POPPO:2005年OB合宿記録

 5/2 20:45 渋谷発。

 職場では最終退出者の常連となってしまい、この記念すべき10周年目となるOB合宿は不参加となってしまうかとおびえつつも、なんとか飛び出すができた。今回は大江の不参加というショッキングな出来事が発生し、合宿自体の存続が危ぶまれた。彼の不参加の理由が仕事の都合なので、やむをえない。自分自身も2年前はそうだった。
 ついに重たいNIKON F601を携行するのをやめ、デジタルカメラに切り替えた。毎年の記録でも書いているような気がするが、14年前の1991年に10回ローンで10万円かけて購入した一眼レフカメラを持っていかないということである。撮影した写真をスキャンするより画質がデジカメのほうがよいうえ、処理が楽なためである。2000年の頃から「後5年で、デジカメの時代になるでしょう」とカメラ好きな知り合いには常々主張していたのが、見事に予言が当たった形となった。今回の合宿では、携帯電話のカメラで撮影している藤井と大西の姿が象徴的といえる。
 ここ10年の合宿スタイルをふりかえるとテクノロジーの変遷を垣間見ることができる。しかしランタン・バーナー・コッヘルなどは当初のままだ。もう誰も買い換えないだろうなぁ・・・。この後、基本的にきちんと準備して携行していたものが次々と持って来られていない事実が判明する−

 埼京線→長野新幹線で長野まで。今回は本を持っていった。今となってはテレビにもよく出てくる宮嶋茂樹さんの「不肖・宮嶋 踊る大取材線」である。カメラ撮影にかける意気込みに感化されつつ、ビデオに持ち替えた合宿収録に情熱を・・・というところまでは、お世辞ながらもうまくいかない。
 長野新幹線自体は初めて乗ったが、夜なので、全く景色はわからないままだった。松本行きの終電が思ったよりも苦痛で、スイッチバックがあるとは思わなかった。昔同じ路線を乗ったような気がするが、記憶がない。
 松本着 0:21。ネット予約したホテルに到着したら、宅配便で運ばれていた自転車がフロントの横に置いていた。このときに中をあけて組み立てておけば、翌朝、大慌てせずに済んだのにと今でも思っている。ここからスケジュールどおりにいかない合宿の序章である。
 藏前さんは既に浴衣姿で、寝る前だった。明日9時ぐらいにホテルを出て、10時に塩尻で名古屋から特急「しなの」に乗ってくる大西と藤井と合流しましょうという話で部屋に戻る。
 戻った後、パッキングに入る。しかし自宅でスカパーに入ってから、アニメオタク状態で見ているアニマックスがホテルのテレビで放送されていることがわかり、ついつい"MONSTER"を集中しつつ見ていた。寝たのは2時以降。

5/3
 
 730分起床。ホテルのフロントに置いていた食べ放題のパンとコーヒーを飲みつつ、早めに組み立てようと外に出る。蔵前さんもやってきた。
 自転車の組み立て入ろうとしたら、なんと後ろのディレイラー(変速機)が、もげている。文字通り、パックリちぎれているというべきか。今までこんな経験をしたことがないだけに、ショックがでかかった。この自転車は1993年に買ったから既に12年目なのだが、こんなところが壊れるのは、輪行しはじめて15年以上の経験があるが初めてである。海外ツーリングも無事くぐりぬけてきたのに・・・。

 といっても宅配業者に文句をいうほど、高価なしろもので既になくなっている。保険は5万円以内で入っていたが、手続きをとっている暇はないし、当時10万円で買った自転車の減価償却は既に終わっているとも言える。大いに慌てている俺を見て、藏前さんから「自転車屋行くしかないやろ」と言われ、少し落ち着いた。
 あまりにも狼狽している俺をホテルのスタッフの方たちも心配していたのか、事前に「近くの自転車屋」を調査していただいていたのには、感謝感謝である。但し9時前後からオープンしている自転車屋を探すのは困難で、フロントの方は2件ほど電話までして確認していただいたが、開店してなかった。この調査方法は、今のご時世では影も薄くなり、めくることも減った「タウンページ」だった。ついになんと営業時間7時30分〜という稀有な広告を出している自転車屋があった。
 矢口輪店。50年の歴史と銘打ってある。これまたフロントの方に電話していただいた。ディレイラーといっても話が通じないので「後ろの変速機を買うことはできるか」という質問で、「大丈夫」と言ってもらったので、9時30分ごろに行くことを伝えてもらう。ひとまずはぶっ壊れたディレイラーがない状態で自転車を組み立てる。チェーンがゆるゆるで走りにくいが、自転車に乗れず押して歩くには遠いため、背に腹はかえられず、ガクンガクンさせながら、自転車屋へ走り出す。
 出発が遅れることもはっきりしてきたので、塩尻で合流の大西と藤井にも連絡を藏前さんからとっていただいた。
後はこの自転車に取り付けられるディレイラーが存在しているかどうか、取り付けられるかどうか次第。ここでゲームオーバーだったら、何しにここまで来たのかさっぱりわからない。10周年目の合宿をこのような形で終わりたくないと切に願いつつ、松本城に近い自転車屋の捜索に入る。フロントの方から詳しい地図をもらっていたにもかかわらず、松本城の入り口まで、つっこみ、うろうろ探すと地味な一角にその自転車があった。年配のおじいさんが、近所から来たおばあさん・おじいさんの自転車を修理しながら、雑談している。
 「連休やのに、繁盛しているね〜」「本当は休もうと思ったんだけど」「いやいやみんな頼っているのよ〜」
 会話の内容は何の変哲もない井戸端会議だが、ある意味プロフェッショナルな店で安心した。ロードレーサータイプの自転車も何気に店舗の奥においている。かなり期待できる・・・と思ったが、自分より前に来ているお客さんとのしゃべりがもりあがり、少々待たされることとなる。

 藏前さんも道を少し迷いながら、(どうやら松本城まで行ってしまったようだ)自転車屋に到着した。おじいさんは自分の自転車に取り付けられそうなディレイラーがあるかどうか捜索中。なんとか出てきたので、取り付け開始でそれを手伝う。
 取付賃はタダにしてもらい、3500円。ギアの調子は悪いままだった。伸びきったチェーンや前ディレイラーもまとめて本来であれば買い換えないといけないが、そんな時間的余裕は全くない。最後まで変速の調子は悪かった。本来の仕様である21段変速のうち、今回のツーリングでは、10段以内で走るハメとなる。

 次は塩尻合流の手立てで、大西・藤井と連絡。携帯電話で気軽に話せる時世のありがたみを感じる・・・と言いたいが、待ち合わせ場所に設定した塩尻・西友の場所を藏前さんと自分はそのまま気づかず、塩尻郊外までスルーした。国道沿いのガソリンスタンドでその事実に気づき、強引に藤井と大西を呼び出す。
 「ガソリンスタンドで堂々とチャリダーがくつろいでいるわ」と藤井は笑いながら、藏前さんと私を形容した。確かにジュースを飲んでいるわ、備え付けのスポーツ新聞は読むわで、くつろいでいた。逆に1時間ぐらい待ちぼうけを喰らっていながらも、ゆったりできたであろう藤井と大西は、何も買出しの品を買っていなかった。こちらもその旨、伝えてなかった。いずれにしても、みんなのんきにしていた。藤井と大西は名古屋方面から、朝の早い特急「しなの」に乗って、塩尻までたどりつき、そのままスイッチバックで元の名古屋まで自転車で走る精神的苦痛はあると思われた。正直、自分なら、嫌なコースである。

 昼飯。毎度のB級グルメ権威、「るるぶ」持参の西井がいないので、適当に近くのドライブインに入る。塩尻郊外なのに、なぜか沼津直送海産物が取り揃えられている店。ボリュームは十分だった。

 ここから宿場街だらけのコースを走る。賽川宿スルー。旧道経由で坂を軽減し、奈良井宿。藤井が来ない。どうやらパンクらしい。先に3人で、橋を渡り、花を愛でつつ、旧市街へ。黒を基調にした江戸時代の町並みに入る。途中で藤井も合流して散策。本日のメインイベントなのだが、既に午後3時を過ぎている。どこに泊まるかは全く決まっていない。いきあたりばったり。当初の合宿では、キャンプ場で宿泊できるように、律儀なくらい計画におりこんでいたが、今回は全くの真っ白状態。「どーにかなるやろ」が合言葉のように、そのまま走り続ける。

 大河ドラマ「義経」で小沢征悦が好演中(個人的には思っている)の木曽義仲ゆかりの館は時間がなくスルー。中山道を走っているとどうも自転車に不寛容なドライバーに怒鳴られることが多い。それにしても今回の合宿では、走行中によく怒鳴られた。走りのテクニックが低下したのか、それともこのあたりのドライバーのマナーがなっていないか・・・。

 木曽福島の関所もスルー。旧市街は坂がきつく、自転車を押して登る。既に5時をまわっている。夕食の買出し前に、いきなり「大判焼き」を買いだす。カマンベールチーズ入りを頼んだ自分を見る目が冷たかったような気がする。うまいのに。

 夕焼けがきれいな寝覚の床で、小休止。ここで泊りのアタリをつける。本能に近いものがある。川べりに芝生があり、景勝としては文句なし。後はトイレと水道の確認が残る。途中で立ち止まったツーリング中の方と雑談。我々より若く、軽装だ。正直少しうらやましい。お互い来た道の情報を伝え合って、別れる。
 風呂場は・・・と見ると展望台の上に元国民宿舎があり、藏前さんがフロントに確認したところ、入れるとのこと。
 ひとまず風呂に入って、落ち着いてから、野営のメドをたてることで意見が一致した。7時。NHKニュースを見ながらまったりと牛乳アイスを食べる。JR西日本・福知山線の脱線事故一色である。集まっているみんなの兄弟・親戚・知り合いも利用していることから、それぞれの無事を確認しているが、やりきれない。事故究明は当然として、怒鳴りながら詰問するマスコミの言葉遣いには違和感を覚える。
 いつまでもまったりとできないので、野営地の検討。なんと藏前さんがヘッドランプを持ってきていない。毎年装備にぬかりがないので、結構びっくり。大西や藤井もバックの奥底にライトがあるため、自分のマグライトだけで、街灯がない川沿いへ下る。トイレ発見。トイレとは別に蛇口を発見したので、そのまま野営のセッティングに入る。

 水周りを汚さないように、本日はキムチ鍋ときしめんを入れて、最後まで飲み干す形とする。実はスポンジや洗剤も誰も持ってきていなかった。調味料しかり。おまけに恒例のアルコールも、風呂場で買えたにもかかわらず、誰も無意識に買ってこなかった。今回の合宿は持ってきていないものだらけとなった。単純に荷物の軽減したかったとしても、ここまでやってしまい、みんなで苦笑。「まあいいか」

 調理は無事すんだが、自ら大失態。シメのきしめんを入れるところで、ダシがたっぷりでた汁をこぼしてしまった。キムチの汁が大西の足にこぼれてしまう。幸い火を切っていたので、さめていたのと、大西がサンダル履きですぐに洗えたことが救いだった。1999年合宿で鍋を落とした時以上に凹む。貴重な食材を無駄にしてしまった。片付けが終わったのは11時過ぎ。

 寝覚の床は中央本線がそばにあり、暗闇の中、時々電車の通過騒音が高らかに響き続ける。みんな、この野営地について少し心配していた。自分だけ奇妙に自信があったのが、少しゆらいだ。結果的には思ったより走らなかったので、ホッとした。MP3プレイヤーで音楽を聴き続けていたのと、ただ単に疲れて、眠り続けていただけかもしれないが。

走行距離 65.9km (松本−木曽福島−寝覚の床)

5/4
 6時起床。少年サッカーチームが、我々のテント近くの芝生で練習しはじめた。特に違和感なく、彼らは我らの横をランニングで通過していく。我々が存在しないかのようである。モロ観光地のど真ん中で宿泊していることにあらためて気づく。早めに出なければ。今回の合宿、朝は温かい飲み物を作るために湯を沸かす以外は調理せず、パン食で統一した。というものの、味噌汁などで少々ゆったりと過ごし、8時30分出発。西井との合流は9時。絶対間に合わない。当初南木曽(なぎそ)駅で待ち合わせだったが、国道沿いから離れているので、妻籠の旧市街でおちあうことで変更の連絡をする。
 基本的に下りベースだったので、楽勝モードで南木曽到着。しかしここから一転、急坂となる。「勘弁してくれ〜」と思っていたところで、妻籠の旧市街。ここも古きよき日本の風景である。西井は来ないが、ひとまず先に自転車を駐車場近くのスペースに置いて、歩きで散策。ビデオ撮影中に西井があらわれた。自転車でそのまま旧市街に突入状態である。今回の合宿では、ビデオ撮影中に電話が鳴ったり、人が現れたりするので、タイミングがいい。

 ひとまずは本陣の見学。縁側でクタ〜とたべる。今回の合宿は晴天続きで、日焼け止めを都度塗ることになっているが、自転車で走らない分には爽快な天候。「るるぶ」持参の西井の案内により、五平餅を食べて、街道沿いをうろうろとする。峠向こうの馬籠宿の昼ご飯にたどりつくためにも、早々に出発。まさに「食べるために走る」状態。

 妻籠−馬籠峠までは強烈な登坂となる。西井以外の4人が持っていた団体装備を、団装ジャンケンをせず、西井へおしつける。ここから旧道経由で走り出す。外国人のハイキング客も数多く見た。自転車で走る我々を見て、素直に応援してくれる。すがすがしくもあり、無理に手をふってみたりする。サイクルメーターは0kmとしか表示しないスピード。

 休憩ポイントは各自バラバラながら、男滝女滝で少し観光。想像以上にハイキングコースで賑わっているのに驚きながら集合写真。801mの頂上までは、スーパーロー(一番ギアの軽い状態)でじわじわ登り詰めるしかない。不思議と今まで高速パスハンティングのイメージがある大西のスピードがいまいち出ていないようだ。結婚後、どうも体重が増えたように見受けられる。人のこと言えないが。

 馬籠峠では、まさに「峠の喫茶店」があったが、ゴミ箱がないのに閉口する。旧道のハイキングコースからも人が登ってくる。ここから先は「岐阜県」だ。最近長野県山口村岐阜県中津川市に合併したためである。傍から見てもこれより向こうが岐阜県という雰囲気はあまりない。合併したてで、なじんでいないように思える。

 観光客が集う馬籠宿に到着。ここも旧市街の黒ベース・・・だが、他のそれと異なり急坂の町並みから眺望すると、恵那山(標高2191m)がドーンとひかえているところが、豪快でもあり、気に入った。ただ人が多い。団体旅行客のバスも駐車場に殺到しはじめている。

 「るるぶ」情報に記載されている店は満席だったので、ある店に入る。5人客だが、4人用テーブルがあきっぱなしとお世辞にも気がきいているとは言いがたいので、店員に依頼する。「空いている椅子をテーブルに持ってきて5人で食事をしたいのですが、いいですか」店員が同意する前に椅子を運んだ。
 「こういう役まわりは鳩野しかいない」とは周囲の言葉。一番「イラチ」なままだ。栗おこわと蕎麦。栗おこわには課題があり、蕎麦はまあうまかったというのが、共通した感想と思われる。

 藤村記念館に入る。文・藤村、漫画・岡本一平の「コラボ」カルタが楽しかった。文豪が見せる少し意外な才能が好きだったりする。なお岡本一平は岡本太郎の父である。我々の間でもカルタ作りの提案があったが、いつの日か誰か作るかも?

 昼間からかなりの量を食べ、酒も入ったにもかかわらず、明治・大正の頃を彷彿とさせる喫茶店に入り、アイスぜんざいを頼む。藤井だけはまともにアイスコーヒーだった。合宿でビデオ撮影を行ってから、みんなに撮影していただく機会をちょこちょこ作ってきているが、藤井のビデオまわしと言葉の引き出し方がうまいのに感心する。カメラを向けられたときの自分のしどろもどろさが悲しくなる。

 中津川まで下りかと思いきや、バイパス経由で結構な登り。藏前さんと西井で、少しでも負担を軽くしようと裏道捜索。他のメンバーが持っている地図が10年以上も前のものが多く、あまり役に立たない。自分の地図もしかり。なんとか中津川駅に着く。閉鎖しているダイエーの建物が物悲しい。大阪行きの特急「しなの」が見える。少しホームシック。自宅の横浜ではなく、実家の大阪に。ふるさとは遠きにありて思うもの・・・といいつつも新幹線で帰る距離のほうが身近で、自転車で放り出された今の状態がそう思わせるのだろう。
 本日の野営地について、検討する。あわせて食材の購入場所も決めなくてはならない。この兼ね合いが微妙に難しい。購入する場所と野営する場所が遠いと、荷物としての負担が重くなり、体力を消耗する。逆に近くに購入できるところがあるだろうと楽観視していると、実は店がなかったり、閉まっていたりとヤバい状況に追い込まれる。OB合宿になってからはそんなに僻地を走っているわけではないのだが、今回はなかなか難しい。何よりも最初からの計画時点で目ぼしい地点がない。
 協議の結果、結局中津川で購入し、恵那峡で野営することで意見が一致した。郊外のでかいスーパーで食材購入。献立でしばらく協議。協議してばっかりだが、これはこれで楽しい。調味料も無駄に購入したくないので、最小限に抑えて、「味噌」談議。名古屋風の味噌を使うか使わないかである。名古屋風味噌については、あまりいい思いをしたメンバーが自分を含めていないので、ついためらう。2001年合宿の「クエ鍋」の二の舞にならないかと保守的である。
 結局カツオだしベースの「鳥鍋」で決着した。

 恵那峡まで、前半は郊外のバイパスメインに走るため、足元に負担がかかるが、後半は裏道捜索する方針。しかしいきなり登坂中に藤井がパンク。リカーショップ横の駐車場で、修理に入る。西井が前田に電話。明日合流なのだが、今回はレンタカーもなく、宴会参加である。高知からわざわざ来てくれることが嬉しい。
 藤井のパンクの状況がいささか変だ。足元まわりをオーバーホールしたが、スポークのでっぱりが少々大きく、これがチューブに擦れていると思われるので、大西からもらったバンドエイドを出っ張っているスポーク部分と隣接しているリムに貼り付けた。これ以後、最終日までパンクはなかった。

 暗くなってきた。ついに裏道捜索には、近所で散歩していた孫を抱えていたおじいさんにも道を尋ねて、協力いただいた。 こういうことを熱心にしているのは藏前さんと西井である。正直15年以上前の地図しか持って来ていなかった自分にはそのリードする資格もなく、疲れていた。
 恵那峡で目印にしたのは、想像以上に威容な面構えを誇る「かんぽの宿」だ。到着してからは、何の遠慮もなく汚い自転車を正面玄関そばの壁にかけ、話し合う。風呂はひとまず確保できた。問題は本日の野営地だ。その気になれば、この「かんぽの宿」に入り込むことも可能だったような気がする。にもかかわらず、なぜか野営地だけは、今までの合宿でもそれなりにこだわってきた。例外的に1999年、雨中でお寺の軒下泊があるが、屋根つき宿は、自分が参加した合宿において、最初と最後の集合地以外はないはずである。これだけ記録を書き続けながらも記憶が曖昧になってきたのは、年月のせいか。
 藏前さん・大西・自分と西井・藤井の2班に分かれてロケハン。恵那峡を望む展望台周辺は水がないため、却下するが、ここから見えたクリスマスツリーのような電飾はマークしておく。公園だ。「かんぽの宿」に戻り、西井・藤井からの報告では駐車場があり、道向かいにトイレがある。双方ともどちらが野営地としてベターか確信がもてないまま、風呂の受付が8時までのため、先に入浴。ひとまず風呂に入ることで、判断力を回復する。その後の浴場にあるくつろぎ場で協議する案が結局ベストなように思える。ただ正直いうと10年以上前の現役の頃より、激しい走りと生活パターンを送っているような気がしてならない。風呂はいつも8時ごろで、テント設営はその後、飯は9時半以降。寝るのは12時。あまりアウトドアでこんな夜型の生活しているのは、めったといないことは確かだ。

 「かんぽの宿」には豪華なソファーがあり、そこで協議。一応展望台からクリスマスツリーに似た電飾の木々が立っているさざなみ公園が見える。「行ってみようや」と西井・藤井が言う。一応トイレがあるので、まず水は出るはず・・・。急坂を下りて、思いきって川べりまでつっこむと途中で土産物屋のおばさんと思われるが声をかけられた「今日はどこでお泊り?
 野営することがバレた可能性もあるが、適当にあしらい、さざなみ公園に突入。なかなかいい感じである。トイレが超がつくくらいきれいに掃除されている。芝生が最高。寝覚の床よりも川音が静かで、電車の騒音はない。
 全員の意志は確定した。ここで早速テント設営に入る。ただ向かいがホテルで、明かりも煌々としているため、木陰に隠れる形で目ただないよう、組み立てる。今日はみんな迷わず酒を買っていた。昨日の反省である。鳥鍋調理は難航した。味が薄い状態が続き、だし・醤油・だし・醤油と袋に入ったパックをほぼ使い切る形となった。個人的には薄味趣向なので、うまかったと思うのだが、まだ薄いと思っていた人もいたかもしれない。

 明日の計画には万博立ち寄りと竸の墓参りのどちらかを決める必要がある。スケジュール的には両方の訪問は難しい。
 NHK教育で放送されている「モリゾーとキッコロ」を妻と一緒に見ていて、モノマネして遊んでいたりもするぐらい、万博のキャラクターに興味はあるのだが、肝心なイベントのほうは、もりあがりに欠けているような気がする。1970年大阪万博の岡本太郎の時代と比べるとスケールが小さくなったからではないかと思ったのだが、「誰が万博やっても、この時代やったら、もりあがらんやろ」と西井。インターネットである程度情報が把握できる時代の万博というのは、開催すること自体、難しいのかもしれない。
 なぜか寝つけず、音楽を聴きつつ、1時ごろ就寝。

走行距離 57.6km (寝覚の床−妻籠−馬籠峠−中津川−恵那峡)

5/5
 
 6時起床。ここ数年ずっと言われるが、「鳩野の寝起きがよくなった」
 自分でもしみじみそう思う。普段の生活ではなかなか起きないのになぜだろう。既に犬の散歩をしている人たちがいる。しかしテント設営しているコースとは段差が異なり、見えることはあまりなく、特に迷惑をかけているわけではないようで、安堵する。あれやこれや決め続けなくてはならないこの合宿の日々もラストである。少しスリリングな気分に高揚させてくれるOB合宿も10周年となった。

 テント撤収の後、立ち寄ったコンビニでディレイラーとパッキングの時に使用していた荷物紐が絡み、ガリガリと言い出した。ついにこの長く伸びきった紐の先端の鉄線が折れ曲がってしまった。今回はついていないなぁと思いながら、みんなの後を走っていると和菓子屋で休憩してくれていた。栗きんとんがうまかった。休憩の数は現役時より増えているような気がするが、たまたま休む場所を選んでいるかのように、休憩時の記憶が多い。ビデオをまわしてから、さらにそうなったからかもしれない。恵那駅で、藏前さんが竸の両親へ連絡される。久しぶりというわけでもないところが、結構驚きでもある。そう合宿前にも事前に連絡されていたというお気遣いに感服。墓地の場所などをうかがってから出発する。国道も本格的に大きくなり、通行量も増えてきた。

 多治見の郊外で老舗の鰻屋が交差点のめだつところにあるので、ストップして昼食。全員がおひつまぶしを頼む。昼はいつも豪華である。自分はさらに豪華に肝吸いをこぼすなど、先日のキムチ鍋こぼしから粗相が目立つ。そのまま新しく作ってもらったものと取り換えてもらった。ありがたい。今回の合宿から手元があやしい。この調子で年をとるのだろうか。このおひつまぶし、食べ方が色々あり、まずはそのまま、次に肝吸いをかけて、食べる。更にさらにお茶漬け、最後にはご飯と具をまぜて好きな食べ方で、汁をかけるもよし、お茶をかけるもよしである。うまかった。

 このまま19号線でもまれるのはいやなので、古虎渓沿いに走る。名古屋に近い道なのに、渓谷沿いの美しい走りやすい道だった。名古屋市街地に入ると途端に道が狭くなり、新興住宅地の工事中、郊外のコンビニといった風景に変わる。丘陵地帯でアップダウンはそれなりにさせられる。コンビニ手前で西井のパッキングがずれて、何か落ちたようだ。コンビニでスポーツ新聞の見出しを見ると、相変わらず楽天ゴールデンイーグルスがやたらと弱いらしいことがわかる。今回はラジオを持ってこなかったので、外部の情報がほとんどわからない状態。阪神が弱かった時代以下の成績と思うと、なぜか嬉しい。それでもサッカーのヴィッセル神戸よりも圧倒的に話題になっているのだから、楽天にしてみれば、広告料以上の効果はあったと見てもよさそうだ。

 ナゴヤドーム。正直あまり見栄えのいい建造物ではない。デーゲームで中日とどこかが試合しているらしい。別に中日ファンでもなさそうなのに、西井の執着心が不思議と強く、立ち寄りることになった。個人的にはスルーして早く墓地へ行きたかったのだが、電話で取り次いでいた藏前さんもそう思っていたのではないかな。
 藏前さんが少し遅れる旨、伝える。西井は前田が手土産をもってあがらせているのだが、まだ新幹線の中らしい。

 10年前に車で竸の葬儀へうかがったときは、薄暗い光景だった大通りをぼんやりと覚えている。葬儀であった色々なことは今でも鮮明に覚えているが、大阪からの往復がどのようだったかはあまり記憶にない。同期メンバーと一緒に車で走った。10年後の今、この通りを自転車で駆ける。違法駐車が多いため、堂々と右側車道を高速通過する。八事交差点以降、急坂となる。馬籠峠と同じぐらいの勾配に感じた。

 八事霊園の花売り場に視線を向けると、既に藏前さんが竸のお父さんとしゃべっていた。既に会話盛り上がりモードになっているのを見て、最初はうらやましかったが、竸のご両親ともに自分のことをよく覚えてくださっていたことがわかり、ホッとする。彼とはかつて同じ班だったことが多く、峠バトルだの、栄養ドリンク飲んでの走行テストだの無茶なことをしたことをエピソードとして話す。文集や口頭でも、比較的ネタとして自分のことがとりあげられていたと思われるので、ご存知と思っていたのだが。おそらく10年前とは体重が10kg近く増えてしまったことで、ご両親にとって、自分のことを顔を見ただけでは、わからなかったのであろうと推測される。

 墓前であいさつ。「あいさつに来るのが、少し遅くなりました。すまない。今もおっさんになりましたが、走っています。生きていたら、嬉々としてこの合宿に来てくれていただろうと思います。ま、空から見ていてください」

 線香の火と煙がものすごい勢いでモクモクとしていて、墓参りのマナーとしては、どうなのだろうかと一人で思いこんでいたら、お母さんが「みんな来てくれて喜んでくれているわ」
 ご両親とも、己の息子がたどってきた人生上にある活動、研究内容や趣味について、記録と記憶にとどめる姿に深く思うところがあった。ただあくまでもその姿勢は自然体であるところが特にそうだった。いざ自分の両親をふりかえると、自らが作成したインターネットサイトや編集した映像を、ここまでの意志と体力で追いかけてくれるだろうかとぼんやり考えていた。八事霊園の遠くに飛行船が飛んでいる。その下に万博会場があることをお父さんが教えてくれた。最初の計画では愛知万博へ立ち寄る話もしていたが、ここでチラっと見るだけで満足だった。墓地に自転車で来てよかった・・・。としみじみしていたら、「名古屋の喫茶店に入りましょう」とお誘いをうけた。遠慮する理由もないので、そのまま言葉に甘える。

 車の先導に、自転車が追いかける。名古屋市街といっても閑静な住宅地の結構大きな道路で自転車5台がチェイス状態。お父さんも案外無慈悲に()走行するので、今までの中でも結構緊張を強いられる走りとなる。途中で我々を置いていったことに気づいたようなので、セーブして伴走状態にしてくださった。ただ残念ながら、後ろに渋滞の列気味なので、今度は逆に我々が先回りして走り続ける。
 喫茶店についてから、「容赦なかったですね〜。追いかけるのは結構しんどかったですよ」とみんなで笑いあう。

 入った喫茶店がびっくりである。名古屋では当たり前らしいが、尋常でない量の飲み物・食べ物がどっさり。ミニコロッケといっても、一つもミニではない。西井はジャマイカンサンデーという不思議なものを頼んでいた。パイナップル1個分にアイスクリームがのっている。自分が頼んだコーヒーシェイクもビーカーみたいな大きなグラスにたっぷり。
 前田が八事駅に着いたようなので、お父さんが迎えに行く。なんだか申し訳ない。最終日だけ参加で、かつ結局墓前には行かなかったらしい・・・。

 明日仕事なのは、自分だけ。宅配便の手配が少々心配だったが、話が大いにもりあがり、名残惜しく別れたのは5時半。夕焼けがきれいな中、名古屋市街地までマイペースで車道を堂々と走っていたら、やはり怒鳴られる。道は乗用車のためだけにあるわけではないぞ〜と怒鳴り返したい、石があれば、投げつけたい。名古屋中心街のただひたすらにバカでかい道路に、ある程度尊敬するが、あまり身の丈にあった車の数とマナーと人と文化は兼ね備えていないのではないかと斜に構えてみたりもする。そんな煩悩も名古屋中心地のメインストリートにさしかかると、気分はツール・ド・フランスのパリ、シャンゼリゼ通りだ。記念撮影。テレビ塔も過去に何回か見ているが、今回はなんとなく大きくそびえているように感じた。ただこのあたり、観光客よりはホストのほうが多そうで、正直もの悲しい。

 栄のホテル着。想像以上にゴージャスでセレブ感がただよい、みんなオドオドしだす。汚い日焼けした短パン姿のおっさんを代表して、ホヤホヤの新郎新婦の横で自分が率先してチェックイン。料金は事前予約で6000円台。フロントのおねーさんはホスピタリティもルックスもときめくだけのものがあり、単純に気分よかった。
 食事は前田コーディネートで、飛騨牛を出す創作料理屋。煙がたまるのと、横の合コンチームの喧騒をのぞけば、うまかった。相変わらず最後の会計とりまとめは寝ている人が多く、藏前さんが取り仕切っていた。

 去年は体調不良で参加できなかったカラオケも今回は参加する。カラオケになるとみんな元気に無邪気に、そう10年以上も前、現役時代同様に、はしゃぎ、踊り、歌っていた。ホストやホステスの残骸がただよう繁華街、栄のど真ん中で「神大ユースサイクリング」というエールをかけたのは午前2時−

走行距離 78.0km (恵那峡−多治見−名古屋ドーム−八事霊園−名古屋)

5/6
 
 雨。走行中に雨が降らなかっただけラッキーと思わないといけないのだが、11時の新幹線に乗って出社しないといけない。これはまずい。誰よりも早く起きて、強引にホテルのフロントにかけあい、通称「折りたたみ」自転車(正しくは輪行自転車)を宅配業者に取りに来てもらえるよう交渉する。なんとかOKをもらい、他のメンバーのためにも記入伝票を手配して、それを藏前さんに渡す。

 地下鉄に乗り、名古屋駅で関係者への土産を買い、新幹線に飛び乗る。宅配で運ばずに「折りたたみ」自転車を持ち込んでも載せられるほど、すいていた。ただ東京で自転車担いでうろうろするのは勘弁したいところで、結果的に判断は正しかったと思う。10年経過したこの合宿をふりかえるよりは、先の仕事のことを車中で考えていた。お世辞にもごきげんになれそうな案件はない。会社への土産で買ったモリゾーとキッコロのお菓子は次週には既になくなっていた。

(
終わり)

POPPO:2006年OB合宿記録

5/2 18:45 渋谷発。

今年は余裕をもって、飛び出すができた。今回は過去最北の地ということもあり感情が昂る。埼京線→秋田新幹線の終電で秋田へ。大宮駅がリニューアルされているのか、駅ナカのショップがきれいだ。但しうどん屋は正直おいしくなかった。関東に来てしばらく経つが、やはりうどんでうまいものを食べようとすると厳選する必要がある。蕎麦かラーメンに逃げるべきか。つまみとビールを買って新幹線に乗るぐらい、呑めるようになってしまった・・・。

 仙台までは立席大混雑で、盛岡までは想像以上に早く到着する。しかしその後が結構ハードで0時前に秋田到着。実家帰りの人たちが多く降り立っていた。駅前のホテル到着。輪行した自転車もまとめて自室へ持ち込む。去年、組み立て時に後ろのディレイラー(変速機)が取れてしまった教訓である。1997年、フランス・スイスへ行った自転車ツーリング以来の大仰な対応だ。海外だと持ち込んでもエレベーターや廊下周りのスペースが広いため、特に違和感がないが、台車に載せた輪行袋自転車は何かと手狭である。

 大江に連絡。ひとまず明朝、団体装備(以下、略して団装という)を取りにきますというありがたい提案をうけ、そのまま会わずに組み立てに入る。ふだんならあっさり終わるものの、全部フォークに前輪がなかなか入らない。強引な力技でなんとか嵌め込んだうえに、ついにペダルが取れ始めていた。ネジがバカになったためだ。さんざん苦労したうえで、寝たのは3時以降。

5/3

 大江からの電話で起床。事前にペダルトラブルがある点について伝えている。結局自転車屋を先に探す。このペダルトラブルは、自宅からホテルへヤマト便にて配送していた段階で既に気づいていたため、秋田市内の自転車屋でめぼしいところを既にピックアップしていた。
1.
秋田大学生が紹介していた自転車→遠くへ移転
2.
地元のタウン紹介Webページでおすすめだったところ→倒産
 消防署の方が訓練中だったが、結局「どこ言ったんだろうね?」で話が終わる。

 残る3つ目が案外遠かったので、後々にしていた。11時オープンというのもそれだが、2軒蹴られた状態で1030分頃だったので、電話する。キップのいい声質のおばさんが「やってるよ」症状を話すと「とりあえず来て」行く途中でついにネジが完全にバカになり、全くクランクに刺さらなくなってしまった。今まで騙し騙し対応して、足がガクガクになりながら、ほとんど片足走行していたが、ダメだった。ここまでネジ差込の山がなくなったクランクを見るのははじめてだ。
 「これは、今まで何で気づかなかったね〜」とおばさんに指摘される。
 「わかっていたのですが、修理に出すタイミングとツーリングへ出発する日が近すぎて間に合わなかったんです」

 おばさんが息子とおぼしきオーナーさんを呼び出す。まだ寝ていたと思われるオーナーさんがゆっくり起き上がってきた。出場レースのMTBや過去のランドナーの展示がある自転車屋で、期待充分だが、症状は深刻である。クランク・BB(ボトムブランケット)がこの13年乗っている自転車にマッチしなかったら、最後である。つまり在庫次第。審査の結果が下った。
 「一からクランク・前ギア全部取り替えないと難しいですね」
 最後通牒。どんなに高い費用がかかっても、ここで引き下がるとゲームオーバーである。
 「時間はかかってもいいので、取り替えてください」
 食べていなかった朝飯を買って、自転車屋で腹ごしらえ。大江へ電話連絡。
 「先、走っておいて」

 隠居の身になったとおぼしきお父さんが出てきた。犬を連れている実家の犬と同じシーズーで、これがまたフサフサとかわいらしい。少し懐かしくなった。オーナーさんはおそらく自分より年齢は若い。慎重にパーツの算段をしながらとっかえひっかえ、BBを嵌め込む。しかしあわないものも多い。最後に販売用のルイガノのパーツを丸ごと入れ始めた。どうやらメドがつく。 「ロード用のギアでOKです」見栄をはって答える。高くつくならどうせいいものを付けようという判断で、シマノの重いギアとなった。2時間30分の格闘の末(自分はその様子を観察したり、パンを食べていたり、オーナーさん家族の昔の写真が飾られていたので、それを見たり、比較的のんびりしていた)、黒クランク・ギアが銀色に光り輝く変身を遂げた。16000円以上。しかし地方でプロショップに出会えたのはとても嬉しい。例年スタートは自転車屋さんめぐり会い状態だ。サイクルショップタカハシさん、ありがとう。
http://www.akita-town.com/review/ak019971

 昼飯は秋田郊外のコンビニで済ます。強風で風力発電の風車がクルクルクル回り続けている。今日のパートランのメインは八郎潟である。桜並木があるらしいので、なんとか突入すると行楽の車が反対車線で渋滞している。なぜこちら側が渋滞しないのか不思議だ。そのまま一番低い山らしい八郎富士でセルフ撮影。今回ビデオを新調したので、これの動作テストを兼ねる。一人遊びは結構好きなので、うろうろとリモコンをもって一人で撮影しているが、傍から見ると相当にあやしい。
 深雪橋を越えると一気に桜と菜の花のコントラストが美しい。数多くの観光客がいるが、この風景はもっと多く賑わってもよい。車の中で花見というパターンが多い。東経140度線のラインと北緯40度ラインの表示板はダートの中らしいので、断念して、早く大江に追いつくべく、ダッシュをかける。
 「干拓博物館にいます」と大江。
 2001年の諫早同様、社会派として勉強熱心だ。向かい風で苦しい中、なんとか合流。4時過ぎ。腹ごしらえをして出発し、能代のホテル到着は630分。その後、団体装備じゃんけん。一番の負け。米2kgと調味料だ。これから買いに行った不確定の見えないものを持たされることで鬱になる。過去からこのじゃんけんの模様はしっかりとビデオ撮影しているが、負けこんでいることが多い。
 遅れて来た大江と俺はそのまま身支度を認められて、ホテルから直接、「決起集会」である飲み会会場へ行く。他のみんなは先にジャスコに買出しへ行く。この何を買われて、持たさせるのかがわからない恐怖感はなかなか味わえない。闇鍋で食わされる人の気分だ。大西が取引先の紹介で予約した郷土料理屋さんは、落ち着けるところだった。8時過ぎに店へ入ったが、「食材がなくなりました」パターンが多く、食べたいものが出てこないことが頻繁だったのが少し残念だ。今まで生牡蠣は嫌いなほうだったが、ここのは極上のうまさだった。
http://www2.city.noshiro.akita.jp/nshomepage.nsf/0/dbe916c92fdae1e449256fb80004ff9f?OpenDocument

 続いてラーメン屋の捜索に入る。街頭の灯りもいささか暗くほとんど誰も通っていない状態で、寂しい。ポツンとある暖色系のラーメン屋に入る。少しホッとする。中華料理のラーメンの味に近いながらも、ダシがしっかり出ていてうまい。ホテルへ帰ってからはすぐ寝た。

走行距離 83.8km (秋田−八郎潟−能代)

5/4

 9時出発。西井がリストアップしたパン屋は存在してなかったため、近所のローソンで地べたに座ってパンを食べる。いささか安上がりだったが、これはこの後のグルメ旅に控えた事前準備である。
 白神パン・手作り豆腐の店に都度入り、徐行状態。風は幸い追い風だ。ハタハタ館では、桜が満開だ。この先もずっと桜と五能線と共に走り続けるツーリングだった。五能線の列車には、なぜかみんな写真を追いかけてとったり、待ち構えて撮ったりと執着心がすごかった。映像へ移行した俺には、その様子を淡々とREC(録画)するのみ。
 ハタハタ館内の土産では、「鰰」とズバリ漢字で書いたTシャツが魅惑的だった。しかし買わずに出費をセーブする。理由がある。今回は「イカ」尽くしの旅であり、21歳のツーリングのとき、函館市内にて購入した「イカくらぶ」Tシャツの2代目を厳選しに来たといっても過言ではない。この愛嬌あるイカのイラストを見れば魅惑的と思うはずなのに、妻がその一代目がボロボロにやつれているのを見て、「捨てよう」「殿堂入りで奥に保管でふだんは着ないこと」等、ネタ扱いされているTシャツだ。それでも俺は後継者を探す旅に出た。なお「鰰」の表は白神山地の写真だった。興ざめである。買う理由がない。これがハタハタの愛くるしいイラストであれば、購買意欲に駆られたものの、残念である。ラーメン屋では海鮮ちゃんぽんを頼む。但し九州のちゃんぽんとは全く別物だった。各人の感想も異なっていた。俺は否定的で、西井・大西はうまいという意見だった。

 道の駅の「お殿水」にたどりつく。白神山地の水がこんこんと湧いている。ポリタンクに水をもらいに来る人が多い。一方我々は観光地によく設置されている公家や武士や金太郎などなどの人型の看板のくり抜いてある部分に、顔を出して遊びながら、水をいただく。ほのかに甘い。

 十二湖手前の雑貨屋では、晩飯となる品は数少なく、レトルトも人数分の確保ができなかった。「みんな能代や深浦へ買い物に行くからね」というのが店の人。一応駅前なのだが。いろいろと尋ねた割には義理でも何か買うことをしたのは藏前さんと大江だけだったような気がする。
 十二湖駅前は観光地らしい土産物や海産物が陳列されている。しかしアウトドア用の食品はほとんどなく、地元ブランドでこれから有名にしようとプロモーション中である白カレーやハタハタ寿司等、名物ものを中心に、手の込んだ調理が不要なものを買いこんだ。
 十二湖の坂は小豆島のそれを彷彿とさせ、かつ勾配の標識がない無慈悲なものだった。最後はみんな押して歩いたかな。折りたたみ式自転車で登坂して、かつペットの犬も積んでいたカップルのほうが、我々よりも悲惨だったかもしれない。確実に重い荷物を運んでいたのは我々の方だが、積みあげてきた自転車乗りの歴史と大口径のタイヤがアドバンテージとなったか。しかし正直いうと一目散にキャンプ場へ行きたかった。ただみんな一通りの池というか沼めぐりのコースを希望していた。
http://www.santaland.co.jp/juniko.html

 イトウ養殖場やビジターセンターがある越口ノ池から中ノ池→落口ノ池→鶏頭場ノ池横の挑戦館まで自転車でハイピッチでかけあがり、その後はメインの青池へ。朝方へ行くほうが美しい青色になるようだが、夕方でも十分美しい。撮影に力が入るが、1999年からビデオカメラをまわしているせいか、カメラ目線が慣れてきたようで、ほとんど気分は芸能人状態。この後もそういうシチュエーションが多く見られ、カメラ前提での席配置など、不思議な状態となることがまま発生した。これがツーリング上の「ヤラセ」か「演出」かは後世の人たちに考えていただこう。

 キャンプ場は、東北ならではのスローペースながらも規則にはやたらと尺定規な管理人がキーパーをしていた。「自転車でかつツーリングテントなので、人数とは別に実際にスペースに見合った値段で検討してほしい」という要旨で、交渉したが、頑として一人分の料金をとられた。
 「鳩野の(執拗な)押しで平然としていたオッサンやったな」と西井。
 「そうやな」落胆した。2004年の五色沼のキャンプ場を思い出す。最近はキャンプ場に犬を連れてきている人たちが多いのだが、極めて躾がなっていない状況で、飼い主が風呂(このキャンプ場ではサウナ。単純に寒かった。けどないよりはマシ)や買出しでいなくなると、つい中に入れずに外に放置してしまう。特にお座敷犬は飼い主の姿がいなくなると吠える・怖がるとロクなことがない。 そんな飼い主の野営場所からほど近いところにテントを張ってしまった。

 今回は夕食を作る・・・といってもほとんど袋から出して、取り分けるだけで食事は白カレーレトルトで実質飯しか炊かないのだが、これが微妙な味のもの、特に堅かったり、食べ方として湯煎したり、暖める必要があったのか、いささか不明なものを食べたため、撮影もあまりもりあがらなかった。
 寒さは厳しいことはわかっていたので、みんな無意識に手早く寝支度をした。しかし・・・、夜中の130分からずっと起きていることになる。メンバーの大半はそうだっただろう。躾の悪い犬がわめき続けるわ、テントのフライをばたつかせる勢いで風が強く吹くわと過去の合宿であまり体験したことがなかった出来事が発生する・・・。

走行距離 52.7km (能代−八森−十二湖)

5/5

 6時より以前に起床。正直言うと2時ごろから全く眠れない。しつけの悪い飼い犬がものすごい音量で咆え続ける。飼い主はテントの中に入ってしまい、空間を隔離され、追い討ちをかけるようにキャンプ場周囲の暗闇と強風の木々の音に耐え切れず、ひたすら抗議していた。途中で管理人かその家族の横で寝ていた人が怒鳴りちらした。
「中に入れるか外に出るかどうにかしてくださいよ!
 周囲は鳩野が抗議へ行ったかぁと思った人もいたようだが、俺はずっとオーディオを聞き流していた。曲目・アーティストもシャッフル連続再生だったが、覚えている。U2/Baby Face/Maroon5・・・。過去にはジャズも多かったが、今回はアップテンポのものが多く、犬の鳴き声を防御となったが、風も半端でなく強く、テントの布地がざわめいていた。
 十二湖駅まで一気に下ろうとするが、雨がきつく降ってきて、タイヤが滑り始める。昔なら気にせず下り続けるところだが、今ではそのまま崖下に突っ込むのではないかという怯えをいだくようになった。減速する。途中でカッパを着るのは、案外面倒なので、駅構内の屋根下まで自転車を乗りつける。途中でカッパを潔く着用したメンバーも後から降りてきた。「結構ひどいなぁ」今日一日はこの雨とつきあうしかない。先日の晴天とうってかわっての状況なだけに精神的にもボディブローがかかる。おまけに朝飯を食べていないことも拍車をかける。

 陸奥岩崎駅の近所の雑貨屋に飛び込むが弁当らしくものはなく、「和田さんのところなら、売っているよ」とのこと。
 和田さんって誰だ?とみんな思ったが、このあたりは大資本のコンビニ店が一切なく、個人商店に頼っている。車社会になってからは、深浦のマックスバリューか弘前または能代まで出て行くらしい。和田商店に着く。食料が想像以上に販売されていて、ホッとする。焼き鳥はレンジで温めてくれたのに、お強飯は、何の理由か不明だったか、適当にあしらわれてしまい温めくれなかった。当時は飯が食えるだけで感謝状態だったが、消化不良または胸焼けに悩まされ、夕食以降の食欲がなくなる。
 今年の3月から無人駅となった陸奥岩崎駅構内は我々の食堂となっていた。列車は15往復。9時台に1本来るはずだったが、お客さんは来なかった。雨が小康状態になったときに出発。不老不死温泉まで一気に走る。近代的なテーマパーク風の観光地をスルーして、更に今まで登ってきた標高を台無しするかのように海岸沿いの温泉まで下る。「混浴」という看板が無力に掲げられている。男しかいない。まさしく波が荒ぶ海のそばに位置する外湯は、風が半端でなくきつい。たまに脱衣場の服が飛んでいく。最初からそれが想定されているのか、脱いだ衣服を押さえる為の石がごろごろ置かれている。

 鉄褐色のぬるめの湯は、なかなか通好みの風呂で、訪れた人達がはしゃいでいる。ただ寒いため、早めに落ち着いて館内の入浴施設でゆったり落ち着きたい衝動にも駆られる。内湯は近代的な設備でゆったり。ジャグジーもあり、シャワーの水圧もなかなか強力なので、高評価だ。ツーリング/観光問わず、大風呂で一番求めるのは昔からシャワーの水圧である。蛇口を最大に出し切ったときでも、チョロチョロと出る入浴施設は正直失格。その理由は簡単で、石鹸で洗った後の洗い流しについて、大変几帳面な性分なためだ。ただ年をとるとこの水圧が多少緩くても許せるようになった。皮膚が弱くなったせいか。
 雨はまだまだ降り続く。98年の紀州の雨と異なり、北東北の雨は、寒々しく走っていても哀愁が漂い、実際問題として体感温度も奪われてしまう。熱帯雨林的な紀州の雨のほうが覚悟がつきやすい。といっても水滴や痛感は紀州のほうが圧倒的に大きいため、どっちもどっちである。いずれにしても雨は降らないほうが自転車にとっては都合がよい。深浦市街も哀愁漂うところだった。せめて食事はゴージャスに海の幸定食で攻める。名産ハタハタもついてきた。

 ビデオカメラを伝説の名機Sony TRV-950から安易なSony HC96へ切り替えてからは、自分にカメラを向けて収録したり、みんなにカメラをまわしてもらったりする機会が増えた。「"featuring HATONO"って感じ」と自己満足しながら、協力をいただいているのだが、重厚な名機より手軽な汎用機のメリットを感じさせられた。モノは使いようである。ただVaio1ヶ月に壊れた知り合いを2人知っていたり、実家のテレビが2回壊れて父がクレーマーと化したりするソニー製品は正直もう嫌で、一刻も早く離脱したかったのだが、ことビデオカメラに関しては、バッテリーのバリエーションと持続時間、細かい付属品のラインナップ等、放送用製品も作っているソニーに今でも軍配をあげたい。
 そこで今回は7年ぶりに自転車からの車載撮影に挑戦する。深浦駅から郊外のマックスバリューまで。取り回しも以前よりはるかに楽である。おまけに静止画撮影としても活用できるので、自転車ツーリングでおすすめできる機種だ。ダイビング用などのオプション機材は売られているが自転車やバイクツーリングで取り付けられる付属品は誰も作ろうとしないのはなぜかな。
 雨が降ったりやんだりなってきたところで、リアス式の国道を走っていると小・中学生が「がんばってください〜」と応援される。北海道のようだ。登坂中でつらいところだが、愛想よく手を振る自分が好きだったりする。たまにハンドルがあやしくなり、横からトラックがものすごい勢いで通過して命拾いした〜と焦ったりするのだが、これで死んだら、どのように報道されるのかとまで想像しながら、ペダルを回している。自転車ツーリング中、一人であれこれ考える時間が団体で走っていても思ったよりも多い。みんな、走行中は何を考えているのだろう・・・。

 イカ焼き村。食べたくても食欲がない。買ったメンバーからおこぼれをいただく。先にも後にもアイスクリームをはじめ、途中休憩で立ち寄ったところでは3食以外ではほとんど食べることができなかった。ここでようやく団体装備の「マヨネーズ」も活躍する。千畳敷では、雨がもの悲しく降り続けているが、五能線の普通電車の撮影にみんな必死だ。自分はそんなみんなをビデオに収める。ハト化したカモメが餌にありついていて、余計悲しくさせる。
 鯵ヶ沢まで後発だった藏前さんと一緒にバイパスを越えずに旧道の海沿いの漁村コースをまわる。バイパスまわりに車が迂回するため、町の中心部は商店が閉まり、うら寂しくなる。ただ逆に人々がまったりと雑談していたり、たたずんでいたりするスペースと時間が創出できる余裕も発生するわけで、一概にモータリーゼーションによって中心部が閑散とすることが悪いわけではないのかな。過疎に悩む人たちからすれば、それは「スローライフ」の「良いところだけ見」にすぎないのだろうか。そのまま山側のバイパスを見上げると少しだけ先発組の登坂姿が一瞬うかがえた。
 先発組とは鯵ヶ沢郊外にある地元のコンビニでお迎えする。メジャーな飲み物や食べ物が普通に売っているありがたさを感じる。今までの合宿では、年数を重ねる毎にコンビニへ頻繁にタイミングよく辿りつけていただけに、これだけ存在しないと不安になった。鯵ヶ沢のイカ街道も最近できたバイパスができて以降、車の数が大幅に減っているようでもの寂しい。雨のせいもあるだろうが、車はほとんど通らず、自転車のタイヤと道路にたまっている水しぶきから発する「シャー」と言う音だけが聞こえる時がある。港湾整備区域のあたりから本日の野営場所のロケハン。港湾地域は整備されていて、公園や夏場の海水浴場としてからシャワー施設等、ありがたいものが多くあるが、今回は雨をしのげる場所を優先する。今回は日本海拠点館を候補としてから、海の駅へ。http://www.ajigasawa.net.pref.aomori.jp/page/shisetu/wando/marinestation.html

 海産物が多く品揃えられているものの、自転車ツーリングでは買い込みようもないため、2Fの相撲館へ行く。元々相撲にはあまり興味はないが、舞の海がここの出身でなければ、相撲はやっていなかったのではないかと感じさせられるぐらい、相撲が文化して根付いていることをあらためて実感する。この中では白神山地のPRもきちんとしているが、秋田のほうが露出やその方法論で成功しているといえる。一般的に津軽人は商売がうまくなく、頑固だという話をよく聞くが、わかるような気がする。続いて風呂へ。船風呂はおもしろかった。
http://sugisawa.co.jp/suigunnoyado/

夕食は雨が降っていようが降っていなくても最初から外食と決まっていた。
http://sugisawa.co.jp/nagaya/index.html

 幻の魚「イトウ」、開高健が昔テレビドキュメント番組で追いかけ続けていた珍しい魚だったにもかかわらず、最近は養殖が進んでいるらしく、珍味として店でも出すようになったようだ。とても期待していただいたが・・・。

 少々疑問を感じるかナ。十二湖の養殖を見た後、元来保持できていた神秘性が喪失された効果で益々味が落ちる。古今東西問わず、魚だけでなく異性も酒も同じで好奇心が持続され続ける間、対象への動機が維持される。

 開高の文章を真似るには、まだまだの境地か。いずれにしても単純においしくなかったような・・・。
 ビデオカメラも収録用として三脚にて固定設置して、張りきったはよかったが、寒気がしてくる。個室でかつストーブまで入っているのに、寒くて仕方がない。西井もほとんど食べていなかった。胸やけがするらしい。しかし全く関係のない正露丸を深浦で買おうとしたらしい。さすがに薬剤師にとめられて、胃腸薬を購入したようだ。みんなで笑いのネタ状態にするが、逆に薬を知らないまま、元気にすごせたわけで、正直羨ましい。こちらは食道炎になる前から、風邪薬をはじめ、あれこれ詳しくならざるを得なかった。俺のほうは明らかに熱っぽいので、ストーブの側でしばらく寝こむことに。店を出る前には「今日の宿、ここにしたいな」とみんなわめいていたような気がする。

 野営地は一応屋根下のあるところが確保できた。テント設営の場所決め、じゃんけんが始まる。負けたメンバーは少々風当たりが厳しいが、濡れないだけでもまだ救われる。設営と寝支度で、あれこれ雑談していたら、警察が巡回してきた。それからは静かに潜みつつ寝ることとなる。歯を磨けなかった。野営の場合、珍しくもないと思いきや、この合宿では日頃の生活よりもマメな生活時間を過ごすことが多い。少し口周りが気持ち悪い状態のまま、スポーツドリンクを飲んでから寝袋に入る。

走行距離 70.2km (十二湖−深浦−千畳敷-鯵ヶ沢)

5/6

 1時半起床。横からの差込風がきつい。どうやら先日に続き、みんな強風によるテントのバタつきで目が覚めているようだ。幸いにも2時半には一旦落ち着いた。しかし寝れない状態で、音楽を聴いて解消しようとするが、悪寒が走り続ける。寒冷地では必ず持参しているシェラフカバーも万全に設定して、更に昨日より多くの衣服を寝袋に突っ込む。

 6時正式に起床。晴れ渡っているのが救いだ。まだ熱っぽい。東北in寸前まで発熱していた藤井が、几帳面にも体温計を持参していたので、早速借りる。37度越えている。これはかなわん。ここまで走っているのは何故だろう。今後は体温計も装備の一つになるかな。朝食はマックスバリューと近所のコンビニで確保して、マックスバリューのベンチでいただく。西井のトイレが長い。驚愕レベルで長かった。(^^;; ここ数日便秘気味で悩んでいたものの、ようやくここで解消された。トイレは水洗洋式で清潔に越したことはない。熱も下がることを願いつつ、海岸線から高原への登りとなる。ここで携帯用の飲料を確保するのを忘れて、自動販売機へたどりつくためのアタックとなる。各自好きなペースで登る。昨日の雨とうってかわって、よい天気なので、渇きのピッチが早い。なんとか見つけた自販機では500ccのスポーツ飲料を一気飲みする。15年前の東北合宿で自販機のなさに苦しんだ体験があったにもかかわらず、この調子だ。しかし汗をたっぷりかけて、少し体調はマシになったような気がした。
 岩木山周回コースは、晴天・さわやかな気候で自転車コースとして最高だった。その後岩木山神社へ。ここでもアイスクリームが売っているが、まだ食べるには涼しいような気もする。境内の水がうまかった。近くのそば屋で昼食。西井計画の表に掲載されていないところへ入ること自体、珍しいはずで、これをハズしてしまった。体調の悪い西井には酷そうなソバだったようで、大西も体温計を藤井から借りて測っている。37度を越えたようだ。

 弘前市街まではほぼ一気に下る。りんごにまつわる観光施設の一つぐらいあってもよいぐらい、りんごの木だらけ植えられているが、JA(農協系)の販売店が1件あっただけだった。商売下手である。市街地に入ると、桜を見に来た人たちの車が忍耐強く渋滞の中でたたずんでいる。自転車はその中をすりぬけ、通過する。伊豆みたいに怒鳴られることもなく、淡々と現地へ行けそうだ。地元中学生の自転車の後ろをついていくのが一番早いと見込んで走るとそのまま弘前公園へ入る。市民公園内にママさん自転車があちこちに置かれていて整備員も多くいたけれど、ツーリング用のものは我々だけだった。
 ふだんならゴールデンウィーク後半には終了している桜祭りも今年は寒かったせいか、延長され5/7まである。ジャストタイミングで見事な桜を見ることができる。桜のバリエーションも豊富で、城の櫓・天守だけでなく、橋・堀と建造物とのバランスも見事だ。天守閣そばの芝生でゴロンと寝転がりながら、桜鑑賞ができるスペースがあるのが何よりも嬉しい。関西・関東の都市部では、花見で事前に確保している会社または団体での競争が激しいだけに、これの光景は見ていて新鮮である。一通り満喫してから、やっとホテルへ行く。自分が予約していたのに途中で道を間違った。チェックインしてから、そのまま宅配便の営業所へ。こじんまりしたところだったが、6台の自転車の手配を1人の担当の方がやっていただいた。もう少し人がいてもよさそうだったが、途中で荷物を持ってきたおじさんとも雑談しつつ、なんとか終わった。帰りはタクシーでホテルまで戻り、夜桜見物へ。夜も見事としかいいようがない。
 打ち上げは津軽三味線を演奏するお店となる。
http://anzu.tsugarushamisen.jp/

 津軽三味線で演奏される楽曲が、津軽という気候・風土の中で育った民謡であることをあらためて実感しながら、走ったルートを思い返す。エンディングのように聞きながら、合宿総括を勝手にしてしまうわけで・・・、概ね「桜が見事な合宿だったが、次回以降はもっと南の暖かいところへ行こう」という感想が多かったかな。今年で12回目であり、現役時代の数の3倍実施していることになる。カラオケは途中までがんばったが、体調が思わしくない大西が先に帰り、自分も熱っぽさが続くので、「Runner」の合唱後、途中退場する。ホテルに戻ってから、すぐに寝た。

走行距離 47.0km (鯵ヶ沢−岩木山神社−弘前)

5/7

ようやくじっくり眠れた。近所の洋館内にある喫茶店でモーニングやケーキを食べる。リンゴをサービスで出してくれた。この後、飛行機の便が異なるため、関東組と西日本組で行動が分かれる。例年通り、名残惜しい別れ方もせず、ドタバタと関東組がバスに乗り込んだ。そして弘前駅に着いた。15年前に見た弘前駅とは様子が違いリニューアルされていて、びっくりした。大阪から来る寝台特急「日本海」へ飛び乗る。昼間に寝台列車に乗り込むのは初めてで、なんとなくワクワクする。

 青森駅も新築マンションをはじめ、再開発されている。市場も移転していてビルの地下にあるのも奇妙だが、いざ中に入るとそれなりに定着しているようである。海産物の土産を買ってから、寿司屋に入る。ずっとホタテを食べていたような気もするが青森のほうが15年前同様においしい。羽田行きの飛行機が1便後なので、藏前さん・大西を空港バスまで見送り、一人となる。

アスパムhttp://www.aspm.or.jp/という建物の形状に違和感ある観光館で、15年前もこの威容は拝見しているのだが、特に気にせずスルーした。しかし今回は明快な目的がある。「イカくらぶ」Tシャツ新バージョンの捜索だ。最初は心に秘めた内偵捜査、途中からみんなに報告したうえでの公開捜査に切り替えたが、残念ながら発見することができなかった。Tシャツの棚には「ねぶた」というローマ字書きのTシャツがあり、外国人客が手に取って迷わず買いに行った。少し悔しいが、俺の場合、「ねぶた」で妥協するわけにはいかず、「イカくらぶ」なのだ。
 青函連絡船の資料館の中に入り、じっくり見学した後、バスに乗って青森空港まで。関東からの客ばかりで、土産物をたくさん持って降りていった。乗務員もいたかな。空港内も土産物フロアはすしずめで、息苦しい。慌てて展望台へ登る。相変わらず風が冷たい。遠く八甲田のスキー場が見える。15年前の合宿で、そのスキー場より高い場所へ再訪したかったが、またあらためて来るかな。飛行機の上から地上を眺めたら、まだまだ至る所に雪が見えた。

 羽田に着いてから、気温の暖かさを実感する。家に帰ってからは早速土産物の分別をして夕食をとる。ウニ漬・ホタテ漬をご飯にのせて食べて、地酒も少し加わる。 ただ次回以降は海の幸がうまい「南国」がいい。

(終わり)

POPPO:2007年OB合宿記録

5/2 14時、渋谷発。

1997年以来、飛行機による出発地ダイブインとなる。日本各地が自転車コースとなっているOB合宿ではとても意外だが、10年経過している。おまけに大阪伊丹はなく、羽田空港だ。当時2007年にこの自転車ツーリングをやっているとはあまり想像していなかった。記念に東京モノレール経由でわざわざ羽田空港入り。快速が走るようになって早くなったのをあらためて実感した。しかしビジネスなら京急がベターだろう。
 空港内ではゆったりすごすことができた。宮崎行きはリムジンバスによる送迎で、ボーディング・ブリッジ経由ではなく、滑走路上からタラップで登って乗り込むというローカル線ならではの味わいだ。パリ、シャルル・ド・ゴール空港からニースへ行った海外ツーリング以来で、これまた10年ぶり。羽田→宮崎で満席のMD90に乗させられると思わなかった。そこまでJALはせっぱつまっているのか。ドル箱路線そうなのに。

 宮崎空港に吹く風が生暖かい。渋滞のためバスが遅れて来た。バス停からホテルまで案外遠く、19時過ぎていた。
 毎年恒例の自転車組み立てのトラブルが発生し、今回が一番深刻だった。2005年松本の自転車屋で取り替えた後ろのディレイラーのバネが飛んでしまっている。留め金がぱっくりとれたのだ。今回の輪行は自宅からすぐそばの集配センターでわざわざ分解してパッキングしたのに・・・。ホテルの方にタウンページを出してもらい、自転車屋をかたっぱしから自らの携帯電話で連絡をとる。4件目でヒットする。「明日の朝、来てください」
 やっと落ち着いて、ホテル内の居酒屋で食べる。ホテルからもらったビール券がありがたい。地鶏関連とレタス巻きでひとまず心を落ち着けて焼酎に移行する。この後の夜も焼酎ばっかり飲んでいたような気がする。いやたぶん人生の中でも連日焼酎を飲んでいたのはこれがはじめてだ。

5/3

 8時過ぎに自転車屋へ電話する。早めに来てもよいとのことだったので、朝飯も食わずに行く。前日のうちに変速機が使えなくても、チェーンをかけて走れる状態にしておいたのが救われた。スタートはここ数年ずっと自転車屋めぐり旅状態だ。岡元さん、ありがとう。九州ローカルではテレビ出演もされていたようです。
http://www.e-jnn.com/cgi-bin/mtemp.cgi?dir=onair/060723101500
 南国の人達は屈託のない性格の方が多く、本人が自慢していた。この後途中休憩していてもよく話しかけられた。1998年南紀を走っている雰囲気に近い。既に倒産したサンツアーの変速機の在庫はなく、留め金をネジに変えた応急処置。新品取替えではなく、わざわざ研磨してもらったボルトを差し込む形での応急処置だ。そのためか1000円で済んだ。
 今年は例年にない途中合流をこなすことになる。携帯メールは既にとびかっていて、宮崎港へフェリーで今朝入った蔵前さん・大江は既に青島で休憩中。大西が宮崎空港近くの宅配センターで自転車を組み立てている。これから出発する。
 空港近くまではノンストップで駆けたものの、宅配センターが見つからない。電話した後、すぐに大西と合流する。横浜市内の近所スーパーで以前会ったばかりなので、「久しぶり〜」でもない。ひとまず先に追いつくため、あせったところ、微妙に道を間違え、農道をひたすら南下する。結局国道にぶつかるかたちで、たいしたことはなかったが、この合宿つうじて風が強い!
 途中「子供のくに」で車が駐車のために大渋滞するが、自転車では徐行のうえスルーした。青島の土産物屋でようやく合流。後は串間の藤井の合流がひかえている。日南海岸は自転車で走っている人も多く、外国人2人と日本人のグループとは、休憩箇所まで同じだったり、廃墟となったサボテン園前での災害通行止めも同じようにくらっていた。
 本来だったら、喜んで話しかけるほうだが、今回はその余裕があまりなかった。合流に気を取られたせいだろう。昼ご飯は西井マニュアルによる「えぷろん亭」 地鶏・海鮮物とうまかった。本人が参加しない日の店までチェックしているところが感動である。
http://www.mapple.net/spots/G04501039003.htm

 大西の具合がよくなさそうだ。腰痛らしい。腰は年齢関係なく、突然痛んでくるだけに、見ているだけでもつらい。不思議なことに俺も96年・97年は、湿布を張ったり、自分でマッサージしたりしていたが、10kg以上増えた体重の環境下にある現在、不思議と腰まわりがず太くなったように思える。痛みがない・・・。これはこれでよいのかどうか疑問である。
 日南海岸は廃業になったサボテン園沿いの道まで最高のシーサイドコースだった。
 その後、強風とリアス式海岸特有の登坂にじわじわ悩まされる。今回はじめて炊事道具を持参しない形の軽量装備にもかかわらず、ボディブローがのしかかる。鵜戸神宮も駐車場からの歩きも堪える。
http://www.btvm.ne.jp/~udojingu/
 歴史ある神社だけあって周辺散策は楽しかった。かつて寺社は辛気臭いイメージが強く、敬遠気味だったが、この年になってなんとなく伝統とありがたみがわかるようになってきた。霊石亀石に素焼きの運玉をなげて入れば、念じた願い事が叶うらしい。左で投げて5回中3回、当てることができたので、コントロールはまぁまぁと満足していたら、どうやら中に入らないといけないらしい。みんな入るどころか、海の底へスゥ〜と落ちていったような・・・。その中ではボストン・レッドソックスの岡島並みのコントロールだったということで勝手に納得する。
 ここから串間までは裏道や近所の人に道を尋ねながら、逆風吹きすさぶ中、アップダウンのシラス台地を走りぬく。大西が相当ヘタってきたようだ。ひとまず湿布を買うようアドバイスしたが、翌日の指宿の風呂までそのまま貼り続けているとは想像しなかった。

 串間まで後何Kmとメーターをのぞき見ながら、近くを走る日南線をチェックする。線路が走っている近くは坂の勾配が緩いことが多い。しかしここは案外容赦なく、最後の最後で「登坂車線」が見えたところでギブアップ。
 家から持ってきたキャンディをひととおり食べながら、みんなを待つ。既に18時近い。太陽がまだ高い点が唯一の救い。ビデオカメラをちゃんと回せる余裕がなぜかある。2002年の頃は最後尾だったのだが、体力が回復しだしているのか、それとも荷物が軽量化されただけか。少なくとも体重は重くなったので、必ずしも軽量化されたわけではない。
 串間駅着は19時前。藤井が既に藏前さんのメール指示により、野宿先・風呂・夕食の場所などのチェックに入ってスタンバイしていた。どういうわけか地元タクシードライバーと仲良くなっている。あれこれ情報収集していたようだ。
  「風呂は東にも西にも6km以上走ります」みんなその段階でギブアップしていた。夕食前にローソンで買出し。
 リラックマのハンカチキャンペーンをしているので、迷わずチョコを買う。どうやら子持ちのメンバーも知らないキャラらしい(藏前さんを除く)。なぜだ!? こんなにも有名なのに・・・。啓蒙活動したけど、あまり実りがなかった。
 http://www.san-x.co.jp/relaxuma/top.html このハンカチは目薬を点眼して拭き取る用として活躍し続けた。(今も愛用している)

 夜の飲み屋は藤井がドライバーに聞いたところ居酒屋と寿司屋が候補。藤井が相当寿司屋にこだわりがあり、下町から結構離れたところまで先に1人で先行して走りに行って偵察確認してくれたが、大混雑のため、諦める。元の居酒屋までスゴスゴと戻る。
 この店が案外当たりで、でてきた鳥南蛮・地鶏・焼酎と郷土料理づくしはボリューム満点! コンビニ前でチョコを食べすぎたことを後悔した。同様にみんなコンビニで腹ごしらえしたことをそれなりに後悔していたようだ。次回は空腹時に訪れたい。

 とんちん館
http://gourmet.yahoo.co.jp/0006437770/0009293054/ktop/

野宿の場所は河川敷で、藤井が事前偵察に入っていたので、楽だった。トイレが近くにないのが少々不便だが、やむをえない。強風の中、テント設置後、みんな早々に寝たようだ。今回は妻のICレコーダーを借りる形でWMA/MP3の音楽を聴く。去年はロック系だったが、今年は"image"シリーズとR&B。どうか去年のような犬の遠吠え騒ぎや暴走族は来ないで欲しいと願いつつ寝ていたが、残念ながら、1時半に原付でカップルが来た。願いが虚しくかき消された。
 「こんなところでテント張っているよ〜」
 「すごいね〜」という嬌声。
 ここでずっと仲良くしていただくには、男5人のテントスペースからして、ありえないにもかかわらず、どういうわけか相当長くいたようようだ。230分まで眠れなかった。
 走行距離 98.0km (宮崎−日南−串間)

5/4

6時起床。河川敷を散歩中のおじさんと会話をさせられる。俺は結構前から好奇心が減退し、この話の渦中へ積極的に入ろうとしなくなった。代わりに藏前さんか藤井がよく聞き役の巻き添えをくらっている。自転車のコースを伝えると「そんなに早く薩摩へ行かんと、大隈半島をまわったら、いいやないの。知覧より鹿屋の基地のほうが感動する・・・」等と朝一番から説教される。薩摩半島出身の父がよく言っていたが、大隈半島と薩摩半島の人間は、はっきりいって仲が悪い。特に薩摩半島側の人間が大隈半島の人達を見下している節があるらしい。
 串間駅のローソンで各自パンやおにぎり買って簡単な朝食。最近のローソンはカウンターテーブルに椅子付と我々のために作ってくれたようなゴージャスなスペースがある。歯磨き・トイレと必要なことを全部済ませる。
 740分出発。各自マイペースに走り続けて、なんとか820分に志布志港の入口に到着。西井からメールが来る。予定通りの合流だ。845分に大阪南港からの船が着く。船上に有原と西井の姿が見える。手を振る。ほどなくして雨が降り出す。東から雨を持ってくるとはたいした業(ごう)の持ち主なのかもしれない・・・。
 有原と走るのは1999年の四国以来だ。懐かしい。この天候が予想されるにもかかわらず合羽をもってきていないようだ。なかなかの肝っ玉である。
 7人の隊列が雨中、港までの強行軍で走りぬくことになる。シラス台地特有の奇妙なアップダウンをクリアすることに必死だ。藏前さんが風邪気味のようで、途中ドラッグストアに入る。有原がついに雨に降参したのか、ようやくここで合羽を買った。作業員風でムレそうで、なんとも言えないダサさをかもしだしているが、現役時代、自分が持っていた合羽もこんな感じだったような気がする。
 鹿屋市街地に入ると雨がやんだ。時々太陽も垣間見える。合羽を脱いで、距離を稼ぐ。12時前には西井マニュアルによる「竹亭」に入る。トンカツ屋である。かつて食道炎に悩まされたときには揚げ物自体避けていたが、最近はまた食べられるようになった。
 http://gourmet.yahoo.co.jp/0006492528/0009385147/ktop/
 ヒレカツ定食を頼む。キャベツの量もてんこ盛りでびっくりした。ギリギリ席に座れたぐらい混雑していたため、食事が出てくるのが遅かったが、出てきたときの充実感と味に満足できた。待ち合わせの時間はみんな携帯電話でやりとりをしたり、調べモノをしたりするような過ごし方が増えた。まるで10代のようである。

 ここからは下り・・・、と思いきやまったくそうでもなく、海沿いの癖にやたらと勾配がきつい。当日参加でテントなしの軽量化が図られている有原と西井が早い。今となっては俺より体重が軽くなってしまった藤井もいい感じで走っている。峠みたいな休憩所で記念撮影してから、フェリーの確認。計画当初から以下の2コースで併用検討していた。
 1.大根占→指宿
 2.根占→山川
 車だとどっちでもいいのだが、自転車と便数に左右されるので、真剣に検討する必要がある。つまり5/3から走っているメンバー(自分含む)が相当ヘバってきたようにも見えるだけ、勝手にスピードをあげるわけにいかない。フェリーの出航タイミングからすると本命の1.で渡りきりたいところだ。下りからはやむなくペースがあがる。1.の便は最近できたようで、派手な看板が道沿いによくたっているが、いざとなるとどこの交差点で曲がるのかがわかりにくかった。
http://www5.synapse.ne.jp/nankyu/
 こじんまりとした港についた。15時の便に間に合いそうだ。「やった〜」と乗り場に飛び込んだ。
 「まだ乗れるかどうかわからないので、確認します。少し待ってください」と受付の兄さん。
 「え〜。自転車で来ているのに積めないはずないやろ〜」とみんなが顔でちゃんと表情に出して主張する。
 船が来てから、その確認手続きが単なる冗談や取り越し苦労でないことに気づく。とにかく船が小さい。瀬戸内海沿岸のフェリー以下かもしれない。
 少し時間はかかったものの、自転車積込の確認と了承をうけ、我々が最初に入船する。その後、車やバイクの入船となる。スタッフが芸術的な格納(バック入船)を行い、我々の喝采をうける。数cm差の隙間でビシっと入れたスタッフの腕を信じるしかないといえど、車の持ち主もスタッフにハンドルを預けてヒヤヒヤものだったに違いない。
 しかし文字どおり「渡りかけた船」。乗り遅れると1〜2時間待つか、大隅半島から櫻島経由で薩摩半島へ地続きで走り続けるしかない。この船は待合室が小さい。外の海風吹きすさぶ甲板、一応椅子つきだったが、我々はそこに居座るハメとなる。俺が座っていたところはたまたま操縦席の後ろにあたり風を防いでくれたが、他のみんなはキツそうだった。ホットコーヒー持ち込みでホッとしていた。ちなみに俺はコーヒーは基本的に苦手なので、"Qooアップル"と、我ながらかわいい・・・。
 船上では、明日の宴会場所のおすすめを聞くため、西井が高知にいる前田へ電話。みんな順番に代わる代わる話す。電話越しでは元気そうだった。参加してくれないのかな〜。桜島は見えなかったが、着岸寸前で開聞岳を垣間見た。

 指宿港は暖かい。こちらの港は大きく、公園がゴージャスに見えた。「ここに泊まってもいいんちゃうの」と思わず言い出した。(結果的にそうなるが)海上の風がなくなり、南国風情豊かで、砂風呂会館までゆったり走る。
 大西はここで「腰が痛いので、この後はレンタカーでまわります」と宣言した。今まで見ていてつらそうだったので、認めざるをえないというか、明日は雨というし、ここで腰を痛めて歩けませんなどのリスクを考えると「お疲れ様でした」と少しうらやましいそうにみんな声をかける。このときは単に「お疲れ様」だけだったが、明日はみんな便乗することになるとはあまり想定されていなかった・・・。
 砂風呂が目の前にある。みんな気持ちよさそうだ。こちらも雨と合羽による汗と海上の風にまみれて一刻も早く風呂に入りたい。藏前さんが既に整理券を確保されていて、1時間待ち。今後の行動を決める必要がある。当初の予定では開聞岳山麓キャンプ場まで行く必要があるのだが、風呂に入った後10km以上走りたくない心境で、指宿の公園でよくなってきた。但し西井と有原のテントがキャンプ場のレンタルだったので、協議に入る。
 「テントじゃんけん」
 今年発生しない団装じゃんけんが、姿形をかえて発生した。キャンプ場へはレンタルテントのキャンセルの電話を行い、負けた二人のテントを西井と有原に提供することとなる。砂風呂会館の前の広場で男7人の闘いがはじまった。
 「最初はグー!
 また負けた・・・。有原をとるか西井をとるかで悩んでいたところ、救いの声が入った。
「鳩野のテントに、テントを持ってこなかった西井と有原が寝ればよいのでは?
ま、当然といえば当然だ。俺は大江と一緒にテント容量が一番大きい大西名義のテントで寝ることとなった。
この戦後処理をまとめると以下のとおり(敬称略)。■は4人用テント。▲は2人用ツーリングテントである。()は本来の所有者を示す。
(大西):鳩野・大江
(鳩野):西井・有原
(大江):大西
▲藏前
▲藤井
 今後この手のツーリングが定常化することを危惧する・・・。
 砂風呂は思ったより体に負荷がかかる。お腹まわりが重くてトイレにいきたくなる衝動にかられるが、10分過ぎて出させられるので、いい感じでリラックスできた。その後の風呂も気持ちいい。先日入っていない分、なおさらそう思う。
 その後、開聞岳まで行かずに指宿市街で食事がとれるだけでも効率がよい。界隈を走っていると直感でよい店を見つけたので、先行していたマニュアル作成者・西井を呼び止める。「ここにしよう」
居酒屋ひろみち
http://gourmet.yahoo.co.jp/0006507101/0009405770/ktop/
 18歳の時にはビール一口で戻しそうになり、「呑めません」で先輩と喧嘩していたのに、ダブルの年齢が経過した36歳の今では、焼酎の銘柄や味についてみんなに薀蓄・解説するようになってしまった。思い返すと自分の父も45歳越えてから酒量が多くなった人生だった。今では心臓疾患による通院状態だが、酒のピッチは俺のほうが早いのか・・・。
 気を取り直して店の説明に入る。銘柄も多く、リーズナブルな価格で森伊蔵・赤霧島・そしてここの店が納品している「侍士の門」とひととおり楽しむ。きき酒で間違ったのは愛嬌として許して欲しいなぁ。ふだんはワインでも比較的当てるだけに悔しい。この時点ではベロンベロン状態でした。
 「侍士の門」
http://www5.ocn.ne.jp/~jsamurai/kura.htm
 隣にいたカップルには男7人の横で大声で話すものだから、大変申し訳なかった。しかし我々は楽しいひとときでした。m(_ _)m
港の公園にテントを張ろうとすると、港に居座っているタクシードライバーのみなさんが「奥がいいよ」とガイドしてくれた。どうやら他にもこの手の野宿旅行者がいるようだ。少しホッとする。というか、なぜこんなに南国の人達は親切なのだろう。

走行距離 72.2km (串間−志布志−錦江〜指宿市)

5/5

 6時起床。いかにも雨が降りそうな天気。大江のラジオからは「大雨洪水警報」のアナウンスが聞こえる。ここしばらく合宿でラジオを持ってくることがなくなったのは、ちゃんと大江が持ってきているからである。
 テントを片付けた途端に土砂降り。ある意味テントがズブ濡れにならずに済んでラッキーだと思うしかない。でも走行中の豪雨だけは勘弁願いたい。近所のコインランドリー店と兼用でしている雑貨屋でパンやおにぎりを購入し、横のコインランドリー内で食べる。なぜかコンサドーレ札幌の選手のサインが飾られている。合宿でよく利用したのだろうか。雨はやまない。大西が鹿児島市内でレンタカーを借りるため、宅配センター→指宿駅→電車で鹿児島駅へのアプローチをこなすため、豪雨の中、腰痛の中、1人で駆け出して行った。「次は知覧で待ち合わせかな?

 あまりにひどい雨のため、「また砂風呂入る?」というダラダラ沈没進行で、再び砂風呂会館。雨宿りもできる最高の場所でコーヒーを飲みながら雨を眺めていると、下の排水溝から水があふれてきた。雷、豪雨、雷、そして挙句に周囲の建物、信号機が停電で灯が消えた。
 「もう走らんでもいいやろ」という意見が出てきた。2004年の新潟最終日のデ・ジャ・ヴ状態で、走る必要性さえなくなった感がどょ〜んとみんなの表情があらわれ、その空気が蔓延する。西井と藤井が向かいの土産物屋へ宅配センターの場所を聞きこみはじめた。案外近い。大西を電話で呼び出す。「レンタカーは7人乗れるものを借りて、指宿まで来て〜」と西井と俺が頼みこむ。 「容赦ないなぁ」と藏前さん。
 雷はおさまったところで、宅配センターへ移動。道路が冠水気味で、水跳ねが派手だ。シャワーのような、山下達郎の懐かしい楽曲「スプリンクラー」状態、但し女性はどこにもいないバージョン。駅前商店街と幹線道路が交差するところに宅配センターがあった。板張りの荷物スペースも使わせていただく形で深謝。折りたたみ傘を買いに近所のスーパーを往復する。やはり雨を避けることができないのかと、残念に思うが早めにきりあげることも大事だろう。指宿駅へ行く。雨宿りがメインだが、足湯があるので、こちらに俺以外のみんなが浸かっている。熱すぎるため、入れない。なぜか近くの鰻温泉製ゆで卵が売られている。腹ごしらえに買って食べる。普通の卵だった。

 大西は鹿児島に着いて、レンタカーで移動開始しはじめたが、1時間以上かかる見込みなので近所の喫茶店に入る。元々関西にいた人がドロップアウトして店を開いたらしく、我々の関西弁が懐かしいようだ。おくらコーヒーを西井が飲んでいた。7人目のオーダーらしい。ネット環境があるため、渋滞情報を確認する。数日振りにPCにさわるが、なんともほんの数日だけでタイピングがぎこちない。
 大西がそろそろ来るかなというところで店を出ると、なんとすぐにやってきた。セレナ最新バージョンだ。見事におっさん7人入る。豪雨の中あわてて中に入る。ビデオ撮影のため、取り急ぎ助手席に鎮座する。

 どうやら大西は宅配センターへ行くのに、我々が使用したところと違うもっと郊外の場所までたどりつき、そして輪行して配送依頼したらしく、「え〜ここまで来てないんですか」とショックだったようだ。この豪雨の中、腰痛に悩まされながらもよく走ったなぁとみんなで感心しながら、大西は冷静にその宅配センターをスルーして行った。知覧までの道は車でも険しい。池田湖ではイッシーだけ見て、先を急ぐ。山間のルートでは霧が出たり、雲の上に出たりと、一応ナビ案内を尊重して走ったものの、これは自転車で走りたくない道だった。
 知覧市街では、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」のキャンペーン中。但し雨のため観光客は少なめだった。西井マニュアルによる店へ行く。「旬彩茶屋 和」http://www.rurubu.com/season/spring/shokyoto/detail.asp?SozaiNo=460007
 なんとこの映画出演の徳重聡と窪塚洋介が立ち寄った店らしく、5/3、つまり一昨日にここでサインをしている。西井が味が薄いような話をしていたが、上品な味でうまかったと思う。濃い味わいが主流である鹿児島県にして、この味は結構レアなんです。しかし昔のように論争にならないところは、言い争いを避ける老化のせいか、それとも成長の証か。
 この後は武家屋敷の無料範囲のみの散策と映画プロモーションビデオがながれている土産物屋で鑑賞する。その後今回の合宿のメインといえる知覧特攻平和会館まで大西にかわり、俺がドライブ。西井が次の車を購入する際にこのセレナを検討したそうなので、渋滞するであろう鹿児島市街までの運転をさせる企みで、この短い間を運転担当した。
 館内はたくさんの人が、老若男女問わず訪れていた。映画の影響だけではないと思われる。この会館に安置されている遺品の数々をながめると、国家(政府)と国(ふるさと)の違いとその狭間で苦しんだ悲劇を感じる。南洋で散った若者達がもし死ななかったら、どのように歴史に影響をあたえたであろうか。最近、国家(政府)によるなんとなく打ち出してみましたキャンペーンをはじめとして、現在生きる日本人は、少なくとも自分達の政府を用心深く観察しつつ、行動していかなくてはならない。日本という国(ふるさと)が数十年前に見舞われた悲しい事態の再来がないように・・・。
 国の行く末は、あくまでも国家をコントロールする人達、つまり国民各人の自覚と力量次第による。対外的な圧力や地震をはじめとする天災による影響でやむなく進まざるをえないという必然的歴史的見解に対しても一定範囲で理解はできるのだが、最終的には主体性を持ち、かつ主導権を握った人間達による判断と行動により、歴史が築き上げられ、そして未来が変わっていくものと俺は考えている。
 鹿児島市内への運転は、目論見どおり西井に運転を依頼し、本人もまんざらでもなく引き受けてくれた。雨中、お茶畑の中で車はどんどん進む。この合宿もまったり最終コーナーにさしかかったような気がした。祖父が1988年に入院していた鹿児島市内の病院近くをあっさり通過した。

 打ち上げ宴会は西井マニュアルによる郷土料理屋。
吾愛人(わかな)http://www.k-wakana.com/
 既に現金が不足しているためカード払い。焼酎で目が回りつつ、会計計算をしたものだから、みんなに迷惑をかけてしまった。一応つじつまは合っていたと思う。本当にうまかった。たぶん父は食べてないだろう郷土料理だ。グルメすぎる。
 二次会は近所をブラブラ歩いて入った焼酎バー。個室に案内されて、わいわい騒ぐというよりはしんみり前田に情報報告のため、携帯電話で各人話した・・・。その後は鼾をかきながら熟睡していた。自分が撮影されていた映像で確認した。
 最後は鹿児島銀行前で「エール」を行い、ホテルに帰る。気分悪かった。2時過ぎていたかな。

自転車走行距離 3.0km (指宿市)

5/6

 鹿児島空港行きのバスは1030分。早く出ねばと思うが、前日の酒で二日酔い状態である。ホテルロビーに出ると藏前さん・有原・大江が待っていてくれた。天文館で朝食をとる。喫茶店のモーニングで西井が合流する。
 その後は土産物屋で購入するため、みんなと別れる。しかしどうやら土産物屋が見つからないため、再会した。なんとなく名残惜しく離れる。土産物は必死になって吟味のうえ、バス停を探す。しかし焼芋焼酎の味見をしたせいで更に悪酔いし、天文館界隈を徘徊する事態になり、空港バスの停車位置がわからず、パニックになる。近所の店のおじさんに聞いて、なんとか無事滑り込む。
 鹿児島中央駅へバスが寄る。17歳の時、父と訪れた1988年時の旧:西鹿児島駅がこんなに変貌しているのかと思うと感慨深い。中央駅から空港へ行く人達がドッと乗り込んできた。高速道路で桜島を少し拝むことができてよかった。
 空港でも買い忘れた土産を買い込んで、そのまま飛行機に乗る。フランス行きでも乗ったエアバスだが、思ったより揺れ、びっくりした。

 羽田に着いた。行きと違ってバス送迎ではなかった。京急特急→横浜からバスで、去年の秋に引っ越した新居が見えてきた。マンション群の中に入ると、合宿で走った場所と違いすぎるため、異なる世界から帰って来た気分だ。
 来年はやるのでしょうか?!
 高知打ち上げや能登半島、出雲大社お参り、伊豆→横浜など酒の話ではバンバン出ていましたが・・・。
(
終わり)

POPPO:2009OB合宿記録

5/1 17:45 原宿発。

 ここ最近は毎年勤務地が変わっているが、急にカラーの違う街で働くことになった。山手線経由で品川乗換え猛ダッシュ。京急電車は単なる通勤電車状態。羽田に着いたのは18:35、飛行機の出発は19:15となかなかハードだ。満席で離陸時も渋滞で遅れて出発する。眼下に見える首都圏の夜景にだんだん慣れてきた。川崎市内の夜景までは、くっきり見れるぐらいの素晴らしい天気だった。

 幸先よさそうなので、この間は日本酒と一緒に初めての空弁ニシン寿司を食してすごす。量は少ないが、味はまあまあいける。飛行機の中で酒を呑むのは初めてかもしれない。

 瀬戸内の島々の幻想的な夜景を眺めつつ、松山へ予定時刻20:45到着。

 到着口からのバスは微妙に混雑している。ホテルへ行くのに繁華街を歩きながら、いざホテルを探すが、少し迷いつつ、なんとか見つける。空弁だけでは腹が満たされず、チェックイン後、繁華街のうどん屋へ行く。ビールと鍋うどんを自分以外の客がいない状態で食べた。勘定の際、店のスタッフが尋ねてきた。

 「どこからですか?

 「横浜からです。松山は8年ぶりですね」

 もろもろしゃべったが、あまりよく覚えておらず、そのまま寝た。自転車の組み立ては明日でも間に合うだろう。

 

5/2

 実際に走り始めるのは5/3からだが、こんな熱心に松山を前入りしたのは、8年前に訪れた子規記念館を再訪したかったことがある。それだけでなく、松山城・当時はなかった坂の上の雲ミュージアムなど、合宿で本格的に走り出すとスケジュールが厳しく訪れられそうにない箇所があったためだ。

 自転車を組み立ててみて試走してみるとブレーキのかかり方がいびつになっている。これを調整するため大街道⇔二の丸まで走りつつ、なんとかブレーキ位置の調整修理をしたところで、途中にある「坂の上の雲ミュージアム」へ寄る。安藤忠雄デザインの建物の前には、少し場違いなイラストタッチで描かれた主人公達の顔はめこみパネルに少々違和感をいだきながら、中へ入る。1人でなかったら、入って撮影する誘惑にかられるが、スルーした。

 江戸・明治期の資料、主人公達の資料とパネルを三角螺旋状に登っていく構成となっていて、なかなか見甲斐がある施設である。

 

 ここを出たところで、高知在住の前田から電話がある。

「松山でうまいところ紹介しますよ。けど今は(接待)ハイキング中で室戸に来てます。メールが読めないため、後でまた場所教えます」

 

 朝にフェリーで着いた大江、昼の飛行機で松山入りした藏前さんとようやく携帯メールでコンタクトをとる。電話より複数人で一度にやりとりができるこのご時勢ならではのやりかたである。100年前、「坂の上の雲」の主人公の一人、秋山真之が必死になって日本海軍に導入しようとしたモールス式の無線機の頃を思えば隔世の感がある。それでも当時の無線機の科学技術は、今の携帯電話メールより先端的であったことを思うと、秋山真之の先を読む能力にあらためて感服する。

 藏前さんがいまでも現役に近いOB達とメル友であることを知るのは、これから6時間後の話である。

 

 昼食で合流、大江は子規記念博物館と道後温泉にいたそうで、この後海鮮物の昼ご飯をいただいたところで、各人別行動となる。いい年した大人なので、常に一緒でなくてはならないというほど淋しがり屋でもない。

 藏前さん: 「坂の上の雲ミュージアム」→「子規記念博物館」→「道後温泉」

 大江:「松山城」→「坂の上の雲ミュージアム」→「道後温泉」

 鳩野:「松山城」→「子規記念博物館」→「道後温泉」

 

 松山城は大江と同行する。なかなかの急坂で汗だくになる。あまり会話もなく、淡々と登り、想像以上の名城であることに新鮮な驚きを感じる。たまに立ち止まって撮影、看板やパネルの説明を読む、そして歩くという繰り返し。

 城主の入れ替わりが激しい歴史だったが、この天守閣から松山市街地の眺めが想像以上にすばらしかった。司馬遼太郎が、松山という舞台を詳細に描写した理由がわかったような気がする。帰りはいよかんアイスを食べながら下山した。

 

 子規記念博物館は、以前妻と来た以来で結構長居していた。正岡子規は「坂の上の雲」の主人公格の一人だが、文人と病人のイメージが強い彼が、どうしても自分の性格とカブるため、昔から好きで勝手ながら共感している。彼の野球好きは、自分の自転車ツーリングにおそらく置き換えられるし、やたらめっぽうに膨大な旅の記録を書き続けている点や、人を仕切りたがる偉そうな性格である等・・・。友人達に勝手に点数をつけて評価していたところは少々いただけないが、子規自身の点数は何気に控えめに設定されているのが案外可愛いらしい。 今回の再訪では、企画展で彼の家族・親戚とのやりとりや資料をじっくり見ることができた。本当に迷惑ばかりかけていたことが推察されるが、基本的に子規は今で言うところの「愛されキャラ」であることは確かで、正直羨ましすぎる。このキャラクターがあったから、みんな彼が亡くなるまで、そして亡くなってからも支持されるのだろう。

 

 道後温泉はまさにカオス状態の渋滞で、列をなしていた。ただ入浴だけなら、並ぶ必要もないことを藏前さんから電話で聞き、すぐに合流して風呂に入る。混雑していたが、新年の富士山前の「紅富士の湯」より、まだ体を洗うスペースがあった。

 風呂を出たところで、大江と合流。本館とは少し離れた椿の湯で入浴していたとのことで、ゆずジュースを飲んで、ホテルに戻って団装じゃんけん。相変わらず負け続け、鍋一式を持つこととなる。

 

 ところで話は遡るが、夕食の場所は16時ごろ前田から電話があり、2件紹介を受けた。まず瀬戸内料理の店へ行く。残念ながら前田の忠告どおり、予約が必要だったようで、満席のため断られた。残ったもう一軒へ行く。こちらは「おかみのおばんさい料理屋」で、アットホームな感じが、最後の接待用向けというところが、前田経由の推薦店というところか。ビール・日本酒・焼酎とひととおり嗜んだあと、二次会でワインバーへ。この合宿では極めて珍しい。このチャンポン状態が明日つらくなることは、この時点では誰も知らない。。

走行距離 4.0km (松山市内)

 

5/3

 8時起き。本当は7:30にみんなで朝食という予定だったのだが、藏前さんにドアをノックされて飛び起きる。電話はこの時間には自動ONにならない状態だったので、こうせざるを得なかったと思うと、大変申し訳ごさいません状態だ。既に藏前さんは自転車も組み立て終わっていて、スタンバイされている。

 なお合宿参加メンバーで一番朝が弱いのは、今でも自分であることは間違いなく、それはそれで愛嬌があるではないかと思ってしまうところが、あまり反省していない点でもある。

 

 2003年、自分は参加できなかった合宿では、今回とは逆ルートのコースだったが、毎日炎天下で、日焼け止めを団装で購入するぐらい、塗りたくっていたらしい。しかし今年は雲の合間からたまに太陽が出るくらいで、これはこれで走りやすい。しまなみ海道も開通10周年目の今年は、松山からの国道も自転車が多く集っている。道の駅にはまず間違いなく、自転車がとまっている。大阪から来たという年配のおじさん達3人が、自転車もウェアもバッグも軽装ながら、すべて気合の入った状態でくつろいでいた。あれこれ話す。将来の自分達かもとは誰かが言っていたような。 今年になって大奮発して購入したリクセンカウルのフロントバッグに目がいったらしく、「これ、くっつけたところが、すぐに落ちないか?」と心配された。

 フロントサスペンションが付いた自転車だと、アジャストメントがブレて安定せず、落ちてしまうらしいが、15年前のGary Fisherのクロスバイクにはそんな高級なものはないので、今のところ、着脱自体のしやすさに感動しっぱなしなので、正直にそう伝えた。

 

 その後このおじさん達がバス停で休んでいるところを通過した。

 来島大橋のふもとで食事と思っていたものの、これが案外何もない閑散とした道路で難儀した。奇妙に向かい風でうっとおしいことや空腹が増すことで、みんな焦り出したところで、藏前さんが閑散としたレストランを見つけたので、勢いで入る。内装はどう見ても居酒屋のつくりなのだが、洋食ものもメニューにちゃんとある。そして大いににぎわっている。家族連れも多く、子供がやたらと泣いている。

 刺身定食と海鮮丼を食す。「るるぶ」選定によるグルメ旅を毎年西井が提案してきた流れから、藏前さんがその役割を引き受けた感じだ。

 

 橋のたもとで、造船所のドッグ横の可動橋を通り抜けて近道をしたつもりだったが、大橋に入れず、造船所まで走りこんでしまう。連休も関係なく働いているスタッフに道を藏前さんが尋ねる。

 「また迷ったら、ここにおいで〜」とみんな珍客を歓迎してくれた。

 

 サイクリングターミナルは思った以上に大きく、地図や割引券販売等で、多くの観光客がやって来て、盛り上がっている。駐車場も満杯で、入れなかった車がためらいつつ入り口前の道路を通過していく。

 こういうとき、自転車で来ているとよかったなと感じる自分は性格が悪いだろうか。

 

 来島大橋は第一から第三まで3つある。ぐるぐるとらせん状に建設された自転車道を登り、直線の大橋を駆っ飛ばす。家族・カップル・チーム、ロードレーサー、レンタサイクルなど様々な条件のもとで自転車を楽しむ人達がこんなにあふれて見る光景は圧巻である。しかし交通ルールをちゃんと遵守できていない人たちにはカンシャクを起こしてしまう。

 左側通行を守っていない子供がうろうろと右側に出てきて、とまっているので、思わず注意する。「どいてください」

 大島に入って休憩したときに、「ここは爆走するところではない」と諭される。すぐに怒るキャラはしばらく封印していたが、若い頃はさんざん色んなことでキレていた性分が復活したということか。

 

 ここは自転車で走ってすれ違う方とも雑談が多くできる。藏前さんがやってくるまで、大江と交差点で休憩していると、向かいから重装備のツーリングしている方がやってくる。思わず声が出てしまった。

「新田さん?

 2歳上の先輩にあまりにもそっくりだったのだが、向こうにキョトンとされ「違います」

 謝りつつ事情を話して、理解していただいた後は、ツーリングよくあるどこから来たかの話。4/22に吹田を出発し、山陰・出雲大社をまわってここに来ているという。京阪沿線の市役所めぐりをするなど、相当自転車が好きなのがわかった。また自分の自転車を見て、「Gary Fisher、使い込んでいますね〜」「カンチブレーキですか」と言われると嬉しいコメントが出てくる。

 

 藏前さんが追いついてきた。反応は同じだった。「新田さんかと思った」

しかし呼びかけるまでのフライングはされなかった。

 

 この交差点から大島を離脱せずに少し脇に走り続けると村上水軍博物館がある。2003年の頃よりグレードアップしていると藏前さん・大江が感動していた。子供の教育向けのパネルがわかりやすい。船が一番の輸送機関だった頃、この界隈は文化・科学技術の先端地域であることをあらためて認識する。

 

 「しまなみ海道」とは、自転車で走っている時、そのネーミングのよさを一番実感できる。海と島を縫うように渡り走りきることができるからだ。各島には自転車向けの標識がふんだんに設置されている。サービスエリア的な休憩所をのぞいては小休憩する。伯方島では期待の塩ラーメンが食えるかと思いきや・・・、「売り切れ」

さすが観光地でもこの盛況でラーメンのストックが足りなかったか。

 

 大三島のキャンプ場に着く。藏前さん・大江にとっては6年ぶりだが、自分には初めてであまり地理がわからない。持込テント1000/張 貸出テント2000/張という不条理な価格設定だ。3人いると貸出のほうが安い。6年前も交渉して、実際の使用スペースを考慮して価格を変更できたのだが、藏前さんが試みる。しかしこの大三島が平成の大合併で今治市になってから、どうも運用が杓子定規になったらしい。結局テントを借りることにする。小川テント5人用。すごぶる快適。寝床じゃんけんは端っこがとれて勝った。自転車でやってきた利用者も多く、自転車の同類がたくさんいる。何気に嬉しい。時勢が我々に追いついてきたか。

 

 ここのテントサイトは段々状になっていて、一番上に炊事場・トイレがある。結構スペースがうまっていて悩んだが、橋の下に張る。炊事場に近いと調理は楽だが、人の往来が激しいのがためらわれた理由だ。この時既に18時過ぎ、自炊するにはいささか面倒になってきた時間だ。6年前利用したAコープへ行ってみると既に閉店。言い訳がましく「じゃ、外で食べようか」というところで特に食べ物屋が道路上にはなく、看板が出ている「くろしお」という店にたどりつく。

 幸いすぐに入れた。我々が入った後は列ができていた。ヒラメ・タイといった海鮮物コラボで、お腹いっぱい。スポーツクラブの風呂場へ寄ってスッキリした後、明日の自炊準備のため、キャンプ場前のコンビニであれこれ購入する。スポンジと洗剤を買うはめになったのが不覚だった。40歳近くになって、不惑の年ではなく、まだまだ迷いまくりというセリフがこの合宿には似合う。

 11時には寝ていただろうか。

 

走行距離 90.0km (松山−今治−来島大橋−大島−伯方島−大三島)

 

5/4

 6時起床。3人の中ではそれでも最後である。藏前さんが眠れなかったとのこと。自分のイビキがひどかったらしい。2007年合宿の焼酎バーで轟々たる音でイビキをかいている自分が撮影されてから、酒が入るとひどいイビキをすることを認めざるをえなくなった。雨がパラパラ降っている。テントを借りていてよかった。今日濡れた自前テントを運搬せずに済むからである。

 早朝、オートキャンプ全盛のキャンプ場の炊事場は閑散としている。ありがたくも屋根つきでもあるので、2006年東北・十二湖以来の自炊開始。レトルトだが、白飯の火加減もバッチシで、うまかった。このキャンプ場、ゴミは持ち帰りのため、できるだけ米粒をとりやすいよう、お湯をかけたり、米をすくいとったりと忙しい。

 

 多々羅大橋を望む大三島のサービスエリアは9時前から混雑している。トイレ掃除で、列をなしているのだ。なぜこのタイミングで掃除するのかは不明。

 生口島からは広島県となる。今日のメインイベントは大西の途中合流である。三原・須波港へのフェリーに間に合わなくてはならない。結構気合入ったスピードで駆け抜ける。あじわいある商店街を抜け、平山郁夫美術館前の交差点を通過する。かつて妻とレンタサイクルで尾道からここまで走ってきたことを思い出すが、感慨にひたれるほど時間がなく、自分にとってしまなみ海道縦走が達成されて「一応つながったな」とふと念頭によぎった後、そのまま沢港へ向かう。

 30分おきに運行されているせいか、船は相当大きい。しかし高速道路料金値下げで閑散としている。

 ゆったりと座り外をながめる。造船所のドッグがあちこちに見られる。21世紀の今でもここはまぎれもなく水軍の地だ。

 

 須波港から南1kmのレストランで大西と待ち合わせしている。走行中に携帯電話がなって取り損ねるものの、合流地を確定させているので、問題なく再会した。といっても自分の場合、家が近所で帰りのバスでもばったり会うくらいなので、そう懐かしくもない。()

 そして「問題なく」と書いたが、大西の自転車も相当年期がいってしまい、あちこち壊れているようで、配送中に変速ギア部分が破壊されていたことが判明した。「問題あり」だ。ただ幸いなことに本人はあまりに気にしていないようで、「そのまま走ります」と気合が入っている。しかし腹ごしらえに走る前にレストランで食事。いきなりタコづくし・刺身・海鮮丼などゴージャスなコースを選ぶ。

 

 このあたりから日差しがきつくなり、日焼け止めクリームを塗りだす。本州側もこの界隈は造船所・ドッグが多くあり、その中を渡りぬく走行となる。GW中は休みのせいか車の通行量はさほどではない。自転車・バイクはよく見かける。そんなのどかな国道で、藏前さんが、先行している自分と大江に止まるよう言われた。

 「大西が来ていない」

 しばらく様子を見ていると後ろからものすごい回転数で遅く坂を下ってくる大西がいた。

 「パンクです」

 彼にとっては2001年以来のパンクで、慣れていないせいか、あれこれ先輩方から教えられる羽目となる。我々が道端であれこれ指南していたら、前の民家からおじさんが出てきた。60歳弱の感じで、我々のことが気になったようであり、パンク修理をしているところを見ていたら、かわいそうに思ったのか、修理道具をあれこれ出してくださった。

 「本当にすみません」

 「自転車乗りに悪い人はいないからね」とありがたいお言葉をいただく。自宅で奥さんの自転車のパンク修理で難儀したエピソードを聞くと、ママさん自転車のほうが難しいんですと答える。

 宗岡さん、ありがとう。

 

 竹原市街では、江戸時代の街並みを拝見する。世界最古※ではないが、日本が世界に誇れるハードSF小説、「竹取物語」の主人公、「かぐや姫」扮した姫様がお車に乗って練っている。我々はお車の後ろについていったり、竹鶴酒造で日本酒の味見をしたりして、野営地が確定していないという切羽詰った状況にもかかわらず、比較的のんびりすごす。

 

※世界最古のSF:古代ギリシアの作家ルキアノスの書いた『イカロ・メニッパス』であろう。この小説では、主人公のメニッパスが両手に翼をつけてオリュンポス山の上からイカロスのように(イカロ)飛び立って月の世界に行き、そこで月の哲学者と会う。そしてかれに、目を千里眼にしてもらって地上を見て、世界の小ささを実感する。『現代SFの歴史』p.30-p.31(Wikipedia “サイエンス・フィクション”より)

 

 ここを過ぎると自転車屋の存在を期待できないため、大西の変速機が修理できる可能性を探るべく、町の人たちの協力で自転車屋を探しあてた。しかし店内はずっと犬が吠え、2階にいるだろうその娘さんが「しばらく待ってください!」と叫び続けること3分経過しても、特に誰も出てこないので、さすがに見切る。

 人の応対として極めて訝しく思いながら、先を急ぐ。

 

 安浦に着いた。一応頼りにしていたgoogleでヒットした銭湯は、藏前さんの地元タクシードライバーに対する取材の結果、焼き物(陶芸)屋に転職したことが判明し、風呂なし・野宿箇所未定というピンチに陥る。その中で駅前からグリーンピアせとうちへ行くバスの時刻表を見つけて、17:35の最終便を残すことがわかってから、みんなの行動がスピードアップする。自分としては野宿先のロケハンが先立ったけど、みんな風呂に入りたかったようなので、そちらを優先する。

 なぜかこのバスの行き先について、風呂は比較的どーでもよい自分がバスの運転手に珍しく確認した。

 「グリーンピア『三木』は入浴だけでも大丈夫ですか?」とたずねたらしい。本人が全くその記憶がないだけに、出身地近くの施設の先入観というものが抜けきれていないことをあらためて認識する。

 本当の奥地、いわば隠れ家的な場所にグリーンピアせとうちがある。バスに揺られて見ていた車窓からは、このアップダウンは自転車で行きたくないなぁとしみじみ感じる。風呂は露天風呂・うたせ湯・サウナ2種など、バリエーション豊富。あきらかに日本国民の年金の結晶ともいえるゴージャスな施設だ。けど今回は利用できて本当に感謝している。

 

 例年は無難にこなしていた野営地の確定で苦労する。場所は近所の公園だが、候補が2か所あったが、よりよかったほうが近所に住むおじいさんの監視が続いたため、諦めて、次候補で決断する。

 夕食はその公園近くの居酒屋。この辺でお腹の調子が悪くなってきたが、食欲自体に影響はなく、日本酒と近海もののお魚でぜいたくをした。

 

 野営地はこっそりテントを立てて、静かに寝た・・・と思ったが、大西のイビキがうるさかったと藏前さんが言っていた。自分は夜な夜な自転車で遠くコンビニまで駆けつけてトイレに行く始末で、12時半までには眠れた記憶がある。一番最後に寝ついたようだ。

 

走行距離 60.0km 

(大三島−生口島〜三原・須波港−竹原−安浦)

 

5/5

 545分頃起床。先日の貸テント作戦が功を奏し、この日は乾いたままで設置できたので、パッキングが楽だ。セブンイレブンの駐車場で朝食をとる。なぜか大西に声をかける女性がいる。

「男前やね〜」

 単なるお客さんであることに気がつかないぐらい眠かった記憶が残る。そしていきなりバイパスの急坂に閉口しながら、なかなかのハイペースで呉をめざす。休山トンネルの自転車専用道はすばらしい。このような分離型のトンネルがもっと他の地方で普及することを願ってやまない。この道路はショートカットの価値があり、地元の学生やおばさんも利用していた。

 

 ワープゾーンに入った錯覚を感じつつ呉市街地に入る。メインストリートのれんが通りから少しはずれた場所にある食堂をロケハンした後、大和ミュージアムへ。9時前にもかかわらず、長蛇の列にびっくりする。「他のいくところないんか〜」とみんなため息が出るが、ここは待つしかない。

 9時オープン、ぞろぞろ施設内に入るとJAF会員だと割引があるらしい。大西が会員ということで、みんなそれに甘える。

 中の施設は、日本の海の力とその歴史変遷をたっぷりと堪能できる実にすばらしいもので、ぜひ修学旅行で使ってほしい。老若男女問わず、すっかり有名になった戦艦大和の1/10モデルや展示物、今の科学技術で活かされている各分野の紹介、最後には呉の名産物や酒を紹介しているところもちゃっかり有効活用している。子供向けの船や乗り物に関する科学教室も実に秀逸だ。

 

 土産には、ありきたりながら、大和のロゴが入ったTシャツを買って、次は横にある「てつのくじら館」、海上自衛隊の広報目的として退役した潜水艦をそのまま陸上に揚げて作られた施設で、なんと無料。それで潜水艦と掃海技術の歴史と実績紹介を徹底特集している。戦艦大和と潜水艦あきしおのコラボは見事で、日本がいかに島国で海運国であるのかという認識をあらためてしたひとときだった。現在進行形でソマリア沖へ海上自衛隊が派遣されていることも含めて、この街では温かく見守っている雰囲気を感じた。この界隈はショッピングセンターでにぎわいつつも、今でも呉は軍都のまま活気があった。

 

 ちょうどお腹もすいたので、「るるぶ」掲載の食堂に入る。肉じゃがと海軍カレーをいただく。記載どおりの美味。正直横須賀の海軍カレー屋より、こちらのほうがうまい。まろやかさが全く違う。12時前に入り込んだのが功を奏し、その後は人が並んでいた。

 早々に出た後は、トンネルと工業地帯の沿岸を北上する。案外走りにくい。2号線パイパスが一番早いが、車専用のため、自転車で走るわけにはいかない。迂回したものの、近くを並走する電車が踏切トラブルで止まっている。道が混雑しだしたところで、強引に2号線に突っ込む。

 フラワーフェスティバル会場の平和大通りに着く。2000年に一度来ているが、完全お祭り状態になっているのに、びっくりする。想像以上に大規模な祭りで、車は立入禁止とされ、多くの人達で大賑いだ。事前にネットで調査したホテル近くの宅配センターを見つけ、分解した自転車を配送する予定を伝えたうえで、再度平和大通りへ。ここで自転車を平和記念公園寸前まで持ち込もうとしたのだが、これが誤算で、人の合間をかきわけて、押して歩き続けることになる。

 川沿いの公園に自転車を止めるときにおっさんが屋台の人達とトラブルがあったようで、結構騒ぎ出している。車を横にわざと止めて、屋台の方の出入りが車でできないように封鎖する格好だ。なかなかの立腹具合で、ついに警察がぞろぞろやってきた。連休中のところ、お疲れ様である。

 

 平和記念公園では、なぜか踊りの「よさこい」コンテストを大々的にやっている。最近のGW期間では、各地の祭でこの踊りが行われているが、なぜみんなこんなに熱心に踊るのか、事前練習して、披露したがるのかあまり共感できていない。ま、人によれば、この合宿も15年もやっているのかが、同じように理解できないのかもしれない。

 

 平和記念展示資料館は小学校の修学旅行をはじめ、これで4回目の訪問となる。当時の日記で冒頭「戦争は勝たなくてはならない」と書き出し、担任の先生から注意されたのだが、この思いは3倍ぐらい年をくった今でも基本は変わらない。やはりこのご時勢でも核を持つ国家が強いのだ。それとあわせて次は見とけよ・・・、という臥薪嘗胆の気持ちが沸き起こることを否定することは自分にはできない。これだけ残酷な仕打ちをされた以上、なんとかしたいだろうというのがある。

 だからその報復をせずに純粋に平和を実現していくという流れが、この展示資料館の基本コンセプトなのだが、最後に各国の訪問者による寄書を見ると、日本が大日本帝国として侵略したから、結果がこうなったのだという主旨の記録も英語・中国語では確認できた。この点はこの資料館の展示コンセプトどおり、謙虚に受け止める必要がある。

 

 ふと外を見たら、雨が本格的に降っていて、よさこい会場も小休止状態だ。

 少し小雨になった段階で外に出ると涼しくなっていた。ここから駐輪している公園まではたいした雨ではなかったが・・・、ホテルへ向かう時に土砂降りとなった。宅配センターで輪行するのは諦めて、ホテルへ向かう。藏前さん・大西は明朝帰るため、この日中にパッキングしなくてはならず、土砂降りの中、屋根なしで輪行袋に水がたまりつつ、宅配手続きをされるハメとなった。

 ホテルにたどりつく1kmもない場所で雨足が更に激しくなり、ビルの下であわてて自転車を止め、カッパを上下着込んで、祭の参加者や観光客があわててコンビニなどの施設に駆け込む中をスピード控えめに慎重に走る。走行途上、印刷しておいたホテルの地図が雨に濡れてインクが落ち、よれよれになって読めなくなったところで、交番に入ってホテルの場所を尋ねる。ずぶ濡れのまま、チェックインすることとなる。ひとまず合宿が終わったという充実感と最後の最後で雨にやられた〜という疲労感が入り混じった状態で、前田・藤井が加わった宴会が始まる。

 20時から宴会スタート。地元の藤井が家に余っていたビニール傘で会場まで歩く。これでもかというぐらいひどい雨だが、この中を走らずに済んだだけラッキーと思うしかない。

 2007年以来の再会となる藤井は当時より痩せてみえ、学生時代の頃より精悍に見える。

 一方2005年以来の再会となる前田は80kg超えたと嘆いている割にはそんなに太く見えない。これは俺の方が太ったからだろう。「ええ腹してますな」と思わず互いのお腹をさすって、ふざけることぐらいしかできない。

 

 瀬戸内料理の数々が出てくる。前田が久しぶりに来たので、酒を頼むピッチが早い。合宿のコースおさらいが話の肴メインで、みんなの家族の話も年齢柄、昔より多くなったかな。来年はみんな参加できるといいなぁと思いつつも、藤井も前田にもそれぞれの理由があって自転車では走れなくても最後に来てくれたことに感謝です。後半はあまり覚えていないのだけど、少なくとも会計は正しかったはず・・・。

 酒がまわりすぎて二次会は藤井とお好み焼き屋へ行く。美味しかったのだけど、あまり食べられなかった・・・。この時点で既に飲んだのはオレンジジュースだった。

 ホテルに戻ってからはほとんど記憶なく、12時半までには完全に寝ていたと思う。

 

走行距離 60km (安浦−呉−広島)

 

5/6

 昨日の土砂降りとうってかわって晴れ渡った。9時にチェックアウトしたら、既に大江の自転車はなかった。先に宅配センターへ行ったのだろうと向かったけど、着いたのは自分一人。もうパッキングを終えたのか〜と感心しつつ、ダンボールなど購入のうえ、手続きを取る。厳重に輪行袋に入れるが、既にこの輪行袋のガタがひどい。破れたり、紐を固定する革が切れていたりと散々な状態で大活躍している。

 10時前に大江がやってきた。原爆ドームなど昨日までに行きそびれたところをまわっていたらしい。自分と同じようにパッキングに入るが、店で売っているダンボールが売り切れで今までどおり店から要らなくなったダンボールの調達をすることとなった。先に買い占めてしまった自分がなんだか申し訳ない。

 

 先に宮島へ向かうため、宅配便センターで別れる。銀山(かなやま)町から市電に乗って、東広島駅でJRに乗り換える。市電の車掌さんにそう案内されたのだが、その理由がJRに乗り換えてわかった。やはりこちらのほうが早い。そして広島でモバイルSuicaが使えることに感動する。IcocaSuicaが共通になったメリットをこんなところで体験するとは思わなかった。実家に帰る際に使う京阪電車のPiTaPaはまだ互換性がない。

 

 10代の頃、青春18キップで来た以来の宮島は、当時よりもゴージャスになったような気がする。世界遺産のおかげか。宮島口の港からのフェリーはさすがにモバイルSuicaは使えなさそうで、普通に切符を購入して乗船。海外からのお客さんもたくさんいる。何回見ても厳島神社は不思議な魅力がある。ここも海がメインの交通手段だった頃、より文化面、生活面に密着してさぞかし賑わっていただろうと思うが、今でも観光で頑張っている。

 

 厳島神社は干潮時にあって、鳥居を直に触れることができた。たくさん人がいるけど、触れないほどの混雑はしていない。

 あまり注目されない清盛神社にも足をのばす。誰もいないと思っていたが、ちらほらと参拝客がいるところが、なんとも奥ゆかしい。やはりリスペクトすべき人物と考える人達が確実にいるのだ。

 

 昼はかきうどんとあなご飯のセット。実にうまかった。元々カキは嫌いだったのだが、30歳を超えてからなぜか食べられるようになった。たぶん東京のブルーノートで生ガキを食べてからと思われる。それだけ生でも調理方法で如何にも人の嗜好を変えることができるというのを認識した次第だ。

 少なくとも奈良で経験したほど、シカの強襲はないと思われる。ただ数人の観光客を目当てにシカが迫っていたようだ。

本州に戻る途上、我が子と思われるシカの耳をやたらとなめまわすシカ母がいた。見ていて結構おもしろく、(自分は違うが)耳フェチが見たら、感動してもらえそうな映像だ。mixiでは公開済である。

 

 広島駅では妻から厳命をうけていたカープソースの捜索にあたる。藤井の結婚式でも同じソースを購入した地下のスーパーしか思い当たるところがないので、地下通路をわたって行くと、2年前同様、当たり前のように棚にいっぱい置かれていた。たくさん買いだめする。

 広島空港行きのバスでは熟睡、空港に着いてからも土産探し。カープソースは3本だけだった。やはり駅下のスーパーがおすすめである。

 帰りの飛行機は新幹線で帰るより楽だと機嫌よくしていたが、羽田でおなじみの着陸渋滞。その後のバスもなかなかの混雑だった。ベイブリッジからの夜景を見て、「戻ってきたな」と思えるようになった。単なる時のうつりかわりか順応か、愛着かは知らないけど、来年行ってもまだまだ走れるのではないかという一種の自信が、今までなくわいてきた。

 

走行距離 0.6km (広島市内)

(終わり)

 

POPPO:2010OB合宿記録

5/1 13:39 横浜発。

 毎年の合宿で、あわただしく職場から脱出するようにでかけていったが、今回はじめて休日に出発することとなった。「実家へ帰らせていただく」妻を先に見送ってから、妻の自転車の掃除をした後、近所の中華料理屋で昼食、そして通勤でも使っている横浜駅から乗りこむ。ETC1000円割引料金制度の最後となる予定の大型連休とあって、道路渋滞がひどいというニュースばかり聞かされていたが、電車は川崎駅で座れた。東京駅で上越新幹線に乗る。ただホームには人があふれかえっていて、通常の行楽シーズンの混雑ぶりだった。出発ギリギリになるまで、車両に入らせてもらえなかった。なぜだ上越新幹線。

 越後湯沢着、乗り換えにあまり時間はない。晴天だが、冷え込むため、3枚着た状態。山々が美しい。

 

 なんとなく肌寒い。富山には17:39到着。1990年以来に来たが、駅の風景が一変していた。北陸新幹線対応のバージョンアップ中といったところか。

 ホテルは駅前にあるものの、広場や駐輪場や工事中のスペースが広いことと、横断歩道の赤信号の時間が長いため、たどり着くまで案外遠いのに少しとまどう。藏前さん、大江と合流して、西井推薦の店から電話で入れるかどうか問い合わせをするが、「満席です」が2回続いた。3件目では、おいしくいただくことができた。ホタルイカ、イカ、白海老と実にうまい。20年前の学生時分では、モーニングのコーヒーでもおいしく感じたのに、社会人になったということで贅沢できるようになったものだ。その後のラーメン屋はそんなに待たずに入れた。その後行列が増えていた。今回の合宿では早い飛び込みが功を奏したケースが多かったような気がする。

 このラーメン屋は有名人が多く訪れている名店だが、正直塩辛さが半端ない。次の日、大江も俺も胃が荒れて食欲不振だった。

 

5/2

 去年のような寝すごしもせず、さっさと起きて、コンビニで買ったのり弁当を食べた後、9時前に富山を発つ。今回はGARMINのナビを友人から「借りて」、地図なしで走る。ナビはもちろん便利なツールだが、地図のズームイン、アウトの反応が少し遅く感じる。借りていていうのもなんだが、2003年頃に購入したレアものなので、やむをえない。実際には藏前さんや大江が持っている最新版のツーリングマップルが一番使いやすいかも。駅から地元の生活道路を経由して8号線に合流、案外自転車のスペースも広く、走りやすい。途中はロシア語の看板が目につく。中古車販売ビジネスのようだ。

 

 氷見まで、新湊の道の駅と海老坂の2回休憩だけでたどりつく。氷見にはハットリ君がそこらじゅうにいる。藤子不二雄A(安孫子素雄)の出身地で、町おこしのキャラに使われている。20年はなかったはず。当時は盆のど真ん中で、店もほとんどしまっていて、お好み焼き屋に入った記憶があるが、今回はシャッター通りになっている。しかし道の駅は大混雑。本場のサンフランシスコとは全く趣が異なる「フィッシャーマンズワーフ」に多くの観光客が訪れている。藏前さんと俺が岩カキを購入。去年も書いたが、昔は全く食えなかった。レモン少し絞って、そのままキュルと吸い込む感じでいただく。

 

 商店街方面を散策してから、看板に案内があった店へ行く。看板には「100m先」と書いていたが、あれはウソだ。300mはある。バイクツーリング客とおぼしき一団が先に入っていた。これは「いける!」という予感、先客も多く結構待たされる。しかし「待っていただいても、召し上がったら、ご満足いただけます」と最初に自慢するだけある味である。応対してくれた若者は実家の手伝いで応援に来たとのこと。ビデオカメラをまわされると「写さないでください」と強く求められた。新規事業を立ち上げ中とのことで、顔を知られたくないらしい。客に対するメニューのプレゼンは極めて上手で、よっぽどな野望をいだいているに違いない。本人のためにも、ここは公開しない。魚三昧でうまかったことだけは確かだ。

 

 もう一度フィッシャーマンズワーフに戻り、海産物の土産を買って配送依頼する。20年前では考えらなれなかった気遣いに、成長した自分を感じる。

 

 ここから本格的に能登半島のリアス式海岸らしい道路を走る。20年前走った記憶も残っている道路だ。途中で撮影したバス停を見つけたので、20年ぶりに再撮影。藏前さんや大江が「なぜこんなところで止まるのか」と不思議そうな顔をしていたので、経緯を解説すると「よく覚えているなぁ」と感心される。

 

 午後に電車で七尾に着いている西井とのやりとりが増え始める。「ロケハン願います」と事務的なお願い。途中合流のメリットは、観光・食事スポットや野営地候補を下見しておいてもらえる点にある。携帯電話という20年前には普及していなかったツールを使って、効率的にやりとりが可能となった時代、道の駅というありがたい休憩地がたくさんある時代にあらためて感謝する。

 しかし能登半島に関しては、コンビニは20年前同様、道沿いにほとんどない。市街地に集中している。トイレ関係で少し困る。

 

 西井はタクシードライバーから七尾市内の情報をできる限り聞き出していたようで、野営地候補である海側の公園で合流する。確かに魅惑的なスポットだ。しかし昼間からテントを張るわけにも行かないので、そのまま駅方面へ。既に銭湯の場所を見ているようなので、早速夕方の食事候補の選定に入る。居酒屋風のところで決定する。七尾駅周辺は20年前訪れた裏寂れた状態から、急に垢抜けたような感じだ。当時脱水症状気味だった西井と藤井がギブアップして、午後2時には同行の有原と俺も一緒にボロボロのホテルへ駆け込んだことは、我々の中でも長年語り続けられてきたエピソードだ。今ではその舞台となったホテルは名前も変え、おしゃれな感じに生まれ変わっていた。

 

 また5/3から祭(でか山)があり、ちょうど前夜祭となる。古い街並みが残された地区にある山車を西井先導で見学しながら撮影する。それぞれ町の人達からも祭について解説をうける流れとなる。前夜祭とあって、自転車でやってきた我々に優しい。

 西井がもう一つ野営地の候補としてあげていた山側にも行く。前田利家と妻のまつの銅像があるところだ。遅咲きの桜がまだ花びらを落とさず咲いている。最高のロケーションである。この段階で結論が出ていたような気がする。

 

 銭湯は想像以上に人がいた。にぎわっている。こんな銭湯は久しぶりに見た。体がさっぱりしたところで夕食、連日の魚づくしで、後半は肉もオーダーする。注文を頼もうとすると地元の人達の注文に追われて、相当多忙な感じだが、どうやら我々が頼みだすとどこかへ行ってしまう傾向がった。一見(いちげん)さんということで、嫌われたかもしれない。

 味に関しては、前日の富山、そして昼の氷見のレベルの高い店で魚を堪能したこともあり、いささか物足りない。イカは富山が一番うまかったという意見は、藏前さんと俺で一致した。また酒のレパートリーも少なく、焼酎も黒霧島しか選択肢がなかった。それでも20年前では考えられなかった酒とグルメのコースだ。ありがたいと思わなくてはいけないところだ。

 

 結局野営地は山側になった。思ったより冷え込む。トイレの場所が遠いのが難点だったが、それ以外は最高の立地にある。12時前には寝た。

 

走行距離 77.0km (富山-氷見-七尾)

 

5/3

 6時起き。深夜にトイレに行くこともなく、とても熟睡できた。しかし朝は冷え込む。東北ほどではないが、カッパ以外の上着を全て着込んで寝ることで、しのぐことができた。西井はレインウェアも着たとのことで、つらそうだった。

 朝の散歩で来る人が現れる前にテントをたたみはじめる。その途中でちらほら散歩に来ている人が物珍しそうに、警戒するように我々を眺める。会話はなかった。

 7時過ぎ出発。七尾駅前のミスタードーナツで朝食と朝支度。久しぶりに食べたドーナツ、特にポン・デ・リングがうまい。20年前は酒同様苦手だったコーヒーもおかわりできるようになった。成長したものだ。

 

 和倉温泉まで、のと鉄道の線路横を走る。朝が早いせいか、交通量は少ない。和倉温泉駅も想像以上に閑散としているの驚いた。ただ道路上では、ツーリング中のバイクの隊列が轟音で通過したり、うろうろしたりしている。

 和倉温泉の高級旅館街の真ん中を通り過ぎる。途中の計画で野宿候補だった公園が見える。あれは泊まっていたらたぶん警察が来るだろうとあらためて思う。海辺に立つ。スカッと快晴、海はおだやか。しかし風はきつい。能登島と橋が見える。去年のしまなみ海道にいる錯覚がちらっとよぎる。

 温泉が湧き出ているところでは、なんと近所で生卵を買って、15分ほど浸けて置くと温泉卵になる。みんな卵を買って、嬉しそうに温泉につけて、付近を散策。みんな卵をうまそうに食べている。温泉自体に塩気があるので、味付けは不要だ。しかし俺は食べない。実は半熟卵があまり好きではなく、「ハードボイルド」なんですとつぶやいたけど、みんな話を聞いてなかったような・・・。

 

 続いて能登島大橋を渡る。バイクの集団が大勢手前で止まっていて、走行上、少しうっとおしいが、スルスル通過して登坂して、橋の頂上、下り坂。景色がいいので、留まりたいが、左側の車線側には歩道がなく、駐車スペースはない。後ろの車やバイクもよくやってくる。

 1990年のツーリング時は能登島へ行くこと自体、断念していたので、当時もこの橋が存在しないものと勝手に思いこんでいたが、既にこの時は完成していたことが後日調べてわかった。ただ走っている時点では、そんなことも気付いていないので、「この時代だから走れた〜」と勝手に感動していた。

 

 能登島内は何気にアップダウンがキツイ。ただ海側をできるだけ走ったので、すぐにもう一つの橋に入る。ここは1990年当時になかった橋だ。農道建設の予算でできた「中能登農道橋」(1999年完成)である。なかなかキレイな橋だが、おそろしい強さの向かい風で走るのがつらい。晴天で海と空の青がこんなにも美しいにもかかわらず、こんなに走っていて楽しくない状態に久しぶりに見まわれる。

 

 この日は昼間に大西と合流する予定で、穴水駅または宅配センターと電話・メールのやりとりが続く。能登空港から入ることそのものはとても便利になった時代である。ただその後のアクセス想像以上に難しい。実質的に乗り合いタクシーしかない。

 穴水駅までは先ほどまでの向かい風が追い風となり、幸い駅に早めに着いた。昼食の店探しに入る。ただ能登地震の後遺症が残っているのか、それとも20年前もスルーしたように、鄙びすぎた町で特に候補となる店がない・・・。

 こんなに食事探しで苦労するのは久しぶりだ。あっさり大西が向かっている宅配センターまで引き返す。宅配センターで自転車を組み立てている大西とは、近所のスーパーでもばったり会っているので、あまり久しぶり感の感慨にひたることがない再会。今年はちゃんと自転車をメンテしているようで安心した。

 

 2時前に海沿いに建っている和食屋に入る。他県ナンバーも多く駐車していることから、これは期待大。穴水に向かう途中に、俺以外のみんながマークしていたレストランだ。全く気にしていなかった。みんなは定食系を頼む。俺は海鮮丼。地元の魚はどれもうまかった。

 

風傍: http://www16.ocn.ne.jp/~kitty422/index.html

 

 強烈な日光と向かい風にさらされながら、ひたすら南下する。20年前の夏、36.5度の最高気温にされされながら走っていた日を回想しながら走る。コンディションが違うと道の印象はがらりと変わる。この日、温度だけは体に優しかったが、風は半端なくひどく、七尾市大津町まで戻ってきた時の橋では、自転車ごと吹き飛ばされそうになった。また日差しは当時とかわらず猛烈で、休憩のたびに日焼け止めクリームを塗りたくっていた。

 能登半島を横切るように強風と登坂をしのぎつつ、原発がある志賀町へ入る。道の駅には温泉施設もあり、駐車スペースをはじめ、何もかもが大きくゴージャス感あふれる。名物らしい「ころ柿アイス」を食べた。柿は元々苦手であるが、おいしかった。妻からもよく指摘されるが、身体に影響はないものの苦手な食べ物が多い。温泉卵・柿・・・。納豆は何よりも嫌いである。

 

 羽咋の国民休暇村までは海沿いのコースにもかかわらず、何気にアップダウンが激しい。西井の提案で途中から自転車道へ入って、のんびり移動する。向かい風であることに変わりはないが、太陽と海と空と横の草に囲まれ、ゆったりと走る。このあたりから膝の痛みが出てきた。荒れた自転車道から海沿いの広い道を走りながら、休暇村に近づいていく。

 ナビ表示の目的地までの距離値がだんだん小さくなる。このあたりは車の往来がほとんどなかったため、我々だけの自転車のタイヤの音が静かに聞こえる中、「あと3km」「2km」「1km」「750m」と読み上げる。声を出すことで気分を鼓舞し、疲労解消を図ってみた。さほど効果はない。

 

 やっと休暇村に着く。テント持込1200+管理費400円について、藏前さんが直々にキャンプ場フロントに対して交渉する。オートキャンプと同じ料金を取られるのは自転車ツーリングだと、どうしても合点がいかない。

 交渉の結果、5=400円×5+テント持込2つ×1200=4200円で合意に達する。みんなで喜び合う。それにしても以前よりオートキャンプの隆盛により、自転車ツーリングが少しやりにくくなったような気もする。

 国民休暇村の露天風呂などで楽しんでから、夕食へくりだす。事前に藏前さんと西井が外食できるところをフロントで確認してみたところ、店はほとんど期待できないとのこと。ここから羽咋の市街地まで結構離れているにもかかわらず、我々はおいしい地元の料理をめざし、坂を下りてわざわざ市街地までたどりつく。街灯はほとんどない。ライトを当てながら、探り当てるように本町商店街を走行していると、なんとかいい感じの居酒屋が見えた。

 「ここでいいでしょう」

 地元の海産物がおいしい店で、テーブルが満席のため、カウンターに5人座るという今までの合宿ではないフォーメーションの変則的な形となった。案外撮影が難しい。後半はほとんどビデオカメラを持つのをあきらめ、日本酒を単に呑んでいた。北陸の日本酒はやっぱりうまい。

 ほうぼう: http://www.zazi.jp/shop/shop_7454.html

 

 休暇村のキャンプ場へ戻るには坂を登り続ける必要がある。行きの羽咋市街地に出るまでは、坂の中腹にある焼肉屋やイタリアン料理屋でもよかったのだが、下まで降りてきちんと探してよかったぁと思いながら、のんびり帰っていった。

 11時には寝ていただろうか。

 

走行距離 93.0km (七尾−和倉温泉−能登島−穴水−志賀−羽咋)

 

5/4

 6時起床。晴れたキャンプ場の朝はすがすがしい。今回の合宿はいつになく目覚めがよい。そして更に誰のイビキも聞こえない。互いに遠く離れながらテントを設置したわけでもないのに、どういうわけか聞こえない。「イビキで眠れない」は比較的恒例行事に近い出来事だったが、今年になって消えた。いざそうなると逆に不安なものである。

 「波の音がうるさかった」と誰かがつぶやいていたが、今回は80年代〜90年代の洋楽を聴きながら寝ていたので、全く気にならなかった。

 

 7時過ぎにキャンプ場を出ようとしたら、チェーンがフレームにひっかかって、回転しなくなった。修理に手間取る。急にスーパーローにギアチェンジすると起こる症状だ。この前初めて自力でチェーンと後ろのフリーギアをまとめて交換したときに、このトラブルから解放されたと思っていたのに、再発した。気多大社に到着しようというときにも同様に発生する。フレーム内に食い込んだチェーンを引っ張り出すために、手伝ってくれた皆さん、すみませんでした。

 

 最初は金沢から逆方向に走るこの神社の訪問に対して気分がのらず、西井が行きたいという強いリクエストと大江の縁結びを願うという大目的に根負けして、しぶしぶ訪れた経緯だ。ここで挙句の果てにチェーンが外れる。機嫌が悪くなっても当然のところだ。

が、神社の鳥居に来たときにその考えが変わる。鳥居の横にQRコードが印刷された紙があり、モバイルサイト展開をしていて、サイト内でYoutubeの動画ストリーミングリンクもついている。境内に入ると、CanCanなどの女性向けファッション誌とのコラボ企画の切り抜きも紹介されている。

 神社なのに・・・と思いながらも、参拝よりこの神社が取り組んでいるビジネスモデルについて、職業柄、気になってしかたがない。特に関心が高かったのは藏前さんと俺だったような気がする。

 西井が娘さんにお守りを購入したところ、「POSレジがあって、バーコードで『ピッピッ』と読み取り、お金を払った」

 結局何も買わなかった我々もこの話を聞いてびっくりした。この神社、約2000年の歴史らしいが、最先端技術を導入することで、宗教心が薄くなった世代を相手に生き残りをかけている。そしてしたたかさもある。

気多大社: http://www.keta.jp/

 

 神社と比較するのはおこがましいが、このOB合宿は15年。その期間でも我々の装備は少しずつ最新のものを取り入れて、切り替えを最小限行っている。今回の主な導入ツールはGPSナビとヘルメット(俺はしていないが)だろうか。

 

 羽咋市内に戻ってから「自転車道」と砂浜を走る「なぎさドライブウェイ」の捜索にあたる。残念ながらGPSナビは自転車道が登録されていないので、みんなの後ろを走る。工事中のため、迂回路をさんざん走らされる。膝が更に痛み続けながら、「なぎさドライブウェイ」に突入する。海水で固められているとはいえ、砂地の道と向かい風ということもあり、ギア比を思いっきり軽くして、14km未満でのろのろかつじっくりペダルを回す。早速「白貝」を食べて休憩したり、砂浜で写真やビデオを撮影したりして、なんとか全線走破してしばらく自転車道を走っていたが、あまりにも迂回路が多いのに気分も萎える。

 そしてみんな熱心に自転車道を探しては走り出すので、途中で「普通の国道でまっすぐ金沢市街に入らせて欲しい」とリクエストする。やっと認められた。膝の痛みがシャレになっていない。途中大西がいなくなったので、スーパーで小休止する。どうやらハンガーノックにかかっていて、コンビニに駆け込んだようである。2002年合宿で駒ヶ根の手前でこれを体験した立場でいえば、本人が思っているより、大変な症状なのである。早めにカロリー摂取するにこしたことはない。この小休止タイミングで電池を買う。GPSの電池がなくなって大江にも提供いただいたのが、ついに切れてしまった。100円ショップがあってよかった。

 

 昼は回転すし屋に入る。今回初の質素な食事。それまであまりにも美味しいものばかり食べていたみんなにとって、いささか不満が残っていたようにみえた。

 この後も強烈な向かい風の中、金沢市街地までの近道を探しては走破する。このあたりで、専ら風を避ける形でひたすら西井の後ろについていく。一瞬2006年に走った八郎潟にいるような錯覚をおぼえた干拓地の河北潟にあるアイスクリーム屋でようやく休憩する。はちみつシェイクは絶品だった!

 

ブラウンスイス http://usp-plan.com/brown-swiss/brownswis.htm

 

 金沢市街地に入ってから、ようやくナビが役に立ち始めた。国道159号線への合流地点を確認してから、一路兼六園へ。まっすぐ走るだけだ。異様に閑散としていて、不安になる。その途中で昔の街並が立ち並ぶ「ひがし茶屋町」に立ち寄る。サイダーやコーラを買って、おおざっぱに散策。金沢らしい金箔屋や雑貨屋があって、西井が中に入りたそうにしていた。しかし大江はこの日の晩に帰阪するため、時間的余裕はなく、そのまま兼六園へ向かう。

 

 兼六園内に入るには、階段を登らなくてはならない。向かい風に曝された自転車を動かしてきた立場では、これがなかなかきつい。園内は1990年当時より、心なしかキレイになったようで、多くの観光客で賑わっている。また当時金沢大学のキャンパスだった金沢城も、大学が郊外に移転して観光地として生まれ変わったため、これまた多くの観光客が訪れている。ここで最後の記念撮影をして、事前に調べていた宅配センターへ。ナビが市街地で役に立ち始める。金沢市役所の横にあるらしいが、見落としがちなところに位置していた。

 ここは完全に業務上の宅配センターというより、観光客向けの土産物の紹介や配送をしてくれるプレゼンステーションとなっていて、大きな自転車を送ってくれるのかどうか、少し心配になったが、元の伝票を見せながら、これを参考に配送の手配をお願いする。ここ数年の配送手続きは以前の伝票を見せて、それを確認していただくことから始める。学生時代に思いつかなかった知恵である。

 ただこのセンターには大きなダンボールがないことから、大江は駅前のセンターへそのまま行って梱包&帰阪、俺も明日駅前でゆっくり手続きすることにした。3人が自転車を分解している最中に俺が宅配センターの担当者とやりとりしていたため、大江とはあいさつもなく、そのまま別れることとなった。この合宿、案外終わりがあっけない。たぶん来年もやる予定?!だから・・・。

 みんなより少し早めにホテルにチェックインした後、テントや寝袋を干し、シャワーを浴び、ホテルのフロントに降りる。ほどなくしてここ数年は打ち上げ専門参加の前田が現れた。去年より痩せたようだ。「俺も同じくやせたよ〜」とあいさつ。

 

 最初るるぶなどの情報誌で紹介された店に西井が電話をかけてみるものの、「全ていっぱい」ですと断られたため、片町の繁華街をうろうろとして、店を物色する。最後は「いい店」を探り当てる嗅覚に頼るしかない。繁華街の端のほうにある店に入る。どうやら地元民が入るタイプの店のようで、すいていた。「これはいけるでしょ」と前田が張り切っている。

 確かにOKの店だ。刺身をはじめ、海のものがうまい。正直北陸の人達がうらやましい。毎日こんなのを食べて、呑んでいるのだ。20年前は、いまいちよくわかっていなかったものが、今こうして目の前で食べているもの、呑んでいる食事の美味しさ、ありがたさをあらためて感じ入る。

 ただ日本酒のピッチを早く進めてしまって、すぐに寝てしまった。また映像に長時間残っているではないか()!

 膝の疲れだけでなく、風で体がノックアウト気味だったこともある。その後、フラフラだったので、すぐにホテルに帰って寝た。

 みなさん、お先に失礼いたしました〜。

 

走行距離 60.0km (羽咋−気多大社−千里浜−兼六園−金沢市片町)

 

5/5

 ゆっくり起き出す。朝食付なので、1Fのレストランへ行くと大西がいた。金沢にいるにもかかわらず、互いに住んでいる地域の自治会や管理組合の話題をした後、大西は小松空港行きのバスに乗るため、先に出て行った。そして西井がちょうど食べた後で、「また、来年〜」と言って別れた。

 昨日あわてて帰阪した大江からメールが来ていて、金沢駅前の宅配センター情報と自転車を分解する場所について、便利な情報をいただいたにもかかわらず、金沢駅構内をぐるぐるさまよってしまった。なぜだろう。その後の分解でももたついてしまう。今回新調した輪行袋(オーストリッチL-100)の梱包が、17年使ってきた(オーストリッチMTB輪行袋)方法と、分解とパッキングの仕方が全く異なるためだ。慣れていない。それにしてももう少しちゃんと予行演習しておけばよかったと後悔する。宅配センターでも料金について、少しトラブルになったことで、更にあわてていたところで、mixiのマイミクさんで金沢居住の村釜さんと会う待ち合わせの時間がきた。申し訳なく「まだ宅配センターなので、こちらまでお越しいただけますか」

 

 先に宅配センターでパッキング手続きをして汗だくの俺を発見してくださった。早速彼の車に乗り込み、金沢大学近くの餃子屋に入る。人気店でものすごい行列ができていたが、ここは14:26発の「はくたか」の臨時電車に間に合うと信じ、そのまま待つことにする。この待ち時間、食事中に様々な話題でもりあがった。SFTRPG(テーブルトークロールプレイイングゲーム)TRAVELLER、互いの仕事について、サッカー、mixi内のコミュについて・・・。餃子、うまかったです。地元民に有名な店とのことで、全国デビューしていただきたいものだ。

 

 金沢駅まで送っていただいてから、名残惜しく別れる。やはりリアルで会って話をするのがおもしろい。「またオフ会をやりましょう」

 

 俺が参加した合宿では、1995年以来の雨が全く降らなかったラッキーなツーリングだった。立山・黒部の山々を眺めつつ、事故なく、大きなトラブルもなく無事走れたことに感謝しながら、4時間半、のどかに電車に揺られる。ほくほく線、上越新幹線と便利になったルートで帰っているにもかかわらず、なかなかどうしてこの1人の時間がとても長く感じる。自転車ツーリングの終わりにみんなと別れる時は、毎回あっけないのだが、いざ1人に戻った時、その時間の進行が相対的に遅く感じる。なぜだろう・・・。

 

走行距離 3.5km (金沢市片町−金沢駅構内の宅配センター捜索で放浪した分を含む)

(終わり)

 

POPPO:2011年OB合宿記録

5/2 8:20 横浜発。

 今回はついに行きも帰りも保護者みたいに妻が同行することになった。行き・帰りが同じ新幹線となる。当初はスタート時の1995年富士山と同様のコースを予定していた合宿だったが、東日本大震災の中で計画立案中だったことから、計画停電をおそれ、1998年の南紀合宿以来の関西コースとなる。京都-琵琶湖-名古屋という40歳になって、ユルい感じのルートを走る。

 

 京都駅に降り立つ。今までの京都では多くの外国人の姿が見えたが、震災の関係か少なく感じる。京都の信号は相変わらず長い。ホテルに荷物を預けるとすぐに清明神社へ向かう。バスよりも地下鉄のほうが時間がよめるとフロントの方の話に従う。今出川駅から10分ほどよく晴れたのどかな道を歩く。京都御所の横は車でよく通過したが、歩いてきたのは初めてで新鮮である。しかしカメラを向けるまでには至らない。GPSと地図を頼りに現在の一条戻り橋を渡ると観光客でにぎわう清明神社だ。

 個人的には夢枕獏の「陰陽師」シリーズをいくつか持ち、稲垣吾郎のテレビ版を見ていたところ、今回パワースポット好きの妻から提案をうけ、一度見てみたかったことがある。キャラ的には清明→俺、博雅が妻というところか。

 関係者が書いた絵馬がたくさん飾られていて、神社というより小さなテーマパーク風な雰囲気も醸し出している。記念にユルい陰陽五行(木・火・土・金・水)Tシャツを買う。1000円。

 この後は高槻に住んでいる妻の祖母の家へあいさつ。京都から高槻で鈍行に乗るのはいつぶりだろう。おそらく初めてかもしれない。新快速が遅れていたから体験できたことだ。

 

 再びホテルに戻って正式にチェックインと自転車の組み立てに入る。妻に見られながらの組み立てはなんだか変な感じだ。保護者に観察される子供みたいな気分。「ようこんなん組み立てるわ」と感心している様子だ。新しい輪行袋になってから、袋の超軽量化が進んだものの、パッキングと組立時の勝手がうまくいかず、色々とセッティングが面倒である。

 汗だくになりつつ、京都駅からまた地下鉄で四条まで行き、祇園まで歩いていく。地下街をひたすら歩き四条大橋を渡る。これまた15年ぶりぐらいか。ここは相変わらずの賑わいでホッとする。

 典型的な祇園の風景に妻が喜んでいる。俺は以前営業の仕事で来ていることもあり、久しぶりであるが、あまり感慨深いものはない。大阪の人間は京都の風情をどちかというと「古臭い」と思い込みがちだったが・・・、既に店に入っている蔵前さん・西井と合流して、食事してみると、すばらしく雰囲気よく、おいしい京料理の数々! 堪能させていただきました。

 '燕楽 祇園店

http://www.zuzu.jp/gion/

 

5/3

 妻とバイキング料理の朝食をとっていると、どうも自転車合宿の始まりに思えない。むしろこのホテルの「THE KYOTO」をこれでもかとPRしてくる和の食材である漬物、おばんざい、汁物がいくらでも食べられる。とても幸せだ。きちんと洋食も用意されているが、隣の外国人ぐらいしか選んでいなかった。

 今回は出発時に妻に撮影され、見送られてから出発。朝の京都は静かである。みんな京都市内の各地で宿泊しているため、山科駅で合流することになる。今回の合宿で一番しんどかったのは1号線の東山トンネル手前だった。あれだけ直線だと嫌になる。

 

 山科駅合流は9時ちょっと過ぎた。1号線が既に渋滞していて、自転車で車道を走れなかったためである。この駅に来たのは数年前、小学校時代からの友人の結婚式以来で、会場のホテルも見える。

 ミスタードーナツの店内に短パン姿の男2人を見つけた。蔵前さんと西井である。昨日の宴会の呑み疲れを少し感じつつも逢坂、大津へ向かう。京都東インターあたりの1号線は車もそうだが、自転車にとっても、「なになになにアー」とパニックになるほど、走るところがわからないところだ。側道に入って、京滋線の横を入るのが正解。途中で軽装で走る若者と出会って、しばらく並走する。どうやら四日市まで走るらしい。我々のテント・寝袋の重装備に感心してくれた。同世代と思ってくれていたらいいな。逢坂の関も特に歴史ロマンを感じることもなく、淡々と下りに入る。

 

 曇天の大津で琵琶湖を目にする。何年ぶりにここまで近づいて見ただろう。これから訪れる長浜や彦根は数年前実家へ帰った時に立ち寄ったが、大津では見てなかった。キレイとはとても言い難い湖岸では、朝からバス釣のおっさん・子供が4mぐらいの感覚で釣竿を並べている。そして「ついに我々の時代になったか」と思うぐらい、自転車が双方向に通り過ぎていく。ロードレーサー、ミニベロ、クロスバイク、ママチャリ・・・。

 「けどテント持っているのはいなさそうだな」

 

 湖岸沿いをひたすら走る。バーベキューをしている家族も先ほどの釣竿同様、等間隔で眺めることができる幸せな家族・仲間との光景である。震災の影響は全く感じない。走っている時は風が強い、寒いのが難点だが、車を気にしなくてもいいところがありがたい。途中からは芝生の公園から葦群生地になっていく。

 道の駅草津で休憩。ここで早めに食べておいたほうが、観光地の近江八幡で探すよりもいいだろうということで昼食もとる。蔵前さん・西井がいきなり近江牛御膳をオーダー。豪気だ。肉食系おっさんとはこのことである。俺は定価が半分ぐらいのてづくり豆腐ハンバーグ、いまどきの草食系男子である。

 

 近江八幡までは生活道路をそのまま走る。かつての旧市街をうろうろ走りながら、八幡神社に自転車を置いて散策。ゲーム「桃太郎電鉄」では最強の物件「赤こんにゃく」「薬品会社」等揃いで期待したが、、運河も濁っている感じで、柳川のイメージで臨んだだけに少しアテが外れた。けど一大観光地であることは間違いなく、多くの人で賑わっていた。

 

 安土城址。上への階段を見て、スケジュールの都合上、登るのを断念する。想像以上に人が来ている。雰囲気だけ味わって、彦根を目指す。

 彦根までの道はGPSを見ながら、できるだけ最短距離をなぞる。田んぼと一般民家、住宅街の真ん中を走り続けるが、最後の彦根城への道で川にさえぎられる。最短距離ではなかなかたどり着けないことを思い知る。よくできた縄張り(城郭設計)である。

 

 彦根城は相当な賑わいで、駐車場待ちの車で渋滞している。おそろしい人の波だ。これで3回目の訪問となるが、こんなにひどいのは初めて。自転車を止めるにも空いたスペースを指示されるまで時間がかかる。

 先に玄宮園に入る。2年前、妻と来たところで、庭園内でお抹茶をいただいて、まったりと過ごしたが、ここでデジタルビデオカメラのレンズフィルターのガラスがポロリと取れた。紫外線カットとガードを目的に買ったがこんなに早くだめになるとは。この後は初期状態のカメラで撮影することになる。

 天守閣前で本日の野営地とスケジュール確認。ロケハン→風呂→夕食→テント設営→就寝となる。玄関口で60分待ちだったのが、90分になった。おそるべきひこにゃん。

 風呂はかんぽの宿に入る。天然温泉で気持ちよい。

 食事するところだが、彦根城築城400年祭が開催されたタイミングで町の整備があり、大幅にきれいでおしゃれな和風の店が立ち並んでいるが、飛び込みで入ろうとすると1時間以上の待ちを宣告される。

 流れ流れ着いた商店街の外れのディープや焼肉屋の明かりをみて「ここなら空いているかも」で飛び込むと10人は入れないようなスペース。年季が入った黒煤の木壁。普通にユッケがあることを言われるが丁重に断って、普通の焼肉を蔵前さんが頼む。量は半端なく多く、うまかったことは認めるが、俺が座った席が焼肉の煙と地元客の煙の交差点で極めてつらい場所だった。ビールも1杯で早々に出る。地元のおじさんは焼肉屋なのに、ホッケと酒だけ頼んでいた。

 ディープな店すぎてビデオカメラ撮影を断念した。

 野営地は計画通り、琵琶湖の水泳浴場(海水ではないため)。思ったよりも冷え込む。11時過ぎにはみんな寝ただろう。

幸い音楽を聴きながら寝ているので、深夜でも湖岸を走っていく車の通過音に悩まされず済んだ。

 

走行距離 88.4km (京都−大津−琵琶湖湖岸−近江八幡−彦根)

 

5/4

 5時半起床。熟睡できた。朝はもっと冷え込むかと思ったが、カッパや普段着のシャツやジーンズを出すことなく、しのげた。藏前さん・西井の話では寒かったらしい。俺の目覚めのよさに2人がびっくりしている。

 湖岸沿いの小道を走って、一般道と合流したところに朝一番から営業している喫茶店があるので、すぐに飛び込む。モーニング450円。良心の塊。各自がスポーツ新聞を読んだり、携帯電話でメールをしたり、根が生えそうだったが、我々にしては早めに飛び出す。

 先日とうってかわって晴天だ。日焼け止めクリームも通年どおり活躍しだして、やっと合宿らしくなってきた。不破の関まではちょっとした坂だが、ほとんど追い風のためしんどくはない。幸い名古屋までほぼ強い追い風だったので楽だったといえよう。

 関ヶ原歴史民族資料館に入る。ネットで見たところ、しょぼかったような気がしたが、中に入ると多くの観光客が多くの武具や古戦場のディスプレイがあった。最近の大河ドラマの影響のせいか、比較的三成ひいきの視点で書かれていることが多い。歴史はそれぞれの視点から語ることができる。個人的には島津の中央突破退却がこんなに詳しく書かれているのに驚いた。

 更に「古戦場の雰囲気」を探すべく、各武将の本陣まわりを自転車でめぐる。民家だったり、田んぼだったり、小学校だったりするが、石田三成本陣は木柵が並ぶ本格的な感じだ。中腹の山から周囲の山並みを眺めることができ、多くの人が来ている。個人的にはここで陣を張るより、大垣城をメインに川沿いで待ち構えいたほうが、勝機があったような気がする。この戦いで避けて通れない「裏切り」の要素をくみとれなかった三成が純真だったような気がするが、今の年齢だと「裏切っても味方したくなる」と思わせる家康の策謀というより、「カリスマ」、「愛嬌」ともいっていよい彼のパーソナリティの威力を今後の参考にしたい。

 GPSでも地図でも乗っていないバイパスを走り抜け、一路大垣へ。当初の計画では岐阜城もあったが、早めに名古屋で自転車を分解して配送したいことが理由だ。

 幹線道路上にある豚カツ屋へ直感で入る。地元のテニス帰りの人達をはじめ、年代問わず賑わっているところを見て、これは「当たり」を確信する。トラウマとなっているいわゆる味の濃い八丁味噌ではなく、ちょうどよいまろやかな感じでおいしかった。

 大垣は松尾芭蕉「奥の細道」の最終の地である。しかし2人ともさほど感心がないのか、関連ポイントは通過して大垣城へ。城好きのようである。戦国武将の中でも戸田氏の地味さはかわいそうなぐらいだが、なかなかの名城だ。中の資料館も多くの人がいる。平地過ぎて天守閣からの眺めはいささか物足りなさを感じるものの、西方奥には伊吹山がうっすら見える。これまた蔵前さん・西井が熱心に見学していた。

 岐阜羽島の近くにあるソーラーパネルだらけの建物である三洋電機の工場見学を試みるが、一般の受付はしていないそうで、スルーすることになる。このあたりで前田がこちらに車で向かっているので、西井との電話打ち合わせが増える。

 愛知県に入ってから、ヤンキーねーちゃんに「ちょろちょろ走るな!」と怒鳴られる。他のメンバーには聞き取れなかったようなので、解説した。2005年で2回喰らっているが、俺の自転車ツーリングの歴史で過去にも後にも名古屋圏以外で怒鳴られたことはない。関西ではない。これが民度というものか。この時代の遷都先としては失格だろうと思いつつ、追い風の中30km/h平均で走る。

 

 栗東ICあたりで渋滞にはまっていた一報があった前田が、工事中の一宮駅のタクシーロータリー付近で待っていた。自転車には乗っていないが、毎年参加しているので、サポート係としての役割を楽しんでいるように見える。高知のトマトを差し入れてくれる。1999年以来の味でうまかった。ありがとう。去年よりも太って見えたが、人のことは言えない。荷物の大半を年期が入ったレビンの中に詰め込み、身軽な状態で清洲城へ向かう。鉄道横の一方通行をひたすら南下する形で、車の往来も少なく、怒鳴られることはなかった。

 5時に清洲城到着。"歴史ファンタジー"大河ドラマ「江」と絡めたイベントはやっていたが、既に閉城。あえなく外側からの撮影とトイレ休憩で終わる。今回のルートは時代をさかのぼるルートでもあった。

 ホテルはこの合宿ではほぼ定宿となったトラスティ栄。フロントの対応は相変わらず完璧、ルックスもすばらしい。最近は草食系男子を自称している俺でも普通にワクワクしてくる。

 名古屋打ち上げ。西井ルートでピックアップされた名古屋コーチンの店は見事にヒット、最後のきしめんも鳥ベースのダシとともに秀逸である。

 年齢か疲れ、おそらくその両方だろう。二次会のバーでは寝てしまっていた。12時過ぎにホテルに戻る。

 

走行距離 84.4km (彦根−関ヶ原−大垣−清洲−名古屋)

 

5/5

 8時起床。朝食をテレビ塔地下のコメダコーヒーでいただいてから、前田の車で竸の墓参りへ向かう。近所にある大学周辺の道が複雑で霊園を一周する形になったが、たどりついた。墓地の駐車場手前に竸のお母さんが1人でたっていた。「こんにちは」

 あれっ、お父さんがいないという表情がすぐにメンバー全員に出たのか、すぐにお母さんが理由を説明してくださった。

「入院していまして、皆さんと会えるから張り切っていたのですけど」

2005年の時は万博で気球も飛んでいたが、この日は普通によく晴れていた。話題は東日本大震災、そして竸が研究していたロボット工学関係について。

「本当に悔しい思いをしている先生は多いと思います」原発調査において、日本のロボットがアメリカやフランスの後塵を拝している。

 今回のメンバーの中で関東在住は俺だけなので、当時の様子を報告する。「オフィスに宿泊しました。ただみんなが個々に買い込んでいた食糧やお菓子や差し入れ、買い込んだ酒を飲んでいただけで、翌朝には帰宅できました。ラッキーな立場だったと思います。ただ阪神淡路大震災に続いてこれを経験するのは、勘弁して欲しいですね。日本全国の人も思っているのではないでしょうか。『地震は来なくてもいい』と」

 

 お父さんの入院先の病院まで前田の車に乗って行く。個室にお父さんがいた。思ったより元気そうで色々と話した。

次はみんな元気な状態でまた会いましょう。

 

 昼は病院近くの味噌煮込みうどん屋で食事。前田が車で運転してくれるので、前田はノンアルコールビールで、蔵前さん・西井・俺はビールで乾杯。あまり来年の合宿に関する話題はなかったような気がする。

 前田が引き続き名古屋駅近くで3人を送ってくれる。毎年どおり「じゃあ」ぐらいの会話で慌しく降りだして行った。名古屋駅界隈では祭りのため、歩行者しか通れないようになっている。イベントでブラスバンドの演奏やダンスをしている。ここ数年GWの最終日はいつもこんな催事に出くわす。蔵前さんも西井も新幹線の予約はとっていないので、自由に帰れる感じ。こちらは夜までまだ時間があるため、ここで別れる。これまたあっさりと。

 

 1人になってどこに行こうかを考えた。ここまで来たなら、この合宿なら城をめざすしかない。しかし名古屋城は合宿ではないが、既に訪問しているのでパス。犬山城か岡崎城で迷ったが、結局岡崎城にした。

 数年ぶりにこのJR東海に乗った。今になって思い返すと再就職時、2001年の最終面接以来だろうか。あまりそんなことも考えずにウトウト寝ながら駅に着いた。名鉄のほうが便利ではないかと気がつく。かなりボケている。

 岡崎城まではバスで近所まで行ってから川べりを歩く。清洲城もそうだが、中規模の大きさである川がしっかり近くに流れている。昔はもっと活気があったのだろうと思いを馳せる。

 家康出生の城。そのオーラは今も出ているような気がする。彼の遺訓の石碑をじっくり読んで考えられるような年齢になってきた。中もしっかり見学。岡崎駅には戻らず、そのまま中岡崎駅に向って、駅前の釜揚げうどん屋で軽く夕食。なかなかいい店だった。

 名古屋駅に戻り、事前に予約している新幹線が来るのを待つ。妻も同じ列車に乗っている。数日ぶりだが、長く感じる数日であった。隣の席は確保できず、別の車両に座って新横浜まで。その後、大きな荷物を持たされて一緒に家まで帰る。最後はタクシーを使った。

 

 今回の合宿で最後かも、最後かもと毎年思いながらもどこかで「またやるんだろうなぁ」という気持ちもあった。ただ今年からこれまでと比べると「もう終わるのかな」の印象に変わりつつある。これからも元気なままで自転車でツーリングできればいいな。今年で41歳の春、ゴールデンウィーク合宿はこれからどうなっていくのだろうか。

 

POPPO:2012年OB合宿記録

 

5/2 16:00 自宅出発。

 午後半休取得後、ついに自宅から駅まで走り、その後、すぐ駅で輪行という事態となる。今までは宅配便で自転車をはじめ、荷物をホテルにおくりつけていたので、この感覚は逆に新鮮である。1990年、能登半島ツーリングで大阪から輪島駅まで列車に積み込んだ以来ともいえる感覚が徐々によみがえってくる。ただし当初の猛暑から大雨に天候が変わっている。どちらも嫌な感じだ。

 今回のコースが家から近く、車でもよく訪れた地が多いが、自転車いくことの妙味と1995,1996,2000(不参加)、そして元々去年は本来走るコースだった、箱根・富士五湖。この合宿のスタイルではラストランになりそうな雰囲気のなか、原点復帰がこのコースの決定要素だった。

 

 「屋久島に行ってきます〜」という妻を先に見送ってから数日経過した。1週間も会わないことは本当に久しぶりのことだろうか。

 土砂降りの中、家から横浜まで。たいてい宅配便で組み立てる前、またはその後、重装備状態で自宅まで走る時にびっくりされる視線で見つめられることがない。つまり誰もいない。

 横浜着、通勤で使っている駅だからどこで輪行すればよいかはわかっている。北出口から乗り込むの一択しかない。早く分解しないとラッシュアワーにひっかかる。しかし周辺が土砂降りのため、ベイクォーター連絡口のエレベーター屋根下でなんとか雨をしのぎつつ分解する。2010年に買い替えたオーストリッチのL-100の分解は玄人志向で、肩に掛ける紐の結び方は、やりなれていないため、40分もかかった。17:09熱海行きに乗車。既にたくさんの人が入っていて、ビジネス・学校帰り・観光などなど雑多な客の中へ強引に輪行自転車・テント・寝袋などを最後尾の車掌控室前の壁に「寄せさせてください」と頼み込み乗車する。相当迷惑な状況のまま、立ちっぱなしで茅ヶ崎までたどりつき、平塚でやっと座れるようになる。

 18時過ぎに小田原着。明日の北条五代祭をひかえて、街中はにぎやかだ。但し土砂降り。駅周辺には妻と関東に引っ越してからしばらく経ち、ふらっと海鮮物を食べにきた以来、特に駅の様子は変わりない。タクシー乗り場の少しあいた空間で輪行自転車を組み立てる。雨が吹きこんできたり、風で輪行袋がとんでいきそうになったり、酔っぱらっているホームレスが何か不思議な叫び声をあげている中、なんとか組み立てを完了して、早速GPSを起動する。すぐにめでたく宿までいけるかと思いきや、登録した場所を間違ったため、一瞬迷子になった。昔、車で走った記憶をもとにずぶ濡れになったプリントアウトしたホテルの地図を確認しつつ、軌道修正。こじんまりとしてホテルが見えたので、中をのぞくと既に蔵前さん・大江の自転車が館内に収納されていた。

 大雨の中の走行で全てずぶ濡れになった。ホテル室内で干す作業に時間がかかったものの、蔵前さんがホテルのフロントにお勧めの店を聞き出していただいたおかげで、近所の割烹風の店に入る。これは誰も気づかないような場所にある。

 当然ながら海鮮物はどれもうまい。その中で回顧録を執筆するスタッフのように昔話を確認するというか、酒の肴というべきか。我々が最後の客になったところで、店を出る

 

5/3

 大雨である。9時すぎにホテルを出発。小田原城の周囲をくるっとまわり、観光案内所に行くが、北条五代祭一色であまり観光案内をしてくれる雰囲気にない。城内に入ってもこの後の予定を考えると時間オーバーになることや雨が続くことから、駅前で食事をとってから出発することにする。駅前は結構自転車が多くとまっている。雨宿り状態。外国人も輪行している。蔵前さんが話しかける。これから横浜へ行くらしい。箱根周辺は土砂降りとのこと。

 駅構内に入ると観光案内所はごった返している。どうやら箱根一帯、大雨のため通行止めらしい。箱根鉄道も止まってしまったらしく、GWの繁忙期に駅構内はごったがえしている。ついでに新幹線ホーム側の出口に出ると北条早雲の乗馬像が雨の中、少し寂しいそうに立っていた。

 今回の前半メインのコースが断たれた。回り道するということが決まってからは市内散策、昼食場所のロケハンをプラプラ状態で行う。ほとんど彷徨っていた感じに近い。

 結局駅近くの丼屋に早めに入る。この早めに入るがポイント。つまり待たなくても済むということである。丼だけでなく汁も海の味を感じさせる絶品だった。

 

小田原 魚河岸 でん

http://r.gnavi.co.jp/gacy700/map/

 

 雨がやっと小康状態となり、12時前にやっと小田原駅を出発。

途中まで止まってしまった小田急大雄山線と並行する道をゆっくり上がる。アサヒビールの神奈川工場が近所にあるが、寒いのでスルー。めでたく山北町までは雨なしでたどりついた。その後は雨が降ったりやんだり、車の往来は激しい。246号線のバイパスも通行止めのため、川沿いの旧道を慎重に走る。

 金時山がある小山町のセブンイレブンで休憩&ATMでお金の引き出し。これが後で痛い目にあうことを知らずに「ツーリングで便利な世の中になった」と思っていた。

 御殿場市内は10km圏内のはずだが、なかなかどうして洗濯板系の坂が続く。坂のうえに高校があるのは想定外だった。

 御殿場駅は閑散としていた雨も本降りに近い。今日はロケハンが長い。観光案内所へ行って、銭湯の場所を聞いたり、候補となっていた公園へ行ったりしてみるが、野宿モードの気分でなくなりつつあった。案内書でも温泉施設やサウナを推奨されたこともある。

 雨も激しくなったので、駅近くのサブウェイでサンドイッチを食べる。既に17時。晩御飯に至るまでまだ長くなりそうだと話し合う。だらだらと店を出ると霧雨がうっとおしい。「健康ランド系のところで寝よう」

 国道沿いにあるところで、宿泊を申し出ると3500円。悪くない。最小限の着替えをもって外には出られないよう、靴を預け、貴重品BOXの中に財布と鍵をいれて、温泉の中の人となる。

 夕食は、頼んだ献立がテーブルに出てくることが遅いことを除くと、普通においしくいただいた。

 でも寝る時は地獄だった。既にリクライニングシートがある休憩室は既に寝ている人たちで満席、食事処も寝床に開放しているものの、照明は煌々と光っていて、タオルを目にあてて寝ようとしても眠れるとは言いがたい。そして近くでドンチャン騒ぎしている団体がいた。宿泊しない客が帰るタイミング、2時過ぎに休憩室へ移動してみると幸い手前のところが空いていたので、どっと寝込む。

 

走行距離 44.0km (小田原-山北-御殿場)

 

5/4

 8時過ぎに出られるように朝風呂に入って、身支度をした最後に貴重品BOXの中をあけようと暗証番号を押しまくるが、開かない。あせって1Fのフロントへ確認、一緒にあけたところ、中味は空っぽ。見た目を疑う。その後、フロントには1945分ごろに男子トイレで預かったという鍵と財布を見て、自分のものであることを伝える。しかし中に金はない。完全にすられた状態。

 「被害届は出されますか?」とフロント担当。チェックアウトの時間と重なり、多忙を極めていた。

 

 「出します」と考えあぐねたうえで伝える。この先の合宿はどうなるのか。

 並行してカードは無事だったものの、ネット上で使われる可能性もあることから妻へカード利用の停止の電話番号を調べてもらうお願いをする。旅行先でこれでは情けない話で、迷惑をかけっぱなしだ。。連絡先をメールで受け取ってから、最後の預金引き出しを近所のコンビニのATMで行い、すぐに電話連絡。カードの無断利用の可能性を食い止め、ひとまず心を落ち着かせることができた。

 

 御殿場警察から4人がやって来た。結構本格的。蔵前さん・大江が忍耐強く待っていただいたものの、指紋鑑定捜査までやることになり、長引くことに。先に食事に行っていただくようにお願いする。遅すぎたぐらいだった。本当にすみませんでした。

 サウナの従業員控室みたいなところで、警察は2手に分かれて2人が俺への聴取、後2人は従業員に聞き込みが続く。

 さほど自分自身と年齢がかわらない、いや年下だろうと思われる警官の皆さんから色々と聞かれる。調書をとられる。「自転車ツーリング中でここに入った」

 

 フロントの方とも話したが、どうやら貴重品BOXの閉め方がまずかったようだ。きちんと閉まっているかどうかを確認のため、1回開けて、もう一度閉めた。

 

 この「閉めた」が実は閉まっていないことがわかった。もう一度新たな暗証番号を入力して、閉めなおす必要があったのだ。ため息が出っぱなしであるが、鍵と他のものが無事だっただけ、まだマシと思考を切り替えるしかない。

 

 やっと被害届が受理されることとなり、蔵前さん・大江がいるファミレスに合流する。既に食べ終えている感じで、恐縮だが、パスタを食べる。これから1100mの篭坂峠を越えなくてはならない。

 

 本格的な登坂が始まる。しかし前日のうちに御殿場まで登っていてよかった。既に500m登ってしまっている。

 1995年のコース、1996年はこの逆コースを走ってきた。2012年の走破に向けて何か高ぶるものがあるかといえば、ない。2002年に関東に来てからこのあたりは色々と来ているためである。車でも通っている。そして今回の置き引きだ。

 淡々と走る。自転車で走った限りの話でいえば、自炊道具がなく、寝袋も軽量化されただけあって、案外早く走れているような錯覚を覚える。

 

 須走ICの手前のローソンで小休止。ここでフロントから電話が入り、貴重品BOXに関する見解をもらう。やはり盗難分の求償はできないという返事だった。事情説明は丁寧だったので、ひとまず納得した。

 

 篭坂峠は車で新年最初の風呂のため、紅富士の湯に来た以来だ。但しトンネルを通っているので、参考にならず、ここは正真正銘1996年以来、コースでいえば1995年以来。GPSを確認する道がおそろしく蛇行しているのにあらためて面食らいながらも喰らいつくようにジワジワ登る。峠に着いてやっと合宿らしく記念撮影に入ろうとしたら、雨が本格的に降ってきた。気温も急に下がる。あわててパッキングして山中湖畔に向かう。

 

 昔、妻と行ったお店が見えるが、混んでいたので飛ばして、蕎麦屋に入る。我々が入店する同じタイミングでやってきた人(+女性)は、あの「シェケナベイベー」で有名なロックンローラー(+女性)だった。

 我々の横の席に座っている。TVどおり饒舌で店員に色々尋ねていた。それなりに薀蓄も話されているようだ。特に事前調べもなく飛び込みで入ったわりには体も心も温まって、上出来だった。

 

 そば処 好

http://r.tabelog.com/yamanashi/A1903/A190302/19000438/

 

 

 忍野八海は俺が不参加の2000年に訪れている。今回初めての訪問となるので、ここが観光のピークだろうと思い、雨があがって晴れてきた心地よい下り坂を堪能する。観光地としても盛り上がっていて、大混雑している。しかしなぜかそれが嬉しかった。

 名前を聞く、または漢字をみるだけだと、結構すごいイメージがわくが、複数の透明度の高い池があり、魚や植物がたくさん暮らしているところである。古い民家の中には土産物屋や食べ物屋がある風流な場所でもある。しかし一番滞在時間が長かったのは、近くの川沿いの桜並木だった。既に散り始めて桜吹雪になっている。我々の合宿もこんな感じがラストにふさわしいだろうと思いつつ、写真を撮った。

 

 国道まで若干登る。その後はひたすら河口湖までは下る。車でも自転車でもなじみのある道なので、覚えている。あまり道の質はよくなく、渋滞もするし、自転車が走るスペースは狭い。せっかく富士吉田市街地に入って、車線が増えたあたりで再度雨が本降りとなる。慌ててコンビニの屋根下に入ってカッパに着替える。

 

 河口湖。GPSで指し示す方向に従ったら、少し寄り道になった。蔵前さんのほうが2000年に来ていたこともあり、「そっちは違うぞ」と後ろから叫ばれていたが、そのまま走ってたどりつくのかが気になったので、そのままつっこんだ。無事着いた。俺にとっては1995年同様、今風のオートキャンプ場専用面したキャンプ場と異なり、自転車ツーリングの利用者にも優しい、懐かしい気持ちにさせるキャンプ場だった。但し料金は当時より倍ぐらいあがったような気がする。(600円→1300)

それでもテントを張らせてもらえるだけラッキーだ。昨日の大混雑健康ランドよりもよっぽど1人テントのほうが熟睡できそうだと、喜びながらテント設営に入る。みんなそんな感じだった。

 

 1995年当時にはなかった新しい日帰り温泉の割引チケットをキャンプ場でもらったので、そのまま坂を上って訪問する。和風のいい感じのたたずまいに花が咲いている。あいにく風呂も混雑していて、あまりのんびり入る感じではなかったが、十分リラックスできた。続いて晩御飯。ロケハンしていたところでは、焼肉屋が第一候補だったが、いっぱい。少し移動して、いい感じの和食屋に入って、しばらく待っていても全く注文をとってこない、他の客の料理も出ていない様子だったので、しびれを切らして出て行く。再度焼肉屋にアタックするが、やっぱりダメだった。

 向かいの野菜料理屋に入る。最初はどうだろうかと疑わしかったが、ビュッフェ形式で惣菜系の献立がてんこ盛りで大皿にのっている。惣菜コンクールで表彰をうけているシェフがつくるお店のようだ。このタイプの店に入るのは、大江が初めての機会らしい。妻がいるとこの手のタイプはおそらく好きだろうという読みで、次は連れて行ってあげたいところだ。

 

 たくさんいただきながら、「女子力アップ」を何回言っただろうか。イメージ的には「カピバラさん」シリーズの「ホワイトさん」みたいな気分である。みんな色は黒いけど。

 

 ホワイトさん(ここからさがしてください)

http://tryworks.jp/kapibara/company.php

 

 ビールもワインもある。夜になると急に冷え込むこのあたりで、暖房がしっかりきいている。21時半を過ぎるとその女子会グループと我々しかいなかった。

 思わぬよい店にあたって気分よく出て行った後は、キャンプ場まで下りオンリーで戻ることができた。

 11時には寝ていただろうか。

 

チョイスキッチン

http://www.choosechoice.co.jp/

 

走行距離 45.5km (御殿場−篭坂峠−山中湖−忍野八海−河口湖)

 

5/5

 6時過ぎ起床。やっと合宿らしくなってきたのに、今日がラストだ。本当にラストなのだろうかとここ数年考え続けていることだが、今回はもう「けちをつけた」感じということもあり、大団円という形でないのが残念ではあるが、おしまいというところだろうか。

 

 キャンプ場を出たら、富士山がこれでもかというぐらい真っ青な空のもと見えている。今までほとんど撮影機材を取り出さなかったが、ここしかないと思い、取り出す。富士山に向かうように走りながら、ファミレスへ向かう。朝は連日のファミレスである。今までのグルメコースをメインにしていたスケジュールであれば考えられない選択であるが、極めて妥当な判断とも言える。このあたりで8時過ぎに開いているところはほとんどないからだ。

 

 まったりと過ごして晴天下、橋を渡って河口湖畔で富士山を望みつつ、湖畔沿いをゆっくり走る。車道側は大渋滞でロープウェー周辺の駐車場は満車のため、手前で待つ車が並ぶ。やっと合宿らしくなってきたかと思えば最終日だ。

 

 北口本宮冨士浅間神社に向かう参道は富士山に対面しつづける登坂コースである。ここしか車載搭載カメラ撮影の機会は他にないと思い、急勾配ながら踏ん張って撮影。やはり機材を自転車に直接とりつけるアタッチメントが欲しくなる。

 山中湖に向かう途中に富士山頂にあった気象レーダーが移設された道の駅で休憩。足湯やビールやらで根が生えそうな感じだ。きりのいいところで山中湖へ向かう。

 前日同様、桜の花が残っていてよかった。12時前にほうとう屋に入る。我々が入ったときに既に混んでいたが、和室でのんびり足を休めつつ、おいしくいただいた。

 

 ここからの篭坂峠アタックはさほどしんどくはない・・・。逆と比べれば。日差しがいささかきついので、日焼け止めクリームが欠かせない。先日スコールのためできなかった写真撮影等に勤しむ。もう次ここをアタックすることはあるだろうか?と思いながら、一気に下る。

 須走の休憩所は、今回初訪問。快晴ということもあり、観光客も多く、ゴールデンウィークらしい光景だ。暴走族風のバイク達が高らかに騒音を撒き散らしすことも何となく許せる。

 

 今までの登りの分を巻き返すぐらい猛烈な勢いで下る。途中でロードバイクに乗った学生集団を抜く。下りなら負けないおっさんの意地に近い。これができるのは歩道と車道を使い分けられる太いタイヤのクロスバイクである。マナーよく走っているいること自体、少しバカらしくなってくる。車が渋滞しているところを抜き去る自転車というものほど優越感にひたれることはない。今の年齢になってもその気持ちは変わらない。

 

 御殿場市街地に戻るとゴールデンウィークの最後にふさわしい晴天ででかけようとする車の往来が激しい。後は下りだけでなめていたら、ほとんど向かい風で想定よりも体力を消耗する。それでも基本下りだから、マシというところか。新東名で少しテコ入れされた国道246を南下する。途中沼津バイパスで白バイに注意される。「この先は自動車専用道路です」

 やむなく降りて、旧道で沼津市内に向かう。ホテルには思ったより早めに着いた。蔵前さんが宅配センターまで自転車で向かって、パッキング。大江と俺は明日沼津港へ行くため、そのままホテルでのんきに待機。宴会参加の前田は、宿泊無しで当日夜の新幹線で帰るらしい。事前連絡がなかったため、みんなびっくり。

 それでも最終日の打ち上げだけでも来るだけえらいというところか。

 

 宴会場所は前田が予約して、そのまま案内される。ハズレがない点が前田の偉いところである。地元料理に厚木名物があるのが少し不思議ではあるものの、地酒や海鮮物と間違いない。合宿の話というより、今回前田が日帰りだった理由、つまり彼の母親の手術関連の話がメインだった。大変だったと思う。本当にきてくれてありがとう。

 今回は来年の話題はほとんどなかったような気がする。やっぱり最後なのだろう。

 

 前田を沼津駅まで見送ってから、二次会でバーに入る。ただ大江も俺もほとんど寝ていたらしく、あまり覚えていない。

 

走行距離 66.7km (河口湖−山中湖−篭坂峠−御殿場−沼津)

 

5/6

 ゆっくり起き出す。朝食付ため、できるだけ多くのメニューを取りあさって、のんきに食べていた。洋風が恋しいのか、ソーセージばっかり取っていた。蔵前さんは早めの新幹線で帰るため、先に沼津港へ向かっていた。大江も一足先に走って行った。1人になって、どうしような悩みつつも、やっぱりここは押さえるべき港にある魚市場へ向かう。妻と車で来た以来だ。自転車は1台も見かけなかったぐらい閑散としていた。しかし魚市場周辺は大賑わい。

 蔵前さんが入ったという店の場所がわからず、大江を電話でつかまえて合流する。案内してもらって、それからあっさり別れる。相変わらずこの合宿は解散があっさりしている。これが合宿としては最後だろうにもかかわらず、あっさり。

 

せきの

http://r.tabelog.com/shizuoka/A2205/A220501/22000788/

 

 あれだけホテルでビュッフェ方式で食べたにもかかわらず、アジ丼がおいしかった。しばらく魚市場周辺を散策。港沿いに新スポット、沼津マーケットモールとなるものができたことを知らなかった。ここのBGMが笑えたので、映像撮影。なかなかアタックが効いた80年代風ミュージック。気合は認める。

 

沼津みなと新鮮館のテーマ(Youtube)

http://www.youtube.com/watch?v=3hxvfOFv4Yg

 

 妻と来た時は魚市場の後、千本浜海岸にも行ったのだが、三島駅で自転車輪行もあるので、先に沼津駅と魚市場の間にある閑静な住宅地にある宅配センターへ行く。アウトドア用品一式だけ配送する。連休中静かな宅配センターだろうと思ったら、いっぱいお客さんが来たので、控えめにパッキングする。

 

 軽装になった状態で走るととたんにスピードが上がる追い風であることも大きい。旧東海道に入る交差点で大江が走ってきた。感動の再会という感じはなく、互いに笑いあっていた。千本浜海岸へ行っていたようで、入れ違いで宅配センターへ向かっていたところ、ばったり会った。もう一度あっさりと交差点で別れる。

 

 三島駅の手前に旧東海道沿いにある三嶋大社に立ち寄る。1号線よりも旧東海道のほうが自転車にとって勾配が少ないので走りやすい・・・ような気がするが、道がクネクネ曲がっていることと、道が狭いわりには車の往来があること、歩行者も多いことから、あまり早く走れない。のんびりペダルをこいで着く。

 

 ここは義父母・義姉家族・妻と来た2006年以来だ。神事があるようで、思ったより人が多い。結婚式だろうか。静かにたたずみ、金は盗まれたけど、無事旅が終わりそうなので、お参りする。境内の池に住んでいる亀親子らしき2匹をしばらく観察してから、駅に向かう。静かな川沿いの道を軽く登ると三島駅の南側だ。

 

 しかし新幹線に輪行自転車を担いで乗り込むには北側にまわりこまないといけない。1996年合宿で西井・前田と合流した南口を横目に北側に入る道の捜索に入る。GPSがあるので、そんなに難しくはなかったが、看板が出ていた記憶がないので、迷う人はいるのではないか。

 三島駅北口に到着。日大のキャンパンが新しくなっているのにびっくり。2005年父母・妹家族・妻と伊豆旅行をした時にレンタカーで迎えに来たのが、三島駅北口だったので、キレイにリニューアルされていたので、これまたびっくり。

 昼食は駅前のチェーン寿司屋。横浜にもあるぞと思いながらも地魚と地酒もおいしく、特に桜海老の卵焼きが秀逸だった。これは横浜の店では提供されていなかったような気がする。

 

沼津魚がし鮨 三島駅前店

http://www.uogashizushi.co.jp/shop_00005.html

 

 輪行するための分解は今回初めて作業工程を撮影した。おそらく今までで一番スムーズで華麗な分解だったに違いない。しかし途中で猛烈なスコールと雷雨をくらう。大変だったが、幸い駅の軒下で助かった。

 こだまで最初はなめていたが、事前に予約していてよかった。みどりの窓口はキャンセル待ちの客が我慢強く並んでいる。輪行も無事終え、ゆっくりゆっくりと運びながらエレベーターに乗り、ホームで待つ。

 

 天気の急変で新幹線も遅れがち。乗り込む時にまた土砂降りになった。わけがわからない天気は横浜まで一緒に移動していく感じだった。

 

 新横浜駅に降り立った時、自転車まで持ち出すのは初めてであることが意外だなと思いつつ、組み立てに入る。この時まで雨が追いついていなかったが、ついに土砂降り。しかし組み立てが終わった時にはやんでいた。家まで車でよく走るおなじみの道でまっすぐ帰る。雨上がりの道はキラキラ光っていた。

 

 今までのようなスタイルの合宿は今年が最後なのだろう・・・

 

走行距離 22.8km (沼津−沼津魚市場−三嶋大社−三島駅 新横浜駅−自宅)

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POPPO:2014年OB合宿記録

5/3 8:30 自宅出発。

 ついに自宅からツーリング用の装備でそのまま出かける状態となる。実は近所の宅配センターまではその装備で走っているので、さほど違和感があるわけではない。

 

 大江との待ち合わせ場所は、みなとみらいのカップヌードルミュージアムに9時。

 5分ぐらい前に現地に到着して、横浜に移り住んでから今年で12年か・・・と思いながら海を眺めた。昨年末に妹と姪がこちらに来てこのミュージアムの横にある万葉倶楽部に連れて行ったなぁ・・・とか、もうカップヌードルミュージアムで開館前に既に並んでいる人達がいて、ゴールデンウィークだなぁとちらっと眺めながら待っていたら、思わぬ方向から呼び声がする。

 ランニング姿がばっちし決まっている大西がいた。

 

 「このあたりで待ち合わせしているかなぁと思って、ここに来ました」

 

 週末から走ることにしたらしい。エグゼクティブの香りがするいい男がたしなむ習慣である。今年から始めたとのことだが、服装・靴は既にきめこんでいる。

 「今日からその格好でも自転車で走れそう」と思わず言ってしまったが、既に自転車を館山周辺に配送してしまったため、それはできないとのこと。

 

 9時ちょうどに大江が走ってきた。大西がいることにびっくりしながらも今回のコースの再確認と待ち合わせ場所のおおよその見込みをつけ、記念撮影をしてから走ることになった。

 

 大西と別れてからオーソドックスに国道16号線とその横の川沿いなど、カーナビで指示した記憶を思い出しながら走る。

 途中車で走ったことがあるとはわかっていても、少しいやらしい登坂があったが、気合で乗り越えて小休止する。

 

 横須賀周辺は外国人が颯爽と走るロードバイクと一緒に渋滞に巻き込まれ、歩道でたまに一緒に走るというシーンが増える。三笠公園やドフ板どおりでハンバーガーと寄り道しようかなぁと考えていたが、携帯端末の電源トラブルで先に久里浜のドコモショップへ向かった蔵前さんから電話が入る。

 

 「渋滞していて、歩道を走っています」

 「港にいるから」

 

 久里浜港までは一時期おそろしい向かい風で速度が落ちたものの、なんとか久里浜港に着く。藏前さんが「次のフェリーに乗ろう」とあわてている。

 

 フェリーの往復券はSuicaで購入。いい時代になったものだ。多くのロードバイクとクロスバイク同志の仲がよさそうな20代そうなカップル、そして重装備(調理道具がないだけ、まだ軽い)の我々3台が2輪専用甲板に乗りつける。

ドロップハンドルは専用のサイクルパーキングに、ハンドルを横の柱にひっかけられるように無理やりセットされている。ロードバイクなら軽いので、特に支障はないが、たくさん荷物をつけている大江のランドナーは少しかわいそうだった。

 

 船の中では駒沢大学の自転車部が堂々のサイクルパンツで颯爽と糖分やスポーツバーで補給している。しかし藏前さんと私はビールで英気を養う。藏前さんがドコモショップで一応修理した携帯端末とどでかいバッテリーを持っている。

 

 「それ持って走るのは大変ですね」

 「ないと何もできない。Facebookも撮影も」

 

 見ているだけで重そうである。一方自身の装備でカメラはNikon J1のみ。

最近は小さくてHD規格のビデオカメラがたくさん売られているが、編集するPCのほうが心もとないので、結局買わずにいる。一応これでも動画がとれるので、特に問題はない。

 

 金谷港では、飲食店は満席、周辺の駐車場やコンビニ周辺は、今となっては世界遺産になりそうなヤンキーがバイクに乗って轟音で走る。

 

 「静かなところで昼食にしよう」とみんな。

 

 鴨川に行く道を少し通過してよさそうなお店に入る。あわびが入っていた定食は実にうまかった。

 

磯料理 山田屋

http://www.k5.dion.ne.jp/~gonzui/

 

 15時前に出る。今回の合宿の最高地点、横根峠までは最初はゆるやか、後でガッツリと登る道となる。幸い追い風だったので、比較的あっさり登りきったと思ったが、最高地点がちょっとズレていることに気づき少し萎える。大江は東京から走ってきている(30kmのハンデ)ので、バテ気味か膝を痛めたか、少しペースが落ちていた。

 

 内房から外房へ向かう幹線道路のわりには特に混雑はしていない。たまに走って追い越してくるヤンキーが危なっかしい。

危うくあたられそうになった。最近のガキは運動神経も鈍いのか。

 

 鴨川着。

 ホテルの日帰り入浴ができるところを探すため、駅前の観光案内所で尋ねると2件ぐらいしかない。それまで結構時間があるため、野営地のロケハン。後は夕食の場所と海岸線沿いをせっせと見回る。おそらく今までにないぐらいの時間を費やしたと思う。海岸沿いにいい感じのポイントがあったので、それを確認しあった後、当初候補だった食事処へ向かう。

 

すずき家

http://tabelog.com/chiba/A1207/A120703/12015343/

 

 去年藏前さんが参加できなかったので、今回で2年ぶり、大江は3年ぶりの参加となる。乾杯の後、美味しい食事をたらふくいただく。この後、日帰り温泉ができる旅館まで向かうが・・・。

 

 「1時間半待ちです」

 

 我々の前でも多くの人が待っている。数年ぶりに入浴を諦めるという珍しくも残念な結果となった。

 11時まで開いている駅前のイオンでデザートを食したり、コンタクトレンズをとったりしながら、綿密なロケハンで確保した

野営地に向かってそのまま寝る。

 

走行距離 82km (横浜-久里浜〜金谷-鴨川)

 

 

5/4

 晴れた朝の空だ。近くを散歩する人たちにあいさつしながら、テントをたたむ。

 朝食も鴨川のイオンである。7時オープンというツーリングをする人のために開けていただいていると思ってしまうとてもありがたい店だ。

 

 その後は道の駅をはしごする感じで大西が合流できそうなところを見計らう。

 

道の駅 鴨川オーシャンパーク

http://www.city.kamogawa.lg.jp/JP/0006/0064/00001225_6_64.html

 

 テントをはっていた自転車ツーリングの人やバイクの人がいた。

 

道の駅 ローズマリー公園

http://www.rosemary-park.jp/

 

  シェークスピアをモチーフにしたテーマパーク風である。びわアイスを食す。いささか薄さを感じる。ここで家への土産にローズマリーソルトを買う。洋食にはぴったりの調味料であることは保証できる。自転車の人たちに対して、アンケートコーナーがあるので、真摯に回答して、用紙を提出する。

 

 このあたりから大西との連絡を取り合う。やはり連休中のアクアラインの混雑はハンパないようだ。東京から館山までバスを使ってたどりつこうとしている。その後の宅配センターもそこそこの距離なので、もうしばらく走る。

 

道の駅ちくら潮風王国

http://shiokaze-oukoku.jp/

 

 おそろしい人ごみである。ここまでの海側の道はまさに漁村の道だったのに、この周辺だけ大混雑で驚く。テレビ番組で紹介されたお店は開店前でも既に人が並んでいる。大西が来ることを考えると、時間を稼げて食べて待てるところが何よりもよい選択肢であった。海鮮バーベキューの店でビールとともにじっくりと海の幸を焼く。なかなか焼けないところが逆にありがたい。

 

 いい感じにできあがったところで、大西がやってきた。スマートな合流の仕方である。

大西はバーベキューではなく、ラーメンを食べていたような気がする。

 房総半島最南端の野島埼では、灯台の上まで登る。太腿の両端の筋肉にこたえる。サスペンス劇場で出てきそうな最南端の岩がゴロゴロしている突端まで律儀に観光して、記念写真を撮る。

 館山方面へ移動しようと思った時に、忘れ物に気づく。

 

 「サングラスを岬の撮影場所に置いてきました・・・」

 

 先に進んでもらうことにして、あわてて取りに帰る。幸いミニ三脚を立てたところの下に落ちていた。拾ってから元の道に戻ってからは爆走モードで走る。幸い追い風だったような気がする。

 

 館山市街に入る手前のスーパー「おどや」

(千葉県内ではあちこちで見るhttp://www.odoya.com/)でみんなが待ってくれていた。

更なる岬へ行く時間はないので、そのまま館山市街に向かう。

途中藏前さんはドコモショップの館山店に向かって、再度端末を見てもらうため、バイパスへ、我々は館山市内の海岸沿いを走る。北条海岸は車で来たときに見ているが今回自転車で走ると西日と砂浜が美しい。

 

 旧道の海沿いを走って、蔵前さんと待ち合わせの場所で、びわアイスを食べるために待つ。長蛇の列。

 

道の駅とみうら 枇杷倶楽部

http://www.biwakurabu.jp/

 

 大人気である。車で数回訪れているが、この周辺は来るたびに施設が増えていてバージョンアップしている。地元振興のため、旧城址の案内をしている施設まで出来ているとはびっくりである。

 

 ここのびわ葉アイスは高価ながら、デリケートな味わい。他の商品もローズマリー公園よりも上だ。

 ちょうど食べられる頃に藏前さんが来られたので、いい待ち合わせになった。トラブル中の携帯端末は電源を切らないまま、

最後まで走ることになった。

 

 これからロケハンと野営地の捜索となる。いけるところまで行く。勝山港周辺で夕日が落ちてくる。内房の海は波の音が静かで寝るポイントとして期待できる。海岸沿いを走ると砂浜や展望台周辺に多くの人がいる。何か祭りかと思ったら、途中で漁師OBと思われる方が我々のところに来て解説してくれる。

 

 「魚が砂浜に打ち寄せられるので、魚が取り放題なんだよ」

 年に1回か2回の出来ごとらしいが、今回の量は今までになくものすごく多く、見たことがないと漁師OBは教えてくれた。

 イワシ、アジ、サバ、もっと大物も釣れるわ、取れるわ、海鳥もたくさん群がってダイブして取り捲っている。これは珍しい光景らしい。釣りでも入れ食いというか、手づかみで獲れる自体は確かに珍しい。

 藏前さんが砂浜まで降りて行った。他のメンバーは展望台横でこの不思議な光景を眺めていた。

 

 日が暮れそうになるので、今日はなんとしても入浴したく、混んでいることは覚悟のうえで番屋の湯へ。

http://www.banya-grp.jp/bath/

 

 大混雑。フロントのスタッフも全く対応に追いついていない。我々としても必死なので、なんとかして入る。横のおっさんは刺青だらけだったが、空いている洗面台がなかったので、迷わずそこに座って全身を洗う。

 

 晩御飯は番屋の湯で本当は食べたかったが、既にクローズしたため、先日走った保田までライトをつけて走る。入浴後だとなんとなく軽やか。目星をつけていたところは全て閉店。再度山田屋にも駆け込むが、これも終わっていた。

 

 まだあかりがついているその横にある中華料理屋に入る。まだ大丈夫! ありがたやありがたやと入る。長崎のしっぽく料理が中華のジャンルに入れなければ、史上初の中華料理屋か?

 

 食えるだけ頼んで酔っぱらいすぎた。私の中国語が店員に喜ばれたので、調子に乗っていくつか話した。店員も笑顔で相手していただいたこともあり、みんなに感心された。

 

 「実はジョギングだけでなく、今年始めたことがありまして、中国語です」と大西が言う。

実にエグゼクティブな感じだ。できる男は違う。最近自らを振り返るとみっちりねこみたいな生活をしている。

 

みっちりねこ

http://app.famitsu.com/category/comic/mitchiri-neko/

 

 結局当初野営地の予定をしていた場所が数km離れている。ただ酔っぱらいすぎたため、近所の波止場兼砂浜にテントをたてることにした。水洗機能があやしいトイレも一応あった。相当ワイルドだが、一番近い寝場所だった。

 しかし翌朝通行人が往来しそうだな・・・という不安が解消されず、夜中も何度か起きて、230分ぐらいに1回トイレに行った。

 

走行距離 80km (鴨川-野島埼-館山-鋸南(保田))

 

5/5

 

 5時起床。能動的に起きたわけではない。漁師さんらしき年配の男性の声がした。

 「このあたりは通るんだけどなぁ・・・」

 

 「すみません!」とあわてて外に出て、寝癖がひどい髪のままで謝る。どうやら私が一番リアクションが早かったようだ。

 みんななんとなく起きていたような気がするが、さっさとテントをたたむ用意に入る。やっぱりトイレは水洗機能がなかった。顔だけは洗いたい・・・が、先に片付けだ。

 漁師さんらしき年配の男性は、沖に出た小さなこぎボートを見ながら、軽トラックを砂浜や我々が寝ている防波堤横の道路を往復している。何か携帯か無線で指示をしている。

 「どこから来たの」的な話をしている途中、おじさんが落ち着いて言った。

 

 「揺れてる」「地震」「地震!」「地震!

 

 おお、揺れている、揺れている〜思ったよりも強いぞ〜と、みんな思ったはず。自転車もテントもそのままだ。フロントバックに入れていた防水用バックに収納中の業務用スマホに安否確認のメールが飛び込んできた。これで少なくとも震度5弱以上の地域があることがわかる。

 

 あわててインストール済みのRadikoを起動させてみた。・・・どの民放ラジオ局も比較的のどかに音楽がながれている。

 藏前さんはスマホでNHKラジオアプリを起動していた。昔は大江や自分自身もポータブルラジオを携行していてよくスピーカー再生していた。時代の変遷を感じる。

 

 「東京都内 震度5弱」周辺が震度4と聴いただけでは解せない地震だ。安否確認システムの「確認」を押して、ひとまずおじさんの様子を見ると沖に行った人にもたいした行動を促していないので、まずは大丈夫だ。

 

 「311の時はもっと揺れたよ」

 落ち着いたものである。震源地は伊豆大島、結構深い。不気味である。

http://bousai.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20140505051846.html

 

 6時前におじさんともお別れのあいさつを軽くしてから近所のコンビニに向かう。しっかり朝ごはんをとる。洗顔もかかさない。やっと洗えた。この時に爪が大きく割れていることがわかって、結構あわてて撤収したことに気づく。爪切りをわざわざコンビニで買う。いい値段するな。600円近い。自分用の爪切りの購入は、高校生の頃、鹿児島へ行った時の土産で買ってから以来かもしれない。

 

 どういうわけか、駐車場でアウトドア用の椅子と机を出して、くつろいでいる人達がいた。海辺の人たちはやることが豪快だ。

 

 帰りの金谷港までの道は、2日前に走ったコースと同じでリラックスした状態で走っていたつもりだったが、大江と大西は走って右側にあたる山側でイノシシが走っていたのにびっくりしていたようだ。

港では館山市役所勤務と思われる方がライターさんやカメラマンさんと打ち合わせしていた。なぜか私に話しかけられて、房総半島について感想を求められた。

 

 野営地にも事欠かず、海の幸に枇杷においしいものもたっぷり。一部自転車が走りにくいところがあるところと車のマナーがなっていないナンバーの方がいますね・・・と言った内容のことを伝えた。

 

 40分程度で全く異なる半島の様子が味わえる東京湾フェリー万歳と結論付けたかったが、なんと雨が降っている。結構激しい。最後の最後で降られた。横浜は降っていないらしい。なんたるアンラッキー。

 しかも大西は合羽を持ってきていない。豪気である。近日中開催のゴルフのために先に宅配便で送ったらしい。

 さすがに日帰りツーリングでも合羽は持ってきたほうがいいと思います・・・。

 

 横須賀では、何かお祭り風な様子だったが、スルーしてできるだけ早く帰るコースをめざす。

 横須賀郊外でやっと小雨になる。少し寒さすら感じるコンビニで小休止。自宅で総勢10人以上を迎える妻に電話する。どうやら横浜はくもりらしい。一旦着替えるために帰るかどうかなどそれぞれの家族へ連絡をとりあう。

 

 北に向かうにつれて、雨が完全にやんだ。これならどこか寄ろうということで大西提案の称名寺へ向かう。八景島に寄り道。高級住宅街そうなところを通過して少し小高いところにある。実は初めての訪問。

 

 雨がやんで静かな空間で池と橋と寺の中に4人が比較的物静かに散策する。金沢文庫の展示まで行きたかったが、寄り道しすぎたので、まっすぐ横浜の自宅までそのまま向かう。

 近道のため、黄金町・日ノ出町の一方通行をつっきる強引なコースを走る。最近はディープゾーンでなくなっていて、文化的な街並みをめざしている。けどどこまでやれるのだろうか。野毛のあたりは相変わらずシブい飲み屋がちゃんと残っている。

 

 みなとみらい周辺は相変わらず混雑している。途中で自転車専用道の右側に入り込んでから一路生活道路を経由して自宅へ。1150分着

 藏前さん・大江にはうちの家で風呂/シャワーに入っていただき、大西は途中の自宅に立ち寄って、こざっぱりとしてから、家にやってきた。

 打ち上げは、去年は枚方で藏前さん宅、今年は自宅でスタートした。

 

 

 私は往年からツーリング時に着用しているアランジアロンゾの「見返りパンダ」Tシャツで愛想をふりまく「赤いおじさん」として、大江は「青いおじさん」として子供達と遊ぶことができました。途中から皆様の奥様に頼りっぱなしだったような気もしますが、妻もこの日をひかえて気合を入れていたことをお知らせします。そして我々にとっても歴史的に珍しい、記憶に残る日となったと妻ともども思っています。

 

 皆様にとって楽しくすごせたひとときであれば、幸いです。

 

 大江はこの後30kmのハンディを背負っての帰宅となり、本当に恐縮です。みなさま、おつかれさまでした。

 

 家族の皆さんの理解と協力があって現在も実施できているツーリングだとあらためて実感しています。

 

走行距離 45km (鋸南(保田)-金谷〜久里浜-金沢文庫-横浜)

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