状態」とは肉より生姜をてんこ盛りで突っ込む状態のことを定義とする。
猪苗代への道は、観光で来た首都圏からの車で混雑している。車をデコレーションしたヤンキー仕様の大宮や宇都宮ナンバーの車を見ると、なぜか大阪南港にいる和泉ナンバーを思い出す。関東に来て2年になるが、まだ頭の中で関西事象に翻訳する癖が治らない。近所の駅からみなとみらい駅まで行くのに、10分少々かかるのだが、それは京阪の京橋まででかけるイメージに相当する。
通年いつも飛ばす大西のスピードが遅い。変速ギアレバーの付け根にあるワイヤーが切れかかっているらしい。ビニールテープで応急処置。「ここぞという肝心なところだけで、前のシフトチェンジをします」
テレビゲームのターボ機能のような使用の仕方で不思議だ。彼がこの合宿に参加したのは98年の紀州コースからだから、いいかげん自転車も整備する必要があるように感じるが、飄々としている。
磐梯熱海。ここでもデリヘルの案内チラシが電柱にめだつ。晴天のおだやかな気候の中、風が強い。後日、さらにひどい向かい風になることはまだ誰も知らない。
猪苗代湖に到着。スチールカメラのオートフォーカスが効かなくなってきだした。フラッシュが機能しないのは、渋谷の街を撮影したときに既にわかっていたことだが、やはりダメだ。21際の時、1年ローンを組んで10万円支払って買ったカメラもそろそろガタがきだした。自転車も23歳の時に購入したものだし、買い替えも検討したいところだけど、カメラはデジタルカメラ・ビデオでもよいかという気持ちもあるし、自転車もこの合宿以外で走る機会を考えてみると、今のものをそのまま使っておきたいという結論になる。最近は修理依頼するよりも新しいものを買ったほうが安いという話もある。
各地から行楽にきた車で渋滞する中、自転車の列がすりぬけていく。ここ数年バテ気味に走っていた大江が軽快に走っている。本人もまんざらでもないようだ。以前は積載用ロープがタイヤを擦っていたこともあり、走りづらそうにしていたが、今年は往年のランドナーが元気だ。藤井に至ってはわざわざMTBを持っているにもかかわらず、この合宿では学生時代のボロボロランドナー。「積載可能で便利だから」らしいが、タイヤはほとんどスリック状態、泥除け止ボルトは穴の中で切れている。なかなか危なっかしい。
追い風に変わり、コンスタントに時速30kmペースで、野口英世生家に到着。ふだん小食の俺がいつになく腹が減る。酒量だけでなく、結婚後食べる量も増えた。ここは去年の夏、妻とレール&レンタカーで訪れているが、新しい展示会をやっていたので、興味深く拝見する。野口英世の人生において、母の存在がとてつもなく大きいが父はどうしたんだという疑問を抱く? 展示に占める割合も母と比べてほんのわずかなのだ。将来生まれるかもしれない子供に、自分がどれだけの影響を与えられるのかと気にする年齢にもなってきた。
向かいの店で地ビールの飲む。余ったビールを飲んでしまうぐらい、腹が減ってしまった。酒量があがったといっても、自転車に乗るにはいささか頼りない。しばらくフラフラで昼食の場所を捜索する。西井の「るるぶ」が元になるが、お客さんで満席ということが多く、そば情報館というところで、遅い食事となった。
店が大勢の客に対応できていないにもかかわらず、あまり悪びれたところがない。この傾向は東北地方の飲食店・土産物屋に比較的よく見られる。「イラチ」の関西人とは相容れない点である。
「オーダーお願いします!」と怒鳴る。
結婚してから「穏やかになった」という周囲の評価をうけていたが、「やはり(鳩野は)気が短い」と笑われる始末となった。
五色沼までひたすら登り。レンタカーで来たときはこのルートでなかっただけに道が読めないが、ひたすら登る。ここ数年の合宿では、前田の次に後方をノロノロ走る状態だったが、今回は快調だ。去年秋にかかった食道の病気で、体重を落としたことが原因かもしれない。
五色沼には思ったよりも早く到着。去年車で来たときよりも人が多く、繁盛している。キャンプ場の受付もこれまた気がきかず、客を待たしているにもかかわらず、受付担当は声かけさえない。しびれを切らす寸前で、やっと順番が回ってきた。車で来ている家族連れキャンパーの真ん前に6人自転車ツーリングテントを張ることになり、少し恐縮する。
五色沼だから、ハイキングで五つの沼オール制覇したいところだが、俺自身は去年来ているので、どちらでもよいという状態。結局みんな早めに風呂に入り飯を食べたいということもあり、毘沙門沼を中心に観光。和菓子を買っていた人もいたようだ。
ジャンケンで3人・3人に分かれて、風呂と調理に分ける。大江・大西・俺は調理が先、後風呂となる。急に冷え込んできたところで、毛布をレンタルする。今までにキャンプ場の備品をレンタルしたことはない。
風呂班が戻ってきたところ、先に食事。普段ならここで誰かが「いただきます」のあいさつがあって、近況報告というルーチンだったが、その前に大西が今年9月に結婚する報告を聞く。みんなで祝福しつつ、カレーをガツガツ食べる。
米炊きで芯気味に作ってしまった。2年ぶりの参加で少し腕が落ちたようだが、西井・大江にフォローしてもらい、食べられる米になった。食器の片付けを先に風呂に行った3人にお願いして、風呂場へ。500円支払というキャンプ場にしては、そこそこ徴収するところだが、それなりに充実している。
子供がわらわらと入ってきた。家族連れのキャンプって、その後の子供の趣味を影響するだろうなぁと思いながら、湯につかる。OB合宿で一番早い就寝になるのではないだろうか。22時に歯も磨いて一通り寝る準備ができた。ふだんならわいわい雑談をするところだが、寒くてかなわんので、すぐに寝た。
今回はMP3プレーヤーも新調し、より軽く、大容量になった。聞きながら寝る。FM802で昔、放送していた鈴木雅之の「LOVE OVER TIME」MD録音を、最近になって衝動でPCにつなぎ、MP3録音化した。97年3/12深夜放送分。最近のFM局はこの手の番組しないよな〜。ガキ向けでしか、局も営業的に苦しいのだろう。残念だ。ここで放送していた楽曲は、R&Bの基礎編みたいなものだったが、当時はそうメジャーでもなかった。7年後の今では、R&B自体が、日本人アーティストの真似(リスペクトとも言う)基準となってしまっている。年寄りの愚痴は別において、この合宿が始まる時の頃の番組を気軽に聴ける現在の科学技術の進歩に感謝する。番組本編50分近くのデータを転送しても、まだまだ楽曲が入る。案外当時のCMや番宣の声に思いをはせる。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件後、この合宿が始まった。放送されていたスポンサーやDJ、アーティストは今どうしているのだろうかと気になる。そして逆にこの合宿が相変わらずのスタイルを維持・継続されていることは新鮮な驚きだ。
深夜2時半ごろ、トイレでテントの外に出た。星が美しい。
走行距離 58.1km (郡山−猪苗代−五色沼)
5/3 6時起床。みんな年をとったのか、朝が早くなったような気がする。特に自分。「今までの合宿で一番寒かった」という人が多い。藏前さん・大江・俺は「96年の白樺湖が一番寒い」。なんたって、水溜りが凍っていた。
朝は豚の炒め物と飯。よく晴れているが、後半が雨という予報がまだこの時点では信じられなかった。短パン・Tシャツに日焼け止めといういでたち。8時出発といっていたが、結局9時前。いつものことだ。再度毘沙門沼へ。太陽の角度からか、夕方より朝の景色がいい。
桧原湖。藤井の自転車のタイヤが泥除けに当たり続けている。大西の変速ギアレバーの付け根同様、ビニールテープを張って固定する。このビニールテープ、おそらく今回の合宿で最もコストパフォーマンスに優れた逸品だった。100円だったような・・・。
裏磐梯の道の駅でも軽く休憩する。藤井のチェーンがよく外れるようだ。「今年がこのチャリも最後かな」と藤井。それにしても怖っかしい自転車に乗っている彼に感服する。というものの、12時までには喜多方を目標なので、あまり遊んでられない。峠を越えると長い下り坂。道は予想以上に段差があり、きつい。積雪の関係だろうか。
喜多方には11時着。有名ラーメン店は、どこも鬼のような行列。ひたすら、じっーと待っている人を見ると旧ソビエトの配給行列をしている人たちのように忍耐深いなぁと感心するものの、アホじゃないかと思うことがある。最初は有名店で「やっぱりうまいものを食べたい」とつぶやいていた西井も、まざまざと長い行列を見て、諦めたようだ。結局藏前さんご推奨の店に入る。この店はどうやら「老麺会」に入っていないところで、あまり人に気づかれにくい場所にある。なかなかうまい。昼時になると行列ができだした。長居せずに出て行く。造り酒屋・味噌屋と経由した。造り酒屋では、蔵内見学とモーツァルトの楽曲を聞かせながら醸造した酒の試飲、味噌屋ではお茶をいただきながらも何も買わず出て行く我々は、たいそう強心臓である。「試食の帝王」として今後も活躍したいところであるが、最近関東に来てから、おしとやかな行動となった。あまり誰も同意してくれないが、あつかましさも少し減退したかもしれない思っている。
会津若松までは単なる平地快走ランとみんな思っていた。しかし全員がオーバー30(サーティ)を迎えたこのOBに対し、強烈な向かい風。関東ではGW史上最高の強風だったらしい。上り坂のほうがまだマシというぐらい不快な風だった。5kmほどでコンビニに駆け込み、チョコレートを食べる。晴天下で、マイブーム(死語?!) の小枝の大きいサイズが溶けてきた。みんなに配給する。かわりにずんだ餅を藤井がくれた。猪苗代でずんだもち屋があったが、調理に5分以上かかると言われて断念したかわりに、藤井が買ったようだ。もらっていて言うのは、申し訳ないけど、あまりおいしくなかった。横浜駅でやっていた宮城物産展のものがおすすめかもしれない。いや、ちゃんと仙台へ行ってから評価したい。
会津若松市街に入ると、一旦来ている俺なんかは「早くキャンプ場行こうや」と軽くいうのだが、西井が「今回の旅は新撰組を考える目的がある」ということでわざわざ逆風を浴びに、飯盛山へ登る。台風なみの風だったような気がした。しばらくのろのろ走ると、ようやく門前町みたいな構えの白虎隊の墓・資料館に到着した。白虎隊の墓までは急な階段を登らなくてはならず、横にエスカレーターがある。江ノ島と同じような感じ。つい利用する。250円。みんな階段で行った。元気だ。こちらはカメラとビデオカメラを携行していることから、負担は重くなっていることを主張するが、階段を登りながら、エスカレーターでじっとしている俺の方を見ながらみんなニタニタしている。こちらからは撮影しようとするが、階段とエスカレーターの間の壁に阻まれた。小高い地点からは会津盆地が見渡せる。新撰組の資料館へは、西井と藤井が入る。他の人たちは手前の椅子で休憩。串焼きのこんにゃくを買う。今までと異なり、その場でちょこちょこ食べ物を買う。胃拡張状態だったかもしれないが、この記録を書いている時点では、食欲がちゃんと落ちているので、不思議なものだ。鶴ヶ城へはよらず、そのままキャンプ場へ。まだ30km近くある。今度はすごい勢いの追い風に変わるので、時速30kmペースで走りぬく。
会津坂下町のコープで買出し。「米沢牛」が購入できそうなためである。キャンプ場界隈の西会津町に着くタイミングだと開いているスーパーがなさそうと見たからだ。17時になろうとしているが、パンやら牛乳やらを腹ごしらえにいれ、余裕を感じさせる。米沢牛はなかったが、福島牛を買う。結構いい値段。買い物でその人の経済感覚がわかる。既婚者に関していえば、異なる性格の者同士がうまくいくようだ。前田に連絡。今回の合宿は奥さんに「自転車に乗ると危ない」と厳重に忠告されながら、大阪まで出てきたとのこと。今晩の深夜急行にのって、最終日合流の予定。「ホントに来るんかいなぁ」とみんなの不安をよそに電話越しではやたらと明るい。まあ信憑性は高いと期待しておく。西会津までの追い風平地から登坂コースになってきた。最近は旧道の峠から、バイパスへのトンネル越えが増えてきて、足的には楽になっている。しかし精神的には、横のトラック等が追い越してくるので、プレッシャーである。トンネル内のスピードには自信がでてきたが、いいかげん嫌になる。日も暮れてきた。この合宿をはじめた95年ぐらいの「往年」では、普通の光景だった藏前さんと一緒に登る先頭ライン。てっぺんはまだかとイライラしていた途上、車の待避所で、見慣れた顔がのほほんと手を振っている−前田だ!
「おつかれ〜」「いいところで陣取っているなぁ〜」「ええ所で登場して、おいしいぞ」
疲れきったみんなの表情から、これから荷物を預けてよいという安堵感と久しぶりの再会に話がもりあがる。記念撮影をしたうえで、フロントバッグのみで登坂を続ける。前田は先にキャンプ場の下見のため、車で走っていった。レンタカーのフィットの中は、自転車の各種バッグやテント・寝袋などであふれかえっていた。藤トンネルからは下るが、この道がこのうえなく悪路で、溝やら穴やらが車道にもある状態で、ダウンヒルも慎重にならざるをえない。暗くなってきているところで、なんの変哲もない道で藏前さんが待っていた。
「どうされました」
「パンクや」
結構ショックのようだった。新調したGIANT「グレート・ジャーニー」でパンクしたら、シャレになっていない。あの関野吉晴モデルである。彼のテレビ番組写真集でもパンクのネタというのは確認できてない。国道49号線の一応舗装道でもパンク被害にあう可能性はあるということか。日本恐るべし。
前田のレンタカーを輸送車から救護車に変わってもらう依頼を携帯電話で。但し藏前さんのツーカーでは届かないので、「携帯電話メールは絶対読まないで下さいね」というのを条件に俺の端末を貸す。僻地はドコモより、ツーカーよりauというのが通説である。
さゆりキャンプ場についたのは、19時をすぎていた。既に藏前さんと前田が車で来ていたが、自転車はまだパンク地点に置いたまま。早く野営地を決めて、荷物を搬出せねばならない。オートキャンプ場は既に満杯のため、毎度のお約束で近くの公園をロケハン。屋内プールの向かいの駐車場は人目につきやすいので、野球場近くへ移動する。ベンチがある。花もご丁寧に咲いていて絶好だ。ベンチにはテーブルならびに屋根つきという特上。トイレに明かりがないが、水は出るのでOK。キャンプ場横の風呂は9時までなので、テント設営後、すぐに入る。混雑しているが、露天風呂もあり、気分よく浸かった。会津坂下でパンを食べていて正解だった。
21時、調理に入る。といっても焼肉である。10回目となるこの合宿でそろそろフライパンにガタがきだした。しかし新規購入してよいものかどうか・・・。たらふく食べた後はさっさと寝たいが、おなかがいっぱいだと逆に眠れず、音楽を聴いているが、近くの駐車場で車のエンジンをつけっぱなしにしているのが気に障る。元々神経質である性分は変わっていない。
深夜2時50分頃にトイレに出て行くと、あやしげな動きをしていた。(^^;)
この後、雨音が・・・。
走行距離 90.0km (五色沼−桧原湖−喜多方−会津若松−西会津)
5/4 最近あまり当たってなかった天気予報がピタリときた。小雨がパラパラと降る。ガスカートリッジはどうもたくさん確保しすぎたようで、結構余っている。ご飯にインスタント味噌汁という学生時代そのままの食事。テントをたたむときに、雨がやんだのは不幸中の幸いだった。どのみち前田の車に載せるが、レンタカーとなると少しは気を遣う。
9時すぎには向かいの野球場には少年野球団が練習をしはじめている。我々を見ないようにしているようだ。「変なおじさんを見ちゃだめだ」とか、コーチに言われているのだろうか。コーチの年齢ともそう変わらなくなってきつつあるが、子供のためにボランティアで教えている彼らのほうが、我々より世の中に役に立っていることは間違いなさそうだ。
今日は観光もなく、ただ新潟に到着することが目標である。荷物がない軽装備なだけ救い。想像以上にきつい登り。ここで大西がスパートで抜いていく。長距離のアップコースは今までどおり早かった。新潟県に入るととたんに道がよくなる。さすが田中王国。歩道・車道ともに充実していることは実感できた。しかし下り坂はどうしても舗装に凸凹が散見される。
津川町では土砂降り。コンビニの屋根さえもがありがたい。
三川村の道の駅にある舞茸の店に入る。ここもオーダー伺いは遅いが、若い店員が悪びれているようなだけ、まだ福島の店より許せる。舞茸の天ぷらをはじめ、結構うまい。寒いので、久しぶりにホットコーヒーを頼む。
このあたりから腹の調子が悪くなる。みんな大丈夫そうなのになぜだろう。1時間毎にコンビニで休憩し、トイレに駆け込む。地方のコンビニは気軽にトイレを貸してくれるので、大変ありがたい。
亀田からはバイパスを強引につっこみ、駅まで走る。インターチェンジもなんのそので通過するものの、ジャンクションの出入口時に車が進入してくるときなんかは、思わず焦る。フランス旅行時を思い出すが、先頭を走っていた西井が道を間違っただけらしい。結果的にはこれが一番早く走れたので、それはそれでよかった。
新潟駅。土砂降り。ホテルが近づいてきた。17時着。靴がズブ濡れになったので、新聞をあわてて購入。日経と東スポだが、ネタさえ読まずに靴につっこみ、部屋の暖房をガンガンにかけ、乾燥させる。前田の部屋にはみんなの装備が積み上げられていた。本当にありがとう。
夕方は新潟県人から教えてもらった海鮮物の店だが、なんと大阪の「かに道楽」と同系列であることが判明。少しヘコんだが、料亭風情でゴージャスに過ごせた。今までみたいに「なんとか論争」みたいなことはなく、まったりとというか腹の調子が悪く、トイレにいた時間が多かったような・・・。
みんな二次会のカラオケへなだれこんだが、俺はあっさりと帰ってしまう。ホテルでテレビをつけると強風のニュースが多い。ハードな合宿だったんだなぁと述懐しつつ、時々トイレに駆け込みつつ、ぐったり寝た。
走行距離 79.8km (西会津−津川−三川−新潟)
5/5 じっくり寝たせいか、腹の調子はマシになった。藏前さんは結婚式に行くため、早々に帰られた。毎回このOB合宿、終わりはあっけなく「バイバイ」となる。宅配便営業所まで行くのに荷物のパッキングをしていると、前田が発車時間5分前の列車にギリギリ間に合うようにホテルから出発した。補給車を繰り出し、装備まで運び、宅配便の手配までしてもらった。本当に感謝。
宅配便営業所に着いても「ダンボールがない」と言われ、近所のスーパーまで視察。途中の歩行者天国で火消祭りというのをやっている。なぜか小さい子達のユニットがヒップホップを踊っている。「火消しとどう関係あるねん」とツッコミたいが、時勢か。西井が嬉しそうに彼女達を眺めているのを見て、なぜか幸せに感じる。そんな自分が好きだったりする。スーパーでは既にダンボールが回収されていた。近所の酒屋で手配。輪行状態にするのに、少し手間取り、11時に手配完了。最近は「輪行」と言わず「折りたたみ」と宅配業者に伝えるほうが、話は早い。
昼食はすし屋で1700円のにぎりに、はしごで定食屋。ここは新潟県人のおすすめによりソースがかかっていないカツ丼がおすすめである。自転車ツーリング中でもないのになぜか食えるのはやはり胃が大きくなっているせいか。デパートで会社への土産を買ってからみんなと別れる。藤井+大阪組は新潟−大阪の飛行機で帰る。そのチケットは藤井のバースデー割引。男3人分にこれを適用した藤井に仏の心を見た。来年以降もたぶんタカられるのだろうか。
上越新幹線に乗るのは初めてだ。サッカー競技場、ビッグスワンの威容を車窓からしばし眺める。なにげに新潟は人口が多いことに気がつく。50万人越えていたような。もう少しじっくり見たかったし佐渡にも一度行きたい。サッカーも見に行きたくなった。これは横浜にもあるなぁ。熟睡しようと思ったが、本を読んでいた。
東京からは事務的に家まで着いた。実家から帰っているはずの出迎えの妻は・・・、「ドラゴンクエスト5」を熱心にしていた。「おかえり」
結婚してからの自転車合宿は、一人暮らしのそれよりも断然よい。衣類や食器の片付けを淡々と手伝ってもらい、かつ土産話まで聞いてもらえる。
(終わり)