パソコンたたき
(C)HATONO,Kotaro![]()
2004 1.11 「大晦日報告・自宅にて」 去年は結局何もここに書かなかった。なぜだろう。以前のクリントン大統領と異なり ブッシュ息子については、語るネタもあまりない。既にあちこちでネタになっていて ここのサイトが結構好きで見ている。ブッシュ妄言録 2002年6月以降には結婚、関東への転勤等、多くの大イベントがあり、忙しかったのは 事実なのだが、パソコンに向き合っていなかった日なんていうのは、数えるほどしかない。 メールのやりとりがメインで、Webで自分の考えていることを整理して書こうということ 自体に興味が薄れてしまったからかもしれない。 阪神もリーグ優勝した。しかしここに祝いの言葉も書けなかった。 友人に誘われ、神宮球場へも応援に行った。「六甲おろし」の着信メロディ配信に 関連する仕事までした。18年ぶりの奇跡にかけて、気合十分に応援していたが、 やはり日本一を逃したことがその理由の一つだろう。 年末を横浜の自宅で初めてすごした。今まで紅白歌合戦は中学生の時から ほとんど見たことがなかったのだが、妻と協議の上、格闘技3番組とザッピングしながら 見ることで解決した。最初は別々のテレビで見るかという話をしたが、怒られた。 テレビが2台以上ある家ではそれが一番おさまりがつくと思うのだが、どこの家でも そういったいさかいは多いと聞く。 曙vsボブサップはいつ始まるんだ〜とイライラしながら、リモコンでザッピング しまくり状態。吉田を見たり、毎度おなじみの小林幸子パフォーマンスが、本人の 意志と関係なく失敗している悲しい映像をチェックしていた。すると、どこの局か わからないが、いきなりハーモニカ演奏が聞こえる。アメリカ国歌だ。 チャンネル表示することも忘れて、そのまま聴いていた。画面上では誰が演奏して いるのか、わからない。どこかで聴いたことがある音色− 「スティービー・ワンダー?」と俺が妻に尋ねた。 「わからん」と妻。 映像をしばらく目で追っかけていると、なんと曙vsボブサップ戦の国歌演奏だった。 スティービー本人も映っているではないか。そのこと自体に驚いたのとあわせて 音だけ聴いて、演奏者を当てたことで、自分がもつ音楽センスのプライドに満足し (単なる自己満足だが)、いい気分になった。肝心な試合自体は「なんじゃこりゃ」だったが。 新年。関西に帰省してしては絶対見られないはずのテレビ神奈川の番組を見る。 中華街の新年祝いロケ中継があり、レポーターの声が聞こえる。 妻が嬉々として「この声、ぜんじろうじゃない?」 俺は切りかえした。「そんなアホな。新年からこっちにおらんやろ。大阪帰ってるんちゃう?」 映像がでてきた。ぜんじろうだった。「ぜんじろうの声を一発で当てて。おめでとう」と 俺がニヤニヤして言った。「スティービーのハーモニカ演奏」と「ぜんじろうの声」で 当て方が異なることについて指摘すると、妻は不機嫌そうだった。 二人が関東に来てから、テレビ神奈川の「あっぱれ神奈川大行進」という休日昼間の 番組を発見した。コテコテの関西テイストを感じさせる番組構成に、少しホームシックを 2人とも感じ、「こっちに馴染めてないなぁ」と互いにからかいながら、楽しんで見ていた。 今となっては、妻の関東アクセントも板についてきた。電話口で話す言葉を聞くと、 理由もなく焦る自分がいる。 ぜんじろうって、関西ローカルの毎日放送「テレビのツボ」をきっかけに 芸人デビューしたと思うのだけど、今ではテレビ神奈川のこの番組が一番メインに 出ているような・・・。彼はもうこちらに馴染んだのかなぁ。 今年はどんな年になるだろうか。昔は色々と望むことがあったけど、年をとるにつれて シンプルな願いになる傾向がある。「みんな元気で、平和にすごせますよう」
2002 6.15 「スポーツとナショナリズム」 日本がなんと16強に進出した。単純に感動ものだ。ホームの有利さはあるにしても 明らかに4年前と違う。しかしフランスがいなくなったのは寂しい。フランスでは 少し前の選挙時にルペン「通称右翼」が移民排斥を訴えたが、アルジェリア移民の 代表選手ジダンに批判され、その影響のせいか落選して、シラク大統領が勝利宣言した 経緯もあっただけに、よけい寂しい。 なので八つ当たりかもしれないが、韓国との親善試合でジダンにケガをさせた 韓国の選手が憎たらしい。このケガがなければ、フランスが進出していたかもしれない なんて思ったりもする。 ある意味フランスは多民族国家としての「ナショナリズム」を完成しつつあった。 代表を見ての通り、アフリカ、カリブなど多様なメンバーで構成されていて、 一般の人たちもそのチーム全体に国の団結を反映させていたのだ。パリでのインタビューを 見ていたら、みんな冷静で、誰のせいだとわめいていない。落ち着いている。 日本も将来このぐらい熟成された社会になればいいのだが、どうもその域に 達するにはまだ届かないような気がする。届くためにはスポーツの世界から他民族 国家としてのまとまりができればいいなあと期待している。 ま、別にみんなバラバラでもいいのだけど、人間は社会的動物である宿命を 背負っている以上、どこかで集団の一員として認識してないと落ち着かない存在である。 それなら、より大枠のところで、まとまっておけば、少しは世界平和にも つながるのではないか。違う枠(民族・宗教等)にいる人たちに強制するようになると ヤバいのだけど。 ところで一つ謎がある。「ニィ〜ッポン、ニッポン」と叫ぶ観客や日の丸、 君が代が流れているオリンピックや今回のワールドカップサッカーの現場は、 俺にとっては特に違和感はない(歌は純粋に変えてもいいと思うが)のだけど、 共産党や日教組の人たちはどう思っているのだろうか。声明も出さず、おとなしい。 一番こういった団結心を嫌がる人たちなのに。日本vsロシアで日本海海戦の時の Z旗を持っていた応援団がいたが、それもアリだと思うのだが、どうだろう。 実際に勝って、東郷元帥にも恥かかさずにすんでよかった。それでもナショナリズムは スポーツの範囲でとどめて、試合内容を楽しむという程度が一番いいかもしれない。 それにしても道頓堀に飛び込む奴があんなにいるとは・・・、結構汚いんだけどな。 2000 12/31のパソコンたたきに書いていたことが、本当になりそうな感じだ。国の 借金はどうなるのだろう。そんな心配するより自分のサイフ気にしたほうがいいな。 いや同じようなものだから、気になるのか。 最近欲しいもの 欲しいと思わせるような車。最近RVやワゴン車ばっかりで、 クーペタイプが減っている。これまた寂しい・・・。
2001 8.18 「高校野球と熱中症」 今年は暑い。なぜ甲子園で高校野球をするのだろう。ドーム球場が増えた現在 児童虐待に等しいこの競技を炎天下で行うのか。 高校の時、硬式野球部の友人を尊敬していた。自分が球技が得意でないことも あったからだが、同時に疑問もあった。「なぜあんなに体によくない事をするの だろう」と。陸上部員と比べて水分補給の時間が極端に少なく、日陰でマッサージ する時間なんてのはないに等しかったと思う。あれではいつ熱中症で倒れても おかしくない。それでも倒れないのは、練習と気合だと昔の人達は言うのかも しれないが、ある意味命を担保に練習していたとも言える。そんな危険な事を 球児達に押し付けるのは指導者側の傲慢にすぎない。 地球温暖化で、夏がさらに暑くなっている。そろそろ快適な条件で最高の パフォーマンスが望める環境を高校生に与えて欲しい。高校野球のエラーの多さは 若さによる技術の未熟さだけが原因ではない。気候条件が相当に選手の集中力を 削いでいる。「甲子園には魔物がすんでいる」とか「健気な青春」と宣伝している サディスティックな各機関もそろそろ生徒の健康に留意するべきだと思う。 この環境を改善しないと古代ローマの闘士の戦いを喜んで見ている市民の メンタリティと変わらない。 昔はわき目もふらずに汗水垂らすという厳しい条件下で行う野球に日本人の 美徳を感じることもあったのだろうが、この奇妙なやせ我慢の精神が、現在 熱中症で倒れる人の多さを物語っている。「暑いぐらいは我慢して当然」という 気持ちが自然とわくのは忍耐強い日本人の美徳でもあるが、死んでしまっては 元も子もない。日本の夏は数ヶ月ですむのに対し、モンスーンアジアで、 熱中症で死んだという情報はせいぜいインドで聞くぐらいで、タイやベトナム、 インドネシアでは耳にしない。むしろ日本の方が死者が多いのではないか。 彼らの国で死ぬことが少ない理由は、昼間はちゃんと休憩しているからだろう。 もう北海道以外の日本、つまり内地は既に亜熱帯気候地域であると国土地理院でも 気象庁でもいいから、公式に認定して欲しい。そしてその気候に対応した行動や 生活習慣をみんなに広報して欲しい。そうでないとなかなか習慣を変えられない 人達が多いのだから。ネクタイも、もういらん…。 *まもなくインデックスカウンター設置から5周年。 色々な出来事があったなあ…。このサイトを作ったからこそ、出会えた人もいます。 Read only memberの方も含めて、皆様に感謝します。 最近のMD "image" 加古隆のピアノがよろしい。 欲しいDVD 「宇宙船サジタリウス」1Box約30000円で3Box発売だもんなぁ…。高い…。
2001 7.6 「ラジオ、所により日本の民族」 「音楽をしっかり聴きたいなら、AM放送よりFM放送を聴いた方がいい」 10歳ぐらいの頃、父がくれたアドバイスだ。本人は車の中でAMしか聞かない 癖に、なぜか息子にはこんな忠告をしたのだから、不思議である。それから 野球中継に飢えている時をのぞいて、FM放送しか聴かなくなった。我ながら この純情さがとても愛いのうと自慢したくなる。「エア・チェック」という 言葉が一般的で、FM雑誌を立ち読みしては、気に入った番組を探し当てた。 粛々とオーディオセットにかまえながら、カセットに録音したものだ。 大学生時代大阪ではFM802 が開局し、素直に喜んだ。まあ聞くのはミーハーな 洋楽ロックが主だった。それ以外のお気に入りは夜中の0時からの「Quiet Storm」。 渋い選曲だった。家でも車の中でもおなじみのように流れていた。深夜2時からの 鈴木雅之の「Love over Time」のマニアであった。眠いながら聴いていた。 これは今思うと結構キザなセリフが飛び交うトーク番組のような気もするが、 この選曲は今でも褒めたい。なんで終わったのだろう。 仕事や遊びで東京を訪れる時は、J-WAVEのワールドワイドなコンセプトの番組が 好きで、よく移動時やホテルで寝るときに聴いていた。関西圏でも京都の α-stationや神戸のKiss-fm 、震災後はFM-Cocoroとラジオの選択が増えた。 いい時代になったなあと思っていた。 ところがここ2年ぐらい前から、違和感を覚えた。この違和感が確実になったのは 久しぶりに東京に行った時である。奇妙に番組の雰囲気が違う。理由もなく イライラする。最初は周波数が違うのかと思い、何回もラジオのディスプレイを 見たが、どうやら間違ってない。やたらとトークが多い。 哀れなるかな、首都文化圏のラジオトークは、残念ながら魅力がない。深夜の テレビもあまりおもしろくない。関西人と関東人はたぶん民族的にセルビア人と クロアチア人ぐらいの違いがあるような気がしてならない。この例えがふさわしいか どうかわからないが、一番近いニュアンスは関西人のアイデンティティはカナダに おけるケベック人だ。 学生時代の信州夏合宿の時、モントリオールから来たフレンチカナディアンの方と 出会った。当時関西人の誇り高かった俺は「ケベック州独立運動」に関心があった。 ケベックを訪れた時、英語で話しかけた俺は現地の人達からシカトされまくった。 フランス語でないとダメなのだ。若い人は英語で話してくれたが、この物騒で過激な 奇妙な誇りに感動さえした。1年に1回はカナダ議会でケベック州独立の是非が報道 されていることからも、彼らの地域的なアイデンティティに興味がわくというものだ。 関西人に通じる奇妙な頑固さがある。 夕食後、キャンプ場の夜、片言の英語で盛り上がった途中で俺は彼に尋ねた。 「ケベック人は本気でカナダから独立したいのか」彼は笑い飛ばした。 「そんなことありえない」あまりにあっさりした返事に愕然とした。 「経済的に無理だよ。貧しいからね」 当時はもっとケベック人の誇りはないのかと思ったりもしたが、社会人になって、 経済的規模で全く首都圏に勝てない関西圏を身にしみて理解したつもりだ。 今となっては彼の感覚は社会人として妥当なものだったのだろうと思う。 笑いのセンスやうどんのダシに薀蓄をたれたり、文句をたれたりする関西人も 本気で日本から独立できるとは思ってない。しかし異なる民族性は主張したがる 傾向がある。これはこれで他民族(他の地方人)から見れば、少しうっとおしいこと だが、アイデンティティの主張と言うのはそういうものだから、やむをえまい。 最近「日本人が単一民族」だとわめいた人がいたが、こんなギャグにもならない事を 言う人は、日本から出て行くべきだ。余計な方面に怒りがむいてしまった。 ともあれJ-WAVEの多彩な番組構成はどこにいったのか? 首都圏の人達の方が 音楽情報の量から言えば、絶対的に多いのに、肥えたリスナーがなぜこんな番組 構成に我慢しているのか。みんなおとなしいのか。悲しいかな、自転車OB合宿の 時に訪れる地方FMのノリ並だ。いや自転車OB合宿の時の朝はたいがいNHK-FMで 天気予報を聞くために、本編のバロック音楽やらクラシックがながれている。 まだこちらのほうが精神的にマシだ。東京に行った時の楽しみの一つがなく なってしまった。 思い返すと関西圏の各FM局も番組内におけるトーク部分が非常に多くなっている。 また邦楽の比重が高くなってきている。念のため俺は邦楽差別主義者ではない。 日本の音楽シーンが盛り上がる事自体は良いことだと思うが、過度な「ヘビーローテー ション」は頭がおかしくなりそうだ。一種の洗脳のような気がしてならない。 一つ間違うとオウム真理教の「修行するぞ」に近いものを感じる。 トーク番組中心のAM放送より、音楽が聴きたいFMが好きだった立場からすれば、 音楽重視にして欲しいというのは、俺だけのわがままだろうか。うちの親父の忠告が 俺の子供たちの時代に無効となるのは寂しい。 今ではインターネットで世界のラジオが聴ける状態なので、ラジオ局の 電波管理規制が厳しい日本では、各ジャンルの音楽専門番組FM体制なんて高望み なのかな。アメリカのFM局の多さがうらやましい。日本もフランスのFMのように、 FM番組のAM局化が進むのだろう。トークと邦楽ポップス重視の番組編成の方が 聴取率(テレビでいう視聴率)がよく営業的に有利なのは理解できるけど、勘弁 願いたいなあ。 CDもMDも携帯MP3 も持っている。しかし時間と場所にふさわしい雰囲気を、 偶然の時間にマッチさせることができるラジオというメディアも捨てたくない。 家の電話をADSLにしたほうが早いのか。しかしそれだとパソコンは付けっぱなしに しておかないといけない。そのまま眠る訳にはいかない。違う楽しみを探すか。 気になるCD 平井堅 "gaining through losing" 結局買わなかった…。
2000 12.31 「過去・現在・未来」 昔ひとつ私には得意なことがあった。カレンダーの曜日の暗記である。例えば 「2000年の12月31日は何曜日か」という質問にすぐさま「日曜日」と答えていた。 これが明日とか明後日なら、誰でもわかるが、1ヶ月先や以前、いや前後10年ぐら いはカレンダーの暦を丸暗記していた。幼稚園時代から、この奇妙な才能で親戚か らもてはやされた。しかし小学生高学年になるとこの感覚が鈍りだし、現在では、 1週間後もあやしくなった。たぶん暦の規則性に執着心があったのだろう。当時 4、5歳の自分はカレンダーを見ていて飽きることがなかった。それで、この嗅 覚は日本史や世界史の年号に変わる。今でも不思議と忘れないのだ。語呂覚えの 方がさっぱり苦手で、古語の重要単語などを意地でも語呂で覚えていても、だめ だった。外国語も語呂ではダメで、直接耳にしないと頭に入らない。しかし数字 なら、なぜか覚えているのだ。 それで歴史が好きになったのだが、並行して未来の事も気になる対象で、サイエ ンス・フィクションが主に読むジャンルになってしまった。「俺の本棚」を作った理 由はまさにそのためで、できるだけ、多くの人に未来を描写する形態にして、読者に 一考させる文学に興味をもって欲しいというのが、私の個人的な欲求である。 ここで個人的な欲求をネタにして主張したい。歴史という過去を教えるよりも将来 起こりうることに対処する方法を考えさせる方がこれからの教育にいいのではないか。 もちろん未来を考えるために歴史が必要だという人や教育者も多いと思う。しかし太 古の昔は必要ないのではないか。捏造も可能な先石器時代は21世紀の我々に本当に 必要な知識だろうか。せいぜい産業革命後でいい。 未来への投資を子供にするべきではないか。株式取引、貯蓄投資の方法、税金対 策、社会保障制度、親族・相続の民法は中学生の授業で行う。公民というよりは、 実社会に出て必要な情報が社会人になっても不足している。ま、現在の政治家や官 僚にとって、この日本社会の真実を国民に早く把握してもらうことは、余計不利と なる材料ばかりだから、今まで通りのんきで時代遅れの教育で満足しているのかも しれない。将来的には日本の国家は倒産するかもしれないが、日本に住む人々は絶 滅しないわけで、世界に移住すればいいだけのことだ。そこまで未来の事を考えら れる人達の育成をしたほうが、国家にとって得だと思う。しかし現状を打破できる 希少な人物が教育でも生まれるだろうか…という不安はまた別問題である。絶望し てしまっては、元も子もないからである。 日本がどうのこうのというよりは、人類全体がどうなっているか。これが21世紀 という一つの区切り方で行われている暦の方法において、一人一人が気にかけてお くべき事柄だと思いたい。 昔、子供用の雑誌で、学研の科学や学習では、2001年にはとっくに火星や月に人 類がたどり着いていたのだけどなあ・・・。少し寂しい。「鉄腕アトム」を書いた 手塚治虫だって、2003年にアトムを登場させたが、その漫画の中で、電話は携帯電 話ではなく、大昔の黒電話だった。ま、想像さえできないような楽しい物が作り出 されたり、あらゆるフィクションでも想定できなかった出来事がおそらくこれから も実現されていくはずだ。それに期待しながら、そのために努力すれば、より刺激 的で楽しい社会になると思う。 再び聴きだしたCD Sing like talking "Second Reunion" 特に"Steps of love"と"Rise"が今でも美しく聴ける。
2000 12.16「バトル・ロワイアル」「北斗の拳」「ギフト」 「ホラー映画」全部OKにしませんか。 最近ニュースがアメリカ大統領選挙しかないから、ネタ作りか何か知らないが、 政治家が映画上映やテレビ放送でクダを巻きはじめた。「バトル・ロワイアル」に 関しては映画のパブリシティ(単に「宣伝」と訳すより、「積極的な宣伝活動の提案 ならびに宣伝の実施」ぐらいがよい)としか思えない。政治家が映画宣伝に貢献して どうすると思わず言いたくなる。他に協議することは腐るほどあるじゃないか。 以前「バタフライナイフ」でも書いたが、表現された作品を評価するのは、 各人の自由であって、何も関係のない人間が頭ごなしに作品そのものの発表を規制 するのは、一番やぼったいことだと思う。道具にしても作品にしても使う側や感じる 側次第なのだ。対象となる人達を信用できないと決めつけてかかっている行動は 明らかに人間不信状態である。こんな人間が政治家になるべきではない。理想主義 すぎるかもしれないが、性善説を信じる人間だけが政治にかかわるべきだ。もちろん 安全保障など、「万が一…」という視点も必要だが、少なくとも国民は信じてもらい たいもんだ。 これらの作品が犯罪を誘発するとは思えない。作品の優劣にかかわらず模倣犯は存在 する。過去に犯罪小説を読んで、強盗や殺人を犯した人間もいるだろう。しかし作品に 触れた人間のうち、ほんのわずかな確率でしか発生してないだろう。仮に作品が発表 されなかったとしても、結果として発生する犯罪の確率と大差ないと考える。この確率に 関して実際に調査することは不可能だが、「なんとなく殺したかった」という奴らの 増加は犯罪の動機が作品が原因であるという説明とならない。また昔と比べても連続 殺人事件などの件数はむしろ減っているはずだ。 もちろん手放しでみんなに見せろという訳ではない。どうでもよい作品は見ない方が、 各人の時間の有効活用によいのは確かだ。人が感じるところはそれぞれだが、くだらない 映画を見た時や、買って失敗したと思わず窓から放り投げたくなるようなCDやテレビ ゲームは、精神衛生上よくない。なぜこんなの買ってしまったのだろう。こんなのを 見ようと映画館に入ってしまったのだろうと自分の誤った判断に嫌悪感をいだき、 憂鬱となる。 本題に戻す。マルキ・ド・サドの小説を読んで影響をうけ、そのままSM行為を満喫 している人に対し、SM行為を禁止する規制をするのか。江戸川乱歩やコナン・ドイル はたまた西村京太郎の鉄道トリックもの小説を読んだり、名探偵コナンのアニメを 見た人間が、実際に犯罪にはしったからといって、作品を焚書処分や放送禁止処分に するのか。単に出てきた素材が新しいだけの理由で、お偉方は規制パフォーマンス していれば、それで満足なのか。 猥褻に関していえば、裁判判例や世論を含めて、確実に開放にむかっているのに、 生命の尊重に関して、残酷な暴力や殺人描写がある作品をそんなに規制したいのか。 仁侠映画はどうなる?? すべてNGだ。人類が滅亡するタイプのSFも問題外だが、 そんな作品はごまんと存在する。サスペンス劇場ではどれだけの連続殺人事件が 繰り返されていることか。大人が殺されてもOKなのに、中学生なら、なぜダメなのか。 暴力団員の抗争シーンをめぐる「人間ドラマ」には涙する人がいるのに、どうして 中学生が殺しあって、感動する人が現れる可能性を排除していいのか。「バトル・ ロワイアル」そのものは見てないから、作品の質そのものは知らないが、一旦ここの 矛盾を整理してから、議論したほうがいい。 倫理的な問題を主張する人は、現在日本の総理があの人である事実をもっと問題に して欲しい。アメリカみたいに原始的でもせっせこ票を数えたり、裁判になっている ほうが、まだ民主主義的プロセスとしてマシだろう。この騒動は傍目に見て「無駄」と 思えるが、少なくともホテルの一室で5人の政治家が談義して一国の首相を決める 「効率的」なシステムよりマシである。 政治家のみなさんも忙しいとは思うが、他にもたくさん残酷な作品があるから、 読むなり見るなりして欲しい。もちろんその作品達の中でも生き残っているものは、 その中に人間の本性や側面を描き出したり、認識させられるものがあるはずだ。 エリートで育っているから、残虐性の体験が足りず、免疫がないんだろうな。 最近撮影したもの 実家の犬達がご飯を食べるところ
2000 11.25「サーチエンジンにこのサイトの評価を書かれた」 >>自転車部OBならではの、ツーリング旅行記がメイン。SFモノと旅行記を >>中心にしたブックレビューや自選名言集などがある。 「峠の喫茶店」が閑古鳥がひどく鳴いているにもかかわらず、このサイトに 来た人達が、どういうサイトを使って見つけたかという調査報告を久しぶりに 点検してみた。するとなんと天下のMicrosoft のMSNが私のサイトの評を 書いていた。事前承諾なしである。そのことについて、怒るどころか、喜んで いる。ま、ありがたい評価である。なぜかこのサイトがひっかかったキーワード は「鳩」である。伝書鳩レースや、鳩の飼い方などを本来の目的として調べて いただろうに、なぜか私のサイトに来ている。こんな奇特な人は、そうそう いるわけでもないので、できれば、これで私のページを見つけた方はメールで ご一報を。 ツーリング記録も最近は更新さえされてない状態だが、「俺の本棚」 「珠唾」を評価してくれているのは、嬉しい。これをきっかけに名言集や 本を手にとってくれる人がいることを願っています。 もちろん私が書いた感想なんてのは主観的なもので、原作を読んでから、 私の感想に抗議される方がいても、こちらとしては、それはそれで嬉しいの です。それをきっかけに議論でも交わせるようにでもなれば、今までなかった ような形式で、新しく人と知り合えるわけですので。 サーチエンジンでは、90% 以上がYahoo Japan を使ってました。やはり強いな。 株価の高さだけある。 最近のMP3 John Coltraneのベスト版(CDも持ってます)
2000 10.15 「昔のわかいもんと最近のわかいもん」 まだ30歳にもかかわらず、こんな事を気にするのはどうかと思う。しかし 最近実に気がかりになってきた。理由の一つとして、この年を自分の親に 照らすと既に自分が生まれている。しかももう幼稚園に通っていたりする。 自分の父親が30歳の時、既に自分では5歳と自意識もあり、その頃に出会った 友人との関係がいまだに続いていることを考えると、自分も既に結婚していて、 子供の1人か2人いても何ら不思議なことはない。そしてその子供が自分の人生を 歩んでいても至極妥当な人生のラインである。 しかしまだいない。独身でもある。 といっても、やたらと結婚願望があるわけではない。ただ当時の父親が いかに老けていた行動をしていたなあとシミジミ考えると、息子の為に わざわざ老けていた演技をしていたのではないかと、たわいもないことを 邪推してしまった。実際、父に尋ねた。あっさり否定された。正真正銘自分が 望んだとおりにしていた習慣や嗜好とこたえたので、愕然とした。 昔の30歳の男は、左小指だけ、やたら長く爪を伸ばしてた。 昔の30歳の男は、食後だけでなく、おやつなどでも爪楊枝がかかせない。 昔の30歳の男は、AMラジオからかかる演歌も抵抗なく聴ける。 昔の30歳の男は……、 どうやら自分の父親だけ、当時の世間の中でも老けていた部類と思いたい のだが、みなさんの父親はどうでしょうか。私も爪楊枝だけは、最近食後 必要になって来たようだ。歯に食べ物がひっかかるなんてこと、今まで なかったのに・・・。悔しい。ともあれ他の項目は自分には当てはまらない ので、ひとまずほっとしている。 そして最近の若い人を見ていて、現在の私が思うこと。 今の18歳の男は、茶髪とアフロヘアが多い。 今の18歳の男は、やたらと地面にへたりこんで座っている。 今の18歳の男は……、 まだ書けないところを考慮すると、まだ私は今の18歳の男に近いと 言うことか。 地面にへたりこんでいる理由はひとつ思い当たるところがある。昔と違って、 小学校・中学校が運動会の行進の練習や「気をつけ」「前にならえ」など、 軍事訓練さながらの演習(あれは「授業」と呼べるレベルのものではない。 私はこの「演習」が一番嫌いだった。)の頻度が減った為に、立っているだけに 必要な腰と足の体力と筋力が減退したからだろうと推定している。 だからといって、昔風の軍事訓練を復活させたいと思っているわけではない。 最近「18歳以上にボランティア活動強制化」を主張している人達が一部にいるが、 本人らが「わかいもん」の年頃、何をしていたというのだ。日本の高度成長に貢献 したなんてことだけは、絶対言ってほしくない。高度成長期に自分の思うがまま 過ごしていたはずだ。「太陽族」なんてのは、まさにそういった人達の集団では なかったのか。調子いいよな。「現在偉そうなことを主張できる資格があるのかね、 君達」と逆に質問したい。年をとるとやたらと小言がましくなる。今の「わかいもん」は 暴動起こしてでもこの訳のわからない義務化に抗議してほしい。ボランティアというのは 「能動的に行う奉仕活動」を指すのであって、「強制されたボランティア活動」なんて、 「ボランティア」と言う言葉の使い方が既に誤っている。これじゃ単なる強制労働だ。 そんな野暮なことよりも、いかに若者がボランティア活動に積極的に参加できるかと いうことを大人達が協議する事の方が、より重要な事柄だと思う。 あーいやだ。俺も小言書きになってきた。 時任三郎が出演している男性整髪料のCMが最近のお気に入りだ。 セリフを変更して「大人になってしまったんだよ」と「わかいもん」を抱きしめたい。 本当か嘘の話かは知らないけど、5000年ほど昔に建設されたエジプトかシュメールの 遺跡の落書きにこうあった。「最近の若者はなってない」 5000年後、あちこちのコンピューターのハードディスクからこんな文章が大量に発掘、 解読され、未来の「わかいもん」達が宇宙空間のあちこちで、ほくそ笑む事態になる事を 心の底から願っている。 最近のCD 「As One」久保田利伸
2000 7.25 「ガッツポーズ」 つきあいでしていたゴルフは正直いって苦痛だった。幼馴染達との新年ゴルフ うちっぱなし大会は楽しかったが、ゴルフ観戦は興味なかった。ところが 最近熱心に見るようになってしまった。特にテレビ朝日系列の全米・全英 オープンシリーズは好きで、去年から夜中にのほほんと(そんなに、のほほんと はしてられないのだが)見てしまう。 今年の全英オープンも予選含めて見てしまった。ゴルフの歴史や会場の スコットランド・セントアンドリュースの牧歌的な風景など、背景知識も わかりやすく見せていて、ここ最近のスポーツ番組の中でも秀逸だ。綿密 に設定された構成は、他番組も見習うべきだと思う。 ともあれ何がみたいかというと世代を超えておそらくそうだろうが、 タイガー・ウッズだ。ゴルフを変える男、21世紀のプレイヤー……、描写 される手法は数多くある。しかし私が彼の何がみたいかと言うと、 「ガッツポーズ」彼ほどこのポーズが決まる人を他に見当たらない。正直 な感情の表現方法を「魅せる」力強い勝利者はシンプルで、カッコいい。 ゴルフスタイルに関しては既に超人的なので、マネてうまくなりたい なんて欲求は、厚かまし過ぎるので、あまり懐かない。それより大舞台で 冷静沈着な自制心を続けた最終ホールで見せる彼の率直な感情の表現に 素直に感動できる。 過去の名プレイヤー達がグランドスラム(全米オープン・全英オープン 全米プロ・マスターズの4大大会をすべて制覇すること)を達成した時の 映像を見ると、当然だが、みんな若い。よく観察すると、みんなガッツ ポーズが見事「きまって」いる。ジャック・ニクラウスの26歳の時なんて、 この映像を見るまで全く想像つかなかった。現在の熟成されたとも言える 「帝王」のイメージの彼しか思いつかないからだ。ところが当時の彼は 喜びの表現をガッツポーズで「きめている」。 これを見ていて思った。どうやら人間、若いうちしかガッツポーズ しないようだ。そういえば自分も若いころ、そう20代の前半ぐらいは このポーズをよくしていたような気がする。ツーリング時、峠に着いた 時、岬に着いた時、山頂に着いた時…。タイガー・ウッズとは比べようも なく、大それた事は全くしてないが、張り切ってガッツポーズを遠慮なしに していたと思う。「きまっていた」かどうかはわからない。 ところが20代後半に行った最近のOB合宿や暴走ドライブなとでは、 そんな喜びの表現とは無縁だ。「あ〜、着いた、着いた」と息をつき ながら、現地にたたずんでいる記憶が強い。 おそらく普段の生活をおくっている一般の人の場合、仮に「いい仕事」が できても、ガッツポーズするほどの喜びにあふれる状況は悲しいかな、 稀だろう。遊びになると言わずもなが皆無に等しくなるのではないだろうか。 ガッツポーズをしなくなったみなさんへ、一度昔を思い出して、嬉しい 時に「きまった」ポーズをとってみて下さい。どことなくてれくさかったら、 本当の喜びの表現ができなくなっているのかもしれない。 年を経るということは本当の喜びを表現する能力が貧しくなっていく ことと同じ意味なのだろうか。本当の喜びとは何かを、全英オープンを見た 後でさらに自問しているところです。 最近のCD 「Espace」溝口肇
2000 or -2518 2.8 「暦の方式」 えらく遅れた新年日記となってしまった。日本橋に久しぶりに行ったら、ゲーム ショップの前に「機動戦士ガンダム」のゲームがプレイステーションで発売すると いうではないか。「ジオンの系譜」うーん。魅力的なタイトル。大昔プラモデルに 燃えた性質ではなかったが、あのストーリー設定に魅了はされた。最近は色々なバ ージョンのガンダムが出続けているらしいが、もう今年で30歳にもなろうという 私にとっては一番最初のガンダムのナレーションが何よりも記憶に残っている。 「宇宙世紀0079(ダブルオーセブンティナイン…)」これだ。 この感覚が絶対21世紀に必要で、実際そうなっているに違いないと思った。 コンピューターの問題などもあった、色々騒がれた2000年を迎えた。しかし 本気で祝いたいのは西洋、しかもキリスト教徒だけではないのかと思った。結局こ の暦の数え方はキリスト教徒中心の概念に過ぎない事に気がつく。年末のインデック スにも書いたが、イスラム圏では全く祝う様子もなく、和暦でいえばたかが12年。 この数え方もいい加減ややこしいので、いっそのこそ皇紀…、はフィクション性が 強すぎるので、(宇宙世紀は別にして)大化の改新か聖徳太子ぐらいのところか、そ れとも魏志倭人伝の卑弥呼の時代、西暦200年ごろから数えるというのはどうだろう。 それとも漢の東夷伝かこの年を基準にしませんか。 と新年の「パソコンたたき」でここまで書こうとしたが、実はもう宇多田ヒカル が自分のサイトで似たようなことを書いてることに気がついた。歌だけではなくま さしく恐るべし高校生。感性が私に似ているというのは傲慢なので、一部引用する。 許可は得てないが、彼女の公式サイトからの引用である。怒られる事もないだろう。 >> ちなみにキリスト教の暦ではなく仏教の暦では今年は2543年らしい >> ですわねー。あらやだほんとぉ?雑誌で読みましたのよぉ奥さーん。 >> イスラム教では1420年、ヒンズー教は1921年、中国は4697年(四捨五入 >> したら中国5千年の歴史じゃん!すごーっ!)、マヤ族にとっては5119年 >> で、ユダヤ教では5760年、そして!・・・・・日本は12年?(笑) >> なんかかわいいぞ!いかしてるぞ日本! イスラムは始祖ムハンマドがメディナに遷都した時を起源とし、中国はたぶん伝 説の王、黄帝から数えているのだろうか?? それにしては信憑性がなさすぎる。ユ ダヤはどこからだ?! ソロモン王以前であることだけはわかるが…。マヤはどこか らの出自がさっぱりわからん。仏教はゴーダマ・シッタールダ(釈迦)のニルヴァー ナ(涅槃)の時か。いや生まれたときか。日本でも花祭り(釈迦の誕生祭)がある。い ずれにしろ彼女はよく調べたと思う。彼女は「かわいい」といっているが…。SF ファンの私としては、やはりこれからはもっと数字を小さくして、全世界的に浸透 できるような共通暦がそろそろ必要なんじゃないかと思う。子供も大人も世界史の 暗記が楽になるし、少しは人類も連帯感が増すかもしれない。 宇宙世紀の元年は西暦2045年だ。本当に間に合うのか?? いや既に間に合わない 事がわかる。ガンダム関連のインターネットサイトで調べた。最近は何かと便利。 >>1993 世界各地で局地戦、地域戦争多発。第3次世界大戦の危機感強まる >>1995 ニューロネット元年 >>1999 地球連邦政府樹立 07.29人類宇宙移民計画発表 >>2001 DNA組織構造解析終了 >>2003 対ウイルスゲノム開発 >>2005 太陽発電衛星第1号機の打ち上げに成功 >>2009 地球連邦軍設立 >>2022 月面上にマス・ドライバー設置 >>2026 木星エネルギー船団を編成、月軌道上より発進 >>2045 新暦 >>スペースコロニー第1号の建造開始(現在のサイド1の宙域) >>U.C.0001宇宙移民計画開始。これをもって宇宙世紀(Universal Century)に >>移行。地球総人口90億突破 去年、地球連邦政府が樹立された報道は聞いてない。しかし2001年のヒト・ゲノ ム計画は実際の予定よりも案外この時期に実現しそうだ。問題はその後だな。それ より過去の1995年はインターネットの事か?? これは最近こじつけた年表だろうか。 もうひとつ暦に関してお気に入りがある。20年前、アメリカ発のテーブルトーク のロールプレイイングゲーム、「トラベラー」シリーズの帝国暦だ。それでいうと 西暦2000年は帝国暦-2518年。ジャンプドライブの発明が、えーと西暦2087年。俺は 117歳。たぶん死んでいるだろう。ジャンプドライブとは、スターウォーズなどの設 定でも使われているが、光速を無視できる宇宙航法の手段です。一度でいいから見 てみたい。しかし月ぐらいは死ぬまでに行けるだろうとふんでいるが…。まだ可能 性があるだけ、マシか。ゴダードやフォン・ブラウンはロケットの基礎を作り、月 まで人を飛ばしたが、本人は行けなかったのだからな。 フィクションはここまで。現実問題の暦に関しては国際連合発足年(1945)か宇宙 開発年(1957)を基準に元年とした方がいいのかな。しかしこれはこれで反対派がで てくるだろう。「国際連合なんて戦勝国のエゴだらけの組織だ。そんなものを基準 にした年代法なんぞ使えるか」と主張する熱い人やら、「地球さえ大切にできない 人類が宇宙に行く事は逃避にすぎない。この暦の方式は宇宙を侵略する概念を前提 に存在する。だから使いたくない」など、どの方式をとっても侃侃諤諤の意見がで る事は間違いない。結局みんな好き好きに年月を数えていくのだろう。 ま、全体主義よりはバラバラの自由主義の方が俺の感性にはあっているので、み んな好き勝手に年月を数えましょうという結論になる。なら、未来に向かって共通 項となる暦もやはりそろそろ作るべきだとも言える。それでも個人個人にとって、 究極の暦は「自分が生まれた年を元年にする」事に間違いない。何歳になっても誕 生日は楽しく祝いましょう。 SFオタクの文章で終わるかと思ったが、案外無難に終わった。 最近のCD 佐野元春のベスト版 どうして「バルセロナの夜」が入ってないんだ…。
1999 11.14 「10年後」 ベルリンの壁が崩壊してから10年たった。当時は大学生で、文化祭で北海道名物 のあげいも(揚げたじゃがいもを串に刺して砂糖をまぶして食べる)をあげていた頃だ と思う。最近このドイツの記念イベントを生中継で見ていた。感動的だった。当時の 立役者のブッシュ元大統領・ゴルバチョフ元大統領・コール元首相も並んで映像に 映っていた。「あの人はいま」タイプのテレビ番組の同窓会企画みたいに見えるが、 まだまだみなさん錚錚たる様子で、日本の政治家との格の違いをまざまざと感じてし まう。なぜ海外の政治家はあんなに存在感がにじみ出るのだろうか。欧米に限らず、 韓国の金大統領、中国の朱首相にはそれにふさわしい貫禄を感じる。うらやましい話 だ。イベントではドイツらしく厳格にクラシックが合奏されていたけど、最後の方で は懐かしのスコーピオンズが出てきた。音楽を聴くとその頃の時代を思い出させる事 は「歌の大辞テン」という番組で実証済みだが、俺の場合はどうしても洋楽ロックに なる。しかし放送していた衛星放送が途中で切りやがった。ムカついたが、どうやら NHKは 今だにポップス・ロックを軽視しているような気がしてならない。紅白歌合戦 やってるくらいなら、この辺のデリカシーは欲しかった。いやあんな番組やっている から、ああなのか。中学生3年からは紅白歌合戦は見なくなった者としては、この事 態はあきらめなければならないようだ。大晦日はよっぽどラジオの方が面白い。みな さんにもお薦めしておきます。 ベルリンの壁を知らない世代のために書くと、永瀬正敏が壁の上に立ってカップヌ ードル食べているCMの舞台です。当然合成映像なのだけど、あれはよくできたCMで 当時を思い出させるのに十分な迫力だ。同時に当時のソビエト連邦議会に出てくるゴ ルバチョフの横でなにげなく永瀬がラーメン食べているのも、見てて楽しい。あれは 俺もやってみたい。合成映像でいいから。個人的には1969年、アポロ11号の発射台 前で永瀬にラーメンを食べてもらえば、言う事がないのだが。 ゴルバチョフはもう世界史の教科書にも載っている。うーむ。俺も昔の人になった のか。確か1991年のクーデターは自転車合宿で東北を走っている時にキャンプ場の管 理室かそのそばにあった店のラジオで聞いた。なぜか残念な気持ちになった。彼の 行った業績にどこか共感を感じていたからかもしれない。それが今放送されているCM で思わず懐かしさと時代を感じるのかもしれない。ロシアでの評判はあまりよくない らしいが西側諸国ではある意味英雄的な存在だろう。東側に勝った優越感でわく感情 ではなく、純粋に不毛な戦いにケリをつけた有能な政治家として見ている気持ちの方 が強いと思う。 さしあたって海外旅行からしばらくごぶざたとしている身分としては、ドイツ・ベ ルリンのブランデンブルグ門の前に自転車でたどりついて、インスタントラーメンを すするのがささやかな夢だ。 最近のCD "The Day" Babyface
1999 10.17 「人物評価」の続き 「阪神優勝」のタイトルが情けなく表示されている。更新しないといけなかったの だが、このページのせいで最下位になったんだとしたら、余計情けないことである。 インターネットのWEBページに阪神タイガース関係のコンテンツを立ち上げている 人は相当いるはずだ。 今回は巨人の上原投手である。時勢にのったというわけではない。同じ中学校出身 のちょい上の先輩として、思わず書きたくなった。10/5のヤクルトのペタジーニ 相手の敬遠の涙は私もテレビで見ていた。あれから彼の顔が少し変わったような気が してならない。あの日からブラウン管に映る彼の視線がどこか遠く、そう宙を見てい るような気がしてならない。 寝屋川市民(寝屋川出身者はあまりこの事を人に言わない傾向がある)の有名人が最 近は少しずつ、(Ex. PUFFY のもう一人。宮川大助・花子・海原やすよ・ともこ。あれ、 漫才している人多いなあ)だった者の一人として、彼に多いに期待している。野球のエ リートコースをたどらなくても頂点に達する道があるんだという事を多くの少年野球 児が思っているんじゃないだろうか。 阪神が優勝する日よりも先に上原がアメリカのメジャーに行く時が先に来ても全く 驚かない。新聞には紅白歌合戦の審査員として出ると噂になっていたが、本人は大阪 で、いや寝屋川で冬眠する事を決めたらしい。周りの元寝屋川市民達は巣立って行った 後、めったに戻ってこないことが多いのだが。実家の団地の居心地がいいのだろうか。 違う土地に行くとやはり故郷が恋しくなるのだろうか。 京橋か梅田の幼友達と呑み屋にいる飄々とした彼を一度見てみたい。(寝屋川市民が 市内の呑み屋を利用している話を一度も聞いた事がない) 最近のテレビ "世界遺産" 毎日放送(TBS系) 野島さん、少し気色の違うドラマの脚本をやってますなあ。まさかこれ読んだ訳では ないよな。
1999 8.11 「人物評価」 下の「阪神優勝」のタイトルが情けなくなった。ともあれ阪神野村監督、ま、がん ばって下さい。退団した外国人選手が監督の批判をして、さっさとアメリカに帰国し たそうですが、人の相性なんてまちまちだから仕方がないと開き直って、後半戦がん ばってください。現にヤクルトにいたオマリーなんかは野村さんの事、いまだに尊敬 しているようだし本当に上司と部下、家族の間、異性関係などは、当人らの感情を別 にしてもどうにもならないくらい悪化する関係って存在するものだと思う。その点光 栄のゲームの「三国志」シリーズや「信長の野望」シリーズの武将相性のコンピュー タ設定はうまくできている。下のタイトルの言い訳をしたいのではなくて、最近気に なっている人達の評価を私なりに…。クリントン大統領はそれまで結構してるけど。 1人目。野島伸司さん。テレビの脚本家ですが、前回の「リップスティック」を見 て少々考えたこと。みなさんも以下の条件に合致しない野島ドラマがあったどうか考 えて下さい。 1.ドラマの登場人物は必ず家族関係でトラウマや劣等感を持ちつづけている 2.なぜか入水(自殺)のシーンがある 3.10代後半の女性に惹かれていく男性登場人物が必ず存在する。 4.ドラマのテーマソングはそのテレビを見る主な視聴者が10代後半から 20代前半の懐かしいものである 4.はテレビ局側の思惑があるというよりは野島さんのイニシアチブで決定した事 項でしょう。普通テレビ局側は新曲のタイアップを音楽会社と望むと推定されるから です。なので1−4まで、これを個性と言いきってしまえば、それまでだけど、パタ ーン化し過ぎると才能の限界が見えてきて、私が悲しくなるので、できれば1つ提案 が。今度はぜひコメディものを1つ書いて下さい。どんなおもしろくないものでいい んです。とりあえず1−4の条件に全くひっかからないもの脚本を。せっかくドラマ のオープニングで最初にテロップが出る栄光に預かっているのですから、イメチェン といきませんかねぇ。 え、こんないちゃもんつける人がなぜ「リップスティック」を見ていたか?? 出演 していた三上博史が好きなだけです。なぜ好きか…、書くと本当の三上ファンからク レームが来そうなのでやめます。けど出ていた窪塚君って、演技うまいですね。これ から絶対のびる俳優さんだと思います。広末の評価は・・・、なんとも思いません。 最近パッシングされそうだけど、ま、されても仕方がない行動しているのではないか な。それぐらいです。 2人目 落合信彦さん 「俺の本棚」に「落合信彦 最後の真実」(奥菜 秀次著 鹿砦社)を入れようかと 思ったのだけど、愛読本ではないので、ここに。そう"Favorite Site "にもある本多 勝一研究会の対象になっている本多勝一同様、10代後半から20代の最初まで気に 入っていた作者である。かつてのアサヒスーパードライのCMを見ては、俺もこうあり たいと勝手に思っていた。この期に及んでやっぱりフィクション作家だったのねと幻 滅した次第です。しかし最近のレポートはちゃんと参考文献も書いているし、納得し ている部分もあります。どうか昔の著作に関して、何かコメントしてくれませんかね。 昔の自分の日記を読み返しているとあきれるぐらい落合さんと本多さんの引用が多 いのなんの。30歳前にして、冷め冷めなんだけど、ま、昔をふりかえって、自分を 見つめることの大切さを思い知ったこのごろです。あ、最近の"Favorite Site "で少 し私の思想的な偏りが出てきたような気がしますが、(大半は自転車や旅行、音楽で すが。昔はもっとこの手の話題を友人達にしていたものです。『朝まで生テレビ』の 視聴者からの意見で、深夜に何回電話したか。全部話中だったけど。) 思ったよりも「パソコンたたき」を気に入っていただける方が多いので、ここの読 者の方に一つご提案が。新聞やテレビのチャンネルは定期的に代えましょう。「私は 『○○新聞しか読みません」とか「テレビは朝から××チャンネルです」』というの はある意味で、思想の固定化を招きます。マスコミも当然人が情報を扱っているから どうしてもそこにはある話題に関して、その団体の傾向が生まれるのは当然です。そ れでそこからの情報ルートでしか入手できない状態の人は当然その情報ルートの持つ 思想や傾向にそまりがちになります。「これは正しい」「これは間違っている」と頭 ごなしに決めつけ、人にその思想を強制するのは、私にとっては、人間の行為として 一番野暮だと思います。みなさんはどう思われますか。 最近のCD "Natural wonder -Live in Japan-" by Stevie Wonder
1999 6/15 「阪神優勝」!! 少し気が早いが、単独1位を記念で書くといっても、なんで今まで「パソコン たたき」を書いてなかったのが不思議なくらいだ。たぶん色々あるからだと思う。 「諸々の事情」という便利な言葉があるが、そういうこともある。しかし久々に 書きたくなるネタができたからだろうか。 といっても以下に書く内容は、昔の日記シリーズで、なんと14年前の阪神優 勝記録の瞬間を綴った中学3年の時の俺の文章である。どうやらこの当時は当時 で感じるところがあったのね。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 1985 10/16 水 (大安) 体育大会の私と阪神優勝した人々について 長い長い題になったが、今日タイガースが優勝した。5−5なのだが、M(1999 年の鳩野註・マジックのこと)の関係で優勝である。人生15年生まれて初めてだ けに嬉しい。といっても、私は熱烈なトラキチではない。とにかく幼い頃からの 「タイガース」ファンとして嬉しい。 この5−5でも苦戦があった。9回の表までは(1999年の鳩野註・8回の裏まで だろう。言葉遣いがおかしい)3−5で負けていたのだ。しかし(1999年の鳩野註・ 9回の表で)掛布のソロホームランと佐野の犠牲フライで2点入って、後は中西 が抑えて勝ち。とにかく嬉しいのだが、私は少し悔しいのである。別に巨人ファン ではない。なぜかというとあの9回の裏のテレビ中継で見たあの応援の仕方。泣 いている人もいる。そこでナインみんなはそれにこたえてヒーローになっている。 それに比べて私はあの体育大会のスウェーデンリレー(1999年の鳩野註・100・200・ 300・400mと走るリレーの事。私はアンカーの400mを走った)で1位から3位に(順 位を)落としてしまった。そのとき3年8組のみんなにはあの阪神の応援の仕方と は大きさは違うが内容は一緒。それで私はみんなにこたえられなかったこと。こ れが悔しくて悔しい。 アナウンスの途中(1999年の鳩野註・ヒーローインタビューと思われる。放送の 内容を脈略もなくただ書きとめているようだ。) 「岡田選手、お子さんに言いたいことは…?」 「おまえはお父さんが優勝したときに生まれたんだぞ」(と自信もって話した。) (中略) 優勝する試合が見たくて勉強を全くしてない。困った困った。どうせみんなも そうだろう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 今の俺から見て稚拙な文章もあるが、誤字と簡単な平仮名は漢字に変換した。な ぜか六曜まで書いている。確かに大安吉日でよかったねと、当時こんな事を書いて いてよかったと思う次第だ。「トラキチ」でない割には、「とにかく嬉しい」がこ の後にもいくつか書かれている。バカの一つ覚えだ。興奮しながら書いたことがう かがえる。 そうそうこのスウェーデンリレーでくたばって保健室運ばれたなあ。あれはしん どかった。400mなんて、走りたくないものだ。それにしてもバスケットボール・陸 上部・テニス部のキャプテンクラスが粒ぞろいだったクラスだったのに、当時ブラ スバンド部にいた俺がなぜ一番長い400m走らされるんだと走る順番で最後までもめ たことも思い出した。タイムは彼らとあまり変わらなかった記憶がある。しかしふ だん走っている量が違うじゃないかとジタバタ抵抗したが、みんなになすりつけら れたのだった。田畑君・鎌田君・石田君、もしこのページを見たら、メール下さい。 別に恨んでませんので、久しぶりに話でもしたいもんです。この出来事で高校から 陸上部に入ったんだな。うーむ、人生振り返ってしまった。1999年7の月も近 いけど。 この読むと15年の人生の中ではたいそう重大なインパクトがあることは14年 経た自分でもしみじみ感じる。ともあれ14年前の少年の少し甘酸っぱい思い出を 含めて、赤裸々な日記をアップロードしたんだ。タイガース、がんばってくれ。 最近のテレビ "阪神−巨人" サンテレビ 甲子園球場
'98 12/29 「10年前の自分の日記」 1998年も終ろうとしている。20歳の時に占ってもらった時、28歳の時 「大殺界を迎えます」と言われたが、確かに言われてみればそうだったのかもし れない。病気や事故が多かったような気がする。色々な出会いもありました。今 年は南の島へ自転車野宿ツーリングに行く暇もなく、1/2から会社勤めだ。 大掃除をするこの季節、ついつい昔の書類や土産物・写真が思わぬところで発 掘・発見することができる。ついでに収納ボックスの奥につめこんだ高校時代の 日記を衝動で取り出した。実はつい2ヶ月程前、風邪で寝こんだ時にも同じこと をしたのだが、何度読んでも楽しい。 20歳以降の日記からつきあっている女性の記述はしなくなった俺としては、 高校3年の時の日記に相変わらず驚く。女性達との会話がひたすら書かれている。 一人に限定されていない所がおもろい。よっぽど飢えていたのか。時々過激なよ うな、ただヘンテコリンな警句が書き込まれている。ここで発掘された文章も光 栄だろう。 「何かに長じた人はそれで飯を食っていけると決めて、人生を続ける。 何にも長じていない人は飯が食っていけないので、ニヒリストになって 人生をつぶし続ける」 「劣等感は向上心のある心に存在する」 「一番頭のいい奴は統治者になれる。二番目にいい奴は革命家になる」 全部インターネットサイトの「珠唾」に載せてやろうか。当時の俺の方が文章 がうまいのでは? 高校生らしくもなく家計簿が日記の横に細かに書かれている「うどん」とか、 「パン」などが書かれているが、1000円以上使うことはまずない。最近の高校生 は携帯電話持っている経済力を有しているのだから、うらやましい。それにして も飯を食わなかったようだ。我ながら昔から小食だ。当時仲のよかった友人と金 の貸し借りを頻繁にしている。あいつ、そう今井君、このサイトを見ていたら、 メールちょうだい。 ボーリング大会ではストライク5回・スペア6回と大フィーバーして、女性達 から喝采を受けていたようだ。しかしそれで151か。大学の時の222が最高 記録なんですが、最近は社内対抗ボーリングで上位にはいるぐらいで、1位には なれない。 みなさん、今からでもいいんで、日記を含め、自分の心境や行動を書き留めて おきましょう。後で読むと楽しいものですよ。当時の考え方と変わってしまった ところもあったりする。1999年が「恐怖の大王」で地球が滅んでも、後にこの星 で文明を築く生物があなたの日記を「古文書」として発見、解読するかもしれな い。そうなれば、死んでるから一緒かなと言わずに光栄だと思いませんか。 来年はどんな年になるだろうとボンヤリ思うより、自分の意志でもって来年は こんな年にすると意気ごむ方がまだ救われると思いませんか。少なくとも俺はそ う思いたい。 今日のCD "18 till I die" Byran Adams
'98 9/5 「不適切な関係」 前から気になって仕方がない。アメリカクリントン大統領の不倫報道だ。日本 でさえ元総理大臣が芸者と関係を結んだせいで、引責辞任させられているのに、 あちらの国では、「正直に告白した」とか「経済政策がうまくいっているから」 という理由でなぜか許している風潮さえある。おまけに今日のニュースでクリン トン大統領とルインスキーとの関係を攻撃していた議員が、自らの不倫を白状し て、「クリントン大統領は勇気があった。私の行為も許されるものではない」と 自己批判までしだした。変な話だ。 自らのプライベートーな告白ということに関して、アメリカの国全体が歓迎を もって受け入れる土壌がある。「よくお前は告白した」と当人の肩でも軽くたた いて応援しているかのような風情を見ると、キリスト教の懺悔の文化が今も生き ているのだろうか。同性愛にしても告白するとなぜか、みんな「おおっ、君もそ うなのか」と温かい目で見なくてはならないような気分にさせられてしまう。別 にそんな大仰にかまえて言わんでもええやんと思う。むしろ冷ややかに「告白し て、ウケ狙っているのと違うんかい」とツッコミを入れたくなる。エイズの場合 はひやかすつもりはない。金城武が出演しているドラマ「神様、もう少しだけ」 の最後のテロップと同じく、人々に病気の認識を新たにしてもらう意味で、感染 の告白は意義があると思う。 俺なら誰にも話したくことなら、絶対に話そうとも思わないし、悪事ならなお さら意地でも隠す。最近の日本の国会の証人喚問なんて、そんな俺と同じ根性の 塊の偉いサンたちがボンヤリ証人台につっ立っていている。そう思うとどっちが いいのかは、さっぱりわからない。 気になる人はまだいる。アメリカ合衆国の、いや世界のあちこちに弾道ミサイ ルをぶち込む事ができる世界最高権力者から「不適切な関係」とレッテルを貼ら れたモニカ・ルインスキー嬢の意見が聞きたい。そう、台所の流しに捨てる生ゴ ミのような言われ方をされて、悔しくないのか。確かに司法取引はした。少々の 肉体関係後(オーラルセックスらしいが?? アメリカの小学校では授業中この言 葉の意味について説明するのに先生が困惑しているそうな)の下着(用のドレス らしい)を陪審院に提出してまで、関係を証明した意地を見せた。俺と同じ世代 の女性なら、そんな下着を司法取引の材料として後々まで残すより、早く洗濯し ろよと思わずツッコミたくなるような行動をとった彼女は普通の女性としては 「不適切な」ような気がしてならない。翻ってクリントンにさらにツッコミたく なるのは一度は女性として興奮して、事を運んだ対象の人に「不適切」と記者会 見でいうのはちょっとひどい。せめて「彼女は素晴らしい女性だ。妻子ある立場 でこの行動は倫理的によくなかったが、快楽に溺れてしまった」ぐらいモニカさ んをもちあげながら、正直に告白する方がまだマシだ。 浪花節的意見でいえば、クリントンさんは男と女の関係として、ちよっと薄情 な男だ。男としては甲斐性がないというか、イヤな奴といえよう。 金を出す見返りの契約として(実際は認められるべき事ではないけど、実際男 達はしている)、女性とそういう関係をしたのではない、最低1厘の愛情によって 肉体関係を結んだ時に感じあえた感情をむげに否定するのは、相手に対する失礼 以外の何物でもない。言い出した人間の品格が疑ってしまう。 もう1人いる。ヒラリー夫人だ。「またこの男、浮気しよったな」と肝っ魂母 ちゃんの域に達してしまったのだろうか。そんな年齢でもなかろうに。本業弁護 士だから、ルインスキーに精神的なダメージを与えられたと訴訟すればいいのに、 その動きもない。どんな心境なのだろうか。精神的な図太さと高貴とさえ見うけ られる立ち振る舞いは43代目のアメリカ大統領になる資格充分と見た。ただ単 に大統領夫人という地位が崩れないくらいの浮気なら、我慢しておこうかという 「夫人」としての保身なら、幻滅だけど。 アメリカの女性達は強い。両親が生きているはずの世代の人妻や、現役大学生 が週刊誌の素人ヘアヌード写真に堂々と出演してしまう日本の女性も負けなくな ってきているかな。男が徐々に弱っているのは気のせいか。 今日のテレビ番組 「CNN News」by NHK BS 1 (7ch)
'98 6/10 「19歳下の従兄弟」 叔父の子供、つまり俺にとって従兄弟となる彼は小学3年生だ。当時の俺と比 べると圧倒的に雄弁家で、生意気な口をたたく小憎たらしい奴だ。大人でさえ、 その口の利き方には感心するやら、飽きれるやらとため息を出させる。しかし同 級生の女の子から「好きです」と告白をうけるくらいのルックスと魅力は備えて いる。 祖父の葬儀の時、物心がついた彼と初めて出会った。葬儀の最中でさえも任天 堂のゲームボーイを手放さないゲーマーの彼と話が盛りあがった。「テストで1 00点を連続で取り続けたら、プレイステーションを買ってやる」と賭けた。 彼は友達連中がみんな持っているので、欲しくてしかたがない。しかし大多数 の家庭のご多分にもれず、両親に買ってもらえない。 俺が幼かった頃、叔父は俺に色々と最新鋭の機械(時計、電子英訳機など)を 「テストで100点取ったら」の条件付きで与えてくれた。俺はそれをクリアし て、その物を手にすることで学校の勉強をしてきた。両親からもそれで現金を余 分にぶん獲ってきた。その結果学校内ではそれなりに優秀な成績だったが、内実 は物欲に動かされて勉強していただけである。 傲慢な話だが、小憎たらしい従兄弟にも同じ目にあわせて、俺以上に優秀な人 材になればいいなと思い、ゲーム機を賭けたのだ。数日後FAX からテスト答案が 延々送られてきた。従兄弟は見事に100点を6回近くとってきた。小学生のテ ストといっても6回連続で100点はそれなりに難しい。 「プレイステーション」従兄弟の電話口の会話は明快だった。 日曜の午後、彼は自宅前の道端で学校の友達2人と一緒に俺を待ち構えていた。 慌ただしくプレイステーションの箱を開けると嬉しそうに「ファイナルファンタジ ー7」を交代交代でやりあう。俺は従兄弟の友達からも崇拝された目つきで見られ る。 「こいつ、前から『兄ちゃんがプレイステーション買ってくれるねん』って、メチャ はしゃいでてんで」 へへっと従兄弟が笑う。「100点とってんもん」 叔父は「最近の子供は機械、覚えるの早いなあ。高ちゃん(親戚まわりからこう 呼ばれている)、ようついていけるなあ」 「まだ若いんで」 当然夕方までずっとゲームをし倒していたら、親や(従兄弟にとって)祖母に怒ら れるので、適当に切り上げさせられ、野球をしに行く。「手打ち野球」かバットを 持っての「庭球野球」かで3人の間でケンカ沙汰になるが、雄弁な従兄弟の意見が 押し通され、手打ち野球となる。俺も道連れにされる。 川辺の公園は晴天の日曜日だというのに、少年野球のグループが一部分を使って いるが、ほとんどのスペースが使い放題だ。最近の子供は外で遊ばないのだろうか。 俺らの頃はどこの公園も場所の取り合いでケンカ沙汰となることが多かった。 野球は2対2でやる。「じゃんけんでホイ」という掛け声、大阪西淀川では 「大根おろし」というらしい。ただ驚く。じゃんけんの掛け声はローカル色豊かだ。 俺が当時過ごした寝屋川では「インジャンでホス」。ほとんど呪文で、何を意味し ているか今の俺でもわからない。大阪府内でも色々あるのだろうか。研究したら、 「アホバカ分布図」(朝日放送制作「探偵ナイトスクープ」のスタッフが研究、番 組内で発表した。日本語学の学会でも発表された)のようにメジャーになるかもし れない。 友人の1人は少年野球通いだ。他の2人よりも球速が早い。気温が高いため、 3人とも大胆に上半身を裸にして、グランドに立つ。 「透明ランナー3塁」。俺はこの言葉を15年ぶりくらいに発した。こうして俺 も遊んでいたんだよなと懐かしい感触にひたれるかなと思ったが、子供は飽きや すく、すぐ遊びの内容を変える。野球少年以外の2人は「暑いなあ」と木陰にへ たり始めた。「お前ら俺より20歳も若いんやぞ、シャキッとせえ」と怒鳴るが、 野球少年以外の2人はゲーム慣れした体になったのだろうか。それとも砂煙がた つスライディングや無茶なランニングで疲れただけなのか。 ジュースをおごってから帰った。叔父の家では砂だらけの子供達が服を脱いで 風呂に入らされていた。野球少年の彼は俺とキャッチボールをしたがる。男友達 って、本当にエゴイストで自分の好きなことしかしないけど、結局群れたがるん だよな。これは9歳のガキでも、29歳のオッサンでも変わらない。 たぶん俺が帰った後も「ファイナルファンタジー7」をしているのだろう。 家に戻ってからプレイステーションで「ワールドカップサッカー98」に燃え た。本番は如何?? 次は従兄弟と対戦するか。 今日のテレビ番組 「プロ野球ニュース」by 関西テレビ放送 (8ch)
'98 4/21 「急性アルコール中毒体験記」 取引先との宴会だった。元々体質的に酒は苦手だから、酒宴の奇妙なノリに は常々脅えている。ビールのグラスを形式的になめて飲んでいたら、「飲もう」 と紹興酒の「乾杯(カンペイ)」方式がはじまった。無理はしない方だが、参席 していた人数が多く、グラスのかわし合いのピッチが早くなる。 ほどなく撃沈。トイレでうめく。これでは体がもたない。同様に苦しんでい る後輩達と一緒に悪態をついたり、愚痴ったり。 この会合からそっと脱走して家に戻った。あまり人前でくたばっている姿は 見られたくない。人に面倒を見てもらうのは自分の美学に反する。自宅の便器 の前で突っ伏している自分がそこにいる。いつものパターンなのだが、今回は 違った。手足がしびれてきた。今までたいがい酔っぱらってきたが、かつてない 体験に恐怖感が増す。「これで死んでしまうのだろうか」 119番に電話した。かつて近所の火事や道路上ではねられた人を見て、電 話をかけたことあるが、今回は自分のためにかけた。住所と名前を冷静に告げる。 マンションの下でゲロッて待っている。5分ぐらいたっただろうか。前の一方 通行の道を逆行して救急車がやってきた。肝心な時に来ないのはタクシーと救 急車とはよく言ったものだ。担架にのる。近所の病院に入った。看護婦さんた ちが手荒に迎えてくれる。 「飲みすぎなんて、最低やなー。看護婦さんもアルコール中毒は同情せんで」 「洗面器下さい」 だんだん胃液のむさ苦しい匂いが周囲にただよう。ベッドに寝たまま移動する。 看護婦さんに下を全部脱がされる。「オムツしますからねー」羞恥心がわく。い ともあっさりと脱がされた。ゴワゴワしたオムツはなんとも違和感がある。 入院自体は初体験だが、症状が急性アルコール中毒とは情けない。 その後何回かゲロッてから、くたばる。 落ち着いて起きた時、時計がないことに気づく。携帯電話の電源をいれると 4時過ぎ。なぜか性欲がわく。時々見に来てくれる看護婦さんがそれを増幅さ せる。会社の先輩が「ベロベロに酔っぱらって、死にかけた後の朝って、よく 勃起するんだよな」という訳のわからない会話を思い出す。死にかけた男の生 存本能か。 6時ぐらいに起きると気分が相当マシになった。周囲を見渡すと、年老いた おじいさんばかりで、チューブや吸引機などが据え置かれている。 どう見ても場違いな所にいるようだ。 会社は休んだ。昼近くに退院できた。体験費用は 10750円也。看護婦さんの多 忙さや入院患者のつらさが垣間見えた費用としては相当の料金だとわりきるしか ない。ゲロっているときはそんな余裕もなかったが。 家に帰ってからも療養して熟睡。ここ2、3日ずっと食欲がない。 これを読んだ方へ。酒を嫌がる他人にアルコールを強制的に呑ませないで下さい。 年間何人かこれが原因で死んでます。 「自己管理ができてないから倒れるのだ」と私につっかかる人に。強制的に呑ま せたのはどこの誰だ?! 自分の胸に手をあてて、しっかりと罪悪感を認識して下さい。 わからないのなら、殴ってわからせてやるから、顔を出せ。 「無理するなよ」と励ましを下さったみなさまへ。感謝してます。 今日のBGM Midnight finger by FM802 DJ 佐藤竹善
'98 2/27 「氏名と名氏」 長野オリンピックで気になったことがある。選手の名前の表記方法だ。 「Tae Satoya」「Masahiko Harada」となぜか西洋風になる。なぜだ。 「名が先で姓が後」は世界中の人達みんなのシキタリではない。それどころか大 変な間違いである。何よりも世界の人口を占めるアジア地域は日本同様「氏名」順 だ。ソウルオリンピックの時は「Suzuki Daichi」だったし、記憶が確かならば、 「名氏」順の文化圏に住む人には、「Johnson,Ben」とコンマを打ちながらもアジア の大会として「氏名」順を貫いた。 英字新聞でも日本人は氏名がひっくりかえされる。「Ryotaro Hashimoto」をは じめ完璧に「名氏」順だ。しかし韓国や中国の人物の表記は「Jiang Zou-min」 (江沢民)、「Kim Jong-Il」(金正日)、と「氏名」順なのだ。ところが長野で は中国や韓国の選手も「名氏」順にされてしまった。 ついつい日本人は自己紹介でも名前と名字の順を逆にしがちだが、堂々とこっち の流儀を主張してもいいのではないか。私が海外に出かけた場合「Hatono Kotaro」 と告げている。すると大体みんなHatonoを名前と思っていたが、「日本では『氏名』 順で名前をつげる慣習だ」と日本の流儀を普及するべく努力している。これで話が 続くという特典つきだ。私は国粋主義者ではないけど、開催国の流儀は堂々と通して もいいのではないかと思うだけである。 この話、実はジャーナリストの本多勝一も問題にしていて、この文章は内容まで ほとんどパクっている。最近になって、彼が問題提起していた時代よりも「名氏」 順がより浸透しつつあり、ついに長野オリンピックで全世界の人達の名前が無理矢理 「名氏」順にされてしまった。 ちなみに「名氏」順の国の人物事典の索引の順序は「氏名」順がほとんどである。 また国際線の飛行機の予約などでも名字が最初に尋ねられるし、航空券に印刷される 表記は「氏名」順のはずだ。ただ単に実務面で便利だからだ。つまりこちらの方が名 前の整理という点で優秀であることを意味しないか。 世界中には57億人もいることだし、整理する上でも人物表記の際は「氏名」順 の流儀が適切だと思う。 やっぱり「パソコンたたき」という題名にすると文体が荒れてきたなあ。昔はこ んなことばっかり書いていたのだが。 今日のBGM Groove Night by FM802
'98 2/5 今日は極論を二つほど。 「バタフライナイフ」 どうやら流行らしい。キムタク主演のドラマ「ギフト」で使われていたからら しい。最近これで人を脅したり、果てには殺害してしまう事件にまで発展した。 当局はついに生徒の持ち物検査やらナイフ購入の自粛勧告まで言い出した。 ひとつツッコミいれさせてもらう。「ギフト」の放送は半年以上も前の話では ないのか。それがすぐに因果関係に結びつけるのはあまりにも安易すぎないか。 単純に昔から男は小さい頃からナイフに興味を抱くだけだと思う。ただ一連の 事件がただ単にバタフライナイフだっただけではないか。俺が見ても、バタフラ イナイフは携帯する際の利便性と美術品としての美しさを兼ね備えた立派な道具 だと感じる。ナイフを愛でる心は狩猟時代からの人間の、いや男の本能だとさえ 思う。(女性でもいるのだろう。特にガールスカウトの方は。)この感情がない まま育った奴を俺はあまり信用する気はしない。釣りに全く興味を抱かない奴にも 同様だ。中学時代からナイフを持っていた。中国製の10徳ナイフだ。アウトドアで おなじみのスイスアーミーナイフの模造品である。安かったので買った。使用用途は いじめ・・・なんてのには使わず野宿旅行に使用していた。結構はしゃぎながら、 豆腐やらキュウリやら切った。(大したものは作っていない) 閑話休題。橋本首相はこの一連の事件について、鉛筆を削る時に使う「肥後守」 をネタにしていたが、俺も同じ事を考えた。最近の小学生は「肥後守」を授業で 使わないのだろうか。おそらく使ってないのだろう。最悪先生がそれを使えず、 生徒に教えられないのかもしれない。 1つ過激な提案がある。ナイフをみんなに持たせてある体験をさせるべきだ。 「自分の好きな指の1本にナイフを当てて、自らの意志の範囲内で試しに切る」 中学2年のとき、技術家庭の授業で糸ノコギリを使っていて、右親指を誤って 半分ほどザクッと切ってしまった経験がある。当然血があふれ出てくるのだが、 思ったよりも痛くない。「おー、血がでてる、でてるで」と友達に見せびらかす くらいだった。さすがにみんな心配して、「はよ保健室行け」とわめきながら、 無理矢理保健室まで連れて行かれた。見ている方が痛々しいと思ったのだろうか。 この傷は今も微かに残っている。 中途半端なナイフのいじりかたをしていないから、極端にはしってしまうのだ。 喧嘩も中途半端にしないまま大人になると、突然殺してしまう事態が発生する。 喧嘩の中で殺さない方法があることをちゃんと子供らに学んで欲しい。 「みんな性欲旺盛でうらやましい・・・」 クリントン大統領をはじめ、アメリカ合衆国がイラク攻撃をさんざんわめてい る。最近早起きして衛星放送のニュースを見ているとその声がますます盛んだ。 しかし、いざドイツ・フランス・ロシアとダイジェストを見ているとそのトーン の違いが明らかでなかなかおもしろい。「不倫トン大統領」の由来でもある偽証 強要疑惑も並行して眺めてるとそこらへんの漫画よりもおもしろい。 事実は小説より奇なりとよくいったものだ。 イラクの化学兵器・生物兵器を排除するよりも大事なことがあるでしょうと やんわり大統領の肩をたたいてやりたい気分だ。イラクの周辺国が化学兵器・ 生物兵器で攻撃される可能性があるなら、とっくにイラン、もしくはイスラエル が自力で攻撃している。余計なおせっかいやくより、国内の女性問題を早く片づ けた方がよっぽどイメージアップすると思うが、アメリカという国も日本と負け ないくらい不思議な国で、よその国を攻撃すると言った途端に大統領の支持率が アップする。昔からの開拓者精神が歪んだ形で現れているのだろうか。 日本も言えたものではない。これだけ官僚の不祥事がおこっているのに、暴動が おきない。みんな「景気よくなりませんねぇ」と酒のサカナにするだけ。大学生 は「ヤリコン」と言う名のレイプをしているのだから、単純に情けなく思う。 アメリカ大統領も「ノーパンしゃぶしゃぶ」で喜ぶ官僚も体育系の大学生も 単純な性欲で溢れかえっている。爽快でさえある。バンバン子孫増やしてくれって 感じだ。裏返せば、この年で既にその方面で「衰え」を少しずつ体感している 俺には本当にうらやましい話で、女性に対する関心というか、感受性が少しずつ 薄くなっている。まだ27歳なのに・・・、ヤケっぱちでも起こしたくなるよな。 俺の手にフセインの生物兵器や化学兵器があったら、官邸やら国会やらに迷わ ずばらまいてやろう。一番手っ取り早い「改革」のような気がする。 今日のCD 「Straight from the heart」 by Bryan Adams
'98 1/29 携帯電話を買い替えた。元々持っていた電話は震災以降に購入したデジタルの 初期段階のものだった。これが最新の機種に安く切りかえられることを取引先の 方から(と言っても社歴で同期だが)聞かされ、早速買いに行った。 当然ながらバッテリー時間・重量、機能のすべてに関して買い替えた電話が 優っている。多分競争の激しい携帯電話業界だからこそ、同会社の商品の買い替 えが手軽に行える。そのメリットを享受してから、電話を持ちながらニタニタし ている。 単純に喜んでいるのだが、少し不安でもある。たかが3年でこれだけ進歩するの だから、この電話も3年経てばどんなボロ電話となっているのか、わかったもので はない。元々新しいもの好きの俺の場合、時代の移り変わりを楽しんでいるとは 言っても、年齢を重ねる毎についていけなくなっていくのではないか。そういう 不安や焦りを30・40代以上の大半の人々が今感じている。この辺の心のケア ができる所をそろそろ作っていかないと、ノイローゼになる人がどんどん増える ような気がしてならない。 とは言っても、インターネットのホームページやプログラミングに勤しむ70 代以上の人達がいるのも事実であり、時代についていける人間とそうでない人の 違いは単なる個人差として片づけられてしまいそうだ。科学技術に関しての問題 だけではない。音楽でも芸術の分野でも同様の問題が存在している。 時代はついて行く人間で作られている。先に先に突っ走りすぎた人は賞賛され るか、冷遇されるかのどちらかだ。 突っ走りすぎるくらいの方が人生楽しく過ごせるのではないかな。 携帯電話ショップ内は電話の買い替え客で大変賑わっていた。そこのスタッフ は宅配の弁当屋に電話していた。 今日のテレビ番組 「今日の出来事」by 読売テレビ放送 (10ch) 「ニュース23」by 毎日放送(4ch)
'98 1/19 エッセイらしきものを書こうとしたのは理由がある。1つはある二人のホーム ページを見て、俺もやってやろうと思ったこと。 一人は中学時代の友人、山崎修平君のページの「つぶやき」、後一人は大学の 自転車の同好会の大先輩で、インターネット時代だからこそ知る事ができた8回 上の山本先輩のHPだ。二人とも気を楽にして気持ちを書いている。 もう1つの理由はしばらく中断していた日記を復活させようということだ。 社会人になってからは、月に1回、いや半年に1回ぐらいしか日記を書かなく なっていた。学生時代は毎日つけていたにもかかわらずだ。インターネットHP 全盛の時代、日記というのも1ジャンルで成立しているらしい。一発やるか。 友人と深夜の映画「家族ゲーム」を見ていた。松田優作が出演している。 「珠唾」にも彼の言葉を使っているように、私は好きである。昔の「工藤」ちゃん も最後の「ブラックレイン」もしかり。あの渋味の演技を今も見せて欲しかったと いうのが、偽りのない心情である。 私は夭折した人が好きである。松田優作同様に、「俺の本棚」や「珠唾」には セナ・パスカル・浮谷東次郎が出ている。尾崎豊も嫌いではない。「卒業」ぐら いはカラオケでも歌う。なぜだろうか。元々体が丈夫でない俺は(自転車で走り 回っているイメージを植え付けようとしているが、これは後年である。今も会社 は年に2、3回は風邪で休ませていただく)事故であれ病気であれ、先に亡くな ってしまう人たちに対して、どことなく申し訳がないような後ろめたさを感じて いる。大して活躍もしてないのに、おめおめと生きている自分の身体のエネルギ ーを彼らに与えたら、よっぽど社会全体が充実したものとなるだろうかと考えて しまうのだ。そんなこと、できもしないのだけど。 友人・知人の葬儀にも27歳の身分にしてはよく行っている方だろう。阪神・ 淡路大震災でも、失った後輩達が3人いる。みんな俺より若かった。明らかに俺 よりも後世まで生きていただろう人間がこの世から去るのを見ていると悔しくて ならない。 夭折した人達に対して、生きている人間がすべきことは、結局そういう人達が 存在し、すばらしい行動をしていたのだと声高に叫び、周囲の人間に知らせるし か方法がないのだろう。 震災3周年「祈念」の2日後に感じたことである。 今日のBGM 浜田省吾「ラストショー」by Be Happy FM (78.9)